我儘は言わないと決めた日。
「本当に心配したんだぞ、アンジェ。いきなり熱を出したかと思ったら意識も無くなるし…私の天使が神に連れて逝かれてしまうかと思って毎日神に祈ってたんだ。妹を連れて行かないで欲しいと」
「ありがとうございます、お兄様。でもアンジェはもう大丈夫ですわ。お熱も下がりましたし、もう少しお休みすればまたお兄様とお茶会もできますもの」
ほんのりとはにかんで笑顔を見せるとカティスのだらしなく下がった目尻が余計に下がる。私の事大好き過ぎるだろ。
それにこの兄はアンジェの事を恥ずかしげもなく「天使」と呼ぶ。それは父も同じ事なのだが、とにかくこの父子はアンジェに甘い。
アンジェが何気なく「お庭に黄色い薔薇があったら素敵なのに」と呟けば隣国から薔薇園に勤める庭師を迎え入れ、「雪が降ったら素敵ね」と曇り空を見上げれば次の日には庭に隣国から運んできた雪山が聳え立つ。不可能を可能に変える兄と父に滅多な事は言うまいと決めたのは7歳の誕生日。
その日、アンジェの7歳の誕生日パーティーが屋敷の広間で盛大に催された。
トゥルク王国では貴族の子息や令嬢が7歳を迎えるとお披露目パーティーが開かれるのがしきたりだ。
家族に愛されて育ったアンジェの誕生日には叔父である国王や父方の兄妹、その子息や令嬢、勿論母親も立派な伯爵令嬢だった為、その親族を筆頭に国内の有数な貴族達がアンジェを祝う為だけに集められた。
まぁ、7歳児を祝うというよりもそれを出汁に諸々画策しに来ているのだろうが、記憶の戻る前の私には知るよしもなので、主役の席に座って、流れる様にダンスを楽しむ紳士淑女を楽し気に眺めていた。
7歳児の目には着飾ったドレスを翻し華麗に踊る大人の女性の姿はとても美しく思えて。
まるでお姫様の様だと小声で呟いたのだ。
「綺麗…わたくしも、あんなきれいなお姫様になりたいなぁ…」、と。
そう呟いてしまったのだ。
隣に座っていた両親が一瞬目を大きく見開いてお互い顔を向かい合わせる。
何も知らずキラキラと輝く光景に必死に食らいついていたアンジェはそれに気付く筈もなく穏やかな時間を楽しんでいた。
そう、そのお姫様になりたいと意図して言った訳ではない。ただの憧れの一言が両親の娘を思う心に火を付けたとは、あの頃の私は知る由もなかった。
一か月後、国王の息子、数回しか会話した事のない自分と同い年の王太子との婚約が決まるなんて、7歳の誕生日を楽しんでいたアンジェは夢にも思わないでしょうよ。
婚約者の名前はレティクス・ヒュウ・トゥルク。
トゥルク王国国王の第一子、王太子として生まれた彼はまるで絵に描いた様な美貌を持った小柄な男の子だった。
陽の光を浴びて輝く金の髪のアンジェと違い、月の光が良く似合いそうな銀色の髪。
金に近い琥珀の双珠を持つアンジェと違い、透き通る新緑を思わせる翡翠の双珠。
美少女だけれど釣り目なせいで勝気に見えるアンジェと違い、雰囲気から柔いどこか癒される様な優しい美少年。
何もかもが相反な二人。
誰に聞いても非の打ちどころのない彼の事を、7歳のアンジェは苦手だった。
なんで、と聞かれても苦手で。
彼が笑顔を零す度に、その笑顔が本当に心から笑っているように見えなかったのも要因の一部化もしれない。
なるべく近寄らないように。
なるべく話さないように。
王族が集まる席でも関わりを持たないようにしていたのを両親は知らなかった。
そんな両親がそのパーティーである決意を決めたのなんて、
お姫様になりたい、が物理になろうとしているなんて気付く訳もなく。
純粋無垢な発言だったのに、現実にしてしまう、うちの家族が恐ろしい。
ちなみに兄だけは最後まで反対していたのは言うまでもないと思う。