夜会 16
――何故、あんなにも躊躇してしまったのだろう。
ヘリアンは、目の前の少女を見つめる。
先ほど、彼は少女の姿をした彼から、ダンスの誘いを受けた。
だが、その返事をすぐに返すことが出来なかったのだ。
通常、よほどの理由がない限りダンスの誘いを断るべきではない。
何故なら、それは相手に対して極めて失礼な行いであるし、王族である自分から断られたとあっては、今後その相手の評判に多大な悪影響を与えることになるからだ。
なので、ヘリアンは今回の『夜会』に関しては、誰であろうとダンスの申し出を受けるつもりであった。
しかし、自分がよく知る少女の姿をした彼からの誘いに対しては、大いに逡巡してしまった。
少しばかり心が落ち着いたと思ったのに。
ヘリアンはまた動揺してしまったのだった。
彼のことをよく知っている。
だから、プライドの高い彼が微笑を浮かべて、自分に対して誘いの言葉を言うなどと露ほども思っていなかったのだ。
――いつも、誘いの言葉をかけるのは自分の方だった。
決闘を申し込むのは、決まってヘリアンであり、レインは常に泰然自若とした態度で、その申し出を受けて立つのである。
だから、思わず面くらってしまったのだ。
しかも、紛うことなく少女の姿をしているとはいえ、彼と踊る……?
――そのようなこと、即答出来るはずがない。
ヘリアンの頭の中は、思考が渦を巻いて、混乱の坩堝と化していた。
このまま破裂するのではないか思うくらい、思考が纏まってはくれなかった。
けれど、すぐさまヘリアンは決断することになる。
目の前の少女の瞳が、悲しそうに揺れたのだ。
そして、おもむろに自分に対して差し出してきた手を引っ込めようとする。
――ああ、違う。違うんだ。そんなつもりではなかったんだ。
そしてヘリアンは、思わず叫んでいた。
――待ってくれ、と。
目の前の少女の姿が、いつもより小さく見えた。
彼の身長は、ヘリアンより低い。体格は細めで、けれど誰よりも頼もしかった。強かった。
だから、その背中は大きく見えていた。
けれど、今は儚げに見える。まるでこのまま消えてしまいそうなほどに。
どうしてだか分からない。
ただの錯覚かもしれない。ただの自分の思い込みでしかないのかもしれない。
けれど、ヘリアンにはそう見えたのだった。
だから、ヘリアンは覚悟を決めた。
そして、やや強引に少女の手を取った。
――是非僕と踊って欲しい。
そのままの勢いで、自分の気持ちを少女に伝える。
彼女は、驚いたような表情をした後、少し嬉しそうに微笑んだのだった。
――ああ、何だこの気持ちは。
心のざわつきが収まらない。
むしろ、先ほどよりも大きくなっていく。
何なんだ、本当に。
分からない。本当に分からない。
こんな気持ちは生まれて初めてだった。
しまいには心に熱が生じる。それが全く引いてくれない。
痛い。胸が張り裂けそうなほどに痛いのだ。
そして、彼は胸の痛みに耐えながら気付く。
握った少女の手は、予想以上に小さかったのである。
思わず驚愕する。
これが本当に自分と同じ男子の手なのだろうか。
ダンスの練習で、妹の手を取った時を思い出す。
女子だと言われてもおかしくはないような小さな手だ。
このような小さな手で、彼は今まで多くの他者を圧倒してきたのか。
何故今まで気にも留めなかったのだろう、とヘリアンは思う。
「――ヘリアン殿下、どうかお手柔らかにお願いしますね」
目の前の少女が、そう声をかけてきた。
その言葉に、ふと思考が遮断される。
ああ、そうだ。今から、自分はこの少女とダンスを踊る。
絶対に、この少女を失望させてはならないと感じ、ヘリアンは気を引き締めたのだった。
けれど、ダンスを踊り出して予想外のことが起こる。
二人で、流れる音楽に乗って足を踏み出してすぐのことだ。
「君、まさか……」
ヘリアンが、思わず呟く。
「……黙れ。とにかく何も言わずに踊れ」
やや俯きがちに、目の前の少女もまたいつもの口調に戻って呟いた。
少女のダンスは、ややぎこちないものだったのである。
「大丈夫なのか……?」
ヘリアンは、思わずそう訊いてしまう。
もしかしたら体調が悪いからなのかもしれない。
そう思ったのだ。
けれど、
「……問題ない。一応、相手の足を踏むことはなくなった」
それを聞いて、ヘリアンは絶句する。
「君は、ダンスが苦手なのか……?」
「違う。いつもなら問題ない。今はドレスで動きにくい上に靴の高さも、いつもと違うから感覚がつかめないだけだ。じきにコツを掴む」
そのように少女は返答した。
まるで、ヘリアンに対して言い訳をするかのように。
「待っていろ。すぐに超える」
そう強気な声音で言うが、ヘリアンは目の前の少女がどこか恥ずかしそうな様子をしているようにも見えた。
思わず、苦笑する。
――ああ、そうか。彼にも苦手なものがあるのか。
ヘリアンは、目の前の少女の新たな一面を知った。
それが何だか無性に嬉しくて、彼は表情を綻ばせた。
「そうか、分かった。良ければ、僕に手助けをさせてはくれないだろうか」
必死になってダンスを踊る少女に対して、ヘリアンは言う。
「必要ない。貴様の手を借りるつもりはない」
「相変わらず強情だな、君は……。とにかく、どうか僕にエスコートをさせてはもらえないだろうか。たまには君の役に立ちたいんだ。――助けてもらうのは、いつも僕の方だったから。だから、どうしても君の力になりたい」
ヘリアンが「どうかお願いだ」と真摯な声音で言うと、目の前の少女は、「……勝手にしろ」とそっぽを向いた。
「ああ、感謝する」
そして、ヘリアンは少女の小さな手をしっかりと握る。
「別に自慢ではないが、ダンスには自信があるんだ。これでも第一王子だから、機会はそれなりにあった」
「ふん、それならお手並を拝見させてもらおう。失望させるなよ?」
「ああ、任せてくれ。君の期待に必ず応えよう」
そして二人は息を合わせて、ダンスを踊るのだった。




