第13話 『正義』のジャンパール
――聖人。
神代では、知識と人徳を兼ね備えた偉人や、特定の宗教の中で功績が認められた者達が、そう呼ばれていた。
だが、現代において『聖人』とは、偉人や敬虔な宗教家を指す言葉ではない。
彼らは『超人』。
先天的に、または後天的に、7つに分類された強大な権能を与えられた、救いにも脅威にもなり得る超常の存在、『七徳の聖人』。
この時代、イーヴリス大陸に現れた聖人は4人。
聖女『博愛』のイレーヌ。
教会暗部の長『忍耐』のエルカサド。
崩御した前教皇『信仰』のグレゴリー。
そして、戦闘においては最強の権能を与えられ、それ故に力に溺れた、愚かで憐れな、しかし恐るべき少年。
簒奪者『正義』のジャンパール。
「さーて、神父様にお願いされちゃったし……死んでもらえる?」
ジャンパールの放つプレッシャーに、アリアとイングリッドがたじろぎ、グレンが冷や汗を浮かべる。
目の前の少年は、『白鷹』フィオナ・ゼフィランサスですら手に負えない、『最強の聖人』。
それどころか、このイーヴリス大陸全体で見ても、ジャンパールを倒せる者など、片手の指を埋めるほどすらいないだろう。
アリア達に託されたフィールド破壊の目的の中には、辛うじて戦いになるフィオナが、全力で戦える状況を作るというものも含まれている。
だが、ここにはフィオナはおらず、そもそもフィールドもまだ解けていない。
「てかさ、待って待って。お姉ちゃん、城で会った人だよね? ぷはっ、うっそでしょ!? 学園の時に漏らして、城でも漏らして、そんで、ぷふっ! そのびしょびしょ、また漏らしちゃったの?」
「や、あ、ち、違、これは、違うのっ!」
「へぇ~、違うんだ? どう違うの? ほら、言ってみなよ。聞いてあげるから」
今にも泣き出しそうなアリアに、嬉々として畳み掛けるジャンパール。
グレンとイングリッドは、アリアを守るように前に出るが、アリアはそんな2人の手を掴み、それ以上の前進を止める。
そして、肩を震わせ俯きながら、小さく口を開いた。
「これは……アシュレイに、鞭で打たれて……どうしても痛くて……それで……!」
「それで? ねぇ? それでどうしたの? ほらほらほらほら!」
「だから! その……少しだけ……ぐすっ……ほんの少しだけ……あ、あぁぁっ……!」
とうとう、顔を覆って泣き出してしまうアリア。
だが、それはジャンパールの嗜虐心に火を注ぐだけだ。
「ほらほらどうしたの!? ほんの少しだけ? 少しだけ、どうしちゃったの!?」
「で……出ちゃ……て……」
「何がぁぁ!?」
「うぅっ……嫌ぁ……嫌ぁぁぁっ……!」
「ほらほら泣いてちゃわかんないよ! 何が出ちゃったの!? ねえねえほらほら!」
「お、お……おし……ひぐっ……お、おし……!」
『ジャン』
「何、神父様? 今いいところなんだけど?」
『楽しそうなところ悪いんだけど……アリアさん、時間稼ぎしてるよ?』
「――は?」
リーザの様子はわからない、フィオナの現在位置も不明……この状況でジャンパールと遭遇してしまったアリア達に取れる手段は、あまりにも少ない。
即ち、逃げるか、待つかだ。
そしてアリアは、学園と呪いの城で、ジャンパール速さは嫌と言うほど目にしている。
3人で……いや、本気を出されたら、イングリッド1人でも、逃げ切ることなど不可能だ。
ならば、後はひたすら時間を稼ぎ、フィールドの停止とフィオナの到着を待つしかない。
その時間が、自分1人の恥辱と引き換えに得られるなら……。
そう思い、アリアは今にも飛びかかりそうだった2人を止め、ジャンパールとの会話に乗ったのだ。
羞恥と屈辱に、何度も泣き崩れそうになりながら、あの意地の悪い少年が食いつきそうな言葉を選んで。
だが――
「ねぇ、どうゆうこと? お漏らしのお姉ちゃん。僕を馬鹿にしてたってこと? ねぇ? 答えなよ」
