第17話 あと1年半
行方不明となった少年のうち、1名が死亡、2名は無事救助。
また、捜索に駆り出された部隊のうち、6つの分隊が捜索中に遭難。
うち遭難中に合流した2分隊、及び実習中だったアリア第二皇女が自力で帰還。
皇女の所属していた分隊の騎士2名は死亡が確認されており、残りの者は依然行方が掴めていない。
生還した全員の証言から、本件の原因は魔王級の災害として知られる、『呪いの城マリアベル』と断定された。
これが、ランドハウゼン皇国の小さな村で発生した、行方不明事件の結末である。
「すまない、アリア! 危険の少ない任務だと、高を括って……お前を危険な目に遭わせてしまった」
「そ、そんなっ! 頭を上げて下さい、トラバス兄様……!」
ランドハウゼン皇宮、アリア第二皇女の自室。
アリアはベッドの上で体を起こしながら、自身に向けて深々と頭を下げる次兄トラバスに、困り顔を浮かべていた。
今回の任務の危険度を大幅に上げるとこになった『呪いの城マリアベル』は、原因不明の災害だ。
発生の予測は不可能。
それでも責任が降りかかる立場にいるのがトラバスではあるが、それはあくまでも公人としてのこと。
そして、今アリアの見舞いに来ているのは、公人ではなく私人、『兄』としてのトラバスだ。
「しかしだな、アリア……」
「やめてくれないなら、私も兄様に心配をおかけしたこと、深ーくお詫び致しますよ?」
「ぐぬっ」
呪いの城から生還したアリアは、かなり憔悴した様子だったとトラバスは聞いている。
可愛い妹にそんな思いをさせただけでも、罪悪感でいっぱいなのだ。
この上、しょんぼりと謝罪などされては堪らない。
トラバスは渋々ながら、アリアに対し面を上げた。
「アリアも言うようになったなぁ……」
「お母様やセレナ姉様に、似てきましたか?」
「やめてくれ。アリアにまで、あの2人のようになられたら堪らん」
母、長女、ついでに三女……現皇族の女性は、アリアを除く全員が頭脳労働タイプの、油断のならない女達なのだ。
これでアリアまで、崩れぬ微笑を浮かべながら、『その言葉、いただきましたよ?』などと言い出すようになったら、トラバスは父と共に泣き崩れ、長兄アルトは天を仰ぐだろう。
「姉上と言えば……帰るなり大変だったな。大丈夫か?」
「ヴバア゛ァァ」
「アリアぁーっ!?」
今、最も自身の心を苛む問題に、アリアが人の声を失う。
アリアは今、市中ではちょっとした英雄扱いなのだ。
今回の件は、騎士団と軍で合計20名近い人員を失い、国の未来を担うかもしれない少年が1人帰らぬ人となる、暗い結末となった。
ランドハウゼン皇国は、『可能な限り』情報の隠蔽や改ざんはしないことになっているのだが、この話をそのまま市井に流すのは、あまり国の健康によいとは言えない。
そこで、長女セレナは情報は公開しつつも、『実習生として参加した第二皇女が、呪いの城から子供2人を救出した』ということが第一に伝わるよう、色々と調整をかけたのだ。
結果、現在ランドハウゼンの国内は、ちょっとしたアリア様フィーバー。
賞賛の声は、療養中ということになっているアリアの耳にも届くことになる。
だが、アリアの心は、これに強い拒絶反応を示した。
何せアリア自身、城での自分は、怨霊に怯えて逃げ回り、大半をイングリッド頼みで乗り切り、挙句の果てにお漏らしという、英雄視どころか失笑ものの無様を晒し続けた、という認識だ。
世間のイメージと実態の間には、埋めようのない隔たりがある。
仕方がないとは言え、イングリッドの活躍もなかったことになっているので、今度会ったら土下座ものだ。
これらを、『国民の活気と、皇族全体のイメージアップのため』とすんなり受け入れられるほど、アリアの精神は老成していない。
今日で事件から2日。
アリアは頻繁に、そして前触れなく限界値を振り切る羞恥と罪悪感に、布団を被って身悶える日々を送っている。
『ヴォオオオォォォオオオォォォォッッ!! ヴォォオオア゛アアァァァァァァアアアァァァッッッ!!!』
尚、城にいる家族の中で、まだアリアの見舞いに来ていないのはセレナだけだ。
実際はセレナも、謝罪も兼ねて見舞いに来ようとはしたのだが、ちょうど上記の発作のタイミングと重なってしまった。
そして、あの名状し難い呻き声を聞いて、ほとぼりが冷めるまで逃げることを決めたのだ。
「ふぅぅぅっ……! その話題は、控えていただけますか……!?」
「す、すまないっ……! その、なんだ……さすがに俺からも、姉上に言っておこうか……?」
「それには及びません、トラバス兄様。セレナ姉様にされたことは、全てメモを取っているので、近々まとめて返していただく予定です」
「そうなのっ!?」
嬉々として真っ黒い手帳を取り出すアリアに、トラバスが戦慄する。
皮の表紙に綺麗に印字された『セレナ姉様』という文字が、また恐怖を掻き立てるのだ。
不器用で、でもそこが可愛いと思っていた妹は、まさかの恨み帳所持者だった。
これも姉のせいなのか、それともアリアもやはり、あの母の子だったということか。
どちらにせよトラバスにできることは、『トラバス兄様』と書かれた手帳がないことを祈るだけだ。
「まったく、我が家の女達は、逞しいものだ……だが、元気そうで安心した」
「ええ。ご心配おかけして、申し訳ありません」
「あ、結局謝ったな?」
「一回は一回です」
アリアの楽しげな様子に、トラバスはふっと表情を緩める。
