異世界転移に気付かない光の信徒たち 2
シオンの朝は早い。
明るくなり始める前にベッドから起き、顔を洗って着替えて、近所を散歩する。
現実でも実際に行っているルーティーンなので、ゲーム内でも気付けば同じような行動を取ってしまっている。ゲームの中くらい寝坊すればいいのに、というシルレリアからの助言に挑戦してみたが、どうにも目が覚めてしまって諦めた。
「おはようございます」
「おはようございますシオンさん、早いですね」
「リリーさんこそ」
キッチンで朝食の準備に取り掛かろうとしていたリリーに、外に出てくると声を掛ける。
まだ薄暗い時間なので散歩をゆっくりしても他の三人は寝ている時間だろう。
「海が見たいので、大通りを進んで港まで行こうかと思うんですけど」
「ちょっと遠いですが、歩けない距離じゃないですから大丈夫ですよ。今の時間なら漁に出た船が帰ってくる頃で賑わっていると思います。それに、漁師向けの屋台も出ているのでそこで何か食べるのもおすすめですよ」
「屋台……」
そわっ……と、気になり始めたシオンに、今日の朝ごはんは少なめにしておきますね、とリリーが笑って言ってくれたので、お言葉に甘えることにする。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
見送られながら、シオンは手を振って大通りを歩いていく。
まばらに人がいる冒険者ギルドの前を通り、中心部の水の女神ヴェーザの像がある噴水を眺めながら周辺を散策する。水瓶を背負ったヴェーザ像も綺麗だが、自分としては光の女神が見たいのだが。
ふう、と知らずため息が出る。
あからさまに格差を見せつけられれば、やはり気分が良いものではない。
今日行く教会には大きな像が祀られてあると修道士が言っていたので、それがせめてもの楽しみだった。
「……あ、海の香りだ」
風に乗って海の気配が感じられる。肌を潮風が撫ぜ、気持ち良さに目を瞑る。
段々と人通りも多くなり、賑わいが大きくなってきたのでシオンの心も逸ってくる。
活気がある場所だ。
「とれたての焼き魚だよ!」
「美味しいサンドはいかが? すぐに食べられるよ~!」
「お姉さん、ちょっと見ていきなよ!」
朝も早いというのに、漁師に合わせて出店するという屋台には大勢の人で賑わっていた。
歩くたびに店から声を掛けられて、そのたびにシオンは足を止めて店を覗くことになった。
どれも美味しそうで、実際に串に刺さった魚を食べてその新鮮さに驚く。このゲームはここまで進化したのだろうか。本物を食べているみたいに塩加減が効いていて美味しい。こんなに味わいがあったっけ?
不思議に思うが、美味しいものを目の前にしてシステムの事を考えるなんて無粋すぎる。
考えるのはやめよう。シオンは他の店も見てみることにした。
港ということで海鮮系が多いが、肉や野菜、飲み物まで幅広く売っているので市場といってもいい。
肉巻き野菜も気になって購入。うまい。近くにあった果物のジュースを買って喉を潤す。最高。
食べるのも、色々見るのも楽しくて時間を忘れて楽しんだ。
あ、せっかくだし少しお土産も買っていこう。
三人より先に楽しんでしまったので、ちょっとしたお詫びのつもりで店を物色していると、突然の怒鳴り声が耳に届いた。
「金がないならどっか行け!」
「ここは来るんじゃねえよ、さっさと帰れ!」
さっと視線を向けると、小さな子供が一人倒れていて、もう一人がそれを支えている光景があった。
――貧民街の子だ。
その姿を見て、すぐに理解する。
ところどころ破けてみすぼらしいシャツと薄汚れたズボン。痩せこけた体に、ぼさぼさの髪。
その子供の虚ろな瞳に、少しの怒りが見えた。
「汚ねえな……」
店の男が突き飛ばしたのだろう、倒れた子供に対して文句を言っている。
けれど、男がその腕を振り上げた瞬間、シオンは動いた。
「おわっ!!?」
「……さすがに、子供を殴るのは許さないよ」
一瞬で男の懐に入り込み、その腕を捻り上げ、膝をつかせる。
「いてててっ!」
「君達、大丈夫?」
「……」
この子が何をしたかは想像はつくが、それでも子供に暴力は見過ごせなかった。
ぽかんと、驚いた表情を見せる子供に笑いかけ、男の拘束を解く。
「ごめんね、おじさん」
「痛っ……嬢ちゃん、こいつらスラムのガキなんだぞ?」
「分かってるよ……で、盗んだものってある?」
「……盗る前に突き飛ばしたよ」
「じゃあ、今日はその商品私が買うから、許してあげて」
見たところ、リンゴや果物を狙ったらしい。
さっと小銭を手渡す。
男は苦々しい表情を見せていたが、周りの人々の視線も気になるのが嫌で渋々言うとおりにしてくれた。
