第12話 この両目に届いた言葉
放課後。
事件の後始末を警備隊に任せ、アリア達は学園の貸応接間に集まっていた。
「は、入っていいわよ!」
「お、おぅ」
相当に強張ったアリアの呼び声に、外で待機していたグレンが恐る恐る扉を開ける。
「その……落ち着いた、か?」
「え、ええ、その、ま、待たせて、悪かったわね」
そうは言いつつ顔は真っ赤。チラチラとグレンを伺っては、視線が合うと俯いてしまう。
が、エルナ達からすれば、これでも大分マシになった方だ。
衆人環視の中、布面積0%フォームを晒したアリアだったが、幸いなことに目撃者はほぼいなかった。
警備隊の面々は、僅かな女性隊員に魔導銃を突きつけられ、両手を頭の上で組んで後ろを向いていたし、男子達はスライム大爆発の被害でパニック状態だ。
中にはそんな状況でも、アリアの裸身を視界に収めた幸運な者もいただろう。
本来ならアリアのプロポーションは、グレン――勿論、クラスメイトの変態脚フェチ男じゃない方――に見せるために磨き上げたものだ。
だが、見てしまった者たちの記憶を消去する術を、アリアは知らない。
精々2~3人、プールサイドからでは鮮明には見えていない筈だし、バイザーがギリギリ無事だったため、正体も隠せている。
今は無理だが、時間が経てば忘れることもできるだろう。
が、約1名そうもいかない目撃者がいた。
グレン――残念ながら、クラスメイトの変態脚フェチ男の方――だ。
共にプール上の氷原で戦っていた、どうもアリアの心の平穏を乱すこの男に、真正面から、至近距離で全てを見られてしまったのだ。
アリアがプールの外まで響くような悲鳴をあげてしまうのも、仕方のないことだろう。
だがその声が、パニックに陥っていた男子達の注意を引き、後ろを向いていた警備隊員を無意識に振り向かせてしまった。
ここで、変態脚フェチ男が動いた。
咄嗟にアリアを抱え上げ、氷の上を全力疾走。
集まる視線を置き去りに、アリアを更衣室に続くシャワー室まで連れて行ったのだ。
その間、チラリとグレンの顔を見上げたアリアは驚愕した。
なんと、アリアの裸を見たにも関わらず、真剣な表情なのだ。
鼻血も一切無し。あの生命波動による沈静化もせずにだ。
それに、家族を除けば、男性に姫抱っこをされるなど、アリアは初めてだ。
肉体派のグレンは当然のように全身ガッチリしており、何となく安心感のようなものまで感じてしまう。
――これ、悪くないかも。
なんて思ってしまっては、違う違うと首を振る。
そして、もう一度グレンの顔を見て、ふと気付くのだ。
『コイツ、私の裸見ても無反応じゃね?』と。
遡ってみれば、大開脚の時にアリアが感じた視線も、いやらしいというよりは、驚いて呆然としていた感じだった。
アリアの心に疑念が湧く。
――グレン君……私の裸に……興味がない……?
