事件ファイル♯10 納涼! 祭りと花火と肝試し!(2/6)
日曜日。
神社の祭りが始まるよりも少し早い時間に、川口姉弟の実家である『トリくびまいく』の裏に呼び出された。
「遅いなあ。何してるんでしょうかね」
待ちくたびれたという態度を隠さないヒロシ君。
「さあなあ……」
俺も彼と並んで所在なく突っ立っている。
ここを訪ねると、ミラカがハルナに店の二階へと連れ去られた。
そこから、かれこれ三十分以上は経っている。
顔を合わせてすぐにふたりきりになれるのなら、俺もわざわざ出て来なくてもよかったんじゃないか?
人混みなんぞ遠慮して家で惰眠を貪りたいところだ。
さらに待つこと十五分程度。
「体液が酸っていうのは怖いですね。やっつけても危険だし」
「あのネタは世界的にブームになったんだよ。日本じゃ学習教材のCMにまで使われたほどだ。エイリアンが居眠りしてヨダレで床を溶かすとか、そんなだった気がする」
「問題を“解かせる”と掛けてるんですかね」
「ははは、おやじギャグだな」
俺とヒロシ君はネットで無料配信されていたエイリアン映画の話題に花を咲かせていた。
「おまたせー!」
店からハルナが出てきた。浴衣姿だ。髪型もいつもと微妙に違う。
ハルナだという点を除けば、こっちサイドに浴衣JKがいるという事実にちょびっとだけテンションが上がった。
「遅いよ姉さん」
すぐに不満を投げつけるヒロシ君。
「女の仕度には時間が掛かるモンなの。いいじゃん。アンタたち楽しくおしゃべりしてたんでしょ? それよりセンパイ、これどうっすか?」
浴衣はオレンジ。おや、髪色も少し茶色くなっているぞ。
「染めたのか」
「そうっす! 学校うるさいんで夏限定ですけど。浴衣の色忘れてたからなあ。憶えてたら黒のままにしたのになー」
と言いながらもハルナは楽しげだ。
「お金の無駄」
ヒロシ君がつぶやく。
「うるさいなあ。高校最後の夏なんだよー。これくらいやっとかないと」
「じゃあ、カレシとかとでも出掛けりゃいいのに」
二度目の無駄口で彼のアタマにはゲンコツ制裁が下された。
「カレシおったらふたりきりで出かけとるわ! ……それで、センパイどっすか?」
「いいんじゃないか? カワイイカワイイ」
ハルナの明るい性格のイメージと浴衣のカラーがマッチしている。
ようやく髪も伸びたのだろう、彼女としては珍しく髪を後ろでまとめてあり、小ぶりの団子が出来ている。
「なんかテキトーっすね。もうちょいマンジにはっちゃけたほうがウケたかな……」
頬をやや膨らませ、髪に触れるハルナ。
「まあいいや。それより、こっちを見てください! ミラカちゃん、出ておいで!」
ハルナがミラカを呼んだ。
「……ヘヘ」
店の中から現れたのは浴衣姿のミラカだ。
白地にアサガオ柄の浴衣。
こちらは天然の金髪を団子にして上げるとともに、片側のもみあげを三つ編みにして垂らしてある。
「おお……」
大人の外国人観光客が浴衣を着ているのは見たことがあるが、ミラカのような容姿の子の浴衣姿は初見だ。
全体的に明るいカラーだが、これはこれで透明感があっていい。
「ほー、可愛いな」
俺がため息とともに褒めると、ミラカは浴衣の袖で顔を隠した。
「なんか、あたしのときと反応が違うんですけど?」
「気のせいだ。この浴衣はハルナのか?」
「あたしの小六……中学校のときの浴衣をあげたんだ。ずっとやってみたかったんだよね、着付け。ヘアアレンジもあたしがやったんだよ」
「大したもんだ。それで時間が掛かってたのか」
それなら納得だ。
「いやあ、セットも着付けもすぐ終わったんだけどねー」
「ヘヘ……」
ハルナとミラカは、晴れ姿に不釣り合いな表情をしている。
ちゃんと仲直りできなかったのだろうか?
