事件ファイル♯11 犯人を追え! 繋がる血の赤い糸!(2/7)
公園は猛暑の夏だというのに利用者の姿が少なくなかった。
大きな池、木陰、小川、人工的な花畑や水遊びの出来る水場など、目に涼しいロケーションが充実。
もちろん、休憩所やイベント用に使える施設などもある。
アスファルトやコンクリートの上よりは遥かにマシだが、それでもサイクリングやマラソンをする人の正気は疑いたい。
ところで、ここには様々なロケーションだけでなく、「涼しくなるようなエピソード」も豊富だ。
マイカタ市屈指の自殺スポットで、首吊りどころか、焼身自殺まで起こっている。
このためか、「公園で幽霊を見た」とかいう話には事欠かないし、公園だけでなく、近所の住宅街や団地でも、そういった怪談が散見される。
池の周辺には深夜に赤い三輪車が現れて追いかけてくるというウワサがあったり、河童だの宇宙人だのの話も挙がったことがある。
もはやなんでもアリの状態ではあるが、オカルト的にも信憑性があるのは自殺関連の話くらいのものだ。
大体は自殺の事実から連想して作られた話だと考えられる。
……のだろうが。
じつのところを言うと、俺もこの付近で一度不思議なものを目撃している。
公園のそばを通る、急な坂となっている道路の歩道を歩いていたとき、腰の曲がった婆さんとすれ違ったときのことだ。
いやに派手な服装をしていたため、すれ違いざまにちらと彼女を盗み見ると、偶然か何か、彼女もこちらを見たのだ。
ぎょろりとした目玉に、キャビンアテンダントでもしないような真っ白な化粧。
それから真っ赤なルージュの唇。
そんなもんと目を合わせたわけだ。もちろん、俺の心臓は凍り付いた。
婆さんは何も言わず、俺は慌てて目をそらして正面へと向き直った。
それだけなら単にボケた婆さんへの失礼な話で終わるのだが、話はそれだけじゃない。
そこから少し歩くと、背後から歩道を猛スピードでくだってくる自転車に追い抜かれた。
ばあさんとすれ違って十秒も経っていない。
歩道はあまり広くないし、俺ももし真ん中を歩いていたら自転車とぶつかっていただろう。
あの婆さんは大丈夫だっただろうか?
そう思って振り返ると……そこにはもう誰もいなかったのだ!
歩道と車道のあいだには切れ目なくフェンスが設置されている。
反対側はさらに高いフェンスで、その先は切り立つような斜面を経て公園敷地内となる。
ほんのわずかな時間に、あの婆さんはどこへ消えたというのか?
坂を全力で駆けあがった? 柵を越えて道路を横断して走り去ったとでも?
しかし、真昼間の時間帯だったうえに、あの生々しさだ。幽霊だといわれても納得がいかない。
あの出来事は今でも、俺の中のオカルト事件簿の上位に君臨している。
さて、こう言った与太話をミラカに聞かせながら歩いているうちに、俺たちは肝試しのときに入り込んだ森の手前に来ていた。
「森に入ったら怒られちゃいマスカ?」
「大丈夫じゃないか。うるさそうな人も居ないしな」
田中池自然公園には多くの森がある。
ひとくちに森や茂みといっても、きっちり保護され剪定たものもあれば、自然のままに伸び散らかしているものもある。
場所によっては区画に名前が付けられ、明確に進入禁止にされているところもあるが、俺たちが入りたい場所は該当しないようだ。
肝試しで侵入した地点も、セーフだったようだ。
木々の影を落とす青絨毯は、日が出ていても薄暗く、ぱっと見では樹木に遮られて入れない場所とも思える。
「多分ですケド、ミラカの嗅いだニオイはネコちゃんの……」
「うん」
俺はミラカの背中を軽く叩くと、森へと足を踏み入れた。
しばらく歩くと、先に拓けた空間が現れる。暗闇で歩いたときよりも遥かに早い到達だ。
「まんようばこがアリマス」
「百葉箱だ」
広場に佇む白いほこらのようなモノ。
古ぼけて、ところどころ塗装も剥がれている。昼間に見てもうら寂しい。
本来は撤去されるはずだったものが忘れ去られているのだろう。
「アッ! 編集長、見てクダサイ! おふだデス!」
百葉箱の裏に回り込んだミラカが声をあげた。
「あー。剥がし忘れたんだな。カシマさんが出て来てうやむやになったんだ」
「なんて書いてアリマスカ?」
俺は読んでと指さしせがむミラカの後ろから、貼り付けられたおふだを覗き込んだ。
「日本語は完璧なんじゃないのかー?」
白い紙に独特の書体で赤い文字。
なんて書いてあるかのかは分からないが、何やら「怨」とか「呪」とかいう文字に見えないでもない。