「ぐすっ……くっ……!」
ジャンパールの殺気が膨れ上がる。
先程までのアリアの涙は、震えは、消え入りそうな声は、全て心の底から込み上げ、抑えきれずに溢れ出たものだ。
だが、ジャンパールの中ではもう、全てが演技で、アリア達は、まんまと会話に応じた自分を嘲笑っていたことになってしまった。
負の感情を激らせた瞳にアリア達を映し、『正義』の権能で生み出した突撃槍を構えるジャンパール。
対するアリア達は、フープを、剣を、双剣を構え、3人一丸となってそれを迎え撃つ。
「正面は俺が行く! 武器だけならコイツが上だ!」
「何やっても変わんないよ。散れ……!」
ジャンパールは真正面から彼らに突っ込み――
「ぐううぅぅぅっっ!!」
「くああぁぁっ!」
「ああああぁぁぁぁっっ!!?」
グレン、イングリッド、アリア――3人纏めて、壁際まで吹き飛ばした。
「ほら、無駄だった」
ジャンパールは、立ち上がろうとする3人を見回し、グレンに狙いを定めて飛びかかる。
理由は、前に学園であった時から気に入らなかったから。
槍を突き込むジャンパール。グレンは膝立ちのまま這うように跳び、槍の下をくぐり抜ける。
床を転がり、その勢いで立ち上がると、すでにジャンパールの追撃が迫っていた。
正面からの突きを、少しだけ角度をつけた剣で後ろに逸らすグレン。
それでも殺しきれなかった威力は、体ごと下がって受け流す。
「またその目……! もっと僕を怖がれよっ! 弱いんだからっ!」
これまでジャンパールが殺意を向けた相手は、誰であろうと恐怖を露わにしていた。
だがグレンは、圧倒的な実力差を前にしても、焦りや必死さは浮かべるが、恐怖を見せたことはない。
今も、明らかに追い詰められているのに、『自分の方に来て好都合』とでも言いたげな顔だ。
それが、ジャンパールにはとにかく気に入らない。
「ふっ! ぐっ! ぢぃっ!」
「本当は怖いんだろ!? ほら、泣けよ! 命乞いしろよぉっ!」
怒りのまま、猛攻を続けるジャンパール。
だが、その背後から高速でイングリッドが迫ってくる。
グレンに気を取られ過ぎ――
「見えてるよ」
「なっ!?」
ジャンプによる回転切りを、左手に生み出した短槍で防ぐジャンパール。
薙ぎ払いでグレンを押し退け、空中で隙を晒したイングリッドに向けて、右の突撃槍を引き絞る。
「させないっ!」
イングリッドに向けて放たれようとした槍を、アリアのリボンが腕ごと絡めとる。
最も勢いのない突きの出がかりを狙われ、ジャンパールが一瞬動きを鈍らせた。
間一髪、難を逃れたイングリッド。
だがアリアは、逆にリボンを強く引かれ、ジャンパールに向けて宙に投げ出される。
「きゃあぁぁっ!? フ、フープ!」
「アリア!」
何とか防御を固めようとリボンからフープに換装するアリア。
グレンも2人の間に割り込み、カバーに入る。
「だから無駄なんだよ!」
アリアを引き寄せた体勢から、右手の突撃槍で2人纏めて横に打ち付ける。
「がぁっ!」
「ああぁぁっ!」
仲良く反対側に飛んでいく2人には目もくれず、ジャンパールは体勢を立て直したばかりのイングリッドに襲いかかった。
3人がかりでも手も足も出ない。これが、最強の聖人『正義』の権能の力だ。
現人類の極限に近い身体能力を与えられる、戦闘タイプの権能。
しかも『正義』は歴代の聖人の戦闘経験が蓄積されており、戦技においては素人のはずのジャンパールに、歴戦の戦士にも勝る技術をも与えている。
そして自在に、瞬時に槍を生み出す、攻撃魔術のほぼ上位互換に当たる特殊能力。
大陸はおろか、世界全体で見てもトップクラスの力を奮い、ジャンパールは愉悦のまま獲物を追い詰めていく。
「お前も! 聞いて! いただろう!? 鐘が完成すれば、お前だって……!」
「あぁ、イングリッドは今知ったんだっけ? 憐れだねぇ~」
