事件ファイル♯14 甦る思い出! ベーコンパイとトマトティー!(6/6)
キッチンの作業台の一角を占領する赤くみずみずしい果実。
それからアレンジのために用意した大量の食材や飲料が散乱している。
「さっそくツッコミ入れていいか?」
「なんや? アドバイスはなんでも歓迎やで」
「まず、ミキサーがオカシイだろ」
俺は大仰に鎮座する白いミキサーを指さす。
「業務用や。ウメデラは貧乏やから小さいのしか見たことないんか?」
「そうじゃなくって。ミキサーで粉砕したものを入れたら、どうやっても濁って紅茶らしくなくなるだろが」
「うわ。まともなアドバイスやった。しかも的を射とるし。サイテーやなー」
「何が最低だ。スタートの時点で間違ってるわ。無茶しないで、既存のものを参考にしろよ」
俺はスマホでレシピを表示して見せようとする。
俺は仕事の合間にトマトティーなるモノの前例が存在するかどうか、検索を掛けていた。
メジャーではないものの、アレンジレシピや限定メニューとしてなら存在しているようだ。
「アカンアカン! あるやろなーとは思っとるけど、それじゃ夢も希望もないわ。“思い出のレシピ”やぞ」
顔を背け手を振るフクシマ。
「もっともらしいコトを言うな」
「でも、分かりますねー。そういうのはヒトのを真似しちゃったら、意味がないと思いますよー」
ツボミさんが言った。
「うっ、否定しませんけど、とりあえずミキサーは止めよう。紅茶と追加の材料だけ調整して、スッキリオシャンティーな方向でいこうぜ」
「オシャンティーてなんかションベンみたいな響きやな。ションベンということでレモンは入れよか」
そう言いながらフクシマはレモンを手に取った。どっちが最低だ。
「紅茶の種類はどうします?」
「調子乗っていろいろ葉っぱ用意したんやけど、紅茶はよー分からんわ」
業務用のシルバーのパックが大量に摘まれている。
「俺も紅茶はよく分からん。ストレート、レモン、ミルクくらいだ」
「日本のお酒だったら詳しいんですけどー」
三人アタマを突き合わせて紅茶のラベルを見る。
アールグレイ、セイロン、ダージリン、ジャスミン。
どれも名前こそは聞いたことがあるが、ほとんど意識して飲んだことがない。
どうでもいい話だが、アールグレイだけおしゃれっぽいし、宇宙人っぽいから試したことがあるが、独特の香りは俺の安物の鼻には合わなかった。
アタマを悩ませていると、俺のスマホが着信を知らせた。
『やっぱり心配なので戻ります。もうすぐ着きます』
ナカムラさんだ。
「ナカムラさん、すぐ帰って来るってよ。心配だとか言われてるぞ」
「あーあ。俺のフクシマワールドの実験場が」
フクシマがため息をつく。
「ま、戻ってくるまで楽しませてもらおか」
やっぱり遊んでたんじゃないか。
あれやこれやとトマトティーを試してみるが、何をすればウマくなるのかよく分からなかった。
基本的に紅茶の味がサッパリしているから、あまり無茶は出来ないし、とりあえずトマトは潰さず、切って沈めるだけにするのがマシそうだという結論に至った。
そこでオーナーであるナカムラさんの帰還。
彼はどこの国に旅行に行こうかとホテルで行き先を調べていたらしいが、突発でノープランだったうえに、SNS上でのイベントの騒ぎを聞きつけて、心配してどこにも行かずに帰ってきてしまったらしい。
気をもませてしまったが、これで俺も安心だ。
「やっぱり、すごいことになってるね……」
満員の店を見て肩を落とすナカムラさん。
「あっ、初めましてナカムラさん。お手伝いさせていただいてる、鹿島ユイコです」
そういえばふたりは初顔合わせか。
「ユイコさんは超凄いデス。ユイコさんが居なかったらどうしようもなかったデス」
ミラカがサンドウィッチを作りながら言った。
「そんなに? ハルナちゃんやミラカちゃんよりも?」
ナカムラさんが目を丸くする。
