閑話 プレゼント(エスター視点)
「エスター、いつもありがとうございます! これ、お礼です!」
護身術の訓練のため、エスターがユリの部屋を訪れると、満面の笑みでユリから花束を渡された。
「えっ……」
エスターは花束を受け取り、固まった。
「あ、ありがとうございます」
身に付いた習慣から、エスターは反射的にひざまずいた。
「ユリ様から贈り物をいただくなど、身に余る栄誉にございます」
謝辞を述べながら、エスターは混乱する頭で必死に考えた。
花束。ユリ様から、花束を……。
私から贈ろうと思っていたのに、なぜユリ様から私に花を?
通常、花は男性側から贈るものでは? いや異世界では逆なのか? 文献にそのような記述はなかったと思うが、見過ごしていたのだろうか。
混乱しながらも、手にした花束に目を落とす。
どこかで見た記憶のある、素朴な花だ。香りも覚えがあるような気がする。どこで見たのだろう……と考えていると、
「それ、痛み止めのフェリルです! あと、傷薬に使うレネットと、ティーナンと……」
嬉しそうに説明するユリに、エスターは動きを止めた。
痛み止め……、傷薬……。
もう一度、よくよく花束を見てみる。
見覚えがあるのも当然だ。これは花束ではなく、薬草。子どもの頃、よく祖父と一緒に採取したものもある。
「エスターは騎士だから、怪我に効くような薬草がいいかなって思ったんです」
にこにこと告げるユリ。
エスターは、薬草とユリを交互に見つめた。
ユリ様は、私のためにこの薬草を採取してくださったのか。
私のことを思って、この薬草を……。
エスターはひざまずいたまま、ふたたび頭を下げた。
「ありがとうございます。私のために、このような……」
なんと言えばいいのか、言葉が見つからない。
胸がわきたつような喜びに、そわそわと落ち着かぬ心地がする。
立ち上がって、思い切りユリを抱きしめて喜びを伝えたい。そんなことを思う自分に、エスターはうろたえた。
「こちらの薬草は防腐魔法をかけ、家宝とさせていただきます」
「いや待って、使ってください」
慌てたようなユリに、エスターは微笑みかけた。
「本当にありがとうございます、ユリ様。……嬉しいです」
「え」
ユリはエスターと目が合うと、頬を紅潮させて視線を逸らした。
「いや、その、あんまり珍しい薬草じゃないんでアレなんですけど。エスターにはいつもお世話になっているから、何かお返しがしたくて」
「ユリ様」
エスターは立ち上がり、ユリの手をとった。
白く柔らかい手だ。この手で私のために……と思うと、強い酒を飲んだ時のように、全身がかっと燃え立つような気がした。
「ありがとうございます、ユリ様」
手にした細い指先に口づけると、ぴくりと手が震えた。
目を上げると、ユリが真っ赤な顔で困ったようにこちらを見ている。
もっと困らせたいような、抱きしめて何からも守ってやりたいような、自分でもよくわからぬ衝動に胸がかき乱された。
「ユリ様……」
近づき、ユリの瞳をのぞき込む。
ユリは泣きそうに目を潤ませ、うろうろと視線をさまよわせた。
あの瞳に自分の姿を映したい。こぼれ落ちそうな涙を舐めたい。
もう一歩、近づこうとしたエスターに、
「まあエスター様お迎えありがとうございますさあこちらに座ってお茶でもどうぞ!」
侍女アリーがまくし立てながら、手にしたトレイでぐぐっとエスターを後ろに押しやった。
「あらユリ様、御髪が乱れておりますわ。結い直しましょう。さ、こちらへ」
あっという間にユリをさらわれ、エスターは呆然と立ちすくんだ。
アリーはエスターをうろんげに見やると、ユリを抱きかかえるようにして奥の部屋に消えてしまった。
エスターはふらふらと小卓に手をつき、崩れるように椅子に座り込んだ。
……私はいま、何をしようとしていたのだろう。
侍女が邪魔をしなければ、私はいったい……。
エスターは手にした薬草の束に火照った頬を押し付けた。薬草から、嗅ぎ慣れた傷薬の匂いがする。
「なんということを……」
エスターは低く呻き、テーブルに突っ伏した。
保護対象であるユリ様に、恥ずべき振る舞いをするところだった。呪いが発動したわけでもないのに、いったい自分はどうしてしまったのだろう。騎士の風上にも置けぬ。
将来を誓った交際相手、婚約者などであればまた別であろうが……と考えて、慌てて頭を振った。
そのようなことはあり得ない。異世界の偉大な魔法使いが、こちらの世界の者と結ばれるなど。……いや待て、たしか文献では……。
エスターは考え込んだ。
過去、異世界召喚された人間がこちらの世界の者と結ばれたケースも、珍しいが何件かあったはずだ。だいたいがその国の王家に取り込まれるような形ではあったが、おおむね幸せにその生涯を終えたようだ。
王家か、とエスターはため息をついた。
最近、何かと身辺が騒がしくなってきている。王家筋との縁談をいくつも持ち込まれ、断ると暗殺者が送り込まれてくる。いつもの話だが、最近はやけに多い。
恐らくユリの側に自分がいるのを不安視されているのだろう。自分は王家の血を引いてはいるが、それを公にはできない。継承権を持たぬ厄介者だ。騎士団との繋がりも、叛乱を危惧される要因の一つになっている。
この際、己の立ち位置を明らかにすべきなのかもしれない。
もともと自分は、王家に忠誠を誓いながらも飼い殺しの身となるのを拒み、騎士になったという王家の頭痛の種だ。
たまたま魔女の封印に関わったため、己の名は国の内外に知れ渡ってしまった。ラインハルトともども英雄として名前だけが独り歩きし、王家も扱いに困っているのだろう。
これまでは、自分を取り込もうとする王家の思惑がわずらわしく、縁談から逃げ回っていた。自分はただ魔獣を討伐したいだけなのに、なぜ放っておいてくれぬのかと苦々しく思っていた。
しかし、今は違う。王家筋との縁談を断る理由が変化している。王家の人間だから嫌なのではない。誰であっても嫌なのだ。ユリ以外は。
自分の気持ちが、ようやくはっきりとわかった。
「エスター様、ユリ様のお仕度が整いましたが」
侍女の言葉に、エスターは我に返った。
「エスター? どうかしました?」
恥ずかしそうに問いかけるユリを、エスターはじっと見つめた。
余計なことを考えるべきではない。
ユリ様を元の世界に戻す。それだけを考え、行動すべきなのだ。
それなのに、身体の熱が引かない。ユリから目を離せない。
いっそ、この気持ちを明らかにしてしまおうか、とエスターは思った。
求愛してもユリにはわからぬかもしれない。異世界とこちらでは、求愛の様式も異なっているようだ。恐らくこちらのやり方で気持ちを示しても、ユリには伝わらぬだろう。
だが、それでいい。いずれユリは元の世界に帰ってしまうのだ。こちらの気持ちなど、知らぬままのほうがいい。王家の思惑も、自分の勝手な思いも、何も知らぬままのほうが。
そう思いながらも、何故か苦しかった。知られぬほうがいいはずなのに、ユリが何も知らぬまま元の世界に帰ってしまうと思うと、鉛を飲んだように胸が重くなった。
たとえ応えてくれなくともかまわない。自分の気持ちを知ってほしいと思ってしまう。
自分は一体、どうすべきなのか。
手にした薬草の束に目を落とし、エスターはため息をついた。