被害がなかったので多少の温情はあるのだろう。紙袋にいくつか果物を入れてシオンに手渡し、子供たちを睨みつける。
「お前ら、この人に感謝するんだな! 嬢ちゃんよ、あんまり首を突っ込まない方がいいぞ」
「ご忠告ありがとうございます」
「ったく、知らねえぞ」
店の男はしっしっと、どこかへ行くよう手を払う仕草を見せた。
周りの店も同じような視線を向けてきたので、子供達を促してシオンはその場を離れることにした。
(あ、しまった、海見てない……)
屋台に夢中で本来の目的を忘れてしまっていた。
が、この子たちをこのままにしておくわけにもいかず、シオンはため息をついて歩き出したのだった。
(帰るの遅くなっちゃうなー)
市場から少し離れた小道の脇に座り込む。
シオンが助けた二人の子供は、案の定お腹が空いているのか腹の虫を鳴かせていた。
放っておけず先ほど買った果物をあげることにする。まあ元々そのつもりだったけれど。
「ほら」
「……?」
「食べていいよ」
目の前に差し出されたリンゴを、本当に手に取っていいのかとシオンの顔色を窺う子供。
かわいそうだと思う。
これが決められたシステムとはいえ、こうして子供が苦境に立たされているのは見ていてつらい。
だから、偽善ではあるかもしれないが、シオンは手を差し伸べずにはいられなかった。
「気にしないで」
怖がらせないように笑って、その子の手を取ってリンゴを手渡した。
すると子供は貪るようにリンゴに噛り付いた。もう一人の子にも渡すと、同じように勢いよく食べだしたのでホッとする。
さっき他の三人に買ったお土産の食べ物も、この子達に渡すことになるだろう。
きっと三人は許してくれるだろうが、この子供達にとっては一時しのぎにしかならないのがどうにも心が落ち着かない。根本的な解決にはならないのは分かっているが。
「はあ……」
面倒ごとに手を出してしまったなと思っていると、子供の一人が食べ終わったのか、おずおずとシオンの足元へやってくる。多少は満足したようで、虚ろだった瞳も今は光が戻っている気がした。
「あの、ありがとうございました」
「……いいよ、成り行きだから」
ちゃんとお礼が言える子だ、とシオンは少し驚いた。
倒れた子を助け起こそうとしたこの子は……よく見れば女の子のようだった。
ぺこりと頭を下げ、もう一人にも同じように促している。
盗みをしようとした子にいう言葉ではないが、根は良い子なのだろう。
「あと、これも全部あげるから、好きに食べていいよ」
「えっ!? これも、い、いいの……?」
「うん、どうぞ」
一人では持ちきれないので、もう一人の子にも紙袋を渡す。
嬉しそうな二人の子供に、じゃあ、と言ってシオンは立ち去ろうとした。
が、少女の手がシオンの服をつかむ。
「あの!」
面倒ごとだー!!!
と、叫び出したい心境ではあったが、シオンは我慢した。
「優しいお姉さん、お願いがあります!」
「いや、私帰りたいんだけど……」
「優しくて綺麗なお姉さん、助けてください!」
「…………」
ほめ殺し作戦か?
なんという手を使う子供だろうか。まあそう言われて悪い気もしないけど。
「お願いします!!」
「……いや、だから」
ほらみろ、言ったじゃないか。
忠告をしてくれた店の男が、そう言った気がした。
***
一方その頃。
居残り組の三人は、リリーの朝食を頬張っていた。
「えーっ、シオンってば海に行ったの!?」
「朝早くから出かけられましたよ」
「うわー、ズルい!」
日が昇ってからのんびり起きだした三人が、リリーの朝食を食べながら憤慨する。
抜け駆けとは、許せん。
「あとでお仕置きかな?」
「かな!」
シルレリアとリズがオムレツをもぐもぐさせながら拳を合わせ、ディルガルドもうんうんと頭を振った。
お楽しみを一人で堪能するとは許せん行為だ。
ヨルドとリリーがそんな三人に笑っていると、彼らの息子――ラウルが手紙を持ってやってきた。
彼とは昨夜、教会から戻った際に挨拶している。
「父さん、商業ギルドから使いがきたよ」
「さすが仕事が早いな」
ラウルから受け取った手紙の封を開け、何枚かある用紙一枚をディルガルド達に渡す。
「もしかして、俺たちのですか?」
「そうだよ、これを持って冒険者ギルドに行けば新しいギルド証が発行してもらえる」
「やった!」
「ヨルドさんありがとうございます」
ギルド長にも心の中で感謝しながら、今日は予定通りに冒険者ギルドへ行けることが決まった。
とはいえ、そのためにはシオンが戻ってこないといけないのだが。
「そういや、遅いなあいつ」
「美味しいもの多くて時間忘れてんじゃないのかな?」
シオンならあり得るな、なんて噂話をしているとなんとやら。
当のシオンが帰ってきた――とてもぐったりした表情で。