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事件ファイル♯15  マインドコントロール! 洗脳された乙女たち!?(6/6)

 作戦決行の日。俺は女装してミラカ、ユイコさんと駅前を歩く。


 設定はこうだ。

 俺は喫茶店の同僚、竹田ウメコ。それだけだ。シンプルなほうがいい。ウソも少ない。

 現在のユイコさんも同僚となるので彼女の話が出た場合も都合がいい。

 休みが平日でも怪しくないだろう。気にし過ぎかもしれないが。

 アポが取れた時間は平日の日中だ。よってハルナは居ない。


 居ないほうが都合がいいかもしれないし、悪いかもしれない。

 ハッキリとこちらが勝利することができるならその現場に居合わせるべきだが、接戦なら彼女が気を変えて向こうの味方をする可能性も考えられる。


 ただ俺が勝ち、ウチハラがハルナに別れを告げてくれればいい。


 メイクのほうは女子勢の奮闘によりかなりマシになった。

 通り過ぎるひとびとが露骨に俺を見ることはない。せいぜい、ちらと盗み見る程度だ。

 それでもいい気はしない。


 金髪アイルランド人の子供とスタイルのいいメガネ女子に挟まれて歩くデカい女。

 俺のような立ち位置の人がどういう目で見られているのかが、ひしひしと伝わってくる気がする。


 日常で何気なく道行く人をアタマの中で品評するのは誰でもやる行為だが、見られる側はやはり理由如何に問わず、あまりいい気のしないもんだ。

 たとえ、お互いのアタマの中で起こってることが分からないとしても、そのポジションで長く生きていれば嫌でも気が付くんじゃないのか?

 俺も普段からロリコンとして見られているから一定の理解はできるが、こちらもそういうことをしているなんてことは、すっぽ抜けていたな。

 反省半分、だが自信半分。

 ならば、こんな「ウメコ」が美容の詐欺に喰いついたとしても、なんら不思議もない。

 ウチハラが心理誘導の材料にするならココだろう。

 俺は指定された場所へ向かい、ふたりには離れた場所で見守ってもらい、人混みの中でただ独りウチハラを待った。


「あなたが、竹田ウメコさん?」

 撫でるような声が背筋に触る。


 俺は振り返った。

 偽名を呼ばれたからじゃない。

 声そのものが身体を引っ張ったような気がした。


 (くれない)のスーツを着た女が俺の左に立っていた。

 軽くパーマを当てたワンレングスカットの黒髪。

 眉は整えられはしているが、書かずに天然だ。少し濃い化粧。


 顔を見るのは初めてだが、ユイコさんのときに遠目で確認した分ではこいつがマデリーンこと内原マユミで間違いない。


 女がもう一度訊ねる。「あなたが、竹田ウメコさん?」。


「え、ええ……」

 なるべく声を出すなとは言われていたが、思わず返事をしてしまう。


「ふふ、川口ハルナさんから聞いているわ。喫茶店、ヒトに見られるお仕事なんでしょう?」

 マデリーンとおぼしき女は俺に顔を近づける。

 スーツよりも深い紅がうねる。女は俺を見上げていたが、俺は女を見上げているような錯覚にとらわれた。


「来て」


 女は俺の左手を取り、腰に手を添え引いた。

 俺は足取りおぼつかなく、つまづきそうになる。


「それだけ背が高いと、ヒールも履けないでしょう。ヒールが履けなければ、服も縛られる。その長くて素敵な髪以外は、奪われてしまったのね」

 返事をせず、ただついて行く。


 それからも女はいくつか俺に話しかけた。

 「アタシ知ってるわ」と言わんばかりの語りかけ。

 俺が予測した内容に酷似した指摘が続く。悪い気はしない。台本通りだ。


「部屋に入って気付いたんだけど、アナタのまとう香りは少し若すぎるかも。アナタにはアナタのよさがあるハズ。川口ハルナさんや鹿島ユイコさんと一緒に働いてるんでしょう? マネをするのはお勧めできないわ」


 俺のメイクに用いられたのはハルナとユイコさんの私物だった。

 待てよ? 「部屋に入って」だと? 俺はマデリーンと街を歩いていたんじゃなかったか?


