第4話 とっても優秀なアリアちゃんの致命的な弱点
「くぅっ……この部屋も違う……!」
バタンッと扉を開けた先は、何年生かの教室だ。
室内を見渡すアリアの顔には、ハッキリと焦りが浮かんでいた。
無意識に指先が首筋に触れ、ハッとなって戻す。
先程から、何度も繰り返した動き。
何度触れても、シャイニーティアの起動端末はそこにはない。
更衣室のロッカーの中、制服と一緒に置き去りになっている。
(失敗したわ……っ、あの時、すぐに戻っていれば……っ!)
あの時、食堂に足を踏み入れたアリアは、余りの事態に数秒間呆然とその場で立ち尽くした。
背後からの扉の閉まる音で正気を取り戻したが、時既に遅し。
慌てて開いた扉の先は、もう更衣室ではなかった。
この状況を自然発生と考える程、アリアは楽観的ではない。
アールヴァイス――怪人を生み出すと自称する、彼等の攻撃を疑うべきだ。
シャイニーティアがない状態で、怪人やあのヴァルハイトとか言う男と鉢合わせれば、アリアとて、逃げ惑う学生の1人にしかなれない。
回収の機会を逃したことを、アリアは激しく後悔していた。
それに、更衣室に置いてきた後悔は、それだけではない。
(もうっ! こんな格好で、校舎を走り回ることになるなんてっ!)
結局シャワーも着替えもできなかったため、アリアはまだ体育着を着たままだ。
この際、汗は諦めるとしても、露出の多いブルマ姿を校舎内で晒す羞恥心は、アリアの精神を大きく揺さぶっている。
こんな状態で男子と出くわしたりなどしたら、それこそ最悪だろう。
『じゃあ、また後で』とスルーできる状況ではない。
尻や太股を見られながらも、一緒に行動することは避けられない。
(お願い……更衣室を見つけるまで、誰にも会いませんように……!)
そして、アリアを悩ませるのは、敵への不安と、肌を締め付ける体育着だけではない。
「うぅっ!?」
(ま、まずいわ……全然、見つからない……!)
実際のところ、今、アリアが一番求めているのは、更衣室ではなかった。
(トイレは……っ……どこにあるのっ……!?)
あの後、食堂のトイレのドアも開けたが、当然の如く、その先はトイレではなかった。
アリアの膀胱には、やけになって飲んだラージサイズの紅茶と、喉の渇きに押されて一気飲みしたスポーツドリンクが結集しつつある。
まだ余白はあるものの、どの扉が何処に繋がっているかわからない状況だ。
いつ行けるかまったくわからない状況は、アリアに強い不安を与えていた。
(まさか……このまま、見つからないなんてこと……っ!)
「んあぁっ!?」
悪い想像が大きな波を呼び、アリアの腰がブルルッと震える。
(本当に、まずいぃ……! 早く、早く見つけないと……っ……私っ……!)
水溜りにへたり込む自分が、頭を過る。
アリアはこびり付く最悪の想像をかき消さんと、無心で扉を開け続けた。
教室、教室、音楽室、教室、食堂、教室、プールの更衣室、図書館、教室、教室、教室。
「はぁっ! はぁっ! んっ、あぁぁぁ……っ」
(どうしてっ、どうして見つからないのっ!?)
行けども行けどもトイレは――ついでに更衣室も――見つからない。
おかしくなった校舎を歩き回って、そろそろ30分。
紅茶を飲み干してからは、2時間が経過している。
尿意はもはや、意識から外すのは不可能なレベルだ。
(お願いっ……次こそ、トイレにぃっ……!)
祈りながら開いた先は、残念ながらトイレではなかった。
が――
(シャ、シャワー室っ……!)
普段なら、考えもしなかっただろう。
だが、込み上げる尿意と、いつトイレが見つかるかわからない状況は、アリアに本来ならあり得ない選択肢を浮かび上がらせる。
目は、排水溝に釘付けになっていた。
(あそこなら……バ、バカっ! 何を考えてるの!? あんなところに、できるわけ……っ……あぁぁっ、でもぉ……っ)
この30分、トイレは一向に見つからなかった。
アリアの尿意はどんどん強まっており、程なく、我慢のならないレベルに達するだろう。
(だからって……こんな、もし……っ……し、し、してる、間に、誰か来ちゃったら……んっ!?)
「くぁぁあっ!?」
アリアの腰が、ブルッと大きく震える。
ブルマも下着も下ろし、排水溝に放尿する、そんな自分の姿を想像してしまったのだ。
もう7割強を満たされた膀胱が、『やってしまえと』と収縮を始める。
(ダメっ、ダメよっ! 成人の儀は、去年済ませたのよっ!? なのに、こんなところでなんて……ありえないわっ!)
