事件ファイル♯06 背筋が凍る! 女のすすり泣く声!!(2/6)
さっそくだが『さかみち荘』の話をしよう。
俺がごろごろして読書をしていた話や、駅前の牛丼屋を利用した話になんて意味はないからな。
洗浄のバイトは何度か経験がある。このアパート『さかみち荘』は二度目だ。
『さかみち荘』は二階建てで長方形の土地に建てられており、道路に面するほうの辺が短い奥まった構造だ。
両隣の土地は、片側には新しめの住宅が並んでおり、もう片方は半放置っぽい畑が連なる。
俺が高校生のとき、この付近は田園や段々畑の風景が視界のほとんどを占めており、このアパートも田んぼの中に立ちつくしているような構図だった。
十五年ほどで水田はほとんど姿を消し、さらにここ数年で残っていた土地も畑へと変わっていた。
今はその畑が駐車場やらなんやらに変わっている最中だ。
二階への移動手段は金属製の外部階段。
上り下りをする度に「カンカンカン」と鳴るアレだ。
ここから落ちるとトラックに轢かれそうな気がしないでもない。
今こそは小綺麗だが、改装前は便所は和式だった。
昭和に生まれ、平成に死にぞこなったアパート。
名前だって『コーポ〇〇』でなく、『さかみち荘』で充分だろう。
前回に入居したときは、隣近所に挨拶をして回ったが、今回は空振りに終わった。
現在の入居者は俺を除いてたったの二件。
最奥の部屋には前回に仕事をしたときと同じく、粗大ゴミのような洗濯機や家電が積まれたままで、中から咳き込む声が聞こえてくる。
ずっと住み続けているらしいが、前回挨拶に行ったときに態度が悪かったのを覚えていたのでスルーした。
真上の部屋も、留守なのか無視されているのか、反応ナシという有り様だった。
まあ、ポーズだけでも挨拶しとくのが俺の流儀だ。
さて、事故物件というだけあって、最初の晩を迎える前から俺の期待を高めるようなイベントが続いた。
「兄ちゃん、ここに住むんか?」
俺が夕方に飯のために出かけた時、野良仕事を終えたと思しきジイさんが話しかけてきた。
「短い間ですけど。ご近所さんですか?」
「そこの畑をやってるんやけどな。兄ちゃん、そこのアパートは出るぞ。何人も人が入れ替わっててな。ヘンクツな奴しか残っとらん」
お節介なジイさんだ。前回でも会った気がする。
こういう前情報がオカルトを生み出す原因になることも多い。
「何かある」と思っていると、普段なら気に掛けないような音や影などを不審に思ったりするものだ。
「俺はここでずっと畑やってるが、夜にはよう近寄らん。傾いた女が立ってたり、若い男や女の幽霊が出よるから」
「ほ、本当ですか」
俺は恐怖をアピールしつつ相槌を打つ。
こういうお節介でウワサ好きのご近所さんのほうが、幽霊よりも寂れさせるのに一役買っているのではないだろうか?
「近所でもウワサやしの。兄ちゃんは、何日続くかな?」
ジイさんはニタリと不気味な笑顔を浮かべるとそう言い残し、ゲラゲラ笑いながら立ち去って行った。
「嫌なジジイだな……」
ジジイの背中を見送る。彼は農作業者らしく麦わら帽子を首に引っ掛けていた。
「そういや、アイツはちゃんとやってるかな……」
スマホを見るが、特にミラカからのメッセージは入っていなかった。
アイツはアイツで独りを満喫しているのだろう。「B・Tに住む」まであるぞ。
ま、ジジイのキャラクターはともかく「近所でもウワサ」って情報はデカい。
あとで聞き込みをしてもいいかもしれない。
次のイベントは室内で起こった。
カメラの設定方法やノートパソコンとの連携のさせかたなどを調べているときだ。
俺は床に直接座って作業をしていたのだが、奇妙なことに気付いた。
床の一部が変色しているのだ。
木目デザインのフローリングが一部黒っぽくなっている。
サイズはこぶし大。フクシマは事件発覚後、特殊清掃はすぐに頼んだし、改装工事も済ませてあると言っていた。
じゃあ、このシミはなんだ?
怪談でありがちな、床を張り替えてもシミが浮き上がってくるというアレか?
シミは特に何かの形には見えない。見上げるが何もない。上から何かが滴っているというワケでもないようだ。
「ちょっと待てよ?」
ひとつの疑問が浮かぶ。女子大生はどうやって首を吊ったんだ?