「そこに掛けて」


 言われてようやく気づく。

 白い個室。診察室の主が使うようなデスク。

 その上には肌のモニター用の機械。デスクの前には紅の女が座る。


 だが、その部屋にはどこか甘ったるいが充満しており、モニタリングをするには不適切な黄昏た照明に包まれていた。


「自己紹介がまだだったわね。内原、マデリーン」


 女は舌を巻き、“リィーン”と発音する。

 それから足を組み替え、ストッキングの狭間の闇をちらつかせた。

 それをぼんやりと眺める。また組み替えられる足。

 むっとするニオイが俺の血の流れを少し変える。


「さっそくだけど、質問をさせてもらうわね」


 マデリーンはデスクに置かれたクリップを手にとり、ボールペンの音をカチリと響かせる。


「どうぞ」

 俺はペンの音に誘われるように返事をした。

 彼女の出した質問はありきたりなものだった。


 やはり竹田ウメコの情報は「ブサイクで武骨な女」として理解されていたのだろう、生活習慣のほかには「自分に合ったやりかたが分からない」、「他人と比べられることに抵抗がある」、「芸能人以外の綺麗な人間を見ると惨めになる」などといった質問が出てきた。


 全てイエス。

 あくまで「竹田ウメコ」がイエスだ。


 ここに来るまでの短時間で、俺はすっかり意識をマデリーンに支配されていた(・・)

 部屋は殺風景だったが、彼女のデスクにひとつ、俺の興味を引く品があることに気づいた。


 金色の振り子。


 黄昏のなかでもハッキリと分かるそれ。

 おそらく催眠や誘導のペースを作るために持ち込まれたアイテムなのだろうが、そのデザインがマデリーンに災いしたようだ。


 振り子は翼をかたどったアンクの形をしていた。

 アンク。古代エジプトのシンボルのひとつ。

 生命、生きることの象徴。そして振り子の頂点にいただかれるのは一羽の鳥。

 ここからの眺めでは、鳥の種類まで分からないが、エジプト神話に関連する鳥といえば、ハヤブサのアタマを持つホルス。

 この程度の知識はオカルトの序の口だ。

 自然に反応して脳に走るオカルトのデータが俺に意識を引き戻させたのだろう。


 クレオパトラ気取りでカネを吸い上げる内原マデリーン。

 はっ、何がマデリーンだ。俺に負けず劣らず日本人顔じゃねえか。その金メッキは俺が剥がしてやる。


「タケダさん? 平気かしら?」

 ほほ笑む女。


「え、ええ。お話を聞いてるうちに、考え込んでしまって」

 咳払いをして誤魔化す。


「じゃあ、お肌を見てみましょう」

 彼女の促しに従い、手の甲を差し出す。いちおう毛と爪の処理もしてある。


「仕事をする女の手だわ。尊いのに、その美しさはヒトの目に映らない」

 スコープが当てられる。

 手が汚くて悪かったな。こちとら不摂生な三十代男子だよ。


「見て、傷ついてるわ。苦労なさってきたのね」

 ノートパソコンのモニタに映し出される肌の映像が拡大される。

 よく分からんが、汚いんだろう。


「アナタ、お仕事で水仕事ばかり任されてるってことはないかしら?」


「どうして分かったんですか?」

 俺は驚いたフリをする。喫茶店だっての。


「あまり言いたくないのだけれど……」

 マデリーンは大げさに眉をひそめ、誰も居るはずがない個室であたりを見回す。

 それから俺に顔を近づけ、左耳にささやいた。


「あの子たち、アナタをバカにしてるのよ。……アナタの見てくれがよくないから。お客さんがあなたとあの子たちを見る目の違いにも、気づいてるんでしょう?」


 前半の物言いは気に入らねえが、あのアンケートに「はい」と答えたんだ。

 そういう引っかかりのひとつやふたつあっても当たり前だろう。


「そんな。お客さんにそんなことを言われたりはしません。それに、ハルナちゃんとユイコさんはいい子ですよ。自分みたいなのとも、仲良く、してくれてるし……」

 少し下を向きながら言う。


「意識下の話よ。ふたりもお客さんたちも、何も意識してアナタをバカにしてるんじゃないの。中にはそういうイジワルな子もいるかもしれないケド、アナタの人のよさは見分かるもの。嫌われるハズなんてないわ」


