第7話 エリザベート様のお友達のお花摘み事情
――まずいですわ。
心の中とは言え、少々言葉が崩れてしまうくらい、まずいですわ。
『アレ』からもう3分、一向にお手洗いが空きません。
これは、由々しき事態です。
……ああ、そうですわね。紛らわしい言い方をしてしまって、申し訳ありません。
別に、御不浄が我慢できなくなってしまったわけでは、御座いませんの。
その……私は。
「んんっ! くっ……あっ、あぁぁぁ……っ」
私の後ろで、おそらく凄まじい形相をしているであろう彼女は、アリア・リアナ・ランドハウゼンさん。
我がノイングラート帝国最大の同盟国、ランドハウゼン皇国の第二皇女にして、私の好敵手です。
文武両道。魔術にも長け、私ほどではありませんが、容姿にも恵まれた、天が持つありったけを与えられた存在。
正に、私が競うに値する方と言えましょう。
なのですが――
「ああぁっ!? だめっ……だめ……っ! んんんん……っ!」
今、淑女としての命を、散らそうとしておられます。
ことの発端は恐らく、ここ数日続く水道のトラブルでしょう。
ダンスホール横のシャワー室から始まった、水道の突然停止、噴出といった、原因不明の不具合。
それはシャワー室から水汲み場、実験室の水道等に波及し、本日は、お手洗いがその煽りを受けることになりました。
しかも、狙ったかのように女子トイレばかりが被害に遭い、高等部校舎で無事だったのは僅か2箇所。
男子トイレが一時的に解放されましたが、そちらを使うのは何としてでも避けたいというのは、淑女として当然の感情です。
僅か2つの女子トイレは、休み時間になる度に大行列ができる有様でした。
そんな中、あまり知られていませんが、『名目上』女性が使っても問題のないお手洗いが、一つだけ、難を逃れていたのです。
そう、それがここ、校舎外れの『共用トイレ』。
普段なら決して使うようなことは致しませんが、男子トイレを使わざるを得ない状況では、そうも言っていられません。
私とアネットは、自分達のお花摘みの傍ら、数人の『訳あり』のお友達をこちらにご案内致しました。
そして、彼女達が無事、個室に入るところを見届けた直後……彼女が、飛び込んできたのです。
顔面には脂汗がびっしり。
目に涙を浮かべ、両手はスカートの裾をギュッと握り締めておられました。
全ての個室が埋まり、さらに並んでいる私とアネットに気付いたアリアさんは、その表情を、これまで見たことがないような、絶望一色に染め上げました。
『限界』
どう見ても、彼女は忍耐の限界を迎えておりました。
恐らく、水道トラブルの影響をもろに受けてしまわれたのでしょう。
市政ではまた事情が違うのかも知れませんが、少なくとも私達の世界では15歳の成人……いえ、11歳を過ぎた女性の粗相は、人生の終了を意味します。
その方がどれ程優れた力を持ち、その後どれ程素晴らしい功績をあげようと、その名を呼ぶ前、誰もが心の中で『お漏らしをした』と付け加えることでしょう。
冗談ではありません。
私とアリアさんは中等部からのお付き合いですが、今のところ私は負け続きなのです。
このまま彼女が醜態を晒し、表舞台を去ることにでもなれば、私が彼女に勝つ機会は永遠に訪れないでしょう。
こんな下らないことでライバルに勝ち逃げを許す……そんなこと、絶対にあってはなりません。
「ふぅっ、ふぅぅっ……あ、あぁぁぁっ、ダメよっ、まだっ、お願い……っ」
あっては、ならないのですが……正直なところ、現状を考えると、万が一の事態も覚悟しなければなりません。
尚、せめて先頭を譲ろうと申し出たのですが――
『あ、あと、3人くらいっ、あ゛っ! ま、まま、待てる、わよ……っ……ふぅっ、ふぅっ……ん゛!? ば、馬鹿にしないでっ!』
とのことでした。
普段の彼女は、向けられた善意に対し、この様な態度を取ることはありません。
精神的にも、かなり追い詰められてしまっているようです。
それから3分……いえ、そろそろ4分ですわね。
「ああぁあぁっっ!!?」
「「っ!?」」
切迫した悲鳴に、思わず振り返ってしまいました。
先ず目に飛び込んできたのは、壮絶な顔面。
眉はこれでもかと八の字に寄せられ、先ほどの脂汗に加えて涎が垂れております。
腰を突き出し、脚をクロスさせ、全身の震えは、もう止まらない様子。
両手は、とても口に出せないところに挟み込まれておりました。
目を背けて差し上げることも情け……と、思っていたのですが、私達が現実からも目を背けている間に、状況は相当に悪化していたようです。
アリアさんと、目が合いました。
すると彼女は、両目からポロポロと涙をこぼし、顔を背けて言いました。
「ごめん……なさい……っ! やっぱり……先に入らせて……私、もう……っ!」
「構いませんわ」
「どうぞ、こちらへ」
ようやく先頭を譲ることが出来ました。
が、そのことにより、私達はようやく、事態がどれほど切迫していたかを知ることになります。
順番を譲ったことで、私達はアリアさんの後ろ姿を眺めることになりました。
短いスカートで腰を突き出しているせいで、中身が丸見えです。
ですが、それよりも問題がありまして……その、グッショリなのです、下着が。
「あぁっ!? んっ、んんっ! あはぁっ!?」
ちょっ!? 脚が濡れてきましたわよ、アリアさんっ!
