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事件ファイル♯11 犯人を追え! 繋がる血の赤い糸!(1/7)

 張り付くような熱気と湿気。胸に張り付くシャツと少し冷えた汗。夏の台所は地獄だ。

 今日は夕食の仕度を担当している。

 食事時にはまだまだ早かったが、巡らす思考と共にリフレインされる不快感をぼやかすには、この暑さの中の作業はかえって都合がよかった。



 あの花火の夜に、俺たちの前に投げ込まれたのは「首の無い黒猫の死骸」だった。



 投げ込まれた直後は、ただひとりを除いて状況を理解できていなかった。

 どうやらミラカは血のニオイに敏感なうえに、通常の人間よりも夜目が効くらしい。

 彼女は投げ込まれたソレが“よくないもの”とすぐに察知し、「見ちゃダメデス!」と俺たちに制止を掛けていた。


 “黒猫”はまだ温かく、動いていた(・・・・・)

 それは電気的な反応に過ぎないものだが、犯行がおこなわれてからほとんど時間が経過していないことを示す。

 陰惨な所業を全員が理解したときには、うかつにもライトを向けてしまった十七歳の娘は、すでに古い蛇口をひねったような声で「どうして?」とつぶやき、泣いていた。


 彼女の弟であるヒロシ君は誰よりも冷静で、周りが止める隙もなく“黒猫”を調べ始めていた。

 俺はというと、死骸を触る少年を止めるべきなのか、ハルナを慰めるべきなのか、はたまた逃げて行った犯人を追うべきなのかで足を迷わせるばかりだった。


 動物を虐待し、殺し、目に付く場所に放置するという猟奇的な犯行。

 これはマイカタ市近隣で去年から連発していた事件と同一のものだろう。

 最近ではワイドショーでも取り上げらている。


 最初は入手の容易なハムスターから始まり、鳥類、猫や犬などの中型の哺乳類にエスカレート。

 単なる放置ではなく、他人の土地に投げ込まれていたり、どこかにまとめて溜め込んであったり、ときにはそれら哀れな(むくろ)を遊ぶように飾り、犯行を誇示するようになっていった。


 知り合いや地域の掲示板から集めた情報を総合すると、“仕事の成果”を他者に見せる目的があると結論付けられる。

 今回の犯行に至っては、その場で殺して人の輪の中に投げ込むという大胆で狂気極まるものだ。


 殺害行為そのものが目的でなく、アピールを強める方向に振れているのはある種、さいわいかもしれない。

 残虐行為による支配感のみを目的にしたものであれば、エスカレートするのは“内容”ではなく“対象の大きさ”にいきやすいからだ。


 犬猫に飽きれば、次は子供だ。


 そういったタイプの連中は、彼らとしては(・・・・・)特にアピールをしていないつもりのケースが多いと聞く。

 他者から見れば、ずさんに思えても隠ぺいしているつもりだったり、あるいは発見される危険性自体が頭から抜け落ちていたりするものが多い。


 脳に得られる快感という報酬に盲目的になり、自身が被りえる損害に対して鈍感であり続ける――俗にいうサイコパスやソシオパスと呼ばれるタイプの人間だ。


 しかし、今回は人に見せることに悦びを見出す方向に悪化しつつも、俺たちの前へ投げ込んでから、反応を見る前に急いで逃げ去っている。

 だから、そういったタイプには該当しない気がする。


 犯人は単なる卑劣な小心者に過ぎないのではないだろうか?

 ただ単にそう思い込みたいだけなのかもしれない。


 それに、俺は不謹慎ながら犯人に対して怒りを持ちつつも、この事件に対してわずかばかりの感謝を覚えていた。


 一度だけ。

 一度だけだが、「ミラカが動物を殺めているのではないか」と疑ったことがあったのだ。

 彼女がブタの内臓を生で口にしていたのを知ったあとのことだ。


 ヴァンパイアウイルスによる血の衝動により、動物を殺害、吸血行為に及んでいたのでないか? と。

 だが、今回の事件により、俺の中からその疑念は完全に消え去った。


 あのとき、ミラカは俺のそばにいた。

 ほかの件については関係のないことではあるが、ただそれだけで胸の中のつかえは溶けるように消えてくれた。

 だから、犯人には少しだけ感謝もしている。煮え切らないアンビバレントな感情だが。


 かといって、放置するワケにはいかない。こんな行為を許しておくワケにはいかない。

 警察に通報をしたものの、殺されたのがノラ猫で、投げ込まれた場所が都道府県の管理する自然公園であるため、俺の通報から「たったこれだけ(・・・・・・・)では刑事事件として取り扱うのは難しい」と言われてしまった。


