第10話 スライム~それは男の夢、それは戦うヒロインの天敵
――スライム。
その名を冠する魔獣は、多くの地域に生息している。
専門家に言わせると、スライムは魔獣ではなく『不明進化生物』らしいのだが……何にせよ、その性質は地域によって大きく違う。
大陸を離れ、南の海を越えたもう一つの人域『アウローラ』のスライムは、ゼリー状のプルプルした体をしており、体当たりしかできない一般人でも棒切れがあれば倒せる程度の雑魚、という扱いだ。
対してここイーヴリス大陸のスライムは、アメーバ状の半流体で物理攻撃が効き辛く、取り込んだ生物を強力な酸で溶かす危険な生物だ。
突如現れた巨大スライムは、サイズこそ大きく違うものの、危険なイーヴリス大陸のスライムのように見える。
「こんなの、一体どこから……!?」
いかに学園の敷地が広いと言えど、このサイズの魔獣を、誰にも気付かれずに潜ませておく場所はない。
困惑するアリアだが、その目が巨大スライムから伸びる尻尾のようなものを捉えた。
それは水中を漂い、注水口に繋がっていた。
「まさか……水道管っ!?」
「隠し場所としては上々だと思ったのだがな。何度も詰まらせて、その度に冷や冷やさせられた」
相変わらずの無表情で語るイングリッド。
ここ最近の水道トラブルは、このスライムの仕業だったわけだ。
シャワーやら何ら色々止まったり、逆に噴き出したり……何ならつい1時間程前、アリアが失禁寸前に追い込まれ、やむなく排水溝に放尿する羽目になったのも。
「捕らえろ!」
静かに怒りを燃やすアリアを他所に、イングリッドが巨大スライムに指示を飛ばす。
スライムは中央を大きく沈め、反動で体を何本もの触手に弾けさせた。
遅いくる十数本の触手を、アリアは柔らかい動きで躱していく――が。
「あっ、し、しまっ、きゃああああぁぁぁっっ!!」
見えていた触手は囮。
必死に回避を続けるアリアの足元の氷が崩れ、露出した水面から本命の触手が現れる。
足場を失い、宙に投げ出されたアリアを、四方八方から触手が絡めとった。
「くっ! は、離してっ! あぁぁっっ!!?」
『離して』と言われて離す敵はいない。触手は再び1つに戻り、アリアはスライムの中に囚われてしまった。
首から上は出ているから窒息することはないが、それも恐らくイングリッドの意志一つだ。
もがいてはみたが、想像以上の密度に囲まれているらしく、手足は殆ど動かない。
ボールの連射による破壊も不可能だ。
ルミナスハンドは、アリアが触れていないと換装できない。
手を離れ、スライムに取り込まれたクラブをボールに変える手段はない。
アリアに残された手立ては四肢からも出せる光粒子だが、光粒子は防御力無視な反面、純粋な破壊力はそこまで高くない。
一瞬で拘束を解くことは不可能だ。
手立てがあることを見せれば、早急にとどめを刺そうとしてくる可能性もある。
結局今のところ、アリアはもがくしかできなかった。
そんな彼女に、イングリッドが多少憐れみを込めた視線を送る。
「さて……気は進まんが、コイツの性能評価も仕事の内だ……や――」
「ウォーターカッター!」
イングリッドの指示を遮るように、ロッタの魔術が迫る。
が、ドミネートフィールドはプール全体に張られている。
威力を大きく削がれた水刃は、イングリッドが軽く短剣を振っただけで散らされる。
感情の見えない視線を、ロッタに向けるイングリッド。
「「ファイヤランス!」」
すると今度は彼女の真横から、2本の炎の槍が飛来した。
そちらも短剣で弾いて、イングリッドは周囲を見渡す。
出どころは、男子達の『観客席』の最前列。
騒ぎを聞きつけ、授業を抜け出して駆けつけてきた、リーザとアネットだ。
更に、学園の警備隊も現れ、無人の女子側プールサイドに整列した。
「ぞろぞろと……兵隊にまで犠牲は出すなと言われて――っ!?」
増える敵に、脅しをかけようとしたイングリッドだが、何かに気付き、プールの一点に手をかざす。
そこにあるのは、凍りついたプールのそこかしこに突き刺さる氷塊の1つ。
中にいるのは――グレン。
(この男……馬鹿な……!)
