番外編 ラインハルトの望み
「本当によろしいのですか?」
性急にユリの後を追おうとしたエスターだが、魔法陣を起動させる直前、迷ったような口ぶりでラインハルトに言った。
「殿下は、こちらに残るおつもりなのですか」
こいつはどこまでいっても騎士なのだな、とラインハルトは思った。
ユリの気持ちが自分にあると確信しているからこそなのだろうが、恋敵にさえ気を遣うその態度は、いっそ傲慢だ。
ラインハルトはふん、と鼻を鳴らした。
「今はな。こちらに残り、後始末をせねばならん。……何より、神殿に赴き、火の精霊の加護を正式に返上する必要がある」
そのことを思うと、今からため息が出そうだ。これが知られれば、間違いなく王家からの集中砲火にあうだろう。精霊から加護を与えられた存在として、好き放題していても、目こぼしされていたのだ。今後はそれも無くなる。年相応の姿に戻ったことで、縁談も持ち込まれるだろう。エスターはそれを心配しているのだろうが、
「ユリに伝えろ。……己の力のみでおまえを守れるようになったら、そちらの世界へ行く。待っていろ、と」
それを聞いた時のエスターの顔は、傑作だった。
実にイヤそうな、苦虫を嚙み潰したような表情でエスターはため息をついた。たとえ王家から百件の縁談を押し付けられたとしても、ここまでではあるまいと思われるほどの渋面に、ラインハルトはいくぶん溜飲を下げた。
「……ユリ様にお会いしたら、喜びのあまり伝言を忘れてしまうかもしれません」
「おまえは伝えるさ」
ニヤニヤしながらラインハルトは言った。
「ユリはきっと、私達の安否を気にかけている。その姿を見れば、私の伝言をなかったことになど、おまえはできぬだろうからな」
そこが甘いのだ、と思ったが、ふと、そうした部分こそが、ユリの心を惹きつけたのかもしれぬ、とラインハルトは思った。
ユリ。異世界の偉大なる魔法使い。自分がこちらの世界に召喚した、あれは私の魔法使いだ。
よく笑って泣いて、怒って照れてと百面相をしていた。一日中見ていても飽きぬだろう。一生傍にいても。
「今はユリの傍には行けぬ。その為、私のいない間のユリの警護をおまえに任せる。よく務めるように」
「言われずとも、私の意思でユリ様をお守りいたします」
憮然とした様子でエスターは言ったが、
「……殿下は素晴らしい主君でいらっしゃいました。この国を魔女から守りきることが出来たのは、偏に殿下の采配とそのお力あってのこと。……殿下にお仕えできたことは、私の一生の誉れです」
「最後まで堅苦しいやつだな」
ラインハルトは苦笑し、ひざまずいたエスターの肩を叩いた。
「もう行け。あまり遅くなると、あれが泣くだろう」
「はい」
エスターは立ち上がり、晴れやかに笑って言った。
「これからは、私がユリ様をお守りいたします」
「精々頑張れよ。私が行くまでな」
「一生です!!」
いささか語気を強めてエスターが言う。同時に、異世界へ転移するための魔法陣が床から浮かび上がった。エスターがそこへ魔力を注ぎ込む。ユリの祈りが届けた、祝福の力を。
エスターに再び会えたら、ユリはどれほど喜ぶだろうか。
あの時、こちらの手を取ることを一瞬ためらい、帰還の光に包まれたユリは、絶望の表情を浮かべていた。
泣き出す寸前の、子どものような顔だった。あんな顔は、二度と見たくない。
あの時と同じように、まばゆい光にエスターも包まれた。と、次の瞬間、どこから現れたのか、光の中に短剣と魔女の使い魔も一緒に、飛び込んでいってしまった。
「え……」
エスターも驚いた表情をしている。が、もう魔法は止められず、エスターと使い魔と短剣は、ともに世界を超えて行ってしまった。
「…………」
あれは大丈夫なのか? とラインハルトは思ったが、ユリの世界には魔力自体が存在しないと聞いた。ならば、使い魔も元の猫の姿に戻るだろうし、短剣も……、あれも中々興味深い存在だったが……、まあユリを主としている以上、それほど大きな問題は起こさぬだろう。多分。
ラインハルトはため息をついた。
自分は、異世界について知らないことが多すぎる。エスターは祖父の影響も大きかったのだろうが、異世界に関しては研究者並みの知見があり、理解も深かった。あちらの世界に行っても大した混乱もなく、すぐに馴染むことができるだろう。
だが、それを指をくわえて見ているつもりは毫もない。
エスターに告げた通り、いつか必ず、自分もユリの元へ行く。王弟としてでも、精霊の加護を受けた魔法使いとしてでもなく、ただのラインハルトとして、ユリの前に立つのだ。
「今度は、私自身の力で、おまえを守ってみせる」
精霊の加護による力でも、王族としての権力でもなく、己の力のみで。
そう呟くと、何やら妙な気配をラインハルトは感じた。暗い地下牢の中に、再び聖なる光が満ちはじめる。
「おい、嘘だろ……」
ラインハルトは若干辟易して言った。精霊の加護を返上したと思ったら、今度はこれか。
――そなたは心強く呪いを跳ね除け、己の力のみで運命に立ち向かうことを選びました。祝福を贈りましょう……
「もう祝福はこりごりなのだが」
ラインハルトはため息をついた。神の祝福と精霊の加護は違う。それはわかっているのだが、どうにも心象がよろしくない。が、
「そういうことなら、まあ、しばらくは利用させてもらうか」
ふん、とラインハルトは鼻を鳴らした。
精霊の加護を失っても、神の祝福を得たとなれば、王家もそう強くは出られまい。うるさい相手を黙らせる手段は、ないよりはあった方がいい。
だが、何もかもが済んだ、その後は。
何もいらない。加護も祝福も、すべて失ってもいい。ユリが祝福の力をすべて自分達のために使ってくれたように、自分の持つすべてを彼女に捧げたい。そうしてユリを守り、幸せにしてやりたいのだ。
それが己の望みだ。
分かるまで、だいぶ時間がかかってしまったが。
ラインハルトは地下牢を後にし、塔から外へ出た。
居館にある円を起動し、王城に戻らねばならない。しばらくは忙しい日々が続くだろう。
だが、いつになく穏やかな心持だった。なすべきことも、己の望みもわかっているからだろうか。
塔の外に出ると、瘴気がだいぶ薄くなっているのがわかった。空までからりと晴れ上がっている。
ラインハルトは足を止め、空を見上げた。その顔には、自分でも意識しない優しい笑みが浮かんでいた。