「私、喫茶店のアルバイトはけっこう経験してます。ちなみに今、仕事をやめて無職です!」
ユイコさんが言った。
「じゃあ、正式にお願いしようかなあ。旅行に行きたいんだけど、この分だとしばらくお店は閉めないほうがよさそうだし」
「是非是非!」
ユイコさんは満面の笑みだ。
「ところで、みんな、何してたの?」
ナカムラさんが散らかりっぱなしの作業台を覗き込んだ。
「思い出のトマトティーを作ろうとしてたんや」
「あー、トマトティー。僕も考えたことはあるんだけど、無難なのしかできなくって、需要もないかなと思ってレシピ化はしてないんだよね」
「マスターオリジナルの創作メニューとかもあるんですか?」
ユイコさんが声を弾ませ訊ねる。ナカムラさんは「もちろん」と答えた。
「おっ、喫茶店ガールのお出ましやん! なあ、ねーちゃん。トマトティー作ろう思うんやけど、なんかええアイディアないか?」
店の主が帰って来ても諦めないフクシマ。
「トマトティー?」
「ちょっと、作ってみてーや」
ユイコさんはアゴに人差し指を当てると作業台を見渡し、転がってるトマトの上で手を泳がせると、ひときわ赤いのを選んでつかんだ。
「おっ、さすがユイコ。迷いがない」
ツボミさんが言った。
「今、めっちゃ迷ってへんかった?」
フクシマが突っ込む。
「紅茶は適当に淹れたのが残ってるみたいだぞ」
俺はボトルに入った紅茶を指さす。
「種類はなんですか?」
ユイコさんはボトルのフタを外し、香りをひと嗅ぎすると「ジャスミン」と言った。
「正解、ジャスミンや。クセがあるから、まだ試してへんわ」
「よーし。じゃあ、いきますね」
これは期待できそうだ。
俺たちはユイコさんの次なるアクションを固唾をのんで見守る。
するとユイコさんは、ヘタの付いたままのトマトをドボンと放り込んだ。
「そのままいくのか。皮のせいで味が出ないと思うが……」
きっと何か考えがあるのだろう。彼女は本格派なのだ。
「あっ、そっか。ウメデラさん賢いですね。じゃあ、“こう”かな~」
そう言うとユイコさんは追加のトマトをつかみ、
ボトルの上で、
ぐしゃりと握りつぶした。
「マジかい!」
フクシマが大声をあげた。
「あー……そうだった。ユイコ、料理できないんだった」
ツボミさんが額に手を当てる。
「ヒーッヒッヒッヒ! そういう次元ちゃうやろ今の!」
フクシマが腹を抱えて倒れ込んだ。
「えっ、えっ? 味出ないって言われたから」
慌てる彼女の手からトマトの汁が滴る。
「ちょ、ちょっと心配かなあ」
ナカムラさんがユイコさんにタオルを手渡す。
「ふうん。ユイコさん、料理ダメなんだ」
仕事を続けるハルナが通り過ぎざまに鼻を鳴らした。
短いスカートをふりふり奥のテーブルへとコーヒーを届けに行く。
これじゃあ、ハルナの勝ちかなあ。俺も苦笑だ。
「アンタそれでよく喫茶店が将来の夢なんて言えるよね」
ツボミさんが笑う。
「レシピや本に従うのはできるんですよ!? ホントです! バイトでも苦労してませんでしたし! 信じてくださいマスター!」
弁解するユイコさん。当のマスターはメガネの奥が笑ってない。
「でも、なんでもマヨネーズ掛けちゃうし、香辛料もドバドバじゃん? 私の唐揚げに勝手にレモン掛けるし」
ツボミ先輩の追撃。
「アカンて。無断で唐揚げにレモン!」
床から苦しそうな声が聞こえてくる。ウケすぎだろ。
「うう……ハルナちゃんに誘われてチャンスだと思ったんだけどなあ」
肩を落とすユイコさん。
どうやら、初めからここのウェイトレスに納まる算段をしていたらしい。だから、あんなに気合を入れていたんだな。
「そうだねえ。ひとりでお店を任せるのは、ムリそうだね」
ナカムラさんもお断りのようだ。
ユイコさんはしょげ返り、目の端をそっと拭った。
「ユイコもいい加減ニート辞めて、ウチの田舎に来なよ。茶畑を眺めて過ごすのも悪くないよ。ニシクロヤマはもっと栄える予定だから、喫茶店も増えるよ」