イングリッドが感じたのは、それをドンドンと叩くような衝撃と、氷が軋む感覚だ。
(砕くつもりか!? 私の氷を……内側から……!)
氷に魔力を送り、次々と刻まれる小さな傷を、修復し続けるイングリッド。
僅かだが、その顔に驚愕と焦りの色が浮かんだ。
「5人はスライムを狙え! 残りは敵幹部に照準! 撃てぇーーーっ!」
イングリッドの異変を好機と見たか、警備隊の隊長が攻撃指示を飛ばす。
彼らが手に待つのは、魔導先進国である帝国ならではの、フィールド内でも威力の落ちない魔導銃だ。
魔力の巡りが悪く連射はできないが、先ほどのエリザ達のものよりは多少強力な火球が、スライムとイングリッドに降り注ぐ。
「私たちはティアを!」
「わかりましたわ!」
「お任せを!」
ロッタ達は、警備隊が避けている、アリアを捕らえた部分を直接攻撃。
「なら、私も……全開っ!」
アリアもここが勝負所と、両手足から光粒子を発生させる。
「くっ、無駄なことを……」
そう言いながら、イングリッドの顔はどこか忌々しげだ。
例えグレンを氷に留めるため、魔力と意識を割いていようと、自身に向けられた攻撃は難なく叩き落とせる。
だが、スライムはそうもいかない。
巨体故に、側からみれば効果がない様に見えるが、法撃と光粒子でスライムの体積は確実に減っている。
スライムの『下らない能力』のテストなどどうでもいいが、敵に好きにやられるのはイングリッドとしても単純に面白くない。
それに、活性化状態での擬似呪印による制御は、できるだけやっておきたいところだ。
「フリーズバレット!」
イングリッドがかざした左手の周囲に、無数の氷の粒が出現する。
先程アリアに向けたフリーズアローに比べ、小さいが弾数の多い、格下を殲滅するための魔術だ。
雨の様な氷の弾幕が、ロッタ達と警備隊を打ち付ける。
倒れていく彼女達には一瞥もくれず、イングリッドは視線をアリアに戻す。
「そう時間をかけてもいられないようだな。やれ!」
イングリッドからのゴーサインに、巨大スライムが全身を震わせ歓喜を示す。
そして、アリアの全身を包む粘液が、明らかに感触を変えた。
「あっ!? くぅ……!」
守りの薄いコスチュームが、イングリッドに切られた部分からじわじわと溶け始めた。
続いて、コスチュームの下の防護膜も薄まっていく。
おそらく次は肉が、そして骨が食い破られるだろう。
全身を酸で溶かされる痛み、そしてその先にある死をイメージして、アリアの表情に焦りと恐怖が浮かぶ。
そんなアリアに対し、イングリッドはとても言い辛そうに語りかける。
「そのスライムは、動物の体は溶かせんぞ」
「え?」
凍りつく2人の空気。視線を逸らすイングリッド。
「溶かせるのは繊維と、表に出た魔力だけだ。製作者曰く、神代の創作物に、こうゆう存在がいたらしい。つまり――」
――服だけを溶かすスライムだ。
「――――――――――――っ!?」
イングリッドの説明に、生命の危機に100%振られていたアリアの脳が、急速に自身を取り巻く状況を再評価する。
まず周囲の目だ。ロッタ達はいい。
目の前のイングリッドも、同性なので百歩譲って耐えるとしよう。
が、プールサイドには殆どの男子が残っており、その8割がスライムに囚われたアリアを食い入る様に見ている。
因みに残り2割は、最初から一貫してイングリッドのパンチラ狙い。
反対側には、先程学園の警備隊凡そ20名が到着した。
警備隊は男女比6:4の筈なのだが、ここに集まった8割は男性で、アリアにとっては不幸なことに、皆かなり若い。
次に自身の有様だ。
スライムに囚われた体は、殆ど動かない。
斜めに寝そべるような体勢で、左手は頭の上、右手は顔の横。
アリアには、この体勢に覚えがあった。
かつて男子から没収した、如何わしい本に書かれていた、『ベッドで男を待つ女のポーズ』だ。
そしてその本の女は、恥ずかしげに足を交差させていたが、今のアリアは、両足を大きくM字に開かされている。
