想定内の想定外
少し文章を修正しました
ヘリアンは、後ろ手に縛られて身動きが取れない状況だった。
地面に座らされているため、すぐに走って逃げようとすることは難しいだろう。
幸い、目と口はまだ塞がれていなかった。
襲撃された後、騒ぐことなく大人しくしていたためだ。
彼がいるのは、王都近郊の森の袂である。
その森は木々が生い茂っているため全体的に薄暗く、万が一追っ手が来ても、中で撒くことが出来るという理由であった。
ヘリアンが見たところ、賊の人数は五人である。
他には見当たらない。
少数精鋭と言ったところだろうか。
襲撃の時を思い出す。
とても鮮やかな手際だった。
瞬く間に、護衛の騎士たちが次々と倒され、自分が事態を理解した時にはすでに連れ去られた後である。
統一された武装に、高い練度の連携、そしてそれぞれが極めて高い武力を有していたことから、彼らがただの賊では無いことは明白だった。
今も、周囲の警戒を怠らず、交代で見張りを行なっている。
一体彼らは何者だろう。
強い疑問が湧いてくる。
そんなことを考えていると、誘拐した賊の一人が声をかけてくる。
外見は二十代半ばといったところだろうか。顔にある無数の傷が印象的な、人懐っこい雰囲気のある男だ。
「悪いな、王子様。こんな扱い方しか出来なくて。馬車にでも乗せてやりたいところだが、何分目立つからな。まあ、我慢してくれや」
男は頭を掻きながら、申し訳なさそうにしている。
粗野な言動ながらも、賊の男がヘリアンを見る目には、一定の敬意を含んでいた。
「別に構わないが、傭兵、か……?」
「そ、騎士崩れでね。だから、あんたにはあんまり乱暴なことはしたくないんだよ。これでも、一度はやんごとなきお方に仕えてた身なんでね」
「……今は、違うようだな」
「まあ、主人が戦争で呆気なく死んじまったからなあ。で、今はこれに仕えてる」
男の指で丸を作るような仕草を見て、ヘリアンは「なるほど金か」と呟いた。
「金を積まれれば、どんな相手であろうと雇われるし、どんな依頼だろうと受ける、そういうわけだな?」
「そそ、金はいいぜ。何しろ裏切らないし、死なないからな。だから、俺たちも安心して命を賭けられるというわけだ」
騎士崩れの男は、そう言って笑った。
ヘリアンは、興味深いなと感想を漏らす。
「君たちは、どこの生まれの者だ? おそらくこの国では無いだろう?」
「あー、それはあんまり言えないやつだな。悪い」
「そうか、気にするな。聞いてみただけだ」
ヘリアンもその返答を予想していたのだろう。
彼は「それなら」と言葉を続けた。
「なぜ、この場から移動しない? 誰かを待っているのか?」
「あー、それなら話せるぜ。依頼主を待ってる。――お、ちょうど来たな」
そして、「おーい」と大声でこちらに向かって馬を走らせてくる人間に対して、呼び掛けたのだった。
「こっちだぜ、旦那! 依頼通り、王子様を拐ってきたぜ! ほら、見てくれ!」
騎士崩れの男の大声に対して、「馬鹿者!」と声が返ってくる。
「追っ手に見つかったらどうする! 貴様はそんなことも分からんのか!」
「いや、ここまで来たらそう簡単には見つからんだろ。今頃、王都の街中を探してるよ、多分だけど」
「確かに幾らか偽装工作は施した。だが、万が一ということもある。この段階まで来て、失敗なぞ許されんのだぞ!」
「分かってるよ、んなこと。相変わらず口うるせーな……」
騎士崩れの男は、ややげんなりとした顔でそう言うのだった。
「――で、王子様。この神経質そうなオッサンが俺らの雇い主だ。おい、旦那。王子様に挨拶くらいしたらどうだ?」
「ふん、貴様に言われるまでも無い」
見るからに神経質そうな貴族然とした格好の中年男は、馬から降りるとヘリアンの前で跪く。
「お初にお目にかかります、ヘリアン第一王子。任務中のため、名乗ることが出来ず申し訳ありません。それと今までの数々の非礼をお詫びさせて頂きます」
中年男は、片眼鏡の位置を直しながら、そう言うのだった。
「君も、この国の人間では無いな」