抵抗が長く続かないことを悟ったイングリッドは、集団自殺の話を持ち出し説得を試みるが、ジャンパールはそんな彼女に嘲笑を向ける。
「お前、まさか!?」
「僕は最初から知ってたよ。アールヴァイスに入る前からね」
『あと、博士とガウリーオには話したかな』
「そんな……!」
幹部の半数が知っていたという事実に、イングリッドが歯噛みする。
かつて所属していたテロ組織が壊滅し、敗残兵となったガウリーオは、完全に世界に絶望していた。
変えられないなら壊すまでと、ゼフの誘いに乗った。
ドクター・ヘイゼルは既に70半ば。そして、死病に侵されている……ということではないが、人並み以上には不摂生と不健康を積み重ねてきた。
長くても残り10年そこらと見た人生を、『人類を滅ぼす魔導具』のために捨て去ることに、なんの躊躇いもない。
そしてジャンパールは――
「これはね、競争なんだよ。僕と神父様の。鐘が完成してから、僕を支配できたら神父様の勝ち。仕方ないから、一緒に死んであげる。で、僕が神父様を殺せたら、福音の鐘は僕のものになるんだ」
血生臭い『競争』について語るジャンパールの顔は、休日に父親を独り占めにしている子供のようにキラキラと輝いている。
しかし、イングリッドに加え、左右から迫るアリアとグレンも視界に入れると、その顔から表情を無くした。
「僕と、神父様、2人だけの競争なんだ。君達は部外者、脇役、邪魔者。わかったらさ……さっさと死んで!」
得物を、柄の両端に刃のついた両刃槍に持ち替え、ジャンパールは更に攻撃密度を高めていく。
それを、スクリーン越しに愛おしそうに、そして哀しそうに見つめるゼフ。
『ジャン……』
5年前、人類の秘密に気付いたばかりのゼフの元に預けられた1人の子供。
幼くして、『最強の権能』という身の丈を超える力を与えられ、それゆえに歪んでしまった彼を、ゼフは包み、慈しみ、まるで本当の我が子のように扱った。
『君はいつか、世界の敵になる。誰からも愛されず、恐怖と憎悪のみを浴び続ける存在になる』
予想通り、ジャンパールが個人で2,000人を超える死者を出す殺人鬼に成り果てた時も、ゼフだけは彼を許した。
この憐れな子供を、せめて好きなように生きさせてあげたい、と。
――奪われた命を、一切省みることなく。
「グレン君っ!?」
3対1の打ち合いを制したジャンパールの槍が、グレンの腹部ど真ん中を貫通する。
更にジャンパールは、グレンを刺したままの槍を振り回し、床に叩きつけた。
「がはっ……!」
床にめり込み、血を吐き出すグレン。
助け起こそうとするアリアだったが、イングリッドがそれを制し、アリアを抱えてその場から飛び退いた。
いつの間にか、ジャンパールが周囲の柱に槍を突き刺しており、大量の瓦礫が降り注いできたのだ。
「グレン君!? 離してっ! グレン君がっ!」
瓦礫の中に消えていくグレンの姿。
その上に、ジャンパールは更に一本の槍を、綺麗な垂直に突き刺した。
――どう? お墓みたいでしょ?
そう、言葉を添えて。
「嫌ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!」
◆◆
ふらりと体勢を崩し、膝をつくリーザ。
口元は苦しそうに歪み、衣装は所々が破け、肌が露出している。
辛うじて右手で構えた剣は、格好をつけるのがやっととばかりに震えていた。
「結構頑張ったんじゃない? この私相手に」
対する怪人ハチ女は、腕と脚に多少の傷は付いているものの、余裕の表情でリーザを見下ろしている。
「いいんですの? そんなに、余裕を、見せて……! 足元を、掬われても……くっ!」
強気な言葉を返し、何とか立ち上がろうとしたリーザだったが、脚に力が入らずに、また膝をついてしまう。
そんな彼女に、勝者の笑みを浮かべるハチ女。
美しい細剣使い同士の戦いは、毒蜂の姫に軍配が上がろうとしていた。