 マデリーンは着席し直しながら言う。

 それからボールペンのアタマをこちらに向けた。これもまた金ぴかのデザイン。


「……でも、ヒトの心理の深層は止められない」

「心理の深層?」


「そう。人の心の、自分じゃ意識できない部分。誰にでもあるモノ。アナタは常に誰かを妬んで羨んでる」


「……」

 黙っていても続きをしゃべるだろう。勝手に都合よく解釈するハズだ。


「認めたくないのは分かるわ。深層にはカギが掛かってるの。目を逸らすように本能が命じるのよ。それでも止められない。にじみ出てくるの」

 ペンのアタマが俺の首につけられる。


「今のアナタは」

 首をなぞり、くちびるに差し掛かり、上唇をめくり上げた。


「醜い」


 ここで泣く演技のひとつでもできれば完璧だっただろう。

 俺はその代わりに下唇を噛み、膝に乗せた手を握った。ほんのいっしゅんだけ。


 詐欺師の女はそれを目に留めたのだろう。

 俺の一瞬の仕草よりも寸分長い時間、口の端を釣り上げた。


「でも、大丈夫よ。人の美しさは深層ともリンクするものなの。見かけがよくなれば自信がつく。自信が付けばお肌や姿勢にもよい影響を与えるわ。正のスパイラルを作り上げる。たったそれだけでアナタは綺麗になれるわ。綺麗になれば、あの子たちもアナタに優しくなる。今よりも素敵な関係が築けるはずよ」


 マデリーンが俺の肩に手をかけた。

 俺はゆっくりうなずく。演技じゃない。そういうのは嫌いじゃない。否定はしないさ。


「お話は聞いてると思うケド……。アナタには化粧水は売れないわ」

 意外な切り出し。


 脂汗が出る。化粧がベタついてきた気がする。


「お水仕事も多いし、顔のほうも保湿が足りてないわ。化粧水よりも、このクリームがオススメ」

 ハンドバッグを開けて、するりとチューブを取り出すマデリーンの手。

 片手で器用にキャップを外すと俺の手の甲にクリームを乗せて伸ばした。

 バレたワケじゃないのか。


「初めてで肌が慣れてないから、ちょっと効きすぎるかもしれないケド」

 すぐにスコープが当てられる、空いた手が一瞬キーボードに伸びたのを俺は見た。

 モニターに一瞬だけ見えたタスクバー。有名な動画ソフトのアイコン。


「見て、綺麗になってるでしょう? 本当は少し水で伸ばして使うものだから、普段はこうはいかないかもしれないケド。繰り返してるうちに補修されて馴染んでくるから平気」

「よかった。でも、お高いものなんでしょう?」

 乗ったフリ。


 そしてこれは重要な勝利へのプロセス。

 俺のポケットにはスマホ。電波の遮蔽の可能性は考えてある。仕掛けてあるのは通話ではなく、録音だ。


 ここからは俺のターンだ。


 内原マユミは俺が促し、質問するたびに化粧品や“マデリーン・伝説の泉の会”とやらのシステムをベラベラと話し始めた。

 俺を支配下に置いたと思い込んだか、やけに饒舌だ。


 彼女の言葉の抑揚や会話運びからして、第三者が聞けば騙す意図アリととられるだろう。

 俺は我慢してひとしきりヤツの話を聞き、それからため息をついた。


 そろそろ、こっちのペースに乗ってもらおう。


「お話は分かりましたが、できれば、今すぐ綺麗になりたいんです。お金ならいくらでも出します」

 俺はくちびるを噛んで強く言った。ちょっと男声で。


「落ち着いて。美と心はリンクしてるのよ。焦ったり怒ったりしてはダメ」

「会員制なんて言っても、ブサイクには不利なシステムに聞こえるわ。こんな女が勧めても説得力なんてないじゃない。本当は、マデリーンだって、バカにしてるんじゃないですか?」