限界どころか、もう抑えきれずに出始めているではありませんか!
これは、万が一が百が一に……いえ、現実逃避は止めに致しましょう。
七、八割方、間に合いません。
何故なら、今個室に入っている皆さん。
私がお連れした『訳ありのお友達』。
彼女達は皆、お腹を下しているのです。
最初の1人が出てくるのに、あと何分かかるかは想像もつきませんが――
「んあぁあぁっっ!!?」
ポタポタッ、ポタッ。
ついに床を濡らしてしまったアリアさんが、あと1分持ち堪えることができないことは、容易に想像がつきます。
もう、彼女が個室で、なんの憂いもなく用を足すことは不可能でしょう。
あとは、どこまで被害を抑え、彼女の名誉を守ることができるのか。
実は私達はここまで、アリアさんのお名前を呼んでいません。
仮に最悪の結末に至った際、『して』しまったのが彼女だと、個室の中のお友達に、わからないようにするためです。
「あ、あ、あ、あっ! だめっ、だめ……!」
震えがブルブルからガクガクに変わりました。終わりの時が近付いています。
まずいですわ! これは、果てしなくまずいですわっ!
そんな中、私の優秀な従者、アネットが動きました。
用具室から『清掃中』の看板を出し、急いで入り口に置いてUターン。
震えるアリアさんの肩を、視界を覆うように抱き、驚かせないよう慎重に話しかけました。
「個室が、空きました。私がお支えするので、ゆっくりと脚を動かして下さいませ」
「あぁぁぁっ!」
アリアさんの表情に、希望が差し込みます。
……個室など、勿論空いてはおりません。
アネットがアリアさんを誘い込もうとしているのは、トイレ隅の排水溝。
年頃の、しかも皇女という立場の女性に対して、あまりに惨い仕打ちだとは思いますが、もう他の手段がないのも事実です。
アリアさんは、もう視界も怪しいのでしょう。
喘ぎと雫を零しながら、健気に『お手洗い』を目指し、歩き続けました。
「さあ、着きましたよ。では、下着を下ろし、腰を落として下さいませ。後のことは、このアネットにお任せを」
「ふぅぅ……ふぅぅ……ま、間に合……っ!? アネット、ここは……っ!? んんっっ!!?」
ジョビィィィッ!
さすがに、気付いてしまわれましたわね。
ですがもう、下着を下ろして、しゃがみ込んだ後。
体も、もう『致す』状態になっているご様子。
そこから立ち上がることは、不可能でしょう。
「大丈夫、大丈夫です。さぁ、力をお抜き下さい。しー、しー、しー」
アネットが、耳元で悪魔のような言葉を囁き、左手を下腹にあてて一撫で。
ブジィィィィィィィッ! ジュビィィッ! ブジィィィィィィィィィィィッッ!!