普段は『いやらしい目で見ないでっ!』などと言ってはいるが、実際にうっすい反応をされると、物足りなさと謎の不安感が込み上げてくる。
そして、そんなことを考えてしまった自分に動揺し――
興味を持たれない裸を晒していることに、居た堪れなくなり――
何だか、自分1人で舞い上がっていたような気がして哀しくなり――
「うぅっ……ぐすっ……うっ、うぅぅぅ……っ!」
その辺全部ひっくるめて、精神のキャパを超えたアリアは、グレンの腕の中で泣き出してしまった。
誰もが、人前で全裸を晒した羞恥によるものだと考えた。
『一旦、男は消えた方がいい』と、エルナ達に託されたアリア。
着替えやら何やらをエルナとロッタに世話され、リーザ達が確保したこの貸応接間に避難し、お気に入りのロッタの膝枕の上で、親友2人に頭を撫でられながら、何とか、ポツポツと心情を語り始めたのだ。
それから30分。
話しながらまた泣き出し、4人掛かりで撫でられ、励まされ、グレンの愚痴をうんうんと聞き、何とか今の、急に泣き出さない状態まで持ってきたのだ。
「ま、まぁ、アレだな((((ギンッ!))))ひいっ!?」
余計なことを言おうとしたグレンを、8つの瞳が黙らせる。
何を言おうとしたかは知らないが、この男はアリアが泣いた本当の理由を知らない。
いや、エルナ達も何となく、ぼんやりとしかわかっていないが、少なくともグレンが余計なことしか言わないであろうとこは、容易に予想できた。
そしてそうなれば、この30分の努力は水泡に帰す。
この話題から離れるまで、グレンには物言わぬ石像になってもらうのが得策だ。
――誰か話題を変えろ。
交わされるアイコンタクトの中、リーザが動いた。
「あのスライム……完全に制御されていましたわね」
「命令する時さ、手ぇ光ってなかった?」
ビガーッとエルナが手の甲をかざす。
すると、アネットがエルナの手を指差し、それから指を自分の首筋に持って行った。
「『コレ』に、似ていましたね」
「呪印かぁ~。でも、命令する方に付いてたよね。逆じゃない?」
エルナの手の動きに合わせ、カクカクと謎の動きを始めるアネット。
割とキレッキレ。楽しそうだ。
「あーでも、確かに実家のメイドのと似てたな」
「なっ!? グランツマン少将閣下は、清廉な方と聞いていたけれど……奴隷を?」
「清廉……」
グレンの『メイドに呪印』発言に、アリアが驚きの表情を見せる。
彼の父であるグリムグランディア統合軍のグランツマン少将は、私欲を廃し、人々のために職務を全うする高潔な軍人として知られているのだ。
奴隷を買う、という行為とは結びつけ辛いのだろう。
実際、やっていることはその通りなのだが、本人はマフィアでもやっていそうな、少々ガラの悪い美形おっさんなので、実態を知るグレンは苦笑いだ。
「でもま、そうだな。メイドは元奴隷だけど、今は自由民だ。呪印は本人が『まだ付けとく』って言うから、そのままだけどな」
「可笑しな方もいるものですわね?」
「どうかな? リーザがオーナーになった途端、アネットも解呪をごねるかもしんないぞ」
ゴゴゴゴッとアネットに視線を移すリーザ。アネットはスッと目を逸らした。
「アネット……!?」
「若干、同じ匂いがするんだよ。頑張れ」
戦慄の表情を浮かべるリーザ。
アネット・コルベック、17歳。彼女の業は、そこそこ深い。
◆◆
誰もいない廊下に、アリアとグレンの足音だけが響く。
貸応接間の鍵を返しに行くと言ったグレンに、アリアが同行を申し出たのだ。
『あ、貴方1人に押し付けるわけにも、いかないでしょっ!』
とのことだ。
そこまで言う程の重労働ではないのだが、散々アリアの泣き言を聞かされた少女達は、やりたいようにやらせるべきだと判断。
『いや、このくら((((ギンッ!))))是非、お願いします』
眼力でグレンを黙らせ、2人を送りだした。
そして、送り出されたアリアだが……残念ながら、ここまで何もできないでいた。
職員室に鍵も返し、あとはもう帰路に着くだけなのだが、未だチラチラとグレンの方を見るだけで、ろくに会話もできていない。
アリア自身、自分が抱えるモヤモヤの正体はわかっている。
認めたくはないが、すぐ隣を歩くこの男が、自分の裸に興味を示さなかったことだ。
だからと言って、それをストレートに聞くなど、アリアでなくても不可能だ。
いきなりそんなことを聞く女など、ただの痴女か、それとも――
(ち、違うから! 別に、そうゆう気持ちじゃなくて……何か、そう! 鼻で笑われたような気がして、腹が立っただけよ!)