 やりすぎか? まあ、どうせバレらして畳みかけるんだ。

 気押すのが大事。ちょっと遊ばせてもらおう。


「してないわ。アタシはただアナタの力になりたくて……」

「深層は意識できないって言ったのは誰!?」


 相手の言葉尻を捕らえ、腰を浮かせていきりたつ。


「……」

 沈黙。

 マデリーンはいっしゅん俺を睨み、それから振り子の置物に手を掛け、止めた。


「アナタのおっしゃる通りよ。アタシですら、アタシの全ては知らない。アナタですらアナタの全ては知らない。そう、自分自身のコトも分からないのだから、近くにいる人間のコトなんて、ほんの表面しか理解できない」


 マデリーンの長く紅い爪が、振り子の飾りの鳥を弾いた。



 ――――。



 個室に響く音。それと同時に扉が開いた。

 人を呼ばれたか。ガタイがいいのが出て来ないことを祈るだけだ。


 ……だが、開いた扉の前に立つのはボディーガードなんかじゃなかった。ここにいるハズのない人物。


 見慣れた制服姿。ボブヘアーの女の子。


「ハルナ!? おまっ……あなたどうしてここに? 学校はどうしたのよ?」

 ハルナは答えない。ただ前を見ている。


「驚いた? 残念だけど、タネは教えてあげられないわ」

 マデリーンはイタズラっぽく手に口を当てて笑うと「大事な髪がズレてるわ、ウメコちゃん」と言った。

 俺は慌ててアタマに手をやる。……ズレてない。


「正直、容姿と声だけじゃ疑えなかったかも。アナタより惨めなモノを与えられて生まれてきた本物の女の子もたくさん見てきたもの。でも、これまでにも大事なお友達の目を覚まそうとやってくる王子様もけっこういたのよ? だから、男子禁制にしてたの。キライなフリして避けてたの。ホントは大好物」


 口から湿った音を鳴らして俺にウインク。


「だったら、始めから俺をもっと疑ってかかるべきだったな」

 俺はウィッグを取り立ち上がる。取っ捕まえてやる。


「ハルナちゃん」

 マデリーンが呼ぶ。


 ハルナが返事をする。「はい」。彼女の返事は何の響きも持っていなかった。


 俺は動きを止め、彼女を見た。


「おすわり」


 紅い爪が床を指さすと、ハルナは勢いよく床に尻を付けた。

 犬がそうするように、スカートが捲れてさらけ出しているのも気にしないで。


「ハルナ!」

 俺は彼女を叱りつける。演技するほどの肩入れか。


「……ハルナ?」

 おすわりを命じられた彼女は俺の言葉に眉一つ動かさなかった。ずっと視線は正面。


「セ・ン・パ・イ」

 耳元で俺を呼んだのはハルナじゃない。マデリーンだ。


「この子に相談されてたの。よくあるパターン。アナタ、幸せ者ね。こんな若くて可愛い子に愛されてるなんて」


「……ハルナに何をした?」

 ようやく気付いた。これはオカルトでも冗談でもない。

 心理誘導なんてもんじゃない、本物のマインドコントロールだ。


「大好きなセンパイがいるのだけれど、センパイは年上の女性と同棲してる。それでも、なんとか振り向かせたいってね。若さとまっすぐさは武器よね」


 俺は、俺の脳はマデリーンの言葉をシャットアウトしたがった。

 他者が決して踏み入れてはならない領域。


「アタシ、イヌって好きよ。鎖も好き。人間をいちばん上手に縛る鎖ってなんだと思う?」

「ハルナに何をした!? 洗脳を解け、さもないと……」


 質問に答えない女に語気を強める。


「そばで怒鳴らないで。オスイヌがするようにも命令できるのよ?」

 俺は言葉を呑み込んだ。


「話を聞いてるうちに、アナタに逢ってみたくなったの。いい歳しながら、“面白いコト”に手を出してるみたいじゃない? アナタのこともっと調べたかったんだけど、あの子ちっとも口を割ってくれないの。アタシのコントロールも完璧じゃないから、言ったとおり深層のカギまでは外せないのよね。本当の名前は何? 竹田ウメコさん」


