第9話 アリアちゃんは今回はそこそこ覚悟を決めていた
「かは……!」
アリアの放った光槍は、本能的に身を捩ったアシュレイの脇腹を貫通した。
想定外の反撃と、それによる致命傷にアシュレイの体が大きくよろめく。
泣き叫び、蹲りながらも、アリアは反撃を諦めてはいなかった。
痛みに耐えかねたフリをしてルミナスハンドを胸元に隠し、敢えて股をアシュレイに晒した。
そこを叩かれたら、絶対に自分が耐えられないのも覚悟の上だ。
もう一度そこを打てば、アシュレイは必ず自分の前に回ってくると、アリアは確信していた。
涙と涎でぐしゃぐしゃになった、この情けない顔を嘲笑いにくる、と。
実際にもう一度股間を打たれ、失禁するほどの痛みを味わった時は、この考えを実行したことを激しく後悔したし、心の底から『痛い』、『許して』と呟き続けた。
だが、アリアは本当の本当にギリギリで耐え、反撃のチャンスを掴んだのだ。
「くああああああああぁぁぁっっ!!」
痛みを紛らわすように叫ぶアリア。
跳ねるように体を起こすと、自身に怒りの視線を向けるアシュレイとの距離を一気につめる。
「小娘ぇっ……!」
口の端から血を滴らせ、迫るアリアに影の鞭を振りかぶるアシュレイ。
が――
「しゃがめええぇぇっっ!!」
イングリッドの、悲鳴混じりの叫び声が耳に届いた。
訳がわからないまま、だが確かに感じる得体の知れない怖気に押され、膝を折って身を屈めるアシュレイ。
その直後、頭上数mmのところを、圧倒的な存在感を誇る銀色の刃が通り過ぎた。
「ひっ!?」
見上げるとそこには、氷点下の視線をアシュレイに向けるグレンの姿。
イングリッドの妨害を突破して、一直線にアシュレイを狙いに来たのだ。
躊躇いなく、首を落とそうと。
あのままアリアに鞭を見舞っていたら、今頃アシュレイの頭部は胴体から離れ、床を転がっていただろう。
安堵で一瞬気が抜けるアシュレイだったが、直後、その顔面を強烈な衝撃が襲う。
「がぼあっっ!!?」
アシュレイのすぐ目の前まで迫っていたアリアが、非常に蹴りやすい位置まで下がっていた彼女の顔面を、思い切り蹴り上げたのだ。
死を免れた引き換えのクリーンヒットに、アシュレイの体が大きく宙を舞う。
そして、高々と脚を蹴り上げたアリアもまた――
「ひぐうぅっ! ああぁっ!?」
グラリと体勢を崩し、また股間を押さえて床に倒れ伏した。
蹴りの衝撃で、体の芯に残った痛みが膨れ上がり、紙一重で奮い立たせていた体が限界を超えてしまったのだ。
「ティアっ!」
蹴り上げられ、無防備を晒すアシュレイ。
倒れ伏し、痛みに呻くアリア。
グレンは一瞬の迷いの後、アシュレイにとどめを刺すことを諦め、アリアの方に駆け寄った。
イングリッドが動けないアリアに向けて、氷の矢の照準を合わせていたからだ。
グレンが駆け寄ると、アリアはまだ痛みの残る体をおして、よろよろと立ち上がる。
「ふぅぅぅっ! ふぅぅぅっ! あり、がと……だいじょ……っ……!」
歯を食いしばり、膝を震わせながら体を支え……ふっと表情を緩めて、グレンにもたれかかった。
「ううん……少しだけ、支えてもらっていいかな?」
アシュレイもまた、腹の傷を癒しながら立ち上がる。
「傷の具合は?」
「あの子よりは、先に動けるようになるわ……!」
強がってはいるが、顔色は非常に悪い。
佇まいはアリアよりしっかりしていても、実際は向こうはノーダメージで、アシュレイは重症なのだから。
だが、痛みと羞恥で、心身はこの上なく消耗させた。
手痛い反撃は許したが、アリアを打ちのめし、その手に収めることは十分に可能だと、アシュレイは考えていた。
やがて、アリアとアシュレイが持ち直し、第2ラウンドを前にした睨み合いに移行する。
どちらも互いの出方を伺う中、アリアはバイザーの奥の瞳をイングリッドの方に動かした。
「グレン君、お願いがあるの」
「なんだ?」
「私を、イングリッドと戦わせて」
アリアの頼みに、グレンは一時思考を巡らせる。
相手を入れ替えるメリットは、実はかなり大きい。
アリアはイングリッドの動きに慣れているし、アシュレイのペインスマッシャーは、グレンの全身装甲と生命波動でほぼ無効化できる。
だが、今や『ティア』にも執着するアシュレイが、それを許すとは思えない。
グレンが隙を見せれば、必ずアリアを狙うはずだ。
そうなれば、アリアは一瞬とは言え、2人がかりで狙われることになる。
「お願い……!」
だが、グレンに向けられたアリアの目は、そんな損得やリスク管理を超えた、強い決意を宿していた。
そんなアリアに当てられ、グレンも覚悟を決める。
「アリアの『お願い』は断れねえな……よし、アシュレイは俺が抑える。好きにやってこい」
「ありがとう。グレン君のそうゆうところ、その……カッコいいと思うわ」
「おぉっふ」
