第9話 麗しき氷の姫君
突如プールを氷漬けにした、アールヴァイスの幹部を名乗る女に、生徒達が言葉を失う。
白い肌に、肩までで揃えた水色の髪。
整った相貌から氷点下の視線を放つ姿は、まるでよくできた氷像のよう。
美しくも恐ろしい氷の処刑人。
ドミネートフィールドで力を奪われた生徒達は、その視線に恐れ慄くしかできない――筈なのだが。
(このお姉さん、エロくね?)
(くそっ! 着地の瞬間見逃した!)
(よし! バックもらった!)
(あぁっ! その視線堪らなぁいっ!)
主に男子中心に、それどころではなかった。
四肢に纏った水色の甲冑は問題ない。
彼女は仮にも襲撃者なのだ。最低限の防具は、纏ってしかるべきだろう。
問題は、胴体から腰にかけての装いだ。
胴体も、四肢と同色の装甲を纏っているのだが、守っているのは前面のみで背中は完全に肌が露出している。
その前面も装甲は胸元までで、立派な双子山が、装甲の上から大いに存在を主張する。
そして、それ以上に男達を釘付けにしたのは、腰に纏ったスカートだ。
白地に水色のラインの入った、学園制服の様なプリーツスカートなのだが、その丈、股下1cm。
最早スカートの役割を果たしていない、ただのフリルだ。
ムッチリとした太股は完全に露出し、後ろから見れば、風も吹いていないのに僅かに中身が窺える。
そしてその中身は、レオタードやアンダースコートではない。
白と青のカラーリングの、ごく普通の縞パン。
絶対零度の雰囲気に反する、露出度の高く、どちらかと言えば可愛い系の装いに、女子のスク水でムラムラしていた男子達は爆発寸前だ。
更に彼等を諌め、避難させるべき担当教師は、フィールド展開時に溺れた生徒を助けようとプールに飛び込み、物言わぬ氷塊の一つと化している。
男子達も、自分達では全く歯が立たないのはわかっている。
が、万一、何か奇跡でも起こったりしたら、『テロリストだし、何やってもいいんじゃね?』という、邪な感情は抑えられない。
逃げたい、でも視線が外せない。
男達をその場に縛り付けていたのは、恐怖ではなく、生々しい欲望だった。
ちなみに、女子は全員逃げた。
「ふんっ、これだから男というものは……」
そんな、危機感より性欲を優先させる男子生徒達に、強い嫌悪の感情を向けるイングリッド。
まだ死者を出すわけにはいかないが、彼等にも多少寒い思いをしてもらってもいいだろう。
そんなことを考え、イングリッドは魔力を練り上げ――
「待ちなさいっ!」
射抜くような声に遮られた。
視線を向ければ、開いた天井からイングリッド目掛けて飛び降りる、1つの影。
イングリッドに負けず劣らず、脚とボディラインを露出したセーラーレオタードの少女。
聖涙天使シャイニーアリア、本日も参上である。
「イングリッドって言ったわね。みんなには手を出させな――」
「きたきたきたきたぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」
「やっべ、エロっ! 尻、エッロ!!」
「よっしゃ揺れた! 着地の時めっちゃ揺れた!」
「レオタード最高っ!」
「……少し待っているから、全員凍らせてもらえるかしら?」
「気持ちはわかるが、お前が言うのはどうかと思うぞ」
男子殲滅の為、共闘を始めそうな正義と悪のヒロインに、さすがの男達もおとなしくなる。
気を取り直して、向かい合う2人。
「貴女達の目的は気になるけれど、先ずは氷漬けにしたみんなを戻して!」
「断る。私はお前達曰く『テロリスト』だぞ? 要求があるなら力で通せ」
交差する視線。訪れる静寂。おとなしい観客となった生徒達は、その中心に火花を幻視する。
張り詰めていく空気の中、アリアが動いた。
「なら……行くわよっ!」
滑りやすいアイスバーンをものともしない全力疾走。
シャイニーティアに靴はないが、それは観客に足先を堪能させるためだけに、そうなっている訳ではない。
防護膜で足裏を保護しつつ、触覚は残っているため地面の状態を正確に把握できる。