 マデリーンは俺の首に腕を引っ掛け、暑い吐息を浴びせた。


「アナタは嫌いじゃないわ。歳の割に若々しいから。……ねえ、若さを分けて頂戴」


 女の口から漏れ出る息を自身のくちびるで感じ、俺はとっさに突き飛ばした。

 床に金属の音が響く。


「つれないわね。……でも、後悔するわよ」

 彼女はデスクにもたれながら、床に転がった黄金の振り子を見つめている。


「後悔はしないな。女は間に合ってるんだ。お前はもうオシマイだよ」

 俺は尻ポケットに手をやる。

「……!?」

 が、あるハズの物がない。


「これは返すわ。本当はここに記録されてるアナタの全てを覗きたかったのだけど……」

 マデリーンが何かをデスクに置く。

 俺のスマホだ。キスを仕掛けたときに抜き取ったのか。

「録音は消させてもらったわ。だけど、今日のトコロはアナタの勝ちにしておいてあげる。その子とは連絡を絶つわ、お友達のお金も返してあげる。……だから、追いかけないで」


 女は振り子を組み立て直し、テーブルの上に封筒を置いた。


「本当は、アナタとアナタのお友達のことをもっと知りたかったの。だけど、予定が狂っちゃったわ。オンナは乱暴に扱うものじゃないのよ。まだまだ若いわね」

 ハヤブサのような目が俺を見据える。


「ハルナの洗脳を解け」


「どうかしらね? “もうフェアにはならない”から。演技をしていたときのアナタも、彼女のために怒ったアナタも悪くない。年上が好きなんでしょ? アタシも欲しくなっちゃうわ」

 俺はつかみかかろうと一歩踏み出す。


 マデリーンが人差し指を俺に突き出し制止し、それから壊れた振り子を指した。


「振り子にあわせて声に出して十数えてね。それから、アタシがさっきやったようにしっかり指で弾いて」


 歪んだ振り子を弄び言うマデリーン。洗脳の解除の方法か?


「また会いましょう」

 女は甘い芳香のする微笑とともに部屋から出ようとした。

 俺は追おうと踏み出すが、彼女の手が去り際に振り子を揺らしたのに気付き、慌てて追うのを止めた。


 ハルナの洗脳を解かないと。


 振り子が揺れる数を声を出してかぞえ……十、指で弾く。

 歪んだ振り子は勢いよく台座から外れ、床に落ちて耳障りな音を立てた。



 ――――。



 マインドコントロールに使われたのは、この振り子だったのだろうか。

 振り子の刻むいびつな拍に合わされた俺のカウント、それから大きな雑音。


 マデリーンは“もうフェアにはならない”と言った。


 ……解除に失敗したらどうなる?

 俺は被術者のほうを恐る恐る見た。


「アレ? あたし、何やってたんだっけ?」

 ハルナは立ち上がり、首をかしげている。


「お前、大丈夫か?」

 俺はハルナに駆け寄り、両肩に手を掛け瞳を覗き込む。


「わ! センパイ!? なんで? ここってウチハラさんのラボ? ウチハラさんは?」

 混乱するハルナ。


「逃げてったよ。カネも返してくれるってさ」

 彼女は一瞬、首をかしげたが、スマホを取り出し何かをチェックした。


「……そっか、センパイの言う通り、だったんだ」

 ハルナはスマホを操作し、つぶやいた。

「センパイ、ありがと」


 ハルナが見つめている。俺もしっかりと彼女の瞳を見る。

 彼女の眼の焦点はしっかりと俺へと結ばれている。

 どうやら平気なようだ。俺は手を離すと肩の力を抜き、深く息を吐いた。


 ウチハラの脅しめいた言葉は逃げるためのブラフだったか?