そして、わしゃわしゃと頭を撫でると、仕事に戻ると言って席を立った。
「ああ、最後に一つ。あの4人のことは、あまり思い悩むな」
「あっ……」
あの4人――結局誰一人帰還しなかった、アリアがいた分隊の4人のことだ。
「やっぱり、引きずっていたな? 俺はお前を、権限のないただの実習生として、あの隊に配属させた。彼女達の生き死にに、お前が責任を感じることはない。それは、俺の仕事だ」
「ですが、兄様――」
「自分の力量を超えた状況で、他者の命に責任を感じる……それはただの驕りだ。
どうしても責任を取りたいなら、力を得て、実績を積め。命を預けられるような、大きな人間になれ。そうしたらお前にも、もっと重苦しいものを持たせてやる」
そう残して、トラバスは今度こそ、アリアの部屋を後にした。
恐らくトラバスは、その重苦しい責任の話をしに行くのだろう。アリアには気にするなと言った、命の話を。
トラバスはアリアの5つ上。
毎日のように遊んでもらった幼少期に比べ、身長はかなり追いついた。
だが――
(あと5年で、私は貴方のようになれるでしょうか? トラバス兄様……)
部屋を出ていく兄の背中は、昔より更に大きく見えた。
◆◆
「さあ、行くわよ……っ」
ベッドから降り、着替えを済ませ、鏡の前で身形を整えるアリア。
家族からは今日いっぱい、安静にしているよう言われているが、もう大人しく寝ていることなどできはしない。
トラバスとの会話で、アリアはとにかく、動き出したくて仕方なくなっていた。
兄の背中云々もあるが、差し当たって、アリアは1年半後には学園を卒業する。
そうなれば成人皇族として、対外的には兄達と同じ立場に見られることになるのだ。
甘えが許される時間は少ない。
……が、あと1年半で、兄達や姉のようになれるとは、さすがにアリアも思っていない。
努力はするが、最初は上手くいかないことも多いだろう。
だから、仲間を作ることにした。
皇族にはそれぞれ近衛が付くが、成人した女性皇族は、その中から側近を2名選ぶのが通例だ。
そのうち1人は、もう決まっている。
見習いの頃からアリアと共にあり、正式に近衛になってからも自身を守ることを選んでくれた、もう1人の姉のような騎士。
そして、もう1人の目星が、先日ようやくついた。
だが『彼女』を己が騎士とするには、かなり障害が予想される。
だから、アリアはここに来た。
恨み帳を手に、姉セレナの部屋の前に。
「セレナ姉様、アリアです」
アリアに恨み帳を付けろと言ったのは、他ならぬセレナ本人だ。
どうにも自分に甘えてこないアリアに頼み事を『させる』ため、理由を作らせようと、アリアにあの禍々しい手帳をプレゼントした。
まさか、山のように積み上げて、とんでもない厄介ごとを持ってくるとは思いもせずに。
――さぁ、セレナ姉様。数年溜め込んだ特大の我儘、聞いていただきます!
◆◆
「どうだい、博士」
「順調じゃな。ジャンパールの持ち帰った資料、なかなかの大当たりじゃよ」
秘密結社アールヴァイス首領ゼフ・ディーマンは、ドクター・ヘイゼルの返事を聞いて満足そうに笑った。
呪いの城からジャンパールが持ち帰った資料は、暗礁に乗り上げていたドクター・ヘイゼルの研究を大きく進める要因になった。
呪印による全人類の支配を目指し開発中の魔導具、『福音の鐘』が完成する日は近い。
「本当によくやってくれたね、ジャン。今度、美味しいものでも食べに行こう」
「パフェはもうやめてよね? 神父様、結局自分が食べたい店にしか行かないんだから……」
見事資料を持ち帰ったジャンパールは、口では不満そうにしながらも、ゼフからのお出かけの誘いに上機嫌。
だが、ゼフの視線が通信機の映像に映ると、その表情は忌々しげに歪められる。
「君もご苦労だったね。無事戻ってきてくれて、本当に嬉しいよ」
「いえ、こちらは成果を挙げられず、申し訳ありません」
通信機越しにそう告げるのは、『氷華』のイングリッド。
城からの脱出に成功した彼女は、一旦近くの支部に身を寄せ、通信でゼフに無事を伝えてきたのだ。
成果を掠めとり、しかも囮にして置き去りにしたイングリッドの生還は、ジャンパールにとっては好ましくない事態だ。
『余計なことは言わないでよね』
そう言わんばかりのジャンパールの視線に、イングリッドはやれやれといった笑顔を返す。
「じゃあ、これからもっと忙しくなるけど、よろしく頼むよ、博士」
「『福音』本体の開発に、試作品の作成、ヴァルハイトの再改造に、アシュレイの目の件……まったく、老人をこき使いおって」
口からあからさまな不平を漏らすヘイゼル。
だが、その目はおもちゃに囲まれた少年のように、キラキラと輝いている。
「福音の完成まで、死なないように頼むよ? さぁ、みんな。あと少しだ。あと少しで――」
――世界は、私達の物になる。
◆次章予告
学園都市の夏を締めくくる大イベント『星華祭』。
夜空を花火が彩るこの日を前に、アリアはその胸に、ある決意の炎を燃やしていた。
だがそんなアリアに、アールヴァイスの悲願『福音の鐘』完成間近の報が届く。
家族と、友人と、自分自身の未来を守るため。
そして星華祭に控える乙女の決戦のため、アリアは、アールヴァイスとの最後の戦いに赴く。
次章、聖涙天使シャイニーアリア。
最終章 決戦! 少女とヒーローと運命の星華祭
――恋する女の子の意地はっ、最っっっ強なんだからっっ!!