閑話 初恋の喜び(エスター視点)
「エスター様、おはようございます。……ユリ様はまだお休みですが」
言外に、訪問には早すぎる時刻であることを侍女に咎められ、エスターは頭を下げた。
「申し訳ありません、すぐ失礼いたします。これを持ってきただけですので」
真っ赤に熟れたチャルテが鈴なりに実をつけた枝を差し出すと、侍女が目をみはった。
「あら、チャルテですか、珍しいですわね。王都ではなかなか手に入りませんのに」
「ハティスの森の入り口で見つけました。……その、ユリ様はチャルテの飲み物をお気に召したようですので、こちらもお口に合うのではと」
チャルテの実は甘く濃厚な味が人気の果物だが、王都周辺では栽培できず日持ちもしないため、もっぱら乾燥して粉にしたものを水に溶き、飲み物として楽しむのが主流だ。疲労回復にも効果があるため、軍では自腹で購入する者も多い。
ユリに差し入れたところ気に入ってもらえたと聞いたため、ハティスの森でこれを見つけた時、迷わず持ち帰ってきたのだ。
「珍しいものをありがとうございます、エスター様。きっとユリ様もお喜びになりますわ」
侍女の言葉に、喜ぶユリの顔が目に浮かんだ。
甘いチャルテに目を輝かせ、美味しいと笑うユリ。その姿を思うと、浮き立つような心持ちになる。たとえ魔獣に襲われても、何度でもハティスの森へ行き、チャルテを取ってきたいと思う。
ユリの部屋を辞し、騎士団の寮へと戻りながら、エスターはユリのことを考えた。
本当はチャルテの実ではなく、髪紐をユリに贈るつもりだった。それをすんでのところで思いとどまったのだ。
女性にアクセサリーを贈るのは求愛ととられる可能性が高い、と友人に指摘されたからだ。
「特におまえみたいな、今まで浮いた話ひとつない男からだと、あっという間に噂になるぞ。色合わせも問題になるから、気をつけろよ」
心配そうなオーエンの言葉に、エスターは首を傾げた。
オーエンとは貴族学院からの付き合いだが、彼は自分と違って女性のあしらいが上手い。王妃の遠縁にあたる令嬢と恋愛結婚を果たしただけあって、こうした問題には全般的に信が置ける。
「色合わせ?」
「……どんなのを買ったんだ? 見せてみろ」
エスターは不安な気持ちで、購入したばかりの箱をオーエンに渡した。貴族街にある老舗で買い求めたから、質が悪いということはないはずだが。
だが、箱を開けたオーエンは絶句してエスターを見た。
「……何か問題だったか?」
「いや、何かっておまえ……」
箱に入っていたのは、緑色の髪紐だった。端に飾り玉として黄みがかった煙水晶が何個かあしらわれている。
きっとユリ様の髪に合うだろう、とエスターは小さく微笑んだ。
いつもユリは黒いレースのリボンで髪を結っているが、黒より緑色のほうがユリに似合う。煙水晶もユリの髪をより艶やかに見せるだろう。
だが、
「これはダメだ」
にべにもなくオーエンに却下され、エスターは戸惑った。
「……何故だ? ユリ様にはこの色のほうが……」
「似合う、似合わぬの問題ではない」
オーエンは頭痛をこらえているような表情で言った。
「これは、おまえの髪と瞳の色だ。……こんなのを贈ったら、間違いなく相手に誤解されるぞ」
「誤解」
「交際を申し込んでいると思われる」
「こっ」
エスターは思わずむせた。
「そんなつもりでは」
「わかってる、だから問題なんだ」
オーエンは噛んで含めるように言った。
「おまえに他意はなくとも、贈り主の髪と瞳の色をしたアクセサリーは、求愛のしるしと受け取られる。……まあ、異世界人ならばどうかわからんが、周囲はそうとるだろう」
エスターは真っ赤になって視線をさまよわせた。
緑の紐と黄みがかった煙水晶。考えてみれば、オーエンの言う通り自分の瞳と髪の色だ。女性に贈ると言ったら、店側がこの組み合わせを提案し、自分も特に疑問に思うことなく承知してしまった。ユリが喜ぶかどうかばかりを気にして、他のことに頭が回らなかったのだ。
だが、やはりこの色のほうがユリに似合うと思う。それに、
「……それを言うなら、いまユリ様はラインハルト殿下の髪と同じ色のリボンをお使いだ。それよりは、私の色にしたほうが問題ないだろう」
ぼそぼそと反論するエスターに、オーエンは呆れた表情になった。
「それはユリ様自身が選ばれたのだとアリーが言っていたぞ。赤や緑など、とりどりの色をそろえてお出ししたが、これがいいとユリ様が選ばれたのだと。それを殿下が不快に思われたのなら話は別だが、そのようなこともない。ユリ様にそれを使うなと強要する権利は、おまえにはなかろう」
「強要するつもりでは……」
アリーはユリの侍女であり、オーエンの新妻だ。オーエンの「アリーが言っていた」には断固たる信頼が込められており、反論できない。
何より、「ユリが選んだ」という言葉にエスターは衝撃を受けていた。
それではユリ様は、緑より黒のほうがお好きなのだろうか。
私より、ラインハルト殿下を思い起こさせる色のほうが。
たしかに殿下は素晴らしい魔法騎士であり、この国の王弟でもある。私など、足元にも及ばぬ存在だ。考えるまでもない話なのだが、なぜか胸が痛い。
うなだれるエスターを慰めるように、オーエンが言った。
「装飾品はいったん忘れろ。それより、消えもののほうがいい。贈られても負担に思わぬ、花や菓子などがよいだろう」
そう言われ、今回はたまたま見つけたチャルテの実を贈ったが、花でもよかったかもしれない。ユリは花も好きなようだから。
――こんな素敵な魔法が使えたんですね!
舞い散る花びらの中、ユリは子どものように歓声をあげ、喜んでいた。
なんの思惑もない、素直な喜びを映した美しい瞳に、胸を射抜かれたような気がした。
あの時のことを思い出すと、どこかふわふわするような、落ち着かない気持ちになる。
異世界の偉大な魔法使いであるユリ。
ユリがこちらの世界に召喚されたのは、自分のせいだ。だからユリが元の世界に戻るまで、その世話を見るのは当然のことである。
だが、たとえそうした事情がなくとも、ユリの為に尽くすこと自体が喜びとなりつつある。
あの方のお役に立ちたい。喜んでもらいたい。
自分の使った魔法を喜んでくれた時のように、あの幸せそうなユリの笑顔を見るためなら、どんなことでもできるような気がした。




