第10話 甘えっ子皇女の執念
「あらあらあらあら! あらあらあらあらあらあらっ!」
『ティア』の仮面の裏から出てきたアリアの顔に、アシュレイがこれでもかと頬を上気させる。
『黒鎖』のアシュレイ、大興奮である。
「美味しい獲物が実は1人だったって知った割には、随分と嬉しそうだな?」
グレンの予想では、アシュレイは『ペット』を1匹に絞るタイプではない。
『アリア』と『ティア』の両方と楽しむ目論見が崩れた割に、喜びを溢れさせるアシュレイの姿は、グレンとしてはいささか予想外だった。
「勿論、それはとても残念よ? 楽しみが減ってしまったのだから。でもね坊や……別人だと思っていた想い人が、同一人物だってわかったときのトキメキは……ふふっ、理屈じゃないのよ」
「……へ、へぇ……!」
恍惚とした表情で語るアシュレイ。
そして、その内容のどこかに、グレンは大きく興味を引かれたらしい。
グレンの鼻は、ピクピクと動いていた。
◆◆
「話を聞いて、イングリッド!」
スケーティングで逃げるイングリッドの行く手を、無数の光球で阻むアリア。
イングリッドが回避した先にリボンを放ち、それを左足に巻き付ける。
バランスを崩したイングリッドは宙に投げ出されつつ、空中で1回転しながら巻き付いたリボンを切断。
だが、着地点には既にアリアが回り込んでいた。
イングリッドは躊躇いつつも双剣を振るうが、迷いだらけの攻撃に鋭さはなく、アリアは斬撃の内側に回り込み、剣を持つ腕の方を掴み取る。
「くっ! 言ったはずだ、お前の手は取れないと。第一、私には目的が――」
「メルヴィちゃんなら、皇国が面倒を見るわっ!」
「なぁっっ!!?」
メルヴィ・ベックマン。
それは、極度の精神疾患で隔離中の、イングリッドの後輩選手の名だ。
アリアの口から飛び出した予想外の名前に、イングリッドが大きく動揺する。
「それに、リッカード伯爵家の次男も! 今すぐは無理でも、絶対に破滅させてみせる!」
「お、お前……っ」
イングリッドの事件は、そこそこ有名な話だ。
貴族の息子の方は、平民相手と舐めてかかって、憲兵に言い訳ができる程度の隠蔽工作しかしていない。
アリアが手段を選ばす調べようとすれば、そう苦労することなく、関係者は洗い出せる。
その上で揃えた条件は、世界征服後のアールヴァイスと同等とはいかないが、それでもイングリッドにとっては破格のものだ。
だが、イングリッドはそれを拒むように、アリアの手を強引に振り解く。
「気にかけてくれたことは感謝する……だが、その施しは屈辱だ! 憐れみでは、私達は救われん!」
「誰が無償だなんて言ったかしら!?」
拒絶を示し、逃げるように距離を取るイングリッドに、しかしアリアは構うことなく言葉を重ねる。
「代償はもらうわよ……貴女の人生、私にちょうだい!!」
「はぁっっっ!!?!?」
アリアが示すプロポーズ紛いの『代償』に、イングリッドの声が裏返り、思わず足まで止めてしまう。
そこに迫り来るのは、アリアの手加減なしの開脚スライディングキック。
慌てて飛んで躱すイングリッドに、アリアはクラブを両手に飛び掛かる。
「私の近衛になって! それで私が卒業したら、一緒にランドハウゼンに行くの! そうしたら、メルヴィちゃんも、リッカードの馬鹿息子も、全部私と皇国が何とかするわっ!」
「馬鹿を言うな! 私はテロリストだ。その私が皇族の近衛など……無理に決まっているだろう!」
アリアのクラブを双剣で受けながら、悲痛さも滲ませ叫び返すイングリッド。
確かに、これまでイングリッドの関わった破壊工作は少なく、彼女の躊躇いも手伝い、人死には出ていない。
だがアールヴァイス全体で言えば、犠牲者はかなりの人数に及んでいるのだ。
幹部であるイングリッドが、のうのうと表の世界に帰るなど、できるはずがないのだ。
……ないのだが、そんなことはアリアだってわかっている。
「やってやるわよっ! すっっっごく大変だけど! もうお父様までは説得済みなんだから!」
「皇王を!? 説得ぅ!? 何をやっているんだお前はっ!?」
だからこそ、アリアは物心ついてから始めて、自分から『親の力』に頼ることを決めたのだ。
恨み帳貯金をはたいて、策謀好きな姉を強制的に味方に付け、策略と直談判と泣き落としで、例え娘に甘くとも、王としては私情を持ち込まぬはずの父グラーヴに、首を縦に振らせた。
現時点で、ランドハウゼン皇王と、帝国のリチャード皇帝までは話がついている。
後は、下の者達を納得させられる材料だけだ。
「いい、イングリッド? 貴女は、私が何かこう、いい感じの説得をして、それに感動して改心するの。そうゆう筋書なの。内容を聞かれたら、『2人だけの秘密』とか言っておきなさい!」
「いやいやいやいや待て待て待て待て!?」
「それで、できればゼフ先生も私達で確保するわよ。それを貴女の功績にすれば、帝国との交渉も凄く楽になるって、セレナ姉様が言っていたわ。
あぁ、そうそう。それでもほとぼりが冷めるまでは、さすがに名前を変えてもらうからね。貴女、明日から2年くらい、外では『マルグリッド』よ!」
「名前まで決まっているっ!?」
アリアの口から、雨霰と繰り出される『今後の予定』。
『現実の見えていないお姫様』とアリアを侮ったイングリッドは、まさかの国家レベルの調整に泡を吹きそうになっている。
