事件ファイル♯01 オカルト! 美少女吸血鬼は実在した!(3/6)
さて、黄金の光が差し込んだかに思えた俺の人生だったが、あいにく俺の部屋の方は灰色のままである。
「ここが俺の仕事場兼自宅だ」
ホコリまみれの家具たちに黄ばんだ壁紙。
場所によっちゃその壁紙も剥がれ、打ちっぱなしのコンクリートが覗いている。
家具はネットで買ったシンプルで安物の棚、応接用のソファとテーブルは前の持ち主の残したもので、ブラインドを掛けた窓の前には俺の机とノートパソコンがある。
俺は人間関係もシンプルだが、所持品もシンプルで、暮らしぶりも、働いてるか酔っ払っているかの二択だ。
「ほら、遠慮なく入っていいぞ。しばらくはお前の家でもあるんだからな」
俺は部屋の明かりをつけた。
入居した初めのうちは、広いスペースを利用して本棚でも置いて、趣味と資料用のオカルト本で書斎を作ろうなんて考えていたが、本は一度読んだきりで平積みにして段ボールに入れたままになっている。
オカルト世界はここ数十年でずいぶんと解析されてしまい、古い書籍の価値も低下。
特に平成初期の本や、七十年代オカルトブームの本は今となっちゃ噴飯ものが多い。
それはそれでオカルトのバカっぽさもあって味わい深いものだが、現実と不思議のラインをじかに感じたい俺のスタイルには合わない。
加えて、最新のものは電子書籍でも手に入ったり、良質なインターネットサイトが増えてきたことも拍車を掛けている。
俺も大御所というには苦しいが、オカルトサイト『オカルト寺子屋』を運営しているのだが。
まあ、小さな棚からあぶれたこの本たちは、ムダの山というワケだ。
山といえば、仕事先から送り付けられた雑誌も大して目を通さないままその辺りに放り出されているし、その上にはいつ置いたか思い出せない酒の空き缶や空きビンが置きっぱなしになったままだ。
もちろん、汁が底に残ったままのカップ麺の空き容器もあるぞ。
それからゴミ箱はいっぱいでナマ臭いニオイを放っているし、実は最近、ミラカ以外にも“同居人”が外からやってきて住み着くようになっているしな。
「アノー……編集長?」
ミラカは部屋の前で突っ立ったままだ。
どうしたことだろう? あんなに住むところを欲しがっていたはずの美少女ちゃんが入ってこない。
「なんだね? ミラカ君」
「ここはゴミ箱デスカ?」
「失礼な。私たちの事務所だよ、ミラカ君」
「本気で言ってマス?」
ミラカは一歩踏み込むと鼻をすんすんと鳴らした。
「オエッ! ホコリとアルコールと……あと何か変なニオイがシマース」
この俺、梅寺アシオは片づけられない男である。
偶然と気まぐれで若い娘を自国に招くことになったワケだが、ご覧の有様だ。
ミラカを泊めることに同意した時点では、すっかり失念していた。
うむ、今は九:一くらいで逃げ帰られてしまう自信がある。
「さあ、ソファに掛けたまえ」
俺はソファの上に置きっぱなしになっていた通販の段ボールをどっこいしょと床に移す。
……カサカサカサ。
「オウ!? 今、何か動きましたヨ!?」
「今のはケネス・アーノルド君だよ」
俺はミラカの顔を見ないで言った。アーノルド君はウチには五十人くらいは居る。
近所の繁華街からの移民だろう。
しかし、国のあるじである俺との関係は良好ではない。
俺は人道的な処置を行いたいと切に願っているため、彼らへ厳しい処罰を下せないでいた。
だが最近は彼らの活動はエスカレートし、日中で俺が活動していてもお構いナシときている。
「ケネス? ペットデスカ?」
「いや、ミラカ君の先輩だよ」
「ハー。センパイ……」
俺は非難か悲鳴が来るのを覚悟して振り返る。
しかし、ミラカはしゃがみこんでアーノルド君の動かなくなった個体を覗き込んでいた。
「長い触手がキュートとも言えなくもないデスネー。ピカピカしてブローチみたいデス」
なんと! この娘、ゴキブリの件は不問ときたか。
確かアイルランドと言ったっけ? さては彼女の母国にはゴキブリは居ないのだな。
「それにしても、お部屋がばっちいデスヨ。編集長はお片付けするヒマも無いのデスカ?」
「ま、まあそんなところだ……」
「じゃあ、ミラカがお片付けをしてさしあげマース! 助手の初仕事デース!」
「いや待て、泊めてやるとは言ったが、助手にするとは……」
俺のズボンに何かが這い上がってくる感触。
慌てて足を上げてズボンを払う。