指先が出ているから、しっかりと地面を掴むことも。
そこにアリアの身体能力とバランス感覚を合わせれば、氷の上でも問題なく走ることができる。
シャイニーアリアは、悪路に強いのだ。
一気に縮まる双方の距離。
「ルミナスハンド、フープ!」
光の円環を生み出したアリアは、2本の短剣を逆手に構えたイングリッドに、それを叩きつける。
が、その瞬間、アリアの視界からイングリッドの姿がかき消える。
「なっ!? どこに……くっ!」
気付いた時には、既に背後を取られていた。
左右から迫る短剣にフープを合わせるが、右の短剣一本でフープを抑え込まれ、軌道を変えた左が脇腹を一閃。
「くあぁぁっ!」
鋭い一撃は防護膜を僅かに切り抜け、アリアに傷と痛みを与えた。
アリアはフープを回して短剣を弾き、少し後退したイングリッドに向けて地面を走らせる。
だが、またしてもヒットの直前に消えるイングリッド。
背後に気配を感じるのと、逆回転でフープが戻ってくるのはほぼ同時。
ギリギリでガードを間に合わせたと思ったが、イングリッドは体勢を落として一回転。
「あぁぁっ!?」
フープの下をくぐり抜け、アリアの太股に一撃を与え、そのまま距離を取った。
戦闘開始早々の手痛い2撃。
万全の状態でシャイニーティアを纏い、ここまで上を行かれたのは、アリアにとって初めての経験だ。
戦慄の表情でイングリッドに視線を向けるアリア。
すると、先ほどの恐ろしい速度の秘密が目に飛び込んできた。
「貴女……それ……!」
イングリッドの両脚の装甲、その靴裏に、それぞれ一本ずつのブレードが装着されていた。
速度の正体は、ブレードにより氷の上を滑るスケートの動き。
そしてかなり小さいカーブを難なくこなしていたことから、恐らくはフィギュアスケートだ。
もっともアリアのフェアリアに比べて、かなり戦闘用に動きを変えているが。
(水色の髪……フィギュアスケート……イングリッド……まさか!?)
「貴女、イングリッド・シベリウスっ!?」
――イングリッド・シベリウス。
アリアより2つ歳上の、フィギュアスケートの選手だ。
アリア同様、年齢制限無しの大会でも表彰台の常連。
しかも、まだアリアが立ったことのない1位の台に登ったこともある。
正確無比な技と、氷の様に変わらぬ表情。
それなのに、年相応の少女としての感情も感じられる演技は、多くの者を魅了した。
そして――
「よく知っているな、3年前にいなくなったフィギュアの選手のことなど。お前のそれはフェアリアだろうに」
イングリッドは、突如としてリンクを去った。
とても信じられない、『ある噂』と共に。
「どうして……アールヴァイスなんかに……!」
「そんなことを気にしている余裕が、お前にあるのか?」
「くっ! チェンジ・クラブ!」
大振りのフープでは、小さく早い2本の短剣は捉えきれない。
アリアはルミナスハンドをクラブに変換。
2本の柄の短い棍棒を構え、イングリッドを迎え撃つ。
アリアの周囲を回っていたイングリッドが、ギュインと円を小さくしてアリアに迫る。
左斜め後方から接近し、直前でジャンプをしながらの高速回転切り。
勿論この間、イングリッドの下着は、観客席の男子達から丸見えだ。
「そこっ!」
そしてアリアも、ようやくイングリッドの動きに目が慣れてきた。
2本のクラブを巧みに操り、左右併せて16の斬撃を防ぎ切る。
「ぐぅぅっ!」
だが、刃は防げても、その身を襲う衝撃までは殺せない。衝突の勢いで、アリアは大きく吹き飛ばされる。
何度かの後方回転で体勢を整え前を向けば、イングリッドは眼前まで迫っていた。
(早いっ!)
迫る斬撃に、クラブを交差させて迎え撃つが、腕に伝わる衝撃は僅か。
直後にイングリッドの回転蹴りが脇腹に突き刺さり、アリアの体が右に吹っ飛ぶ。
「ああぁあぁぁっっ!!」
防戦一方……嫌、実際には満足に防戦すらできていない。
コスチュームはそこかしこがボロボロ。
積み重なるダメージに、アリアの表情が明確な焦りの色に染まる。
(何とか、何とかしないと……!)
