41.異世界へ行くということ
その後も何度か魔獣と遭遇したけれど、エスターとラインハルトが危なげなく退治してくれた。わたしは戦闘が終わったら、テニスラケットでちゃちゃっと黒い靄を祓い、エスターを叩くだけだ。体力仕事は、何一つしていない。
それなのに、お昼頃には私はくたくたに疲れてしまった。
「この辺りで休憩をとるか」
ラインハルトが広げてくれた敷物に、私は崩れるように腰を下ろした。できればこのまま、寝転がってしまいたいくらいだ。
二人はまったく疲れた様子もなく、エスターに至っては「昼食用に何か獲ってきます」と駆け出して行った。
魔獣とか大丈夫なのかな、と心配になったけど、先ほどまでの魔獣の分布具合からして、それほど危険な魔物は、ここら辺にはいないらしい。
それでもソワソワして周囲を見回していると、
「わかりやすいヤツだな」
ラインハルトが不機嫌そうに言った。
「そんなにエスターが気になるか」
「それは……」
わたしは口ごもり、うつむいた。
「怪我とかしたら、一人じゃ大変じゃないですか。ここは魔の森なんでしょう? 何があるかわからないって、そう聞いてるし」
「ハッ」
ラインハルトはどこか力なく笑った。
「おまえ達の問題に、首を突っ込む気はないがな。だが、感情のもつれが戦闘に影響を及ぼすようでは困る。その点は気をつけろ」
「……ハイ……」
わたしは小さな声で返事をした。
ラインハルトは、どこまで気づいているんだろう。
わたしはラインハルトの表情を伺った。憮然としているように見えるが、怒っている様子はない。
わたしはおずおずと言った。
「あの、教えてほしいんですけど」
「なんだ」
「えーと、あの、例えばの話なんですけど。あくまで例えの話であって、決まった話ではないんですけど」
「さっさと言え」
わたしは目をつぶり、一気に言った。
「あの、わたしが元の世界に帰る時、エスターにも一緒に来てもらうって可能なんでしょうか!?」
……森の中の空気が凍った、ような気がする。
「は? なんだと?」
「いやあくまで例えの話です、例えの!」
「そう決めたのか、エスターと共に元の世界へ戻ると?」
わたしはラインハルトから視線をそらし、もごもごと言った。
「それは……、だから、そういう事は可能なのかなって思っただけで」
「……理論上は可能だ」
ラインハルトが低く言った。
だが、続く言葉に、わたしは冷水を浴びせられたような気がした。
「しかし、今までそのような魔法を行使した記録はない。少なくとも、私の知る限りではない。理論上は、おまえという座標軸があれば、可能だろうと思うが……」
ラインハルトはため息をついた。
「だがその魔法は、もし失敗すれば取返しがつかぬ。おまえの世界は魔法がない世界だと言ったな。魔法のない世界で、時間も場所もおまえから大きく隔たったところへエスターが飛ばされてしまえば、それを正す術はない」
わたしは息を飲んだ。
時間も場所も大きく隔たった場所……。一年や二年なら、何とかなるかもしれない。場所だって、戦争のない平和な国なら。
でも、もし十年も二十年も未来、もしくは過去に飛ばされてしまったら。場所も紛争地帯や氷原だったら、生き延びること自体が難しくなる。
「おまえは……、おまえも望んだのか。エスターとともに帰ることを」
わたしは力なくうなだれ、首を振った。
「……いいえ。そんなこと……、望んでません。わたしは、一人で帰ります」
無理なんだ。エスターと一緒に帰るなんて、そもそも不可能なんだ。
理論上は可能といっても、時間や場所がズレる危険性がある。そんな恐ろしいリスクを冒してまで、エスターを連れていくことなんてできない。
何より、わたしのせいでエスターが死んでしまうかもしれないなんて。
わたしは唇を噛みしめ、泣くのをこらえた。
エスターと会えなくなると思うと、刺されたように胸が痛んだ。
一緒に帰るつもりなんてなかったはずなのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
「お待たせいたしました。アカウサギを獲りましたので……、ユリ様?」
エスターが茂みをかき分けて現れた。
手には兎に似た獣を何頭か持っている。
「ユリ様、どうかなさいましたか?」
とっさに顔を背けたわたしに、エスターが訝しげに言った。
「何でもないです。少し疲れただけで」
「……そうなのですか?」
エスターがラインハルトに視線を向けた。
ラインハルトは肩をすくめ、エスターに言った。
「いいから、調理にかかろう。早く調理せねば、日が暮れるぞ」