「着物の帯を引っ張るアレ。“よいではないかごっこ”に夢中になってね」
「目が回って気持ち悪いデス……」
こめかみを押さえるふたり。アホかコイツらは。
「さっさと行こうよ。もうお祭りは始まってるよ。早くしないと、くじ引きの景品が無くなっちゃう」
と言うヒロシ君の声は遠い。彼はもう歩き始めていた。
「ヒロシったら子供なんだから。風流というものが分かってない」
「デスネー」
小娘ふたりがなんか言った。
……ふたりは手を繋いでいる。
「仲直りできたんならいいか」
杞憂だったか。これが見れただけでも出てきた甲斐があったかもしれない。
俺も、もう一つテンションが上がってきた気がする。
「編集長、何か言いマシタ?」
「いいや。ほれ、行くぞ」
俺もヒロシ君を走って追いかけた。
「待つんだー。ヒロシくーん!」
「競争ですか!?」
ヒロシ君がダッシュで逃げる。
「ちょっと! この格好じゃ走りづらいんですから! 男子ってバカばっか!」
後ろでハルナがぼやく。ミラカも笑っている。
それから五分後。
俺はヒロシ君を見失い、徒歩のハルナとミラカに追いつかれた。
「はあはあ。メガネのクセに足が速いな……」
「いや、小学生相手でしょうに……。センパイ、運動不足じゃないっすか?」
「編集長は働いてないときはいつも寝てマス」
「ダメっすよー。ちゃんと動かなきゃ。不健康です」
「運動したほうがごはんもおいしいデスネー」
「わかる。だよねー」
「ネー」
なんとなく「もう走らなくていいや」と身体がセーブしてしまっただけだ。
小学五年生より足が遅いとか、体力が無いとかいうワケではない。断じて。
あと、ちょっと風邪気味だし。
祭りの会場は近所の神社だ。
いつぞやの“丑の刻参り”の舞台になった林がある。
会場に近づくにつれて、宣伝するのぼりと共に浴衣姿のカップルや家族連れが増えてくる。
三十代独身男子が独りで歩くと心がすさむヤツだ。
「は~。カップルばっかりでつらたん……」
どうやらカレシナシ女子高生にも響くらしい。背後からため息が聞こえてくる。
「ハルナちゃんは、好きな人とか居ないデスカ?」
「カレシにしたいほどの子は居ないかなあ。学校の男子ってみんなガキっぽいし。でも、そーいうことじゃなくって、単にイベントのときに“ぼっち”なのが悲ぴい」
「ぼっちはつらたんデスネー。今日はミラカも編集長も居マス! ハルナちゃんはぼっちじゃないデス!」
「うう、ミラカちゃんっ……! 尊いっ!」
「グエエ」
振り返らなくても何が起こっているか分かるな。
「ところで、ミラカちゃんには好きな人とか居ないのー?」
「わ、私デスカ!?」
「そーそー。誰か居ないのー?」
神社の敷地に入り、鳥居をくぐれば、神様の領域だ。
ここに神社があるのは知っていたが、数年ものあいだ近所に住んでおきながら、足を踏み入れるのは初めてかもしれない。
そういえば初詣だって何年も行っていないな。
土がむき出しの道の両脇には灯篭が続いている。
朱に塗られ黒い屋根をいただくデザイン。
脇に立つ椎の木たちが涼しげに揺れている。
俺と同じく、普段は来ない人が多いのか、物珍しそうに鳥居や灯篭の写真を撮影している参加者が散見される。
こういうのって撮っても平気だっけな?