イングリッドは、元は戦士ではなくスポーツ選手。
だが素質はあった。
アールヴァイスに入り、ガウリーオの指導の元に訓練を続けたイングリッドは急速に腕を上げ、今や、ヴァルハイトやアシュレイとも互角に戦える戦士になった。
更に、彼女が身に纏う露出度高めの超ミニスカ衣装。
これも、無為に肌を晒したり、男を惑わす為に着ている訳ではない。
これこそ、アリアのシャイニーティアと同様、天才エクエス・レヴィエムが生み出した女性用魔導戦闘服の一つ。
『氷姫装フリージア』だ。
性能はシャイニーティアに劣るが、イングリッドにはアールヴァイスの幹部として十分な地力がある。
そしてシャイニーアリアの力は、その幹部、ヴァルハイトやアシュレイと同等程度だ。
フリージアの性能はそのまま2人の差として表れ、アリアに劣勢を強いた。
イングリッドが円を大きくし、魔力を練り上げる。
「フリーズアロー!」
氷上を駆けるイングリッドの軌跡の上に、次々と氷の矢が現れてはアリアに襲いかかる。
「ボールっ!」
アリアはクラブをボールに変換し、氷の矢を迎撃。
アリアは、戦いの世界における自分が、シャイニーティアを脱げば唯の小娘であることを理解している。
イングリッドの研ぎ澄まされた氷の魔術に、魔術で対抗することはできないだろうことも。
例え、暴発を厭わず、最も得意とする水の魔術を使ったとしてもだ。
素直にシャイニーティアを頼った迎撃は成功。
氷の矢は、アリアを傷つけることなく、一本残らず砕け散る。
遠距離戦では攻めきれないと悟ったか、イングリッドが再び円を狭めだした。
宙を舞う氷の残骸を煙幕に、光球を躱しながらアリアに迫る。
次の斬撃は真正面から。
散々背後からの攻撃を印象付けた上の正面攻撃は――
「っ!?」
予想済みとばかりに、2本のクラブに防がれる。
「取ったわっ!」
「くううぅぅぅぅっ」
アリアはクラブを回して短剣を弾き、そのままイングリッドに連打を見舞う。
クラブに纏わせた光粒子が、イングリッドの防護膜を消しとばし、全身に直撃を与えた。
光粒子は、存在を霊子力に還す、防御力無視の危険な攻撃だ。
不意に使うことになったタコ男戦以降、拉致被害者の可能性のある怪人戦では使用を避けてきた。
が、イングリッドは自ら戦うことを選んだ幹部だ。
ここまで追い詰められてようやく、アリアはこれを使う覚悟を決めた。
想定外のダメージに、イングリッドが一旦距離をとる。
アリアはルミナスハンドを再びボールに変換。弾幕をイングリッドに浴びせかけた。
イングリッドは確かに早いが、アイススケートである以上、方向転換はどうしても円の動きになる。
アリアはそこから、イングリッドの攻撃タイミングを予想したのだ。
「何度も同じことは……なっ!?」
「何度やっても同じことよ!」
イングリッドとて、単調な攻撃を続けているわけではない。
円を狭め、左右に散らし、アリアの動きに対し後出しで対応を変えることもしてきた。
が、アリアは必ず、最終的なタイミングと方向を予想し、直撃を避け、イングリッドに有効打を与えてくる。
(何故だ!? 何故、ここまで正確に……!)
「貴女が、『イングリッド』だからよ」
「っ!?」
この氷上でここまでの動きができるのは、恐らくイングリッドを置いて他にいない。
が、それでも敵が彼女であったことは、アリアにとっては幸運で、そしてとても悲しいことだった。
競技は違えど、共に若年の頃から大人に混ざり鎬を削る選手。
そしてイングリッドの見事な演技は、アリアの目にも輝いて見えた。
フィギュアの大会にも何度も足を運び、目に焼き付けた動きを、自身の演技の参考にもした。
マットの上で、その技を何度も模倣して。
イングリッド・シベリウスは、アリアにとって、最も尊敬する同年代の選手だったのだ。
動きの癖まで、覚えてしまうほどに。
左から迫るイングリッドに対し、クラブを回し迎え撃つ構えのアリア。
だがイングリッドが飛び上がる瞬間、待っていたかのように、上体を大きく逸らした。
「貴様……!」
「短い助走からのアクセル……得意だったわね……!」
イングリッドの斬撃が空振る。
アリアは体を更に逸らし、床に手をつき後方回転。
跳ね上げた脚でイングリッドの顎を狙う。
「くっ!」
顔を逸らし、ギリギリで脚の射程を逃れるイングリッド――だが。
「ぐっ!? がはっ!?」
アリアは、足の指でクラブを掴み、蹴りの射程を伸ばしていた。
顎に2発の直撃をくらい、イングリッドが大きく後ろに吹き飛んでいく。
何とか着地するも、激しく脳を揺さぶられ、フラフラと不安定に体を揺らす。
「とどめよっ!」
氷上を駆け、イングリッドに迫るアリア。
(くっ……レヴィエム・クラフトの性能に踊らされているだけの、小娘ではなかったか……だが!)
イングリッドは頭を振って意識を繋ぎ、クラブを回しながら迫るアリアに手の甲をかざす。
そこには、見慣れぬ紋章が光を放ってきた。
「っ!?」
「来いっ!」
直後、凍りついたプール表面が激しく揺れ、そこかしこに亀裂が走る。
揺れはどんどん大きくなり、やがて、アリアの背後の氷が、轟音と共に砕け散る。
分厚い氷の板を突き破って現れたのは――
「ス、スライムっ!?」
全高7~8mはあろうかという、巨大な桃色のスライムだった。