60.代償
なんだろう、痛い。右手、すごく痛い。
「う……」
あまりの痛みに寝ていられない。わたしは呻きながら目を開けた。
「ユリ様、気がつかれましたか」
エスターの声に、寝返りを打とうとしたら、
「い……っ!」
鋭い痛みが体の右側に走り、わたしは動きを止めた。
「動かないでください、そのまま」
エスターがわたしの上半身を抱えるようにして、慎重に体を起こしてくれた。口元に緑色の液体の入った木の器を近づけられる。
「痛み止めです。飲んで」
木の器からは青臭い匂いがしたが、この痛みから解放されるなら喜んで飲む。と思ったんだけど、飲み込もうとしたらむせてしまった。
咳き込むだけで、ズキズキと脳天を突き抜ける痛みが走る。わたしは顔をしかめた。この痛みは何なんだ、と思ったところで、ぜんぶ思い出した。
あの瘴気の塊。黒い触手に襲われて、右手を……
恐る恐る右手を確認したら、包帯でぐるぐる巻きにされていた。そのせいなのかどうか、指先を動かせない。神経がやられてないといいんだけど。
「気がついたか」
ラインハルトがわたしの顔を覗き込んだ。
「……あの後、おまえは気を失ったゆえ、ここに結界を張った」
「すみません……、わたし、どれくらい気を失ってました?」
「それほど経っておらん。まだ夕刻前だ」
周囲を見回すと、広々とした平原が広がり、どこからか小川のせせらぎが聞こえてきた。わたし達はすでにユニコーンの園に入っていた。
気を失ったわたしを運んでくれたのか。誰が運んで……って、エスターしかいないよね。重くなかっただろうか。わたしの荷物込みだから、重かっただろうな……。
「ユリ様が謝られるようなことなど、何もありません」
エスターが眉根を寄せて言った。
「私のほうこそ、謝罪しなければ。ユリ様をお守りすると誓ったのに、このようなひどい怪我を……」
「しかしこの怪我は、瘴気の塊によるものではないだろう。鋭利な刃物で傷つけられている。……瘴気の塊が、おまえの短剣を奪ったのか?」
わたしはハッとした。そうだ、短剣!
「エスター、あの短剣なんですけど」
「短剣?」
エスターは首をかしげ、鞘に収めた短剣を差し出した。
「気を失ったあなたのそばに、落ちておりましたが……」
わたしはエスターの差し出した短剣を見た。あの時、赤く光っていた柄頭の宝石は、緑色に戻っている。
ギクシャクと左手を伸ばし、剣の柄を握った。ゆっくりと鞘から引き抜き、刀身を確認すると、
「えっ」
わたしは思わず声を上げた。驚きのあまり、剣を取り落としそうになる。
主のしるしは我が身に刻まれたり――
銘文が変わってる! いつの間に。
「ユリ様?」
「ユリ? どうかしたのか」
怪訝そうな表情の二人に、わたしはしどろもどろに説明した。
瘴気の塊に襲われ、もうダメだと思った時、短剣がひとりでに動いた事、刀身に刻まれた銘文が変わった事を。
「それに、偶然かもしれないんですけど、惑いの泉でもこの短剣のおかげでテニスボール……、対の呪具が見つかったんです」
「ふむ……」
ラインハルトは短剣を手にとり、じっと見つめた。
「初めに見た時も思ったが、この剣には呪力がある。ほんの微かなもので、特に気にするようなこともないと思ったのだが……」
ラインハルトは言葉を切り、ためらうように続けた。
「……だが、その呪力が変化している。明らかに力が増し、その質も変容した。銘文が変わったのはそのためだ。……この剣は、ユリを主に戴き、その力を取り込んだのだ」
「ラインハルト様」
エスターが顔を強張らせて言った。
「その剣は、私の祖父が遺跡から持ち帰ったものです。ユリ様を害するようでしたら、私の責任で破壊いたします」
エスターがそう言ったとたん、短剣から、ヴヴッと威嚇するような音が聞こえた。
「ウソ、なんですかその剣。いま、明らかに何か……」
「……この剣は生きている。そして己の意思もあるようだ。ある種の魔獣……、いや、魔物か」
ラインハルトはため息をつき、わたしを見た。
「どうする、ユリ。……この剣は魔物だが、恐らくおまえを主と認めたのだ。話を聞いた限りでは、おまえを守ろうとしているようだ。……が、その代償が問題だな」
「だ、代償……?」
「おまえの血、もしくは苦痛か。そんなところだろうな」
…………。ちょっと、そんなところって。
「ユリ様、ご命令いただければこの剣を破壊いたします」
エスターの言葉に、短剣が再びヴヴッと騒いだ。
「いや、破壊って……、だってこれ、い、生きてるって……」
何か装飾過剰なだけじゃなく、禍々しさまでプラスされてしまった短剣だけど、生きてるとか言われたら……、いやでも側には置きたくないけど……。
逡巡するわたしを見て、ラインハルトがため息をついた。
「……おまえは、よくよく変わり者に好かれるたちのようだな」
ちょっと! 人を変質者ホイホイみたいに言うの、やめてください!