悪いことに、より無遠慮な男子のプールサイドを向いた状態でだ。
そして身に纏うセーラーレオタードは、イングリッドに切られた部分を中心に、ただでさえ少ない布面積を、さらに減らしていた。
バイザーも溶かせるものに含まれているのだろう。レオタードほどでは無いが、形を失いつつある。
このままでは、あまり時間はかからずに、アリアはこのプールにいる全員に全てを晒した上、その後正体までバレることになる。
以上、状況の再評価完了。
「嫌あああああぁぁぁぁああああああぁああぁあぁあああぁぁぁっっっっっ!!?!?」
からの、絶叫。
もう、その顔に恐怖はない。
浮かぶのは、倍増した焦りと、それを超える羞恥の色だ。
「っ!? ア……ティア! 待っててっ!」
突如悲鳴を上げた親友に、ロッタも顔色を変える。
ロッタには、アリアとイングリッドの会話が聞こえていない。
恐怖が限界を振り切ったか、最悪防護膜に穴が空いたか。
まさか迫る全裸大開脚の未来にパニックを起こしただけとは思うまい。
殆ど効果はないとわかっていても、余り得意ではない炎の魔術をスライムに向けて放つ。
イングリッドは、何の反応も示さない。
(防ぐまでもない……と。 でも、ちょっと『私達』を甘く見過ぎだよ……!)
小さな炎の矢は、何度当たってもスライムを削る気配はない。
それでも、ロッタは魔術を打ち続けた。
アリアだけを見て、他には、決して視線を向けないように。
――頼んだよ、エルナ……!
◆◆
(冷たっっ!!)
グレンにプールサイドに投げ飛ばされて以降、ここまで姿を見せなかったエルナ。
彼女は巨大スライム登場のどさくさに紛れ、そのスライムよってあちこちに空いた穴から、プールに飛び込んでいた。
フィールドのせいで重たい体、更に氷で冷えたプールに体温を奪われ、エルナの泳ぎは見る影もなく遅くなっている。
だが、それでも彼女は泳ぎ続ける。
魔術では平均少し下程度の自分が、アリア達と並び立つには、アリア、リーザと並ぶ学内トップクラスの運動能力を活かすしかない。
が、このアールヴァイスに関わる事件では、弱体化フィールドのせいで格闘戦は不可能だ。
エルナにできることは、あまりにも少なかった。
だからこそ、何かやるべきことがあるのなら、それが何であろうとやり遂げる。
そんな思いを胸に、エルナは必死に重たい手足を動かした。
目指すは、氷漬けになったグレンのところ。
(まったく……アリアはともかく、私とロッタ逃すくらいなら、自分が逃げなさいよね……!)
エルナとロッタを見捨て、戦えるグレンが残っていれば、今頃事態は解決していた可能性もある。
その場合もしかすると、能力を下げられたエルナとロッタは、氷に囚われたまま凍死してしまったかもしれない。
だがその危険は、現在進行形で氷像になっている生徒や教師も同じことだ。
むしろ、グレンが動けないことで、彼らの救出は確実に遅くなっている。
それでもグレンは、エルナとロッタを助けることを選んだ。
そもそもアリアを最初に助けたことも、別に事態の解決を望んでのことではない筈だ。
その選択の先の最悪の結果までを予想した上で、一番アリアが傷付かない未来を選んだ。
エルナには、グレンの行動の中にそんな思いが見えた様な気がした。
が、エルナからすれば、グレンの予想は大外れ。一つ、とんでもない計算違いを犯している。
だからエルナは、やっと目の前まで辿り着いたこの大馬鹿者の氷像に、怒りと共にここまで運んできた『切り札』を叩きつけた。
(『アリアのため』ってんなら……自分も勘定に入れなさいってのっっ!!)
氷像に押し付けられたそれは『衝撃弾』。
爆弾と違い非殺傷だが、人一人昏倒させる程度なら十分な威力の持つ、使い捨て魔導具だ。
エルナはそれに魔力を込め、一目散にその場を離れた。
(ぶっ飛びなさい! この、ヘタレ野郎っっ!!)
――プールから、大きな水柱が上がった。