トイレでない場所での放尿という屈辱、誰が来るかわからない場所で下着を下ろす不安、纏わりつく『プライド』という名の枷。
その全てが、アリアに最後の一線を越えさせまいと押し留める。
(あぁっ、でも……でもぉ……!)
だが、これ以上探してもトイレが見つかる保証はない。
もし探索中に、どこぞの教室で限界を超えてしまったら……。
思考の袋小路に陥るアリア。
そんな彼女に最後の一押しを加えたのは、再び訪れた大波だった。
「んぁぁっ!?」
(あぁぁっ……ダメ、もう、これ以上は……! ご、ご、ごめんなさいっっ!!)
排水溝に駆け寄り、ブルマも下着に手をかけるアリア。
ブルマは汗を吸って滑りが悪くなっており、元々ピチピチで脱ぎにくかったものが、更に抵抗を強めている。
(か、固いっ! 急がなきゃっ、誰か、来る前に……そ、それに、我慢が……!)
『もうすぐできる』という思考が括約筋に伝わり、力を抜き始めている。
必死で力を込めると、ようやくブルマと下着がするすると動き始める。
(あぁぁ……間に合っ――)
――ガチャ。
「ひっ!?」
以前、アリアは全方面に優秀だが、致命的な弱点がある、と言ったのを覚えているだろうか?
今の、この状況そのものが、その致命的な弱点だ。
理不尽で、残酷で、とてもデリケートな運命の悪戯。
――絶望的なまでの、トイレ運の無さ。
行こうと思えば邪魔が入り、必死の思いで辿り着けば大行列。
密かに下着を濡らしてしまった回数は、同年代の他の少女達とは比較にならない。
先日のオオカミ男の時も、度重なる不幸でトイレのタイミングを失い、パンパンに膨らんだ膀胱を抱えて戦う羽目になってしまった。
そして今回も、意地の悪い運命は、最悪のタイミングでアリアに牙を剥く。
彼女が覚悟を決めてしゃがみ込もうとした直前、待ってましたとばかりにドアノブが回転したのだ。
(あぁぁっ、そんなっ、そんなぁっ!?)
慌てて立ち上がり、膝上まで下ろした下着とブルマを引き上げるアリア。
解放を先延ばしにされ、膀胱と括約筋からブーイングが響く。
ようやく覚悟を決めたところへの『おあずけ』に、アリアの目に涙が浮かんだ。
だが、アリアに泣いている余裕はない。
扉を開けた者達が、ゾロゾロとシャワー室に入ってきた。
着替えもトイレもできないまま、とうとう他の生徒達に見つかってしまったのだ。
しかも――
「なんだ、人が……ちっ」
金髪の、整った顔の男子生徒。
3年生のカレウスだ。
周囲には人当たり良く接しているのだが、女癖が悪く、何人もの女子生徒を食い物にしてきた。
アリアを見て舌打ちをしたのは、半年前に手を出そうとして、手酷くフラれたからだ。
アリアとしても、二度と会話をしたくない相手だ。
「あれあれぇ? アリアちゃんだ~♪」
明るい声の、ピンクのツインテールは、同じクラスのシェリア。
一見、人懐っこく可愛らしい少女なのだが、腹の中は真っ黒で、幾度となくアリアに罠を仕掛けてきている。
そのせいで、人前で失禁しかけたことすらある、今遭遇するには最悪の部類の相手だ。
「ブ、ブルマ……ふひっ」
気味の悪い声を出した肥満気味の男は、3年のリプル。
珍しい魔導具を幾つも持っているのだが、それらを学園に持ち込んでは、如何わしい行為に利用する問題児だ。
アリアも先日、撮影機という映像を保存する魔導具を没収している。
理由は、女子更衣室の盗撮だ。アリア自身、被害者の1人だった。
全身、特に下半身を睨めつけるような視線に、無意識に手が体を掻き抱く。
そして――
「貴女も巻き込まれていましたのね。でも、合流できて何よりですわ」
2年、イライザ・ルーデンベルク。
ルーデンベルク公爵家の長女で、学園の隠れ問題児達のリーダー的存在。
アリアが生徒会時代、そして今年の風紀委員活動で検挙した生徒の中には、彼女の一派の者も多く、表には出さないが、明確に敵視されている。
因みに、シェリアも彼女の一派だ。
(よりにもよって……っ……こんな時に……!)
全員、アリアがトイレを我慢していることを知れば、何を仕掛けてくるかわからない相手だ。
絶対に、弱みを見せるわけにはいかない。未だ泣き言を続ける括約筋を、アリアは全力で締め上げる。
アリアの本当の苦難が、今、幕を開けた。
新キャラ4人は、ピンク髪のシェリア以外は、この章だけの登場なので、覚えていただかなくても問題ありません。