許可とかいう話でなく、“ナニカ”が映るとかいう意味合いで。
「せっかくだから撮っとくか」
俺もスマホを構えた。
心霊写真というものも廃れてしまった。
俺がガキのころは、夏になれば心霊写真の特集番組が毎週のようにやっていたのだが、デジタル化の波に伴って次第に見かけなくなっていった。
心霊写真の多くは、フィルムの現像過程のミスやイタズラや、当時のカメラの仕組みによる不具合が元で生まれたものだ。
デジタルになってからはカメラの仕組みが変わり、それらが発生するはずもなく心霊写真の数自体が減ってしまっている。
デジタル画像はいじるのが簡単だし、本物らしくても加工を疑われてしまう。
逆にいえば、それらを排除して現代の科学で説明付けられない形でナニカが撮れれば、幽霊の存在証明にでもなるのだろうが……。
「まあ、映らんわな」
撮影した写真をすぐにチェックする。サイトの更新ネタにでもなればと思ったんだが……。
「同じ撮るならこっちだ」
俺は振り返ってオレンジとアサガオのふたりにスマホを向けた。
「こっち向きマシタ!」
「聞こえたかな!?」
何だか知らんが、ふたりが慌てている。
「ほれ、お前らの浴衣姿でアクセス数を稼ぐから写真を献上せい」
「オッケー! ぴちぴち女子高生ハルナさんがひと肌脱いじゃうよ!」
ハルナが横に構えたVサインを目もとに当てる。
「ハルナちゃん、ピースしたときに手の甲を外に向けるのは不良デスヨ」
ミラカがたしなめる。国によってジェスチャーにもタブーがあるんだっけか。
「不良なの? じゃあ、“マンジ”いっぱい書いときましょ!」
ハルナが俺のスマホを覗き込む。
「どうして“マンジ”ナンデスカ? よその国では間違いなく怒られそうなんデスガ」
ミラカは周りに配慮してか小声で言った。
ハーケンクロイツにそっくりな例のマークは彼女もご存じらしい。
だからって、そこまで警戒せんでも。
「なんでだろうねー? センパイ、そもそもマンジってなんすか?」
ハルナが首をかしげる。
「今時の女子高生はマンジも知らんのか。マンジは社会科の地図記号で習わなかったか? お寺とか吉祥を意味するんだ。仏教だとありがたいマークなんだぞ」
「そうなのデスカ。でも、ナチスのマークにちょっと似てマス……」
「あ、ナチスって知ってる! ハイル・なんとかー! ってやつっしょ?」
こぶしを振り上げ掛け声を叫ぶハルナ。微妙に間違ってる。
「おい、やめとけって」
これはさすがに俺も制止する。通行人が何人か注目しとる。
「やだなー、センパイ。昔の悪い人でしょ? 大げさ。あ、だからマンジってイキってるときに使うのかな?」
「若者言葉としての由来は知らんが、違うと思うぞ。だいたい、カギ十字はマンジと比較して裏返してる上に傾けてるから、ある意味対極ともいえるし」
「ふーん? あたしは気にし過ぎだと思うなあ……マジマンジ!」
マンジを表現してか、駆けだすようなポーズを取るハルナ。
「そう思ってない方々もいらっしゃるの!」
あんまりコイツに好き勝手させると怒られそうだ。
この手の昔の惨劇からくる念というものは、当事者たちだけでなく、子孫や関係者たちにまで伝播するものだ。
ある種、信仰に近いモノともいえる。
気にし過ぎとか、教訓さえ得られれば忘れてしまえばいいというモノでもない。
もしろん、恨みの念など無いほうがいいのだが、禁を設けることや、活動をおこなうことで、心の安定剤になることだってあるだろう。
この手のタブーは、日本の荒神を祀る風習と近縁なのかもしれないな。
「ミラカちゃんも戦争時代に生きてたんでしょ? その辺、どーなんですか?」
ハルナがエアマイクをミラカに向ける。
「ウーン。私の祖国ではその時代は政治が混乱してマシタノデ。いちおう大戦では中立の立場デシタガ、連合軍に参加したかたもいらっしゃったようデス」
「へえー? じゃあ、ミラカちゃんも鉄砲とか撃って敵兵をやっつけたりしたんだ?」
この女子高生はどのくらいマジで言ってるのかが分からん。
「イエイエ! ミラカそんなことシマセンヨ! 田舎でブタやウシの世話のお手伝いをしたりしてマシタ」
「そんなこともできるんだ! でも今は……?」
「ニッポンで編集長の世話シテマース」
「あはは!」
何だコイツら。しょうもないところばっかり息があうな。
ともあれ、ふたりともなかなかいい笑顔だ。俺はこれを含めていくつか浴衣美人たちの写真を納めておいた。
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