4.どう見てもトラです
「ユリ様、帰還の儀をおこなう部屋へご案内いたします」
しかしその後、エスターは特に何も言うことなく、わたしを昨日現れた広間へと連れていってくれた。後ろから、不機嫌そうなラインハルトもついてくる。テニスラケットを抱えて廊下を歩くわたしを、すれ違いざまに皆、二度見するんですが。
「……あのー、わたし、帰ってもいいんでしょうか?」
後ろを歩くラインハルトは、あからさまに不満げな様子だ。わたしを元の世界に戻すことに反対なのかもしれない。
わたしの言葉に、エスターは小さく笑った。
「こちらに残って下さいと無理を申しても、ユリ様を困らせるだけでしょう」
まあ、その通りなんですが。
「おい、異世界の魔法使い」
ラインハルトが後ろからわたしに声をかけた。
「こちらに残れと命令すれば、そなたは残るか? 褒美もとらせるが」
「いや、帰りますけど」
間髪入れず答えるわたしに、ラインハルトは顔をしかめた。
「この私が、魔力を限界まで使って召喚したというのに……」
ブツブツ言われたけど、知らんがな。こっちは念願の第一希望の大学に入学したばっかりなんですから。
すると、エスターがラインハルトをたしなめるように言った。
「……もともと、こちらの事情とは何の関わりもない方を、無理やり異世界から召喚すること自体、間違いだったのです。こちらの世界の問題は、こちらの世界の人間で解決すべきです」
おお、正論!
わたしは感心してエスターを見た。
さすが騎士様。
その正論で一番損をするのは自分自身だというのに、清廉潔白を絵に描いたような人だ。
ラインハルトは舌打ちしたけど、エスターに反論しようとはしなかった。もともとわたしを召喚したのも、自分の身代わりに呪いをうけたエスターを助けようとしたためだし、根は悪い人ではないのかも。まだ子どもだしね。
見覚えのある広間に着くと、そこには昨日見た、お揃い黒ずくめ集団が既に集合していた。
「エスター殿、ラインハルト殿下も」
その中の一人が、足早にわたし達に近づき、言った。
「殿下、エスター殿にかけられた呪いが、残ったままというのはまことですか。それならばエスター殿は……」
「その話は後だ。まずはユリ様を元の世界へ」
「しかし」
魔法使いは何か言いたげにわたしを見たが、重ねてエスターが促すと、諦めたように口を閉じた。
「ユリ様、こちらへ」
エスターに手を取られ、部屋の中央へと導かれた。
「ユリ様には、誠にご迷惑をおかけいたしました。このような事態でなければ、正式に謝罪すべきところですが」
「あ、いえいえ」
わたしは慌てて首を横に振った。
「気にしないでください。えーっと、その、魔法が使えたりして、わたしも楽しかった……、ような気もしますし……」
もごもご口ごもるわたしに、エスターが優しく微笑んだ。
なんかなんか……、何故か罪悪感を覚えるのですが……。
帰るのは当然というか、そもそも自分の意思を無視した形で連れてこられたんだから、こっちの世界がどうなろうと知ったこっちゃない、んだけど……。
魔法使いの一人に指示され、床に描かれた金色の円の中央にわたしは足を踏み入れた。円の中には不思議な美しい文様が描かれている。
ラインハルトはむっつりと口をつぐんだまま、杖で円をコツコツと叩いた。ラインハルトが杖で触れた部分がほのかに発光しはじめる。
「ユリ様、お元気で」
エスターが深々と頭を下げた。
何故か申し訳ない気持ちになり、わたしも頭を下げた。
なんかなんか、すみません。頑張ってください、と心の中でつぶやいた瞬間、
パアッと足元の円がまばゆい光を放った。
こちらの世界に連れてこられた時とまったく同じ、不思議な光に包み込まれる。ああ帰るんだなあ、と思ったのだが、
「まずい、離れろ!」
「ユリ様!」
怒号とともにエスターに腕を引っ張られ、わたしは光を放つ円の中から、強制的に引っ張り出された。
すると次の瞬間、さっきまでわたしが立っていた場所に、突如として巨大な黒トラが出現した。
「えっ!? なに、なんでトラが……!?」
わたしが驚いて叫ぶと、
「ユリ様!」
エスターが慌てたようにわたしの口を手でふさいだ。
「その単語を口にしてはなりませぬ!」
え?
わたしは呆気にとられてエスターを見上げた。
「え、単語って、え、何ですか? トラ「ユリ様!」
わたしの言葉をさえぎるように、エスターが大声を上げる。
が、まるでわたしの言葉に反応するように、光り輝く円の中央に出現した黒トラが、凄まじい咆哮を上げた。
にぎゃああああああ! という黒トラの絶叫に、エスターおよびラインハルト、魔法使い集団が、明らかに怯んでいる。
「エ、エスター……、あの黒ト、……生物は、いったい」
「魔女の使い魔の、黒猫です」
エスターが断言したが、しかし。
「いや、猫って。どう見てもト「猫だ!」「猫です!」
エスターのみならず、ラインハルトと魔法使い集団がそろって叫んだ。
わたしはその迫力に押され、口をつぐんだ。
目の前に現れた巨大な黒い生き物を、もう一度、じっくりと観察してみる。
「あのー、どう見てもト「猫です!!」「猫だ!!」
エスターおよびラインハルト、魔法使い集団がふたたび叫んだ。
黒い謎の巨大生物は、わたし達を睨み、フーッと毛を逆立てた。
まるでわたし達のやりとりを理解し、腹を立てているような態度だ。
いや、そこどいてくれないと、わたし、帰れないんですけど。
魔女の黒トラ……か、猫か、そこは置いておいて、わたしの帰還はどうなってしまうのでしょうか……。