怒ってる感じを出そうとして、グレンを睨んだりしてみる。
呑気な横顔を見ているうちに、実際にそこそこ怒りが湧いてくるらしい。
アリアの目が徐々に険しくなっていく。
「むむむむむ……っ」
「アリア」
「むひゅっ!? な、な、なに……?」
不意打ちで声をかけられ、変な声が出るアリア。
グレンに視線を向けられ、慌てて目を逸らす。
「ちょっと寄り道してくか?」
「あっ」
気付けば、もう2人は玄関に着いてしまっていた。
後は、短い並木道を越えれば、すぐにそれぞれの寮への分かれ道だ。
「なんか、話あったんだろ?」
急かすことはしない。アリアの踏ん切りが着くまで、そうやって待つつもりなんだろう。
グレンの態度に、力一杯吊り上げていた目が緩んでいく。
――そうゆうところよ、グレン君。
「じゃあ……お言葉に甘えて、もう少しだけ」
気持ちが楽になっていく。それに、ちょうど話の切り口も見つかった。
アリアはようやく、グレンの顔を正面から見ることができた。
が――
「グレン君?」
そのグレンは、何故かアリアから視線を逸らし、背後を気にしている。
「その話……あいつらに聞かれてもいい感じ?」
「どうゆう……あっ!」
グレンの視線を追っていくと、曲がり角の向こうに消える4つの気配。
もちろん、エルナ達だ。
送り出したはいいものの、アリアはまだ不安定。心配になって後を付けてきていたのだ。
「もう……!」
「じゃ、場所変えるぞ」
「ええ、そうし――きゃっ」
フワッと体から持ち上がる感覚。本日2回目の姫抱っこである。
そのまま、校舎の壁を駆け上がるグレン。
アリアは、そんなグレンをおずおずと見上げる。
「……重くない?」
「ちょうどいいかな」
「そうゆう時は、嘘でも『全然』っていうものよ」
眉を軽く吊り上げた、いつものお叱りモード。だが、アリアの声色は大分柔らかい。
体を包む安心感と、心地よい浮遊感。ついでに、高いところから見る夕日も綺麗で、とても気分がいいのだ。
「ねえ、グレン君」
「なんだ、アリア」
「あの時、スライムが服しか溶かさないってわかったのに、どうしてまだ、急いで倒そうとしていたの?」
そう、これがアリアが最初に抱いた疑問。
一先ず、アリアの身に危険がないことがわかったグレンは、それでもイングリッドとの勝負を急いだ。
「グレン君なら、寧ろコスチュームが全部溶けるまで、長引かせるんじゃないかって思っていたわ」
「あぁ、俺着衣派だから。裸も勿論いいが、裾から伸びる太股がベストアンサーなんだ」
「えぇ……」
めちゃくちゃ下らない理由だった。
1時間近く悩んだ自分は何だったのかと、アリアの顔がわかりやすくげんなりしていく。
もう屋上まで着いたし、そろそろ降りようか、なんて考え始めた。
「あとはまぁ……なんだ、その……」
「もう性癖の話はいいわよ。グレン君が言い淀むほど凄いのなんて、怖くて聞きたくないし」
「ちっげえよ!」
とんでもない深淵の性癖暴露ではなかったらしい。
アリアは胸を撫で下ろし、グレンの腕から逃れようとする動きを止める。
「ほら、他にも見てる奴いたろ。クラスの奴らとか、警備隊とか」
「気を……使ってくれたの?」
「いや、だから…… 」
「え? なに?」
グレンの声は小さくて、すぐそこのアリアに届く前に溶けてしまう。
聞き返すアリアに、グレンは珍しく赤くなった顔を背けた。
「ダメ、2回は言わねえ」
「えー、声小さかったわよ? もう一回! ね、もう一回言って?」
「言わない! ってか何だ、そのニヤニヤした顔! ホント聞こえてねーんだろーな!?」
「ええ、聞こえなかったわよ。だからほら、もう一回!」
グレンの首に手を回し、悪戯な笑みを浮かべるアリア。
本当に聞こえてはいない。ただ――
『アイツらに見せるの嫌だったんだよ』
皇族の嗜みとして、唇が読めるだけ。
――まだ、まだよ。私は、そんなチョロい女じゃないわ。
ただ、この日アリアは、とにかく上機嫌だった。




