第2話 開かれる紅の扉
秘密結社アールヴァイスの指揮系統は、実のところ杜撰だ。
何せ幹部の殆どは、他人のことなど考えもしない個人主義者達。
何とか部下を扱えるのは、『氷華』のイングリッドと、ドクター・ヘイゼルの2人だけ。
そしてヘイゼルも、指揮がとれるのは研究、実験のみ。
部隊運用ができる幹部は、実質イングリッド1人となっている。
そしてそのイングリッドも、まだ若干19歳だ。
自身の部下達のみならず、ヴァルハイトとアシュレイの部下達からも指示を仰がれなどすれば、全てを完璧にこなすなど到底不可能。
どうしても、目の届かない所が出てきてしまう。
そして、そうゆう時に限って、彼女本来の部下達が、ミスを犯したりなどするのだ。
例えば、ちょっとした不注意で、数年かけて準備した、一発勝負の大魔導術式を、誤って起動してしまったり――
◆◆
体育館に備えられたマットの上を、体育着に着替えたアリアがクルクルと回る。
背中側から上げ、頭上で手で押さえるバックルターンだ。
手にしたリボンは、全身を包む様に幾つもの円を作る。
重さの概念をどこかに置きわすれたような演技に、周囲の少女達が感嘆の声を漏らす。
あの後、運動場に向かったアリアは、部活動に勤しむ少女達に混ざり、幼少期から続けているフェアリアの練習を始めた。
筋トレ、柔軟、基本動作の反復、それを何セットか繰り返した後、ようやく頭がスッキリしてきたところで、部員達から演技の披露をせがまれたのだ。
アリアは16歳にして、年齢無制限のイーヴリス大陸全域大会で、幾度となく表彰台に登った実力者。
その界隈では、『猫の妖精』などと呼ばれている。
そして1年次は生徒会、2年次は風紀委員の仕事を優先し、フェアリア部には席を置いていない。
そんなアリアが運動場に現れ、延々基礎練を繰り返していたのだ。
それはそれで勉強にはなるのだが、やはり演技も見たくなってしまうのは、仕方のないことだろう。
後ろに倒立回転しながら、リボンを頭上高く放り投げる。
足を90°に上げたターンでリボンを追いかけ、落ちてきた所をキャッチ。
最後に頭上から、くるんと大きくリボンを回し、再び頭上で止め、合わせてI字バランスでフィニッシュを決めた。
一瞬の静寂の後、湧き上がる歓声。
いつの間にか、フェアリア部だけでなく、体育館にいた全ての生徒が、アリアの演技に見入っていた。
アリアは苦笑いを浮かべながら、周囲に軽く手を振る。
すると、1年生の女子数人が、頬を上気させながら駆け寄ってきた。
「先輩凄かったです!」
「これ、どうぞ!」
その手には、タオルとスポーツドリンク。
練習と、最後の演技でかなり汗をかいたアリアにとっては、ありがたい差し入れだ。
体を拭き、瓶の中身を一気飲み。
「ありがとう、みんな。練習頑張ってね」
「「「「はいっ!」」」」
後輩達にエールを送り、最後に部長にマットの礼を言って、アリアは体育館を後にした。
ベンルカイト校の体育館はアリーナの他、2階が体育館を使う部の部室棟、1階には体育の授業時に一般生徒が使う更衣室、更にはシャワー室もある。
(とりあえず、着替えを取りに行って、それからシャワーね……)
ある程度拭いたとは言え、放っておけば、ベタつき、臭いの元になる。
よく動き、よく汗をかくアリアの汗はそれほど臭わないが、年頃の娘として、そのままにはしておけない。
(グランツマン君のことは、どうしようかな? 明日でもいいけど……)
グレンの顔を思い浮かべるアリア。表情に怒りは滲んでいない。
今ならアリアも、素直に謝ることが出来るだろう。
(一応、探してみようかな。何にせよ、シャワーと着替えね)
臭いもだが、グレンに謝罪をするなら体育着は避けるべきだ。
学園の体育着は、上はシンプルな白地に紺色の丸襟なのだが、下が――ブルマなのだ。
しかも何をトチ狂ったか、参考文献に選ばれたのは神代の大きなお友達専用のゲーム。
その名も、『クイ込め! まぁぶる女学園』。
当然ローライズで、レッグのカットも本来のものより若干深く、しかもピッチピチ。
ただ生地だけは適度な厚みがあるので、レーシングブルマ的なスポーティ感すら無い、如何わしさ全開の仕上がりだ。
アリアの眩しい尻と太股も、むっちりと凄いことになっている。
こんな姿であの脚フェチ男の前に出れば、今度の蹴りは一発では済まないだろう。
(今度あんなふうに見てきたら、目玉を蹴っ飛ばしてやるんだから!)
そんなことを考えている間に、更衣室までたどり着く。
着替えを取りに自分のロッカーを目指すアリアだったが、視界の端に映った看板にその足を止める。
「あ……んっ……」
(紅茶にスポーツドリンク……ちょっと、飲みすぎたわね……っ)
汗でベタつく体と、下腹部から迫り上がる重み。
2つの不快感を比べ、アリアは後者を選び取る。
人目がないのをいいことに、足早でそちら――トイレに向かうアリア。
程なくドアノブに手がかかり――
「っ!?」
――直後、部屋全体に、赤い魔導術式が浮かび上がった。
術式は、一瞬強い光を放つと直ぐに消えたが、今度は微かな違和感がアリアの全身を包む。
何か予感めいたものに突き動かされ、アリアは目の前の扉を開けた。
「なに……これ……っ」
アリアが開けたのは、確かにトイレに続く扉だった。
だが、アリアの目に映るのは、見慣れたタイルの床と個室の扉ではない。
呆然と足を踏み入れたその先には、既に営業を終えた、無人の食堂が広がっていた。