第16話 それは少女の英雄の色
「あふんっ」
核ユニットを砕いたグランツマン家のメイド――アルテラが、恍惚の表情を浮かべながら体をよろけさせる。
短すぎるスカートから露出した脚には、何か表現してはいけない液体が何本も筋を作っていた。
「だい……じょ、ぶ……ですの……?」
その様子に、もう立つことも出来なくなったリーザが、我が身を脇に置いて心配の声をかける。
そんなリーザに、アルテラは一瞬だけ、変態の顔を捨て優しい笑みを向け、また快感を堪える顔に戻った。
「んんっ! ご、ご心配なく。見ての通り、んふっ、悦びを、感じている、だけですので……!」
「……な……ぜ……?」
当然の疑問である。
敵地に絶頂一歩手前の快感を抱えたまま乗り込んでくるなど、とても正気の人間がやることとは思えない。
だが、アルテラには事情があった。
「これは、くふぅっ! フィールド、対策、なのです……んんんっ!」
ドミネートフィールドは、呪印同様人体の隷属回路を利用した能力制限。
だが遠隔ならば、どうしてもノイズには弱いはず。
ならば呪印を活性化させることで波長を乱し、フィールドの影響を無効化することも可能である。
「――と、はぁっ、はぁっ……ライルが、言っておりまして……!」
ライル……『錬金術師』ライル・アウリード。
リーザ達と同年齢にして、大陸史に残る魔導学者にして魔導技師と呼ばれる人物だ。
『神樹の魔術師』に『錬金術師』……この短時間でポンポン出てくるビッグネームに、リーザが一つの可能性に思い当たる。
「貴女の……主人は……『そう』……なんですの……?」
「ええ、そのと――くひゅぅん!?」
「っ!?」
「も、申し訳、ありま、くはぁっ! 呪印の活性化が、押さえ、あっ! あっ!? し、しつれぃ、ィィイたし、ま、すぅぅ!」
アルテラが今日一のヤバい表情を浮かべ、体全体を仰け反らせた。
「イッッk「見せられませんわっっ!!」
※リーザ様が最後の力を振り絞って、必死に「見せられませんわ!」しておられます。暫くお待ち下さい。
「「あ゛ぁ……っ」」
2人揃って倒れる、リーザとアルテラ。
リーザは再び泡を吹いており、アルテラは『どこが』『なにで』とは言わないがびっしょびしょだ。
「らいりょぶ……れふろ……?」
「にゃんとか……あにゃたを……おもてに、おちゅれしゅるくりゃいは……」
呂律の回らない2人。
リーザとしては、この特級戦力がここでリタイアするのは、惜しいという気持ちはあるが――
「心配はありません」
とうのアルテラは、何の憂いもない、やり切った顔を浮かべていた。
「フィールドさえ消してしまえば――」
――『あの方』は、聖人ごときに負けはしない。
◆◆
「力が……! ふっ!」
アールヴァイス本拠地内部。
ドミネートフィールドが消えたことを感じ取ったフィオナは、相対していた怪人を、一瞬で切り刻んだ。
四肢から血を噴き出して倒れる怪人だが、まだ息はある。
知性のない怪人は、誘拐の被害者である可能性が高い。
フィールド影響下で、戦力的にも時間的にも余裕のない場合ならともかく、作戦に大きな支障がないのであれば、生きたまま捕縛することが求められている。
本来の力を取り戻したフィオナであれば、通常の怪人など、生死どちらを選んでも1秒程度の差も出ない。
「フィオナ様! フィールドが……!」
「あぁ、力が戻っている。これなら、部隊を分けての『鐘』の探索も可能だ」
「『正義』の聖人への対処は、少数で行うと……?」
「ん?」
疑問符を浮かべる軍の兵士に、フィオナと随伴の騎士が顔を見合わせる。
そして、何か納得した様子で頷き合い、また兵士に視線を向けた。
「聖人への対処に関しては、私は囮だ。本命から、アールヴァイスと聖人の目を逸らすための、な」
「囮……!? フィオナ様がですか!?」
帝国最強の騎士が囮扱いなどという話に、兵士が驚きの声を上げる。
他ならぬ本人の口から出た言葉であっても、それはにわかには信じ難い話だ。
「私の本来の役目は、ここの制圧と鐘の破壊だ。まぁ、こちらに奴が来たら、足止めくらいはするがな。囮は、囮の仕事をすればいい」
何とも気楽そうな表情で、フィオナはそう言った。
そう、フィオナと第三騎士団の精鋭が、命を賭して聖人に挑む必要は、もうない。
――『魔人』の枷は、外れたのだ。