 仮にマジでも、アイツを取り押さえてから洗脳を解くことだって選択できたハズだ。

 ヤツは俺の心理を突いて、まんまと逃げおおせた。個人的な勝負では俺の完敗だ。


 俺はハルナから目を離し、デスクに向かう。


「えっ? あの、センパイ?」


 俺は返事をしながら、デスクに置かれた自身のスマホを手に取り録音をチェックする。やはり録音データは保存されていない。


「……なんでもないっす」

「カネはそこの封筒に入ってるらしい。ユイコさんの分も返すってさ」


 悔しいが、やっぱり俺は完敗だ。認める。

 ウチハラは手練れだった。もう尻尾を出すようなことはしないだろう。

 カネがあらかじめ用意してあったということは、初めから俺は疑われていて、アイツの手のひらの上で遊ばれていたってワケだ。


「うわ、めっちゃ入ってる。あたしの払った分を引いたのが、ユイコさんの騙された分? 一、ニ、三、四、五……まだあるよ。逆にジワるー」

 自分も騙されたクセに、封筒の札束を眺めてニヤニヤしてやがる。気楽なヤツめ。


「一件落着! 帰るぞ!」

 俺はハルナの背中を強く叩いた。


「ちょっ! センパイ、ブラがズレた! ヘンタイ!」

「うるさい、イヌ女」

「何それ!? ワンワンッ!」


 俺はノリながらも吠える女子高生と個室をあとにした。


********


 それから数日、ハルナの心身に特に変調は見られなかった。

 いつも通りの元気なバカ娘二号。

 現場に居合わせなかったほかの仲間からは称賛され、ユイコさんからはアタマも下げられたが、正直なところ、俺はスッキリしなかった。


 ハルナは、対決のあった日に学校を抜け出したことは、記憶に無いながらも理解はしていたようだった。

 だが、洗脳を受けていたことを説明してもまったく納得してくれなかった。

 「マインドコントロールなんて映画の世界」だとさ。なんでだよ。

 アメリカの諜報機関のCIAだって大マジメに利用してたんだぞ。


『センパイ! 今日も事務所行ってイイっすか?』


 メッセージとともにウサギがダッシュしてるイラストが送られてくる。

 事件後、ハルナは前よりもさらに馴れ馴れしくなって、正直マインドコントロールでもなんでもいいから、少し静かになるように調整しておいて欲しかったなんて考えてしまうくらいだ。


 洗脳なんて大仰なコトをして、あの女が何を企んでいたのかは分からず仕舞いだった。



 内原マユミ。


 マデリーンを名乗る女。

 マデリィィーン。重なる「i」の音がいまだに脳の奥にこびりついている。


 恋じゃないが、あの女のことは忘れられそうもないな。


「センパイ! ミラカちゃん! ハッピーハッピーイエーイ!」


 事務所に訪ねてくるなり、やかましい挨拶をするハルナ。

 ミラカが首を傾げながらも「イエーイ」と応える。


「なんだ、騒々しい。新しい流行の挨拶か?」

「いやー、これ“仲間たち”のあいだで流行ってるんすよ。ところでセンパイ、最近寒くなったと思いません?」


「まだ九月だぞ」

 コイツが訪ねてくるまで、ミラカといつもどおりエアコンのお守りをしていた。


「まーまー。今寒くなくても、これから寒くなるかもしれないじゃないっすか?」

「そりゃまあ、なるだろうが……」

「ってことで! センパイも買いませんか? ハッピー羽毛布団! 幸運を呼ぶ鳥の羽で作ったお布団なんすよ!」


 ……は?


「なんーて、うっそぴょーん! マジな顔になったっすね。ちょっとイケメン!」


 俺はハルナのアタマをぶん殴った。


********


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