思いの丈
――はあ、良かった。間に合った。
最短ルートを進んだおかげで、何とか私たちは、ホームルームが始まるまでに自分たちの教室に戻って来ることが出来たのだった。
ちなみに、別れる直前のヘリアン王子の顔は何だかげっそりとしていた。
まあ、仕方がないか。
最短ルートを進んでいる時、ずっと後ろから彼の悲鳴が聞こえてきたし、時々「うおっ!?」、「なあっ!?」、「レイン、・メアリクス! 助けてくれ!!」、「へぎっ!?」と言うような声も聞こえてきたので、結構ギリギリだったのだろう。
でも、少しでも立ち止まるとホームルームに間違いなく遅刻するので、ヘリアン王子には悪いけれど一度も振り返ることなく私はひたすら前に進んだのだった。
そして、最終的にはお互いホームルームに間に合い、怪我も無かったので、結果オーライというわけであった。
「レイン・メアリクス……また、放課後に……会おう……」
とても疲れた声音でヘリアン王子が別れ際に私に告げ、それに対して私は軽く片手を上げて返事をする。
私たちは、こうして自分たちの教室に入っていったのだった。
そして、ホームルーム中、私はふと思うことになる。
――あれ、そういえば私って何しにヘリアン王子の教室に行ったんだっけ?
当初の目的を思い出すため、私は三分くらい頭を捻ることになるのだった。
♢♢♢
今までヘリアンは、悩んでいた。
自分が、彼に対して思うことについて。
そして自分が思っているそれを彼――あの黒髪の少年レインに告げるべきかどうかについて。
今は教師の言葉でさえろくに頭に入ってこないほどに、彼はひどく思い悩んでいた。
きっかけは『夜会』の時だった。
あの晩から、自分の見ている世界全てが変わってしまったような気がするのだ。
例えるなら、そう、色の逆転だ。
今まで自分たちは、リンゴを見て赤色だと認識していた。
けれど、あの晩、いつもと違う彼の姿を見て、そして言葉を交わしているうちに、次第に自分の中で変化が起きたのだ。
赤色だと思っていたリンゴは、実は青色だったのではないかと。
そう思うようになってしまった。
だから、ヘリアンは混乱し、迷うことになる。
あの晩はただのきっかけに過ぎず、今まで実は自分はひどい勘違いをしていたのではないかと。
けれどその反面、現状それはあくまでも自分の憶測でしかなく、それを彼に伝えたところで「何を言っているんだ、貴様?」と一笑に伏されるだけでは無いのか、と恐れの気持ちが溢れるように湧いてくる。
出来れば、自分の言葉によって彼を傷付けたくはなかった。
彼を好ましいと思っているから。
ライバルとして。
そして、友人として。
けれど、
(彼に、もう嘘は吐きたくないな……)
ヘリアンは、そう思うのだった。
黒髪の少年――レイン・メアリクス。彼は、教室から逃げ出した自分を見捨てることなく連れ戻しに現れた。
こちらを見て呆れ顔であったが、けれど彼は特に何も言わず、ただいつものように仕方のない奴だと言うように、自分の愚かしい行動に付き合ってくれたのである。……最後の方はホームルームに間に合わせるためとはいえ、少し強引だったが。
(……思えば、いつも彼は僕を連れ戻しに来てくれた)
自分が危ない目に遭うたび、彼は自分の前に現れた。
そして、自分に対して文句一つ言うことなく「おい、さっさと帰るぞ」と一方的に告げて自分の手を引っ張っていくのだ。
未だ誰にも告げていない。けれど、ヘリアン・ウェン・ロドウェールにとって、その背中が、その横顔が、その在り方が。
――この世の何よりも輝いて見えていた。
ヘリアンは覚悟を決める。もう二度と彼に対して嘘は吐かないと。
そして黒髪の少年に自分の本当の思いを告げるための準備を始めるのだった。
♢♢♢
昼休みになると、ヘリアンはサフィーアが在籍する教室へとまっすぐ向かった。
すると、彼女の方も同じ考えに至ったのか、廊下でばったりとヘリアンはサフィーアと出会う。
二人は互いに頷き合うと、ある場所に向かった。
そこは、学園側が用意した王族専用の部屋であり、基本的に二人が来賓客の対応以外で今までほとんど使うことの無かった一室だ。
室内は広く、ゆったりとした空間に仕上がっている。周囲には豪華な調度品が並べられ、中央には質の良いソファーやテーブルが置かれていた。
防音設備も備わっているその部屋に入った二人は、鍵をかけると、向かい合った形でソファーに腰を下ろし、そしてもう堪え切れないとばかりに、同時に声を上げた。
その内容は――
「――サフィーア、聞いてくれ。最近、レイン・メアリクスが少女に見えて仕方がない……! 一体僕はどうすればいいんだ!?」
「――お兄様、聞いてください。最近、カティアさんが殿方のように思えて仕方がありません……! 私、本当にどうすればいいのでしょうか……!?」
互いに勢いよく打ち明けたその悩みは、奇しくも兄妹揃って同じ類のものであった――