◆◆
『貴方、体に異常はないの?』
『至って健康だが、何か?』
――思い返せば彼は一度も、『フィールドが効いていない』とは言わなかった。
「何なの……お前……っ」
無惨に転がる、瓦礫の墓標の残骸。
その中央で悠然と立つ『彼』に向けて、ジャンパールが問いかける。
声が震えているのは多分、苛立ちと、僅かな恐怖のせい。
「あー……結構ヤバかったな。過去ベスト5に入るんじゃね、これ」
対して彼は、そんなジャンパールを気にも留めない。
お腹の傷は物凄い速さで塞がっていって、鎧もそれを追いかけるように修復していく。
建物全体を覆っていた、ドミネートフィールドが消えてすぐのことだ。
瓦礫の山を残らず切り飛ばして、グレン君は再び立ち上がった。
首、肩、指……コキコキと全身を鳴らすグレン君。
その姿は、瓦礫に埋もれる前よりも、何倍も大きく見えた。
どこか不満そうだった鷲――ううん、『グリフォン』の意匠の剣が、七色の寒色の光で歓喜を撒き散らす。
『着せられている』感のあった魔王具は、今は彼の肉体そのもののよう。
そして、その身に纒う命の波動が、彼の復活を知らしめるように色を変える。
まるで、炎が温度を上げていくように、青黒い光が明るい青に、青から水色に、水色から白に。
光はどんどん強く、明るくなって、白から…………銀色…………っ。
感情が抑えられない。
ポロポロと涙が溢れてくる。
何か声をかけたいのに、胸がいっぱいで、名前すら呼んであげられない。
ただ見ているしかできない私に、グレン君が振り返った。
私を見つめる目は、何故か凄く怯えていて、表情は緊張でカチコチ。
その顔が、今の彼の力強さとあまりに噛み合っていなくて、私は思わず笑いそうになってしまった。
――あぁ、本当の貴方はやっぱり……『グレン君』なんだね。
「アリア……ごめん!」
グレン君が、少し頭を下げて、顔の前で両手をパチンと合わせた。
それから両手を下げて、さっきの顔で、もう一度私を見る。
「俺……お前に嘘をついてた。隠し事もしてた。きっと、アリアにとって、凄く大事なことを」
本当だよ? 『グレン君』が好きだって認めたの、凄い決心だったんだからね?
あの時の気持ちとか、サヨナラした方の恋心とか、全部返して欲しいところです。
今は嬉しくてそれどころじゃないけど、ちゃんと怒ってるからね?
あと、それとは別に、2年間手紙だけで放置したことについても、一言二言物申したい。
「なのに、その、都合のいい話なんだけど……少しでも、俺の話を聞いてくれる気があったら、この戦いがおわ――」
「なに当たり前のように、僕を無視してんの?」
問いかけを無視され、背中まで向けられ、怒りの沸点を超えたジャンパールが、突撃槍を手にグレン君に襲いかかった。
その勢いは、最初に3人纏めて吹き飛ばされた時より更に強い。
「グレン君っ!」
まるで空間ごと抉り取るような、ジャンパールの攻撃。
グレン君は、それに半身で振り返って――
「大事な話の……」
左手一本で掴み取った。
「「え?」」
「最中だクソガキィィっっ!!」
そのまま、綺麗な投球フォームで、槍ごとジャンパールを投げ飛ばすグレン君。
「ごっっ!!?」
ジャンパールの体は大部屋の壁を突き抜け、その隣、更に隣と、何枚もの壁を突き破り、遠ざかっていった。
「……続けるぞ。この戦いが終わったら……俺に、時間をくれないか。隠してたこと、全部話したい。他にも、聞いて欲しい話がある。できれば……クラスメイトの、ただの『グレン』として…………だめか……?」
グレン君の表情が、コロコロと変わる。
面白いんだけど、あの恐ろしいジャンパールは一睨みで、私には捨てられた子犬みたいな視線なのは、ちょっと思うところがあるわよ?
私は、そんなに怖くありません。
あ、まずい。黙ってたら、グレン君がどんどんしょんぼりしてきた!
しかたない……でも、そうゆう話なら、むしろ好都合かも。
「星華祭!」
「え……?」
「星華祭の私のパレードの後、みんなで花火が見えるところで、ご飯を食べるの。もちろん貴方もよ、グレン君。で、その後の時間を空けておいて。いいわね?」
「あ……ああ、わかった! ありがとな、アリア……!」
物凄く嬉しそうな顔。気をつけないと、私も釣られてしまいそう。
ここが戦場だってこと、忘れてないわよね?