「ん゛あ゛はぁっっ!!? やめてぇっ! あねっとぉぉ……っ! わたしは、といれっ……ちゃんと……といれでぇ……っ!」
「ええ、そうです。貴女様は、きっとお手洗いまで我慢できました。ですからこれは、全て、意地悪なアネットが悪いのです」
「ではその責は、主人である私にありますわね。後日、個人的に謝罪に伺いますわ。さぁ、今は、お出しあそばせ」
私も、共犯になるべくお腹を一押し。
ジュビイイイイイイイィィィッッッ!!! ブジイイイイイイイィィィィッッッ!!!
「あ゛あ゛はぁっ!? りぃざっ、やめ、も゛れっ、もう、ゆ゛るしっ、んはぁあっ!」
強情なアリアさんは、まだ力をお抜きになりません。
ならば、引導を渡して差し上げるのもまた、友情というものです。
アリアさんのお腹の上で、私とアネットの手が重なりました。
「アネット」
「はい、リーザ様」
「おね、がぃ……や゛めっ、あぁっ!? こ、こんな……こんな゛……っ!」
私達は2人で、そこを、ゆっくりと奥まで押し込みました。
――あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!
◆◆
「――ア、―リ―」
「………………」
「アリアッ!」
「ひゃいっ!?」
超至近距離で発せられたエルナの声に、猫耳や尻尾と共に跳ね上がるアリア。
「ほら、もうすぐ更衣室だから、顔を上げて」
「あ……うん……」
ロッタの声は、とても気遣わし気だ。
エルナもロッタも、明らかに元気のないアリアに、『何があった?』とは聞こうとしない。
2人とも、アリアが登校からずっと、トイレに行けていないことには気付いていた。
4時間目の間、ずっと小さく震えながら、呻き声を漏らしていたことも。
そしてアリアは、4時間目が終わるや否や、一目散に教室を出て行ったのだ。
尿意を悟られることを、人並み以上に恥ずかしがるアリアが、明らかな焦燥を感じさせる早歩きで。
心配になって、アリアが向かったであろう最寄りの無事なトイレに向かった2人だが、そのトイレもとうとう断水しており、アリアはその場にはいなかった。
そのアリアが、昼休みの終わり際になって、見るからに消沈した様子で戻ってきたのだ。
騒ぎになっておらず、ニーハイソックスも無事なことから、少なくとも最悪の事態には至っていない筈だが、2人はアリアの身に何が起こったのかを、漠然と察していた。
だから何も聞かず、消沈したアリアをひたすら周囲から隠し続けた。
何せ教室からトイレまで、何人の生徒がアリアの我慢姿を目撃したかわからない。
こんな、如何にも『漏らしました』と言わんばかりの顔を、衆目に晒すわけにはいかないのだ。
アリアも、2人の気遣いはひしひしと感じていた。が、それでも気分が沈んでしまうのは、致し方ないことだろう。
失禁こそ回避したものの、便器まで辿り着けなかったという事実は、アリアの心を酷く打ちのめした。
しかもだ、アリアの大噴射は、大海蛇のブレスと見紛う程の勢いだったのだ。
当然、その全てが小さな排水溝に吸いこまれる筈もなく、周辺には大きな金色の湖が出来上がった。
そして、なんとその湖を、アネットが掃除しはじめたのだ。
友人に、目の前で小水の後始末をされる羞恥と屈辱は、筆舌に尽くし難い。
だが、既に精も根も尽き果てたアリアは、リーザに泣きつきながら、甘んじて全てを受け入れるしかなかった。
思い出し、また気を落としそうになったアリアだが、精一杯己を奮い立たせて更衣室の扉を開ける。
次の授業は水泳だ。
ひたすら泳ぎ続けて、暗い気持ちも水に流してしまおう。
そう思い、そそくさと着替えを始めたアリアだったが、スカートを脱いだあたりで、その動きを止めた。
一瞬で赤くなる顔。滲む涙。
アリアの下半身を包む下着は、デザインこそアリアが好むシンプルなものだが、その豊かな臀部を包むには、若干小さい様に見えた。
(この下着……)
(アネットのだね……)
着替えでは、当然下着姿を晒すことになる。
グショグショの下着のままでいるわけにはいかず、アネットが掃除をしている間にリーザが寮から持ってきたのだ。
尚、サイズはリーザの方が近いのだが、派手すぎて却下になった。
エルナ達は何も言わず、他の生徒から隠すように、そっとアリアを抱きしめた。
アリアの目から、はらりと一粒の涙が落ちた。