40.ハティスの森
「どうしたユリ。何か気がかりなことでもあるのか」
ラインハルトがわたしに声をかけた。
「いえ、そうじゃないんですけど」
わたしは口に入れた花飴を転がしながら答えた。
神殿を出る時、ルーファスが餞別にと、たくさん花飴や果物の飴がけを持たせてくれたのだ。わたしの荷物袋に入りきらないほどたくさんの量で、ラインハルトが呆れていた。
「なんか、わたしの神託なんですけど、どういうことなのかと思って」
「おまえの神託?」
ラインハルトが怪訝な表情になった。
「呪われた騎士とは、私のことでしょう。私の呪いを解けということなのでは?」
エスターが言ったが、
「いえ、神託は“呪われた騎士を救いなさい”でした。呪いを解け、ではなく、騎士を救え、と言ったんです」
「どちらも同じようなものではないのか?」
ラインハルトがちらりとエスターを見やった。
「呪いが解ければ、騎士は救われるだろう。そういう意味ではないのか?」
うーん。そうなのかな。
ラインハルトもエスターも、神託について特に思うところはないらしい。さっきも思ったけど、異世界での神託は、わたしの世界でのおみくじ的扱いなのかもしれない。
神殿を出てしばらく歩くと、結界についた。
以前は市街地から結界を越えたが、神殿側からのほうがハティスの森に近いらしい。
結界を越える前から、エスターが魔獣除けの香を焚いた。木の柵の上に魔獣除けの香を入れた入れ物を置く。
「風向きからして、こちらに香を置いておけば、弱い魔獣は出没しないでしょう」
「森に入れば意味はないがな」
ラインハルトが身も蓋もないことを言いつつ、結界を越えた。
「ユリ様」
エスターがわたしを振り返っていった。
「ここからは、ユリ様はわたしの後ろについて下さい。決して離れないように。私に何かあれば、ラインハルト様が指示を出されます。必ずそれに従って下さい。よろしいですね?」
ひどく真剣な表情のエスターに、わたしもコクコクと頷いた。
「……ユリ、わかっているのか?」
ラインハルトが疑わしそうに言った。
「エスターが言っているのは、最悪の場合、エスターを置き去りにすることもありうるという話だぞ」
ラインハルトの言葉に、わたしは凍りついた。
「エスターは今回、盾役となる。その盾が破られれば、私達は逃げるしかない。留まっても犠牲が増えるだけと判断すれば、エスターを見殺しにせねばならん。……わかったか?」
ラインハルトが確認するように言ったけど、わたしは頷けなかった。
もしもの場合は、エスターを置き去りに、って……。いや、無理、無理だ。そんなこと、とても出来ない。
「やはりな」
ラインハルトがため息をついた。
「おまえには覚悟がない」
「そんな覚悟、無理です……」
うなだれるわたしに、何故かエスターが嬉しそうに言った。
「ユリ様、大丈夫です。そのような事態に陥らぬよう、全力を尽くしますので」
はい、是非そうしてください……。
平地はすぐに終わり、鬱蒼と草木の生い茂る森の中へ、わたし達は足を踏み入れた。
木はそれほど多くないが、蔦や草が地面を覆い隠し、歩きづらい。
「ユリ様、足元に気をつけてください」
エスターが差し出した手につかまり、わたしはへっぴり腰で足を進めた。
草木で隠れた地面は岩だらけで、気を抜くと転びそうだ。歩くだけで体力を消耗する。
「ユリ様、お下がりください」
ふいにエスターが言い、わたしを後ろに押しやった。
以前、結界から出た時のことを思い出し、わたしは逆らわず、素早くラインハルトとともに後ろへ引いた。
ガサッと枝を揺らす音がしたと思うと、エスターの前に猿のような獣が何頭か落ちてきた。
「キノザルだ」
ラインハルトが短く言い、杖を構えた。
「エスター、こやつらは集団で襲ってくる。前は頼んだぞ」
「御意! ユリ様、そこから動かないで下さい!」
エスターは言うなり、キノザルという獣に向かって剣を振るった。それと同時に、背後にもバサバサッと何かが落ちてくる音がする。
ラインハルトが素早く杖を振った。
『炎の刃』
詠唱とともに小さな炎がいくつも杖から放たれ、キノザルに向かって飛んでいった。
キノザルはすばしっこく動き回ったけど、炎はキノザルの集団を追い回し、ついには円のように繋がり、キノザルをその中に閉じ込めた。
「よし、こっちは終わりだ」
ラインハルトは満足そうに頷き、エスターに視線を向けた。
エスターも前方のキノザルの集団をほぼ退治し終えており、血まみれの剣をさっと軽く振った。血も死骸も、あっと言う間に黒い靄のようなものに変化していく。
「こちらも終わりですね。……ユリ様、瘴気を祓えますか?」
エスターの声に、わたしはハッと我に返った。
慌てて黒い靄に近づき、テニスラケットでぱたぱたと叩く。靄は、小さな火花を散らして消えていった。
エスターにも声をかけ、軽く肩を叩くと、ふわっとピンクの靄がたった。こちらの靄も、金色の火花とともに消えてゆく。
「……何度見ても信じられんな」
ラインハルトが感慨深そうにつぶやく。
わたしも頷いた。
「エスターもラインハルトも、すごかったです……」
ラインハルトが呆れたような目でわたしを見た。
「私が言ったのは、瘴気を祓うおまえの魔法のことだ」
「まことに」
エスターが頷いて言った。
「跡形もなく瘴気が消えてしまうなど、この目で見なければとても信じられぬことです。私の呪いのことも。……ユリ様、ありがとうございます」
エスターが深々とわたしに頭を下げた。
いや、魔獣を倒してくれたのはエスターとラインハルトで、わたしは後ろで立ってただけなんですけど。
お礼を言われると、申し訳ないというか、なんか立つ瀬がない……。




