生還
作戦失敗から、一ヶ月ほどが経過した。
本当にあっという間だったと思う。
その間は、ただひたすらレッスンに明け暮れていた。
学園にいるときは、流石に従者たちも自重してくれたのだが、それ以外の時は酷いものである。
私の場合はサイラスの鬼教官振りが炸裂したことで、寝るとき以外常にレッスンのことばかり考えているほどの過酷さを味わう羽目になったのだった。
それは弟も同様だったらしい。
マリーが淡々とした様子で地獄のようなレッスンを何度も課してきたため、思わず泣き叫びそうになったのだとか。
もう二度と、夜遊びなんてさせないぞ、という気概が終始彼らから溢れ出ていたのだった。
そして、ようやく解放された今、私は夢見心地の気分で学園生活を送っている。
ヘリアン王子の誘拐事件後から、何故か決闘を申し込んでくる学生が急激に増えてしまい、日に何度も決闘を行うことになってしまっていたのだが、今ではその程度何の苦にもならない。
サイラスが行ったレッスンより手温いのだから鼻歌混じりにこなせるというものだ。
あまりにも手温いものだから、「まどろっこしい。まとめてかかってこい、貴様ら」と調子に乗って言ってしまい、大勢に殺到された時は流石に焦ってしまった。
まあ結果としてなんとか、勝てた。
が、「もう禁止! 今後は絶対にやりたくない!!」と叫びそうになるほどの辛さだった。
数の暴力は偉大であるということを実感した瞬間であった。
ちなみに、それを見ていたサイラスは「素晴らしいです、レイン坊ちゃん! 感動しました!!」ともの凄く喜んでいたのだった。
――私、カティアなんだけどなあ……、はあ……。
本来なら、こんなツッコミはあの晩で最後だったかもしれない。
功を急いて見事に失敗したとはいえ、やはり惜しいことをしてしまった気がする。
とはいえ、どう転んでもあれ以上の結果にならなかったのは確かだ。
今更思い出して、想いにふけるのもあまり賢い選択とはいえないだろう。
とにかく気にしない。前を向こう、前を。
そう考えていると、「もらった!」と目の前で勢いよく剣が振り下ろされた。
対して私は、反射的にその攻撃を避けて、そのまま相手に足払いをかけて地面に転倒させる。
「どうした、ペンギンのように何度も地面を滑って。もしかして、ここが雪の上ではないことに気付いていないのか? どうなんだ? ん?」
そして、地面を転がるヘリアン王子を私は煽りながら、いつものように見下ろした。
「くそっ、また負けた! 僕がペンギンになるのは、君の足癖がいつも悪いからだぞ、レイン・メアリクスっ! 僕だって偶には白鳥のように羽ばたきたいんだ!!」
地面に倒れて悔しがるヘリアン王子。
いや、仮に羽ばたけたとして、一体どうするつもりなんだ。飛び立つのはやめて欲しい。追いかけないといけないではないか。
彼が騎士団と共に訓練し出して早一ヶ月ほど経つが、やはりこんな感じで相変わらず、彼は私との一対一の決闘で負け続けていた。
彼を見て感想を抱く。
んー、これはまだ駄目かな。
ヘリアン王子は順調に強くなっているが、いかんせん私が求める水準にはまだ達していない。
彼には、もっと強くなって欲しいと思う。
今度誘拐されても、自力でその危機を乗り越えるくらいの実力が有れば、正直超がつくほどに大満足ではある。
けれど危険なことはやめて欲しいので、めちゃくちゃ強くなり過ぎてもなあ、というところも今思うとあったりする。
そこら辺はちょっとデリケートな部分だった。
――それと、いつ気づいてくれるのだろう。目の前の彼は。
私はレインではなく、カティアなのである。
男ではなく、女なのである。
令息なのではなく、令嬢なのである。
もう会って半年以上経過しているのだから、そろそろ気付いて欲しいと思っていた。
誘拐事件の時も気付いていなかったし、どうなっているんだろう。よく分からない。
それと何故かヘリアン王子だけではなく、周囲の者たちも皆、私たちが入れ替わっていることに気付いていない。
もしかして、このままずっとこの調子なのだろうか。
……それは困る。非常に。
けれど、この現状がずっと続くのであれば私たちは一体どうすればいいのだろう。
――本当にどうしようも無くなったら、いっそ皆にバラすことを視野に入れて――
そう考えた次の瞬間、私は即座にその考えを振り払うことになる。
いや駄目だ。駄目だった。それは出来ない。思わず、色々あって忘れそうになっていた。
するとしても、それは本当にどうしようも無くなった時の最後の手段でしかない。もう無理だと二人揃って全て諦めた時でしか――
実は、私たちは子供の頃からそう決めていたのだった。
自分たちから本当のことを言ってしまえば結果的にすぐに楽になれるだろう。
もちろん最初からそれについては重々理解している。
けれど私たちは、その全てを諦めるという選択肢を今すぐに選ぶことが出来ないし――それを他ならぬ私たち自身が許さない。
たとえ道理に合わなくて、私たちは、そう在らねばならないのだ。
何故ならば、それが私たちが自分たちに課したこの『遊び』唯一のルールなのだから――
そう考え事をしていると、地面から立ち上がったヘリアン王子が、私に向かって口を開く。
「レイン・メアリクス、実は君に訊きたいことがあるのだが、良いだろうか?」
「何だ、どうした。手短に言え」
いきなり改まってどうしたというのだろうか。
いや、彼はいつも改まった態度ではあるのだけれど。
そう訝しんでいると、ヘリアン王子はこう話を切り出したのだった。
「今週の休日、予定は空いているだろうか。問題無ければ、君と遊びに行きたいのだが、それについては構わないだろうか?」
……は?
「は?」
私は、耳を疑った。




