第4話 ご主人様に逆らうと『んほおおぉぉっっ!!?』ってなっちゃうアレ
「おわったわね……」
「おわったね……」
「エルナ、ロッタ、女の子が口を半開きにして寝ないの」
放課後の食堂にて、魂の抜けた顔でテーブルに突っ伏すエルナとロッタ。
そんな親友2人をアリアが諌めるが、2人の魂は一向に戻る気配はない。
「本当、酷いお顔ですこと。でも、気持ちはわかりますわ」
「凄まじい熱狂ぶりでしたからね。私も、あれで精魂尽き果ててしまいました」
そんな3人の輪に入ってきたのは、先程アリアに挑戦的な視線を向けた馬令嬢、エリザベート・フラウディーナ。
そしてその従者、焦茶の髪をポニーテールにまとめた人族の少女、アネットだ。
「意外ね、リーザなら『無様ですわね』くらい言うと思ったわ」
「思っていても、口にしないのが嗜みですわよ」
「「酷ぇ……」」
授業ではライバル意識全開のエリザベート――リーザだが、別にアリアのことが嫌い、というわけではない。
むしろ、国は違えど良識ある皇族であるアリアに対して、仲間意識すら覚えている。
競うべき時は全力でぶつかり、勝負が終わればノーサイド。
それが、エリザベート・フラウディーナという女なのだ。
尚、アリアは普通に友達だと思っている。
対抗意識も華麗にスルーだ。
「今日は、グランツマン様と一緒ではないのですわね?」
「先日はデートに行かれていたとか」
「ななななな何を言ってるのアネットっ!? あれは、ただ、街を案内してあげただけよっ!」
アネットのぶっ込みを、真っ赤になって否定するアリア。
そう、先日のブタ男登場の際、現場にいたのは偶然だが、2人一緒だったのは偶然でない。
『グレンに街を案内する』という名目で、休日を共に過ごしていたのだ。
アリアの慌てっぷりに、むしろリーザは驚愕の表情を浮かべ、エルナ達に視線を向けた。
「これは……ガチですの?」
「ガチよ」
「ガチだね」
「例の『グレン様』の方は?」
「そっちは進展無しだから」
「そこぉっ! 聞こえてるわよぉっ!」
コソコソと顔を合わせる3人に、アリアがビシィっと指を差す。
『グレン様』――アリアの英雄、『銀の魔人』グレン・グリフィス・アルザードは、邪神との決戦後、大陸と外の交流を強化するため、事前調査として世界中を飛び回っている。
たまにイーブリス大陸にも戻ってくるらしく、不定期で手紙が届くのだが、残念ながら関係を進展させるには頻度が足りない。
親友達は、既にターゲットを『グレン君』の方に変えている。
「私とグレン君は、別に、そんなんじゃ……手伝ってもらうなら、街の情報は共有した方がいいでしょっ!?」
「で、どんな情報を共有したんですの?」
尚、リーザとアネットも、シャイニーアリアの活動は知っている。『信頼できる友人』として、アリアから打ち明けたのだ。
その信頼できる友は、今、グイグイとアリアを追い詰めているが。
「え、と、その……レストランと……ブティックと……クレープの屋台と……公園……」
「デートですわね」
「デートよね」
「デートだね」
「デートですね」
「だぁーかぁーらぁーっっ!!」
4つの視線がアリアを取り囲む。全員友達の筈なのに、今は一人として味方はいない。
「青春だね」
「だからっ……あっ」
追い討ちをかける穏やかに声に、アリアが振り返る。
そこにいたのは、先程アリア達を大いに盛り上げた、ゼフ大司教だった。
「いいね、キラキラしてる。おじさんには、少し眩しいくらいだ」
「大っ……ゼフ先生も、からかわないで下さい!」
『大司教様』と言いかけて、すぐに言い直すアリア。
授業の後、ゼフは生徒達に、自分のことは『ゼフ先生』と呼ぶように頼んでいた。
『名前を呼んでくれるのは、中の悪い人ばかりでね。ちょっと寂しいんだ』
とのことだ。
「前の席にいた、グレン君かな?」
「あ、ゼフ先生もわかりました?」
「ご慧眼、敬服致します」
「いやぁ、そのぉ……敬服されるほど、分かりづらいものでもなかったよ?」
「~~~~~~っっ!!」
アリア、轟沈。ゼフの素に帰った一言がとどめになった。
テーブルに突っ伏すアリアを横目に、ゼフの視線がアネットに向けられる。
「不躾で済まないんだけど、首筋のそれは、呪印かい?」
「っ!?」
『呪印』
人間の体に刻む紋章で、対象の精神状態に従い、肉体の動きを制限したり、痛みなどの感覚を与えたりする。