観光課のセンパイは後輩の肩を叩く。
「帰るなら自分の田舎に帰る」
短く言うユイコさん。鼻をすすり、接客の出来ない顔になっている。
ナカムラさんは「ごめんね」と言って、散らかったままのキッチンを片付けを始めた。
居づらいだろうなあ。
「スネるな、スネるな。なんだっけ? “ニワトリのお兄ちゃん”探すんだっけ? アンタが好きだった、近所のお兄さん」
「誰デスカ? “ニワトリのお兄ちゃん”って」
ミラカがティッシュの箱を持ってやってきた。
「ツボミ先輩、その話は秘密だって言ったのに。私の実家の近所に養鶏所があって、小さいころ、そこの息子さんによく遊んでもらったんです。だからニワトリのお兄ちゃん」
ユイコさんはティッシュを受け取ると鼻をかんだ。
「ニワトリのお兄ちゃんには、よく喫茶店ごっこで遊んでもらったんです。私の初恋……。それで、将来は喫茶店やりたいなって。お兄ちゃんは知らないうちにどこかに行っちゃったから、ずっと会ってませんけど。この前、養鶏所を訪ねたら、次男坊だから好きにさせた、どこにいるかも知らん、なんて言われて。だから探しても無駄! センパイのバカ!」
そう言うとユイコさんはまた泣き始めた。
「ゴメン、ゴメン」「ユイコさん元気出してクダサイ」
女子ふたりに慰められるユイコさん。
カウンターに入ってる舎弟が「甘ずっぺえなあ……」と言った。
ガチャン。食器か何かの割れる音。
音のしたほうを見ると、ナカムラさんが立ちつくしてこちらを見ていた。足元には割れたグラス。
「鹿島ユイコさんって、もしかして、“ユイちゃん”?」
ナカムラさんのほうを向くユイコさん。鼻をすするのに忙しくて返事はできなそうだ。
「お母さんは私よりもトマトのほうが大事なんだ、って泣いてた泣き虫ユイちゃん?」
さらに訊ねるナカムラさん。
「……ツボミ先輩?」
鼻声でツボミさんを睨むユイコさん。
「えっ!? 私、話してないよ。この人に会うのも初めてだし、誰にも言ってない!」
ツボミ先輩は激しく顔を振った。
と、言うことは……?
「甘ずっぺえ、甘ずっぺえなあ」
コーヒーを淹れる男がそう繰り返し、鼻をすすった。
********
それから数日後。カレンダーを一枚めくって九月だ。
イベントは無事終わったものの、いまだに客足が落ちないロンリーで、俺はウェイターをしていた。
作業こそは慣れたものの、やはりこういう仕事は得意ではないと再確認している。
だが、それもあと二日の辛抱だ。
「やっほー。センパイ生きてるー?」
店のベルがカラコロと鳴り、ハルナがやってきた。
「よう、ハルナ」
「学校終わったし、手伝うっすよ」
ハルナはカバンをカウンター内の物陰に置きながら言う。
「待ってマシタ!」
ミラカがコーヒーサイフォンと睨めっこをしながら言った。
「ふふん♪」
ハルナは鼻歌を歌いながらエプロンを身にまとう。
彼女のスカートの丈もひざ下に戻っている。
結局、ナカムラさんとユイコさんが話を照らし合わせてみると、ふたりは同郷だということが分かり、彼女の喫茶店の夢のきっかけになった初恋の相手“ニワトリのお兄ちゃん”はナカムラさんだと確定した。
ナカムラさんは彼女を正式に雇うことを決定。
ユイコさんも田舎に戻らず、こちらで暮らし続けることに決めたようだ。
「それにしても、ユイコさんはオトナなんだなあ。やっぱり敵わないや」
ハルナがお冷のボトルに氷を足しながら言った。
「何がだ? ナカムラさんに気に入られたって、料理がダメなのは致命的だろ。年齢と経験を差し引いたらお前のがよく働けてるよ」
「ありがと、センパイ。でもそーゆーことじゃないっす。まさか、再会してすぐにふたりで海外旅行に行っちゃうなんて」
ナカムラさんとユイコさんは意気投合、翌日にはカウンター内のナカムラさんとホールのユイコさんのふたりだけで満員の店がうまく回るほどだった。