 警察も一連の事件に関しては把握はしているようだったが、今回は何ひとつ動いてくれないようだ。


 俺は食い下がったが、ダメだった。


 土地の所有者が訴え出れば軽犯罪に問えるとか、飼い猫が相手なら器物損壊罪だとか、投げ込みが明確に個人を狙ったものであれば脅迫罪を疑えるという話だが、今回の状況では捜査を開始するトリガーとしては弱いのだと説明された。


 そういう大人の事情は理解している。それでもこの件では、明確に傷ついた人間がいるのだ。

 俺は、情報自体は丁重に扱ってくれると信じて、事件当日のことや、それ以前に気付いたことをまとめ上げて警察へ報告をしておいた。

 仲間うちで改めてその日を振り返ると、新しい情報がいくつか出てきた。


 鹿島ユイコさんが不審な人物を見ていたというのだ。


 暗くて顔は分からなかったそうだが、「背が高い痩せ型の男」が独りで居たらしい。

 彼女が公園のトイレで着替えを済ませて出て行ったとき、それと俺たちを待ち伏せていたときの二回、その男を見ている。

 そのあいだには多少のタイムラグがあることから、そいつは独りで深夜の公園をうろついていたと思われる。


 記憶が話に引っ張られている可能性も捨てきれないが、俺が聞いた逃げる足音も長身を示すように、やや間延び、若干飛ぶような間隔で聞こえた憶えがあった。


 他にも、ミラカからも重要な証言が得られている。

 ヒロシ君を脅かすために森で二手に分かれたきっかけになった発言。「血のニオイがシマス」というものだ。

 てっきりミラカが俺たちを驚かすためにでっち上げたものだと軽く考えて、すっかり失念していた。


 肝試しから花火の終了までも当然間がある。

 “黒猫”がまだ温かかったことを考えると、他にも“犠牲者”がいる可能性があり、犯人に繋がる手がかりも残っているかもしれない。

 これに関しては彼女が帰宅してから調査に行こうと考えている。


「イテッ!」


 考え事をしながらジャガイモを剥いていたら、指を切ってしまった。

 そこそこ深く切ったようで、人差し指の側面が血に濡れている。


 水道は目の前にあるが、俺はちょっとした好奇心でそれを口にしてみた。


 ぬめった感触とわずかな塩っけ、遅れて鉄クサい後味。

 特別、ウマいとは思わない。吸血鬼の気持ちはちょっと分からんな。

 俺は指を洗い口をゆすいで、絆創膏を二枚巻いておいた。


「タダイマー」「おかえり」

 ヴァンパイア嬢が帰宅する。


 “黒猫”でショックを受けたハルナは、すっかりふさぎ込んでしまっていた。ミラカはその見舞いに出ていたのだ。


「様子はどうだった?」

「ハルナちゃん、元気なかったデス」

 麦わら帽子を脱ぎながら言う彼女も、しょんぼりとしている。


「おはなし、あまりしませんデシタ。もっとギブアウトしてくれてもよかったのに……」

 深い溜め息。犯人は、ドーシテあんなことをしたのデショウ。宙に投げられる疑問。


「楽しいんだろうよ。俺には分からんが」

 ぶっきらぼうに答える。


「私にも分かりマセン。生き物を手に掛けるのは、食べるためデス。家畜が病気になったときや襲われた場合もですケド……」

 病気なのは犯人のアタマのほうで、襲われたのは動物のほうだ。

 まるっきり逆。もちろん、ヤツは食ってすらいないだろう。食っていたら、それはそれでイカれているが。


「すん……」

 ミラカが鼻を鳴らす。彼女も悲しいのだろう。

 ヒロシ君が動物の話を持ち込んできたときに動物が可哀想だと憤慨していたのを思い出す。


「すんすん……」

 鼻をすする音が近づいて来る。


「何か、ニオイがシマスネ?」

 どうやら彼女が鼻を鳴らしていたのは別の理由だったようだ。

 ミラカはしきりに俺のそばでニオイを嗅いでいる。


「まだしないと思うが」

 今晩はカレーの予定だが、材料を切っている段階だ。

 火にかけてすらいない。どれだけ食い意地が張っているのやら。


「指を切りマシタカ」

 ミラカは俺の手元を覗き込み、そうつぶやく。