かなりホンモノチックだ。これは川口姉弟の用意したものではなく、カシマさんの自前のものなんじゃないだろうか。
あの人ならこういうガチっぽい呪いのグッズくらい持っているだろう。
「よく分からんが、あまりいいおふだじゃないと思う……」
「ソーデスカ」
ミラカはおふだを丁寧にはがし、折りたたんでポシェットに収めた。
「お前、度胸あるな」
「ゴミはちゃんと持ち帰りマショー」
それから問題の「血のニオイ」のした場所に向かう。
ミラカはしきりに鼻を鳴らし続けている。犬みたいなヤツだ。
「どうだ、ミラカ。何かにおうか?」
「ウーン……さっぱりデスネ」
俺もマネして鼻を鳴らすが、草木の青臭いニオイしか分からない。
「……これは」
土の地面に黒く変色した場所を見つけた。
ミラカもそれに気づき、地面のシミの上でかがんで鼻を鳴らすと「アー……」とつぶやいた。
「ちょっとこのあたりを探ってみる。お前は空でも見てろ」
俺は血のシミと思われるものの近辺の茂みをよく調べた。
しかし、葬ってやるべきものも、犯人へと続く糸も見つけることはできなかった。
「何もないな。持ち去ったか」
「そんなことしてどうするんデショウ?」
「知らん、飾るんじゃないか」
事実、過去に被害に遭った何匹かの動物は“モズのはやにえ”のような扱いをされていたらしい。
「私たちに投げられたノハ……」
「まだ動いてた。投げられる数秒とか、数十秒前には。だから近くで……」
言いかけてやめる。
「絶対に捕まえマショウ」
ミラカが強く言った。
「……鉢合わせたらな。ホントは警察の仕事だ」
「分かってますケド」
少し不満げな返事。
俺とミラカは再び百葉箱のそばに行き、パッと見では分からない程度に盛り上がった土に手を合わせた。
本来ならばこの市では“黒猫”は「ゴミ」だ。
保健所すらも相手にしてくれない。そしてここは他人の土地。
俺たちのやった行為はルール違反だ。
しかし、ミラカはあの日、せっかくもらった浴衣が汚れることも意にせず、無残な扱いをされた“黒猫”をここへと弔っていた。
俺もそれを止めずに手伝った。
不完全な埋葬。“黒猫”には“本来あるハズの部位”が失われたままだ。できればそれを取り返してやりたい。
「よし、少し聞き込みしてから帰るか」
「……ハイ」
俺たちは“黒猫”の墓をあとにし、聞き込みへと向かった。
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結局のところ、聞き込みでは俺が置いていくつもりだったミラカが活躍した。
「このあたりで不審な人物を見ませんでしたか?」
最初は俺が公園利用者に声を掛けたのだが、速攻で「知らない」と答えられてしまった。
まるで「不審人物? アンタでしょ?」と言わんばかりの顔。
それがどうだ、この麗しき金髪を麦わら帽子に収めたエメラルドアイの娘にかかれば、誰も彼も頼みもしないのに世間話まで始めて、人によっちゃ逆にミラカが質問攻めだ。
扱いの違いに大変遺憾であるが、逆の立場なら俺もそうならない自信はない。
だが、そんな愛嬌のある娘の奮闘も虚しく、不審人物に関する情報は得られなかった。
彼らが話した共通の話題としては、「テレビ番組と共同して田中池で池干しがあった」くらいか。
有名人を見れて嬉しかったとか、環境を壊すから許せないなどと言った声だ。
だが、同じテレビでも、ワイドショーになったはずのネコの件について触れる人は一人も居なかった。
「不漁デシタネー」
ぐったりした様子のミラカ。
森は日光が遮られていたが、日光に照らされている時間は長かった。
このクソ暑い中だ、ヴァンパイア病の弱点を差し引いても、彼女の身体にはかなりの負担になっているだろう。
「帰るか」
「ハイ」
ミラカが手を出してくる。俺は黙って繋いでやる。少し冷たいか?
「ア、編集長。絵描きが居マス!」
せっかく恥を忍んで手を繋いでやったというのに、彼女は振りほどいてその絵描きの居るほうへと走っていってしまった。
「絵描きなんて珍しかないだろ」
俺は誰に聞かせるワケでもなく文句を垂れると、彼女を追い掛けた。
彼女が向かったのは池のそばだ。
日除けにちょうどいい木が立ち並んでいる。
その中のひとつから絵描きを見つけて、思わず俺も声を上げた。
「ホントだ。絵描きだ」
こういう公園だ、スケッチブック片手にしている人は珍しくない。
だが、その絵描きはベレー帽を被り、イーゼルまで立てて、片手に木製のパレットという、本格的……というよりは大げさな“ザ・絵描き”といういで立ちだった。
若い男性。大学生くらいだろうか?