営業時間外でもよろしくやっていたようで、ナカムラさんの旅行計画にはすぐに彼女が加えられていた。
そういうワケで、俺たちは再びロンリーを任されている。
どうでもいい話だが、ナカムラさん不在のあいだにカウンターをまかされていたフクシマの舎弟は「あばよ、ロンリー。俺もロンリーに戻るぜ」と言って帰って行った。
なんなんだったんだアイツは。
「まー。オトナの付き合いっても個人差があるけどな。ナカムラさんが意外と手が早いのには驚いたが。お前はムリして、オトナにならんでもいいぞ」
「それセクハラっすか? やっぱりセンパイは分かってないなあ」
口をへの字に結ぶハルナ。
「よく分からん奴だなあ」
俺は首をひねる。
「ソーデスネ。……アッ! ハルナちゃん、大変デス」
ミラカが声をあげる。
「えっ、なになに?」
「頬っぺたのトコロにおデキが」
ミラカに指摘され、頬を触るハルナ。
「うわ、ニキビだ。気づかなかった。つまみ食いしすぎたかな」
ハルナは料理の習得に際して、味見をたっぷりとおこなっていた。
「ご飯は抜いたから体重は大丈夫!」
だなんて言ってはいたが、どうやらそのツケは違う形で吹き出して来たらしい。
「うう……センパイ、あたしの顔見て気づかなかったんですか? 教えといてくれたらよかったのに」
何故か恨めしそうにこちらを見るハルナ。
「若いうちはそんなもんだと思うが。大丈夫だ、あっても可愛いぞ」
俺はテキトーに言った。
「そ、そうかな……。でも、無いほうが可愛いよね」
ニキビを撫でるハルナ。
「いじると腫れるぞ。触るなハルナ」
なんとなく韻を踏んでみる。
「センパイのバカ!」
怒らせてしまった。
「若さのあかしデス! 仕方ないデスヨ」
励ますミラカ。小生意気な大食い娘の肌はすべすべのツルツルだ。
「お前が言うなー!」
ハルナがミラカを抱きすくめた。「ぐええ!」悲鳴をあげるミラカ。
騒いでいると、テーブルからの呼び出しのベルが鳴った。
「おっと、いけない」
ハルナはミラカを解放すると奥のテーブル席へと駆けていった。
騒がしいヤツだ。
「ゴメンセンパイ、十三番テーブル。あたし、行きたくないっす。注文はベーコンパイとトマトティー」
注文を受けて戻ってきたハルナは、俺に仕事を押し付けた。
「何でだ? 知り合いか?」
俺は首をかしげる。
「いいから、なるはやで頼みます。知り合いでもお客はお客っす」
それからミラカが仕上げたオーダーを十三番テーブルに持って行くと、そこにはガックリとうなだれた小学五年生男児が座っていた。
「ヒロシ君か。注文のベーコンパイとトマトティーだ」
俺は苦笑いする。
ご存じ彼はユイコさんに惚れていたワケで、ハルナ経由で事の顛末を聞いて、ずいぶんと落ち込んでしまったのだ。
「うう、今日はおこづかい全部でやけ食いしてやる……」
メガネの下はレンズに照明が反射していてよく見えない。
「どれ、やけ食いの軍資金をやろう」
俺はテーブルに千円札二枚を置く。
「ありがとうございます。やっぱり姉より兄がよかったなあ」
少年はそうつぶやくと、トマトティーのストローに口をつけた。
「ごゆっくりどうぞ」
俺は苦笑して仕事に戻る。背中のほうで「酸っぱい」のつぶやき。
結局、トマトティーは、ジャスミンティにレモンの輪切りと半切りのプチトマト、そこに少しのトマト果汁を入れてミントを浮かせたものが完成形となった。
ほとんどヨソ様からの流用のレシピだが、思い出を共有するふたりが決めたのだから、誰も文句は言うまい。
ベーコンパイとトマトティー。いつかどこかで聞いた曲を思い出す。
アレは確か、パンプキンパイとシナモンティーだったかな。
ほんの少し甘酸っぱい喫茶店の香りを嗅ぎながら、俺はメロディーを口ずさんだ。
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