 それから棚に行きグラスを取り、冷蔵庫から出した麦茶を注いで一杯あおった。


「ちょっとボーっとしててな」


「編集長、怖い顔をしてマス。ここのところずっとそうデス」

「気のせいだろ。俺は元々こんな顔だ」


 苦しい言い訳だ。コイツは子供のようなナリをしてるクセに、そういうところは誰よりも鋭い。


「また手を切りマスヨ。ミラカがやりマショーカ?」

「いつもやらせてるんだし、今日は俺が作るよ。でも、ちょっと休憩がてらに散歩に行ってくるよ」


 できるだけ口調を和らげて言う。


 俺はカレーの仕度をいったん置いて、田中池自然公園へと足を向けることにした。


「待ってクダサイ」

 ビルを出てしばらくすると、ミラカが追い掛けてきた。

「田中池公園は、ちょっと散歩に出るには遠いデス」

 お見通しか。俺はため息をつく。

「ミラカもお手伝いシマス」

 彼女は俺のそばまで駆け寄る。

「ちょっと気になる箇所を見て、気が向いたら聞き込みをするだけだぞ。独りでも充分だ」

「フーン。そう言って、ミラカが夕食の仕度をするのを期待してるのデハ?」

「いやいや。ちゃんとカレーは作るから」


「カレー!」

 ミラカはウサギのように跳ねて俺を追い抜いた。

 それから振り向いてもう一度、「カレー!」。


 ミラカはジャパニーズカレー大好き娘だ。俺もジャパニーズカレー大好きお兄さんだ。

 最初に口にしたとき、彼女は「昔、故郷で食べたのよりもおいしいデス」と発言した。

 どうやら日本に伝来するより前に、ヨーロッパにもすでに似た料理があったのだとか。


 カレー粉自体は当時の植民地支配の事情からヨーロッパに伝来。

 料理はカレー文化のある地域に入植したイギリス人にあわせて改良されたのがルーツなのだそうだ。

 そこから明治時代に日本へと流れて来てさらに進化をし、日本式のカレーとなったワケだ。


 調べるまで、てっきりカレーはインド直通で流れてきた文化だと思っていた。

 ちなみに、俺はカレーにジャガイモを入れる派ではない。

 ジャガ抜きタマネギ多め派だ。キノコ類もいれるとなおよい。

 だが、ミラカの好みに合わせて今日はジャガ多めのタマネギ少な目の調整だ。


 ……無理やり思考をカレーに寄せるが、やはり“黒猫”の件がアタマを離れない。

 今のハルナは、何を食ってもマズいんだろうな。


 そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、左腕に柔らかな感触が巻き付いてきた。


「コラ。誤解される」

 思わずあたりを見回す。

 さいわい、通行人でこちらを注目している人は居ないようだ。


「誤解じゃないデスー」

「アホか。そういう関係になったつもりはないぞ」

「スケベ。アホは編集長デス」

「なんでだよ」


「日本人はスキンシップが足りないデスー。家族や友達でも、もっとハグとかキスをしてもいいと思いマスヨー」

 いや、ダメだろ。特にコイツとは。

 加えて本日の最高気温はかんかんの三十五だし、小娘の麦わら帽子のフチがじょりじょりと肩に擦れて痛い。


「放しなさい」「ヤダ!」

 押し付けられる身体。


「カレーに入れるジャガイモを減らすぞ。俺は皮むきが下手なんだ。また手を切ってもいかんからな~」

「ちぇー。スパッドは大きめに切ってクダサイ」

 食い物の脅しに屈し、ミラカは俺の腕を解放した。


「はいはい」

 ……まあ、コイツなりに気をつかってくれているのだろう。

 最近の俺は確かに神経をとがらせているからな。

 真横を歩く娘をちらと見やるが、麦わら帽子に遮られて表情は分からない。

 元気づけるにしても、もうちょっとマイルドなやりかたにして欲しいところだ。


「やれやれ」

「何か言いマシタ?」

「別に」


 俺はジャガイモ娘と共に忌々しい事件現場へと向かった。


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