天井には梁があるにはあるが、天井にくっ付いていてロープを引っ掛けることはできない。
女子大生が死んだのは、この部屋ではないというコトか。
俺はフクシマにメッセージを入れ、返事を待ちながら部屋や設備を見て回る。
ロープが引っ掛けられそうな場所は六か所、うち三か所は蛇口だ。
台所、洗面所、風呂場。残りの三か所は玄関のドアノブ、トイレのドアノブの内外だ。
これらは全部、高さが足りない。
首を吊って吊れない事もないが、なんらかの方法で意識を落とさなければ死に至るのは難しい。
女子大生の私物に都合のいい家具があったのであれば話は別だが、いまいちどうやって吊ったか浮かばない。
あれこれ考えているうちに、フクシマからの返事が来た。
『女子大生の死んだ場所は便所の前やで。睡眠薬とドアノブ使って吊ったんや。首吊りすると腹の中のモン全部出てまうらしくてな、便所が間に合わんくて死んだみたいになってて笑ったわ』
まったく笑えない。
『じゃあ、部屋にある床のシミは何だ?』
『またシミができてたんか。それは知らんわ。女子大生の前の入居者のときからやねんな。何回か直してんやけど。板はがして基礎から見なあかんかもな。ボロアパートやのに金掛かってかなわんわ』
……。
俺は意を決してシミに鼻を近づけ、ニオイを嗅いでみた。
若干カビ臭い気がするが、特に血肉だの屎尿だののヤバいニオイは感じない。
首捻り、もう一度天井を見上げる。……まあ、いいか。
『床下から死体が出てきたら教えてくれ。記事にするから』
俺は冗談のメッセージを飛ばす。
『おっけ~、まかせとけ~』
自分で言っておきながらちょっと後悔をした。
アイツなら誰かを埋めてまでネタを作りそうな気がする。
とにかく、そういう事情ならばカメラは部屋だけでなく、トイレの前も写せる角度にする必要がある。
「うーん、布団の端が見切れるのはいいとして、玄関が切れちゃうのはな」
配置に悩む。
「玄関からナニカが入ってくる」という図が撮れると面白いし、怪談話ではよくあるパターンでもある。
できれば玄関は押さえておきたい。それで、オバケが寝ている俺に何かしてくれれば完璧だ。
屋内で死んだのになぜ外から来るのか? なんて野暮なツッコミはナシだ。
「霊道になっている」とか、「呼び寄せている」とかあるだろう?
ジジイの発言やこのアパートの経歴からして、複数の霊障が絡んでもなんら不思議はない。
霊なんてものが存在すれば、の話だが。
俺は頭からの否定派ではないが、事象に対して考察を重ねる懐疑派だ。
オカルトとは違う世界の住人だが、かの福沢諭吉先生も、「信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し」という言葉を残している。
疑うことで見えてくる真実も多いのだ。
俺は経験上、心霊現象は心理学の世界でも指摘されている「心理的な幻覚」の説をプッシュする。
これに仏教的な唯識思想を組み合わせれば、認識している時点で「存在している」と言い切ることもできるが、けっきょくは頭の中の話だ。
物理的な現象、ポルターガイストに関しては共振や共鳴と呼ばれる現象で説明がつく。
振動の周波数がうまくかみ合い、遠くの工事や地下鉄などの振動が伝わり、離れた場所に作用して、まるで怪奇現象のように振る舞うというヤツだ。
以上の点から、俺はオカルトにおいて心霊現象は否定寄りになっている。
幽霊諸君には、是非ともこの一件を通して俺の意見を一八〇度変えさせていただきたい。
……などと持論を脳内で早口でまくし立てて満足し、それから俺は布団を敷いた。
真新しい布団は真新しいニオイをさせており、かぐと幸せな気分だ。
七月に入った割にはこのアパートは涼しく、念のためのつもりで持ってきた掛け布団までも使ってもよさそうだ。
「おっと、戸締りはしとかなきゃな」
玄関に行き、施錠をしておく。
以前は気にもしてなかったが、小娘を飼うようになってから、そういったことに少し過敏になっていた。
そのせいで、事務所の前の関係者に勝手にはいられそうになったこともあったが。
ともかく、ここ最近の事件のせいで、俺の中のマイカタ市の評価も「繁華街だけ治安が悪い」から「全体的に治安に不安がある」に修正されている。
OLや女子大生のユーレイならともかく、「強盗に侵入された」なんて背筋が凍るなんてもんじゃない。
俺は寝る前にいちおう娘の安否を確認しておく。
メッセージが一件。
『やってやったぜ』のメッセージと共に、ハンバーガーの包み紙やナゲット、ポテトの空箱が積まれたゴミ山の写真が貼りつけられていた。
心配するだけ無駄というものか。
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深夜。俺は尿意を覚えて布団を出た。
一瞬、トイレの前に黒い影を見た気がした。
「なんだ!?」
心臓が凍り付きかけたが、目を擦ると黒いモヤは全体に広がり、それから消えていった。
「ただの錯覚か」
俺は用を済ませて布団に戻る。
ピーンポーーン……。
うとうとしているとインターホンが聞こえた、気がした。
出るか? いや、ウチじゃないかもしれない。
とはいえ、両隣は空き部屋だ。奥のヘンクツな住人を訪ねて差し上げる奇特なヤツが居るとも思えない。
何より俺は寝ぼけているのだ。呼び出し音の距離感なんてアテにならない。
しばらくして。
ピーンポーーン。
眠りに落ちかけていたが分かった。この部屋だ!
俺はさっと起き上がり、足音を立てないようにヒヨコのような小刻みな動きで玄関に忍び寄った。
それから音を立てないようにカギを外し、しゃがんでそっと扉に隙間を作った。
その際、戸を力強く引かれた時の対策としてドアノブはしっかり握っておく。
恐る恐る外を覗く。
あるのは闇だ。
このボロアパート、共同廊下などの電灯は機能していなかったのか?
目を凝らすが何も見えない。正直なところ、この状況はかなり恐怖を覚える。さっさと終わりにしよう。
俺はドアをそっと閉めた。
そこまではよかった。
ガチャン!
鍵を閉める際、うっかり音を立ててしまった。
バタバタバタバタ!
そして、ドアのすぐそこで騒がしい音!
その音は遠ざかって行って消えた。
俺はさっき便所に行ったばかりだというのに、ちびりそうになった。
再びヒヨコ歩きで部屋に駆け戻り、布団を引っかぶる。
普段なら面白いと思考を巡らせて目が冴えてくるはずの俺の脳は、傾いた女だの、いつか夢で見た宇宙人だとか、首を吊った女子高生や、同じく首を吊った男をイメージし続けた。
気のせいか、トイレの前に人の気配があるような気がする。
誰かが、見ている気がする。視線を感じるんだ。
いや、気のせいだ。気のせい。気のせい気のせい気のせい……。
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