「はっ、所属する国家についても申し訳ありませんが伏せさせて頂きたく思います」
「なるほど、そういえばそこの彼も同じ返答だったな。まあ、いい。良ければ、本題に入ってくれないか? 僕はこれからどうなる?」
その言葉に対して、中年男は恭しい態度で答える。
「ヘリアン第一王子、貴方には戦争の火種となってもらいたいのです」
「戦争? 君たちは戦争がしたいのか?」
「いいえ、とんでもございません。あくまで他国への牽制として、貴方を使わせて頂くだけです。あなた方―― ロドウェール王国と友好関係にある西の隣国ハノアゼス帝国を対象に」
ロドウェール王国は、大陸のほぼ中央に位置する小国だ。
その西側は、大陸有数の大国であるハノアゼス帝国が隣接している。
ロドウェール王国とハノアゼス帝国は、お互いに友好関係を結び、長年交流を続けてきていたのだった。
「……少し読めてきたな。つまり、僕を君たちの国の外交のカードの一枚とするわけか。特にハノアゼス帝国に対しての。なら、これから僕が連れていかれるのはハノアゼスだな」
ご名答とばかりに中年男は、口をわずかに歪める。
「拐われた貴方がハノアゼス帝国内で発見されれば、両者の関係に少なからず罅が入るでしょう。我々はそれが目的なのです」
「なるほど、しかし分からない。なぜ、それを僕に包み隠さず伝えるんだ」
「ええ、貴方が本物の第一王子ならば告げなかったでしょうね。――ですが貴方は偽物だ。一介の影武者風情に告げたところで、一体何が出来るのでしょう」
中年男の言葉に、ヘリアンはきょとんとした顔をする。
「は? 僕は影武者では無いぞ?」
「――ほう、あくまで白を切るつもりですか」
次の瞬間、中年男の態度が急変する。
恭しいものから、嘲るものへと。
「いいでしょう。ですが、全てこちらの手の内なのですよ。ロドウェールの王家が、今日影武者を用意することもすでに知っていました。我々の目的を明かした上で一網打尽にしようとしていたことも全てです。ですが、我々の逃亡が成功してしまえば意味がない。影武者一人だけの口から語られる情報など信用に値しません。捕らえられた我々の口から直接語られて初めてそれらが真実だという証明になるのですから。そもそも、今日襲撃を行うと言う情報もわざと流出させたものなのですよ。我々の国は情報戦が得意なのです。自分たちの行動が私たちによって誘導されたものだと気付かずに、あなた方は見事自分たちの策が成功したと思い込んでいる。残酷ですが、とても悲しい事実です」
中年男は、やれやれと首を振った。
「我々の今回の目的は、ヘリアン第一王子もしくはサフィーア第二王女の影武者――つまりあなた方どちらかの誘拐なのです。我々が求めるのは、この国の王族がハノアゼス帝国で発見されたという一点のみ。つまり、ハノアゼス帝国が周囲から疑惑の目を持たれる程度の軽い火種で充分なのですよ。あとは、その火種が消えないよう丁寧に育てていけばいい。むしろ本物の第一王子を誘拐してしまえば、火力が強すぎて一気に燃え広がってしまう。我々の計画が潰れる恐れだってある。それは望むところでは無いのです」
したり顔で説明してくる中年男に対して、ヘリアンは再度告げるのだった。
「いや、だから僕は本物のヘリアンだと言っているだろう」
「つまらない嘘をつくのはお止めなさい」
「なぜ信じてくれない。現実を見てくれ」
「お黙りなさい、流石に見苦しいですよ」
ヘリアンに対して、ぴしゃりと言う中年男。
取り付く島もなかった。
「いや、誓って本当なのだが……」
困惑するヘリアンに対して、中年男は面倒だと言う風に溜息をつく。
「そこまで言うのならば、確かめてみましょう。先に吠え面をかく準備をしておいた方が良いですよ? 正直言って、貴方の言動は我々の想定の範囲内なのですから」
そう言って中年男は、モノクルを正してヘリアンの顔を間近で睨んだ。
そして、
「ほ、本物……!」
驚きのあまり白目を剥く中年男。
彼にとって想定外のことが起きたのだった。




