脳裏に焼き付いて離れない記憶がある。
あの日16歳の僕は、海沿いの駅のベンチに座り、都会に向かう電車を待っていた。イヤホンを耳をはめ、ギターを脇に置いてぼんやりと遠くを眺めていた。潮の香りに少し、春の匂いが混じっている気がした。小さな田舎町で、自分以外の時間が止まってしまったような感覚に浸っていた。
やがて、反対方向の山奥へ向かう電車がやってきた。半分青い色をした二両編成。停止線に頭を揃えるように、ゆっくりと止まった。ドアが開くと、1人の少女が電車を降りた。長い黒髪が海に反射した光を集めるように、キラキラと光っていた。
不思議な事に、その少女は改札に向かおうとはしなかった。僕の2つ隣のベンチに腰掛けると、そのまま俯いてしまった。
5分ほど経った頃だろうか。何となく僕は気まずさに耐えかねて、立ち上がろうとした。その時だった。音楽プレイヤーを地面に落としてしまったのだ。つい「あっ!」と声を出してしまった。カラカラと音を立てて、プレイヤーは少女の足元まで転がっていく。当然イヤホンは外れ、拙いギター音と声が漏れ始める。しかし、少女は、表情1つ変えず、そのプレイヤーを拾い上げて僕に渡した。
「何を聞いていたの?」
透き通った美しい声だった。それでいて今にも壊れそうな、弱さと儚さを持っていた。
「ええと、初めて自分で作った曲… 自分で聞いてコードとか音程とか、確認してたんだ。」
音楽を止め、赤面しながらしどろもどろに答えた。まるで自分の曲を自分で聞いて悦に浸っていた、ナルシスト野郎みたいじゃないか。あまりの恥ずかしさに 下を向いて顔を歪めた。少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「ちゃんと聞いてみてもいい?」
「え、うん、いいよ」
思わぬ反応に驚きながらも、イヤホンと音楽プレイヤーを渡した。彼女は、イヤホンを耳にはめ、再生ボタンを押した。遠くを見つめ、音楽に聞き入る横顔に、僕はしばらく見蕩れていた。何を思って、初めて会った僕の声をイヤホンから聞いているんだろう。僕の歌を聞く少女。少女に見蕩れる僕。時間は少しずつ、少しずつ、流れた。
永遠にも思えた数分が過ぎ、彼女は静かにイヤホンを外した。そして少し、明るくなった顔つきで、僕に言った。
「すごいね、君。こんな歌、世界のどこにもないよ。」
その言葉が僕にとって、何よりも嬉しかったのを覚えている。誰にも打ち明けたことのない隠しごとを、初めて受け入れてもらえたような気がしたのだ。
それからのことは、はっきりとは覚えていない。曲を作ったきっかけとか、将来の夢とか、小っ恥ずかしいあれこれを、熱く語ってしまったような。
ただ、彼女の最後の言葉は鮮明に覚えている。
「あなたはずっと歌い続けてね。きっとたくさんの人が、あなたの歌で幸せになれると思うよ。」
そう言って彼女は改札の方へ向かった。僕は遠ざかっていく彼女の背中を、しばらく眺めていた。