脚も双剣の動きも鈍り、戦闘においても、アリアに完全に食いつかれていた。
「い、いや、だめだっ! アールヴァイス打倒の名声は、きっとお前の将来の武器になる! それを、こんなことのために手放すんじゃないっ!」
「いらないわよそんなもの!! そんなものよりっ、私は貴女が欲しいのっっ!!」
『攻撃』も『口撃』も、イングリッドを押し込むアリアの猛攻は止まらない
デレたら後は突進あるのみ――それが今のアリアのスタイルなのだ。
「なんで……お前はそこまで……!」
「貴女を大好きになったからに、決まってるでしょっ!?」
「っ!?」
「貴女が、どんなつもりだったかは知らないわ。ただの気まぐれだったのかもしれないし、メルヴィちゃんの代わりだったかもしれない。
でも、私は貴女がいてくれて、本当によかったと思ったの! 心強かった、優しくしてもらえて嬉しかった……そしたら、もっと一緒に居たいって思ったのよ!」
「アリア……っ」
イングリッドは、もう防戦一方だ。
どんどん速さを増すアリアのクラブ使いには、まだ反撃の糸口は残っている。
だが、アリアの言葉が、イングリッドから反撃の意思を奪っていた。
今、イングリッドがアリアに叩きつけたいのは、当れば身を傷付ける刃ではない。
「覚悟しなさい、イングリッド! 貴女は、あの呪いの城で、執念深くて甘ったれで、とんでもなく面倒くさい女の心に火を付けたのよ!」
伝えてやりたいのだ、『変わりなどではない』と。ちゃんとお前を見ていると。
泣き顔のまま、容赦ない攻撃を仕掛けてくる、本人のいう通りとても面倒くさい少女に。
「嫌なことがあったら慰めて。いいことがあったら一緒に喜んで。甘やかして、優しくして、私が幸せになるのを見届けて! そして、貴女が幸せになる姿を見せて!!」
そんなイングリッドに、アリアは一言一言、クラブで打ち付けながら『我儘』を伝えていく。
最後は両手のクラブを振りかぶり、渾身の言葉と共に叩きつけた。
「私と一緒に生きてっっ!! イングリッドっっ!!」
あまりの勢いに、イングリッドが踏ん張りきれず、氷の道を後ろに滑る。
それを拒絶だと勘違いしたアリアは、この世の終わりのような表情でイングリッドを追いかけ、氷の道に脚を滑らせ、その身を宙に投げ出した。
その瞬間――
――貰ったわ!
アシュレイが、動いた。
「くそっ!?」
グレンがアリアの転倒に視線を向けた一瞬を突いて、強烈な黒鎖の矢が、ペインスマッシャー付きで放たれた。
狙いは頭部に当てての昏倒。
そのままこの場をイングリッドに任せて、自分はアリアを連れ去る腹積りだ。
そうはさせじと斬撃を飛ばすグレンだが、残りの鎖に遮られ、アリアを狙う一撃まで届かない。
鎖はアリアの顔面に吸い込まれていき――
直撃の寸前、その先端があらぬ方向に跳ね飛んでいった。
その断面に張り付くのは、氷。
「へぶっ!」
顔面から床にダイブしたアリアが、這いつくばったまま顔だけを上げる。
その目に映るのは、凍った剣を振り切った姿勢のまま、自身を見下ろすイングリッドの姿。
「アリア……私は、お前をメルヴィの代わりだなどと思ったことは、一度もない。心配になったところは、同じだがな」
剣を腰の鞘にしまい、イングリッドが空いた手をアリアに差し出す。
「イングリッド……?」
「覚悟しておけ、アリア。私は立場がなんであろうと、身内は甘やかすより叱るタイプだ」
「あ……っ! うんっ!」
その手に、アリアは満面の笑みで飛びついた。
甘ったれ皇女の全身全霊が、『氷の女幹部』の心を溶かした瞬間であった。
「ちっ!」
そんな心温まる光景に見向きもせず、すぐさま逃亡を図るアシュレイ。
仕方ない。なにせ、突然状況が3対1になったのだから。
ここで我が身を犠牲に時間を稼ごうとする程、アシュレイの忠誠心は高くない。
「おっと!」
だが、逃げるアシュレイの行手にグレンが回り込む。
アリアとイングリッドのハートウォーミングな一幕に心打たれはしたが、先程そんな一瞬を突かれ、アリアへ攻撃を許したばかりである。
グレンも、そう何度も好きなようにやらせはしない。
「邪魔よ!」
鎖の雨で押しのけようとするアシュレイだが、そこはもうグレンの間合いの中だ。
鎖の上から強烈な斬撃をもらい、アシュレイは宙に打ち上げられた。
「ぐぅっ!?」
「いい位置だ!」
放物線を描くアシュレイの向かう先には、アリアを抱えて滑り込んでくるイングリッド。
アシュレイは、さっそくの仲良しコンビプレイに苛立つ余裕すらなく、必死に2人に向けて鎖を放つ。
が、その全ては、イングリッドの氷で相殺されてしまった。
手札を使い切り、無防備を晒すアシュレイ。
「イングリッド!」
「任せろっ!」
イングリッドが両手を組み、そこにアリアが脚を乗せる。
2人の力とタイミングを合わせ、アリアがアシュレイに向けて大きく跳躍。
「せああぁぁぁぁぁっっ!!」
跳躍の勢いも乗せ、渾身の飛び蹴りをアシュレイの腹に叩きんだ。
「がはぁっ!?」
口から血を吐き出してながら、アシュレイが飛んでいく先には、壁に埋まった台座と、その上に置かれた宝玉。
アシュレイは受け身も取れないまま激突し、ドミネートフィールドの核ユニットの一つは、粉々に砕け散った。