想いを伝えると決めたアリアは、躊躇いなく、だが絶妙な照れを残して、こんなことまで言えるようになった。
感謝の言葉の予想外な破壊力に、静かに悶絶するグレン。
確かな手応えに、アリアは戦闘中だというのに、少しばかり心を弾ませてしまった。
「ふふっ、じゃあお願いね、グレン君♪」
「あぁ……任せろ!」
一時の膠着状態に終わりを告げたのは、ラブの波動を置き去りに駆け出した、アリアとグレン。
アシュレイとイングリッドも、それぞれの相手を見据え、迎撃の姿勢を取る。
それを見たアリアは、アシュレイの鞭の射程の少し前で急停止。
そして――
「フラッシュボム!」
先程不発に終わった、目眩し用の閃光を再び正面から放つ。
「無駄だというのが――」
「そいつはどうかな?」
「なっ!?」
今回のフラッシュボムは、本当に目眩し。
元々アリアしか眼中になかったアシュレイは、光に隠れて迫っていたグレンに、自身とアリアの間に立つことを許してしまった。
「坊やは、お呼びじゃないのだけれど……!」
「ティアも、お前はお呼びじゃないってよ」
「ガキがぁっ!」
言葉責めはするが、自身の煽り耐性は意外と低いアシュレイが、早くも苛立ちを爆発させる。
アリアと自身の間を阻むグレンに向けて、影の鎖を浴びせかけた。
ダメージと操作性重視の鎖は、先ほどの大した威力のない鞭ほど多くは繰り出せないが、グレンの全身プロテクターにはペインスマッシャーは効果が薄いと踏んでの選択だ。
ヒロイン補正は使い切ったとは言え、レヴィエム・クラフトは基本強化だけでも常軌を逸した性能になる。
グレンを襲う黒鎖は凡そ20本。学園襲撃時の凡そ6割増しだ。
だが、グレンも易々と絡め取られたりはしない。
不規則に動く黒鎖の『次』を予想し、その全てを最適に対応していく。
防御、受け流し、回避、無視。
その選択肢に、手にした相棒の冗談のような切れ味による切断も加え、アシュレイとの距離を一気に埋めていく。
「くっ! 私の鎖がっ、何故っ!?」
「諸事情でな。うねうねの処理は得意なんだ」
肉薄するグレンに、鎖の隙間から蹴りを放つアシュレイ。
接近戦は苦手なアシュレイだが、ミッドナイトクイーンの効果で、身体能力はかなり強化されているのだ。
「ぐぅっ!」
「ちっ」
蹴りを弾き返すグレンの腕を足場に、アシュレイが大きく後ろに跳躍。
全身を抜ける衝撃に内臓が悲鳴を上げるが、詰められた距離を離すことには成功した。
取り逃したことに舌打ちを残し、再びアシュレイを追いかけるグレン。
そんな追いかけっこを続ける2人とは対照的に、アリアとイングリッドは至近距離での激突を繰り返していた。
「せあっ!」
急旋回により背後から迫るイングリッド。
「てぇいっ!」
それを2本のクラブで迎え撃つアリア。
双剣を左右に弾くと、即座にクラブをフープに換装。
足に引っかけ、回転させながら蹴り上げる。
「ぐぅっ!」
縦回転するフープに胸と顎を打たれ、イングリッドがたまらず後退。
すぐさまスケーティングを始めようとするが、今度は追い縋るリボンが左腕に巻き付いた。
リボンを辿り、急速にイングリッドとの距離を詰めるアリア。
イングリッドは自由な方の手でショートソードを繰り出すが、アリアはそれをリボンの根元近くで受け止る。
至近距離で睨み合う両者。
そして、ようやくといった感じで、アリアが口を開く。
「もうやめて、イングリッド! 貴女は本当に、こんなことがしたいの!?」
「突然、何を言い出すかと思えば……望んだことに決まっているだろう!」
「でも、貴女は傷付くわっ!」
「なっ!? くっ、この!」
イングリッドはショートソードでリボンを切り裂き、戒めから脱出する。
そのままアリアを中心に旋回しながら距離を開けるが、その進路をボールの雨が塞いだ。
「自分のしたことで、大勢の人が犠牲になったら、貴女は、その分自分を責めるでしょ!」
「知ったようなことを!」
「知ってるわよ! 少しだけど!」
足を止めたイングリッドに、武器をクラブに持ち替えたアリアが襲いかかる。
イングリッドは双剣で応じ、再びぶつかり合う2人の武器。
「無表情ぶって本当は優しくて、突き放すくせにすぐに人の面倒を見て……そんな貴女が、誰かを傷付けることに、無感情でいられるはずがない!」
「何だ……何なんだ、お前は!」
強引にスピンを決め、勢いでアリアを吹き飛ばすイングリッド。
だがアリアは倒れることなく踏ん張り――
「こっちに来なさい! イングリッド!」
認識阻害のバイザーを外し、直接、イングリッドと目を合わせた。
「……アリア……!」
イングリッドの目に映るのは、あの恐ろしい呪いの城で、一時を共にした少女の顔。
泣き虫で、無愛想な自分に何故か懐く、どこか放っておけない、大切な後輩を思い出させる少女――
そのアリアが、決意を帯びた表情で、イングリッドを見つめていた。
「私が……貴女をそこから引きずり出してあげる!!」