すらっとした長身に、少し女っぽい、イマドキのアイドル寄りの美形だ。
筆を構えたり、キャンバスに当てる仕草はなんだかキザったらしい気もする。
ムカつくので、俺は関わりたくない。
「お兄さん、何描いてるんデスカ?」
臆面もなく話しかける小娘。
「あ、コラ、ミラカ!」
絵描きはちらとミラカのほうを見ると筆を置き、ペットボトルに入った水を一口飲んでから向き直る。
「風景、風景を描いてるよ。いつもは静物を描くのだけれど」
「上手デスネー」
ミラカはイーゼルの絵を見て言った。
「そうかい? まだ描きかけだけど」
「イヤイヤ、この下書きの鉛筆の線からシテ、描きなれたプロの風格が……」
ミラカは青年を“よいしょ”している。
「面白い子だね。それに綺麗で明るい子だ。よければモデルになってみない?」
「エ? カワイイって言いマシタ?」
ミラカが身体をくねらせる。
「アホか。綺麗って言ってたぞ。どういう耳してるんだ」
俺は麦わら帽子を軽く叩いた。
「おっと、カレシさんが居た。いや、お父さん?」
青年が首をかしげる。動作が何につけてもサマになる美青年だ。
「親戚のお兄さんです。ちょっとこのあたりで聞き込みをしていまして」
「聞き込み?」
「不審人物を見ませんでしたか?」
俺が訊ねると、青年はいまだにニヤニヤしてる娘を見やった。
「見てないよ。僕はよくここで絵を描いてるけど、モデルや風景しか見てないから……」
肩をすくめる青年。
「こんなに暑いのに、ずっと絵を描いていらして平気なんデスカ?」
ミラカが訊ねる。
「平気じゃないけどね。夏場はツラいものがある。だけど、僕は絵を描いてる僕が好きだから」
やっぱりムカつく。一億点分減点だ。
「絵描きがお仕事デスカ?」
「趣味だよ。プロには及ばないね」
俺もキャンバスを覗き込んだが、素人からみても上手に見える。
着色を意識した淡泊な描き込み。少ない線で正しい表現がされている。
「プロになれそうな腕前に見えます」
俺も素直に褒めてやる。
「プロにはなりたくないなあ。趣味を仕事にするなんて。目標は平凡な仕事でそこそこの暮らしをしながら、趣味で絵を描くことだから」
青年は少し早口で言って続ける。
「趣味は持たなきゃ恥だけど、夢を語るも恥だよ」
余裕ぶっていてやっぱりムカつく。
「そうですか、お邪魔しました」
これ以上、彼への減点を重ねないためにも早々に退散しよう。
これでイイトコの学校に通ってるとか、金持ちだとかいう情報でも出たら、嫉妬の炎で熱中症になってしまう。
「あれ、もう帰っちゃうんだ。せっかくだからもっと絵を見て行ってよ。自慢する相手が居ないんだ」
あ、ウザ。
「ワー! 見せてクダサイ!」
ミラカが食いついてしまう。
「いいよ。アトリエに飾ってるのは持ってこれないけど、スケッチブックの分ならね」
青年はスケッチブックを取り出し、ミラカに手渡した。
嬉々としてスケッチブックを開くミラカ。
「オ……オウ、マジでジョーズデスネ……?」
感嘆というよりは若干引いてる声。
俺も遠慮気味に覗き込むと、なんと言うか若干“芸術タッチ”な分からない世界が広がっていた。
フクシマワールドより意味不明だ。
端的に言うと、オレンジやブルーなどの極彩色で顔みたいなものや三角とか丸とかが書いてある。
「無理して褒めなくてもいいよ。スケッチブックのは抽象画も多いからね。だけど、ピカソだって基礎は見事なものだった。後半のページを見てみて」
彼の言に従い、スケッチブックを逆からめくる。
「こっちは写実的だな。それに巧い。離れて見ると写真かと思うくらいだ」
教会や花、これはユリだろうか。
それにカゴの中の鳥や、動物園で描いたものと思われるものが数枚。
どれも写真のように精密に描かれている。
「大きなキャンバスだと、ここまで書き込んでいられないけどね。この大きさなら細かい描写もしやすいんだ」
「ネコちゃんの絵もアリマス」
「ネコの絵がいちばん多いかも。ネコはいいよね。気楽そうだ。多分、何も考えてない」
そう言って青年は笑った。
「そんなにネコちゃんの絵は無いような?」
ミラカがスケッチブックを丁寧にめくる。ネコの絵は見当たらない。
ミケとサバトラが佇んでいる絵が一枚限りだ。背景からして、この公園で描かれたもののような気がする。
「あはは。前半部分、抽象画がほとんどネコなんだよ。パブロ・ピカソのマネをして、キュビスム的な視点で描きつつも、詩人であるアンドレ・ブルトンのシュルレアリスムを取り入れて描いてるんだ」
さっきのアレは猫だったのか。
「アー、この……アンドレ! ……ウン! すごい絵デスネ」
ミラカは再び抽象画のページを開くが苦笑いだ。
「またそのうちに、いいのが描けると思うんだ。僕はここが好きだから、夕方にはたいてい居るよ。よかったら見に来て」
そう言うと青年は、斜陽を受けてキザったらしい顔をさらに引きたててみせた。
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