施術は専門の呪印師しかできない上、その技術は例外なく先天的なもの。
曰く、『よくわからないが、どうすればいいかはわかる』のだそうだ。
そして、呪印の主な用途は――奴隷契約。
「何か、問題がございまして?」
アネットが警戒を露わにし、リーザは彼女を庇うように、ゼフとアネットの間に立つ。
「君が、彼女の主人なのかな?」
「呪印の契約者は父ですが――はい、アネットの主人は私です」
ゼフは真剣な顔で2人を見比べ、やがて、いつもの柔らかい笑みに戻る。
「なら、きっと問題ないね。呪印は僕の研究テーマの一つなんだけど、実物を見る機会なんてそうそうなくて……つい、食い付いてしまった。
アネットさん。不快な思いをさせて、すまなかったね」
「いえ、ゼフ先生の仰られた通り、リーザ様が私の主人である限り、なんの問題も御座いません」
「アネット……全く、身が締まりますわね」
従者からの信頼にエリザが肩をすくめ、ようやく場の空気が緩む。
エルナとロッタが、『ぶはーっ』と息を吐き出した。
「それにしても……ゼフ先生。研究対象ということは、呪印も、ミッシングリンクに関わる、と言うことなのでしょうか?」
「ああ、僕はそう見ているよ。呪印が、魔法関連の技術ではないことは、みんな知っているかい?」
リーザとアネットが、無言で頷く。当事者だけあって、2人はその辺りの知識も持っているのだ。
残りの3人は、目を丸くしていた。
この時代、特殊な技術は基本的には魔導、そうでなくても何らかの魔法技術は関わっているからだ。
「そして、神代における呪印についてだけど、どうやら創作の中に似たようなものがあるだけで、実在しなかった可能性が高い、と専門家達は予想しているんだ」
神代と現代のミッシングリンクに関して、魔力が関わるものは、全て魔法分野の研究に分類されることとなる。
そして、ミッシングリンク関連の研究では、この魔法に関わらない違いが、特に重要視されるのだ。
呪印が神代に存在しなかったのなら、それもまた、人類のルーツを解き明かす一つの鍵となるのだろう。
「デリケートな話題だから、授業では避けていたんだけどね」
「呪印を刻まれた本人の前で話されては、世話はありませんわね」
「まったく、面目ない」
そう言いながら、和かに笑う様子からは、あまり悪びれた感じは受けない。
抑えきれぬ衝動からのやらかしに対し、『反省はするが後悔はしない』様子に、アリアはグレンの姿を重ねた。
(いやいやいやいや、流石に同列に見るのは、先生に失礼ね……)
「ここに居られましたか、大司教様」
「おっと」
向けられた鋭い声に、ゼフが悪戯が見つかった子供の様な表情を浮かべる。
ツカツカとアリア達に近づいてくるのは、シスター服を来た若い女性。
尻尾がないので、人族だろうか。
眼鏡の奥の瞳は、氷のような冷たさを放つ。
「学生の方々と親交を深めるのも結構ですが、学園長先生へのご挨拶もお忘れなきよう」
「ごめんよ、リグリット。彼女達が楽しそうな話をしていたもので、つい」
「はぁ……時間が押しておりますので、お急ぎを。皆様も、ご歓談中失礼致しました」
「あぁっ、待ってリグリット! みんな、またね」
その言葉を残し、ゼフはリグリットに引きずられながら、名残惜しそうに食堂を出て行った。
「何というか……フットワークの軽い人だね」
「会話もですわ。結局呪印の話になってしまって……大丈夫、アネット?」
「ええ、リーザ様にお気遣いいただいただけで、私は天にも登る気持ちです」
「大袈裟ですわよ」
尚、大袈裟な台詞で喜びを表現したアネットだが、実際自身を守るリーザの凛々しい姿に興奮し、下着がちょっと凄い事になっている。
彼女の忠誠心は、下から出るのだ。
「その呪印、私が必ず外してみせます」
アネットはリーザが5歳の時、借金の担保として実家のフラウディーナ家が他家から召し上げた少女だ。
呪印の権利も、リーザの父である現当主のものであり、アネットがフラウディーナ家の者に害意を抱くと、全身に激痛が走るようになっている。
そしてリーザは、幼少期から共にある彼女に、そのような物が刻まれていることを決して認めない。
故に彼女は、アネットの呪印を解くため、家督を簒奪する計画を数年規模で進めている。
敬愛する主人の真摯な言葉と視線に、アネットは――
「くぅん!」
食堂の床に、正体不明の水滴が落ちた。