「あ、そう言えば……さっきの『この戦いが終わったら』っていうの、縁起の悪さで言ったら最悪よ?」
「俺、気に入らないフラグはへし折るタイプだから」
むんっ、と力瘤を作るグレン君。
……うん、知ってるよ。
貴方はきっと、どんな運命だって、その手でねじ伏せてしまうって。
あ、でも、『グレン君』の話を聞く前に。
「ねぇ、グレン君。これで最後にするから、一回だけ、言わせて」
「ん?」
すっと息を吸い込む。
思い出を、憧憬を、幼い恋心を、この数秒に全部込めて――
「『グレン様』。天空王から我が国を救ってくれたこと。そして、レガルタで私を助けてくれたこと……本当に、ありがとうございました」
あぁ……やっと言えた。
『グレン様』に会ったら、最初に伝えたかった言葉……そのまま、最後の言葉になっちゃったけれど。
彼は最初、私の言葉に驚いていたけど、私がスッキリした顔をしているせいかな? すぐに満足そうな笑顔を向けてくれた。
「2年か……全然会わないうちに、もっといい女になったな、『猫娘ちゃん』」
「っ! はいっ!」
しばらく、見つめ合う私達。
先に目を逸らしたのはグレン様……いや、『グレン君』ね?
多分、『グレン様』っぽい感じを出すのが恥ずかしくなったんだ。
もうちょっと頑張ってほしかったけれど、残念ながら時間切れみたい。
「その超下らないオママゴト、終わった?」
ジャンパールが戻ってきた。
回復と修復が済んだのか、肌も服も傷一つないけれど、その顔は怒りにそまっている。
「大事な話だっつったろ。これだからガキンチョは……」
「そうゆうの、どうでもいいって言ってんだろっっ!!」
でもグレン君は、構わず更に煽る。
全身から怒気を放出するジャンパールに、一切臆する様子もない。
あの日と同じ、強くて大きい背中。
ずっとここにいたら、きっと彼は、全部の怖いものから私を守ってくれる。
でも――
「アリア。ゼフ・ディーマンの方、頼んでいいか?」
「うん、任せて!」
私はもう、貴方の背中に隠れたりしない。
これからは、貴方の隣に立つんだから。
後ろにいたら、手を繋いで歩けないからね。
「あんま無理はすんなよ? イングリッド、アリアを頼む」
「ああ」
「あと、静かに待っててくれて、ありがとう」
「しかと感謝するがいい」
うん、ありがとうイングリッド。
「では行くぞ。鐘の場所は私がわかる。来い、アリア!」
両手を広げるイングリッド。
「ええ、お願い!」
そこに体を丸めて収まる私。
「君らって、その移動方法が基本なの?」
だって、この方が早いんだもん。
結構話し込んじゃったし、急がないと。
私を抱えたイングリッドが、部屋の出口に向けて氷の道を滑り出す。
「あのさ? 行かせるわけ――っ!?」
ジャンパールは、槍で私達を阻もうとしたけれど、その瞬間血相を変えて身を屈めた。
直後、ジャンパールの首があった空間を切り裂く、グレン君の謎の飛ぶ斬撃。
「ちっ……もうちょい余所見しててくれてもいいんだぜ?」
「お前……いい加減にしなよ……?」
ジャンパールの怒りが、もっと重々しい、憎悪と殺意に変わっていく。
グレン君に向けた視線は、あの呪いの城の怨霊達にも劣らないほどに、黒く濁って見えた。
でも、心配なんてしてないからね?
だって、貴方は誰にも負けたりなんてしない。
私の――
――絶対無敵のヒーローなんだから。
◆◆
アリア達が去った部屋、向かい合う少年が2人。
「あー、殺す。今殺す。すぐ殺す。死ぬ前に言っとくことある? 言われても忘れるけど」
「忘れられちゃ困るんだがな」
「あ?」
1人は憎悪を撒き散らし、もう1人は胸の内で静かに闘志を燃やす。
「七徳の聖人『正義』のジャンパール。大陸各国で京楽的に殺人を繰り返し、確認された犠牲者は2,186人」
「はっ、数えてんの? 暇だね~、もっと建設的なことしたら?」
白装束の少年は、この世の全てが気に入らないとばかりに、口をひらけば悪意が溢れ出る。
だが、黒い鎧の少年は、そんなものには一切取り合わない。
「ノイングラート帝国、リーンフォリア同盟をはじめ、被害に遭った24ヶ国は、連名でお前の『処刑』を決定した」
黒い少年が言葉に込める圧を強め、白い少年が無意識に息を呑む。
「大人しく受け入れろ……とは言わねえよ。好きなだけ足掻け。だが、俺が執行人である以上、お前の死が覆ることは――絶対にない」
処刑人は名を告げる。愚かな死刑囚に、自身を処する者の名を。
「グリムグランディア統合軍、参謀本部直下一人旅団」
全てを切り裂く、銀色の刃。
「グレン・グリフィス・アルザード大尉だ」