第14話 封印されし怪人
リーザの前に立ち塞がった怪人ハチ女は、これまでの怪人とは一線を画すレベルの強さを持っていた。
まず単純な身体能力だけでも、学園に現れた接近戦タイプの再生怪人を上回っている。
更に虫の複眼による動体視力か、リーザがどんな動きをしても、後出しで反応し切っているのだ。
加えて完全に知能を残しているのだが、素体になった女性がかなり戦闘経験豊富だったようで、単純な切り合いで、リーザは一歩上を行かれ続けた。
そしてそこに、ハチの怪人であるが故の、剣を通した毒撃が加わる。
リーザは今、大量に撃ち込まれた蜂毒による呼吸困難と意識障害で、立っていることすらままないない状態まで、追い込まれてしまっていた。
「ひゅぅぅぅっ……! はぁぁぁぁっ……!」
「随分と苦しそうじゃない。大丈夫? 寝てた方がいいわよ」
息も絶え絶えで、何度も立ち上がろうとしては膝を折るリーザ。
少しでも気道を確保しようと顎を上げる姿に、ハチ女は嫌味なほどに気遣わしげな言葉をかける。
「ご心配にはっ……及びませんっ……ことよ……!」
対するリーザは、苦しそうな呼吸を続けながらも、不敵な笑みを返す。
そして、細く長い呼吸で、限界まで肺を空気で満たし――
「んっ!」
両脚に渾身の力を込め、膝立ちから伸び上がるようにハチ女に切りかかった。
目を見開き、口は真一文字に結ぶ。
どうせもう、呼吸は満足にできないのだ。
ならいっそ……と、リーザは息を止めてパワーとスピードを上げ、息切れ前に押し切る構えだ。
足を止め、全力の連続突きを続けるリーザ。
右肩、顔面、喉、心臓、両股……どれも当たれば即死か、勝勢を決めることができる狙いだ。
だが――
(厄介な目ですわね……!)
防がれる。
ハチ女の複眼は、速度を上げたリーザの刺突の雨の、その一粒一粒までを見切っているのだ。
6ヶ所の狙いに慣らせたところで、別の箇所を狙っても、結果は変わらない。
ハチ女は手にしたレイピアで、1発の漏れもなく打ち落としていく。
「んっ! むっ!」
(も……もうっ……息が……!)
渾身の連撃は捌かれ、リーザの息が限界に近づく。
頭に上った血で顔面は真っ赤に染まり、耐え難い息苦しさに全身が震える。
そして――
「ぷはっ!」
剣を掠らせることもできないまま、リーザは限界を迎えた。
「かひゅっ! はっ! かはっ!?」
(空気っ! 空気をっ! い、息が……!)
息苦しさに、大きく息を吸おうとするが、毒による呼吸困難でそれもできない。
酸素不足により意識の酩酊が悪化し、リーザは足をふらつかせ、やがて前のめりに床に倒れ込んだ。
「こはっ!」
倒れた時に胸を打ち、僅かに取り込んだ空気も吐き出してしまう。
(くる……し……くうき……くう……き……)
窒息寸前のリーザ。
眼球は裏返り、口からは泡を吹き始めた。
(…………だめ……くう……き……)
「はぁい、ご苦労さま」
這いつくばるリーザの頭を踏みつけるハチ女。
もはや全身の感覚すらおかしくなり始めたリーザはなんの反応も返さないが、ハチ女は気にした様子もなくグリグリと足を動かす。
「でも、こんな小娘ちゃんを1人捻るだけでいいなんて、脱獄やめて正解だったわぁ~」
(だつ……ごく……?)
ハチ女の言葉に反応して、リーザの頭がほんの少しだけ動く。
足から伝わる反応に、ハチ女が純粋に嬉しそうな表情を見せた。
「あ、聞こえてんだ? じゃあさ、落ちるまでちょっと私の話聞きなさいよ。私達さ、最初ガウリーオってライオン男の部下だったんだけど――」
いつ意識を失うともしれない、本当に聞いているかすらわからないリーザ相手に、ハチ女は構わず捲し立てた。
上司のガウリーオが帝国に捕われ、直後、隔離棟行きになったこと。
しかも理由が、彼女が『下手な幹部より強く、いざという時の抑えが効かない』という、彼女自身の落ち度ではなかったということ。
どうやら相当腹に据えかねたらしく、話している間はずっと声を荒げていた。
リーザに話を聞かせようとしたのも、鬱憤晴らし目的だったのだろう。
「まぁ? 色んなやつがいて、ちょっとは面白かったけどね。帝国のスパイだった奴とか、あと棟のど真ん中に封印された伝説の怪人とか! 何それって感じ――ん?」
話が愚痴から雑談に変わって間もなくのこと。
おしゃべりに夢中だったハチ女が、足元からの違和感に話を止めた。
視線を向けると、床に手をつき起きあがろうとするリーザの姿。
「あれれぇ? どうしちゃったの?」
(たたな……ければ……)
リーザは、泡を吹くほどの息苦しさと、消し飛びそうな意識の中で、ハチ女の話を余すところなく聞いていた。
それは、諜報員の報告にもなかった、新たなアールヴァイスの内情だったからだ。
幹部……おそらくアシュレイやヴァルハイトのことと思われるが、彼らを超える怪人の存在。
そして彼女は確かに最初、『私達』と言った。
つまり最低でも、ハチ女の他にもう一人、このレベルの怪人がいるということだ。
(たおさ……なければ……わたくし……が……!)
戦況は、想定を超えて厳しいことが判明した。
フィールド解除の中核戦力たるリーザが、核ユニットの破壊も、敵一体の撃破も出来ずに負けるなど、あってはならないのだ。
(倒れてなど……いられませんわ!)
「しっ!」
「ちょっ!?」
頭を踏みつけられたまま、細剣を拾いノールックで斜め上に突き出す。
予想外の動きにハチ女の回避が一瞬遅れ、その頬に小さな傷がつく。
「げほっ! げほっ! うぇっ! がほっ! えほっ!」
立ち上がったリーザは、空いている左手で口元を押さえ、大きく咳き込んだ。
「貴女……どうして……!?」
激しい咳き込みは、肺に空気が戻った証だ。
だが、まだ毒が抜けるには早すぎる。
困惑を隠せないハチ女だったが、リーザが左手を口から離す際、一瞬髪が揺れたのを見て驚愕の表情を浮かべた。
「まさか……風の魔術で、気道を……!? 貴女、正気なの!?」
「あら……タネが、割れてっ……しまいました……わね……っ」
未だ呼吸は苦しそうに、だが不敵な笑みを浮かべるリーザ。
体内に魔術を放つなど狂気の沙汰。しかも繊細な喉など、一つ間違えれば表面が裂け、出血で今度こそ完全に塞がってしまう。
だが、リーザはやった。そして、見事に成功させた。
ただのいいとこの小娘だと思っていた敵の、恐ろしさすら感じる執念に、未だ圧倒的優位に立っているはずのハチ女の心が揺さぶられる。
「ど、毒が抜けてないのは変わらないわ! 今度は、ちゃんととどめを刺してあげる!!」
得体の知れない予感に突き動かされるように、リーザに飛びかかるハチ女。
だが、自身の剣の間合いに捉える直前、その足をピタリと止めた。
「えっ、なに……? 貴女、今度は何をしたの!?」
ハチ女に向けて剣を構える――構えているはずのリーザ。
彼女の全身は、影の魔術で頭の天辺から足の先、そして手に持った剣に至るまで、黒尽くめになっていた。