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リサイクル  作者: Uta
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 例年になく寒かった今年の冬も過ぎ、先週の終わりからすっかり暖かくなっていた。僕の知らぬ間に、とうに季節は境界値を過ぎ、それまでとは明確に違う独特の快さを孕んでいた。

 コンビニに着くなり、おにぎりを二、三個買ってすぐに店を出た。街路樹を三つ、四つ越えたあたりでリョウスケからLINEが来ていた。

『今日のスタジオ練18時でいい?』

『終わったあとメシでも行こうぜ』

 今日スタジオの日だっけ? 自堕落な日々のせいで日付感覚もすっかり無くなっていた。まあ、特に予定もないから大丈夫なんだけど。歩きながら手っ取り早く返信を済ませよう。

『いいよ、全然。予約ありがとな』

 すぐに返信が来た。

『おっけー、じゃあまたな』

 短い会話が終わったのを確認して前を向きなおしたその時、ふと足が止まってしまった。僕のマンションの入口にやたらと背の高い女性が立っているのだ。一七〇…、いや、ヒールも相まって一八〇センチはありそうだ。顔の皺や肌を見るに、四十歳前後だろう。涼しくなったとはいえ、黒のパンツスーツの中にグレーのセーターを着込み、うっすらと笑みを浮かべて立っている。長身痩躯に季節外れな格好、微笑み。更にスーツに着けられた真っ白なダイヤのバッチが異様に目を引いた。あまりにも奇妙なその女性に、つい立ち止まり、呆然としてしまった。

 女性はこちらに気づくと、口角を更に持ち上げて、僕の方に近づいて来た。

「甘木様でございますか?K大学三年生の。」

 その女性は僕の名前を口にした。大学の人だろうか。それとも水道関係?宗教の勧誘?刹那にあらゆる思考が頭をよぎる。

「ああ、そうですけど…」

 すると女性はさも嬉しそうな表情で話し始めた。

「あら、ちょうど良かったですわ。本日は甘木様にお話があって参りました。私、ホワイトメモリーズの北野と申します。少しばかり、お時間よろしいですか?」

 そう言って女性は名刺を差し出した。ホワイトメモリーズ?聞いたことの無い会社だな。どういった会社なのだろう。

「宗教とかビジネスとかの勧誘みたいなやつ? 僕学生なんでそういうのは…」

「あら、ごめんなさい。怪しいものではないんです。少しお時間いただければ一からご説明差し上げますわ。今日はお話だけで、すぐに帰りますし。」

 怪しいことは怪しいし、正直不安もある。だが、どういう訳か少し話を聞いてみてもいいような気がしてきた。何か不都合があれば、お引き取り願えばいい。

「分かった。ちょっと部屋片付けてくるから待ってて。」

 そう言って僕は一旦部屋に戻った。


「ありがとうございます。さて、早速ですが、私どもの会社についてご説明申し上げますわ。」

 お茶を出すなり、北野はおもむろに話し始めた。

「甘木様は、『思い出』についてどう思われます?」

 突然哲学めいたことを尋ねられ、困惑してしまった。

「どう、と言われても。誰しも持っているものだとは思うけど…」

「そう、人は生きている限り何がしかの思い出を持っているものです。卒業式。家族旅行。デート。思い出とは轍。貴方の通って来た足跡なのです。」

「ただし人によって思い出の質や量は様々。良い思い出をたくさん抱えて幸せに生きている人も居れば、辛い思い出に苦しみ続ける人もいらっしゃいます。」

 北野はふと、右方に目線を遣った。

「甘木様は本がお好きなようですね。漫画に小説、実学書。実に様々な本をお持ちでいらっしゃいます。」

「古本屋に行くのが趣味で。読んでない本もたくさんあるけど。」

「その本も、誰かが書き、誰かが読み、巡り巡って甘木様の元にあるのです。私どもの仕事はそのようなものです。言うなれば、思い出のリサイクルショップです。」

「思い出のリサイクルショップ…」

 思考の整理が追いつかないが、北野はまた話し始めた。

「左様でございます。私どもはお客様から思い出を買い取り、修繕、調整をしてまた別のお客様に買い取っていただく事業を行っております。思い出をお売りいただいたお客様には、当然それなりの対価をお支払いするようになっております。古い思い出と訣別し、獲得した資金で更なる別の思い出を作っていただくシステムでございます。ダイヤとは富の象徴。このバッチのごとく、お客様に真っ新なお気持ちで今を生きていただくため、富を提供するのが私どもの務めでございます。」

 北野は胸元の白いダイヤのバッチに触れ、ニッコリと笑った。

「でも、本や家具ならまだしも、会ったことのない誰かの思い出なんて誰が買うんだよ。」

「甘木様はまだお若いからその必要もございませんでしょう。しかし世の中には、『若い時にこうしておけば』、『こんな人生を送ってみたかった』など、星の数ほどの後悔や羨望、嫉妬が存在しているのです。我武者羅に金を稼ぎ、歳を重ね、残った物は老いと財産、という方も居れば、生まれつき身体を動かすことも出来ず、どこへも行けず寝たきりで過ごす人もいるのです。そんな方に、誰かの思い出をお譲りして、心を満たしていただく。それが我々の誇る仕事なのでございます。勿論、その人が本当にその思い出を体験したように、我々が手を加えることが不可欠ですが。」

「もしそんなことが出来るんだったら、誰かから買い取らなくても、映画みたいに勝手に思い出を作って売ってしまえばいいじゃないか。」

「あら、鋭いご指摘です。甘木様。しかし我々とて、無から有を作り出すことは出来兼ねるのです。まあその辺は企業秘密なので詳しい話は出来ないんですけれども。とにかく元となるデータがなければ、商品を生み出すことは出来ないのです。」

 データ、商品。なんとも血の通わない言い回しだ。この人達にとって、人の思い出だとか、記憶だとかはその程度のものでしかないのだろう。この北野の笑顔にどこか不気味さを感じるのは、その奥にある冷たさのせいなのかもしれない。

 そもそも思い出なんて形のないものどこにどう保存しておくんだ? どうやって手を加えるのか? どうやって値段をつけるんだろう?

「まあ、ともかく、気が向いたらこちらの電話番号にご連絡下さい。悪いようには致しませんわ。」

 そう言うと北野は僕に名刺とA4サイズの封筒を渡した。それから、本日はお邪魔しました、と言い、立ち上がった。玄関先で深々と一礼をすると、ドアを開け、コツ、コツと床を鳴らし、去っていった。

 なんだか終始呆気に取られてしまった。北野の方も、僕の頭がパンクしつつあるのを感じ取り、これ以上話が進まないと判断したのかもしれない。

 漫画みたいな話、とはよく聞く表現だが、徹頭徹尾フィクションを貫いた話ならばまだ理解が容易いのではないか。あくまで保険の営業にでも来たかのような彼女のスタンス、ビジネスライクな話ぶり、名刺、封筒。フィクションの中に散りばめられたリアルが、僕の思考回路を巧妙に狂わせる。

「思い出を買い取る…」

 僕は横になり、北野の名刺と封筒を眺めた。もはや昼食にしようという気にはならなかった。よく飲み込めない営業話を、胃にまで詰められたように食欲が湧かなかった。

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