「アッ、編集長! センパイは脱皮するみたいデス! ほら見て! こんなにキレイに殻が残ってマス!」
ミラカはどこからかゴキブリの殻を見つけ出し、ソレを手のひらに乗せて俺の方に近づいて来た。
「ま、待てミラカ。……ミラカ君! それは捨ててしまいなさい。まずはこの部屋の掃除だ!」
********
以上が事の顛末である。
そういうワケで俺の事務所に自称ヴァンパイアで三百十六歳のアイルランド娘、ミラカ・レ・ファニュが同居することになったのだ。
もちろん、彼女の言い分はあまり信じていない。
どうせ親の片方が日本人だとか、日本に永住してるとかで、正体は家出してきた十六歳とかそんなところだろう。
見てくれはもっと幼くも見えるが、外国人のことはよく分からん。
パスポートの件だけどうしても引っかかるが、どっちにしろ警察にバレれば未成年者略取だの誘拐だので逮捕されちまうに決まっている。
ニ、三日くらいは誤魔化せるだろうが、長くなるとそうもいかない。
何とか穏便に出て行ってもらうか、親の許可を得るかしなければならない。
記事を書くのは俺の領分だが、記事になる方はカンベンだ。
とにかく、何かあったときのための証拠……になるかどうかは分からんが、ノートパソコンに記録は残しておこう。
「フンフンフン~♪」
鼻歌を歌いながら、“はたき”をふるい続ける金髪娘。
ときどき何かを海苔の缶の中に放り込んでは数えている。
ミラカは、俺に重いモノや書籍の必要不要をより分ける仕事だけ頼み、その他の掃除はすべて自分がやると言い張った。
もうずいぶんと片づけは進み、部屋を汚していたゴミはほとんどまとめられている。
部屋は本来の広さを取り戻してはいたが、何故だか以前ほどの寂しさは感じない。
前は物があったほうが何となく安心できた気がしたのだが。
しかし、壁は剥げて打ちっぱなしのコンクリートが見え、床も事務室についてはセラミックタイルで土足だ。
これではまたすぐに汚れてしまうだろう。
いつかに改装しようか。……先立つものはないが。
「オッケー! お掃除オシマイデース!」
ミラカはゴミ箱の上で“はたき”の汚れを振るい落とし、それから自分の旅行カバンをひっつかんで俺のデスクの前にやって来た。
「なんだ、帰るのか?」
「違いますヨ! 事務所のお掃除は終わりマシタ! 次は、私のお部屋を……」
やっぱり住む気か。
「おまえの部屋か。考えてなかったな。突然のことだったし……」
「ソンナ! 募集しておきながら!? でも、良いデス。屋根があるだけマシです。神に感謝……」
ミラカは両手を握り合わせ、天井に向かってお祈りのポーズをした。
ちなみに、上のフロアには何もテナントは入っていない。
「ヴァンパイアがお祈りなんてしていいのか?」
「別にお祈りじゃないですケド……。それに、ヴァンパイアが神の力に弱いというのは後付けのデタラメなんデスヨ」
「そうなのか?」
「ソーデス。私が生まれたときは、祖国は統治権やキリスト教の宗派のことでめっちゃ揉めてマシタから」
「魔女狩りとかがあった時代だな」
「ソーデスネ。でも魔女狩りはアイルランドではあまりなかったデスネー。代わりにヴァンパイアハンターみたいなのは居ましたケド……」
「銀の杭を心臓に突き刺すとか? アレも後付け?」
「銀の杭なんて心臓に刺されたらヴァンパイアじゃなくても死にマスって」
ミラカはワハハと笑う。そりゃ、そうだ。
「ヴァンパイアをわざわざ探し出しては身体のアチコチに杭を打ち込むなんて、頭オカシイデス! おかげでミラカたちは家からずっと出られませんでしたヨー」
ミラカは鼻から深く息を吐いた。杭打ちハンター、おったんかい。
「ヴァンパイア狩りが終わっても、イングランドからの増税は酷いわ、飢饉で腹ペコだわでロクな青春時代じゃアリマセンでしたネ! キーッ!」
今度はガニ股で床を踏みつけ始めた。マンガか。
「歴史は得意科目なんだな」
「そうでもないですケド。さすがに自分の体験したことくらいは覚えてマス」
「はいはい」
俺はミラカの空想を適当に流し、目下の問題に頭を戻す。
「しかし、どうするかな。空き部屋は余るほどあるんだが」
俺はミラカに部屋を案内した。窓付きの倉庫のような部屋がいくつかと、ケネス君と国境の壁で隔てられた寝室。
寝室についてはそこそこ綺麗にしてあり、ベッドも置いてある。
「オー。寝床はキレイなものデスネー」
ミラカは感心したように言う。
「ミラカはそこのソファだけでもお借りできれば……」
同居人はひかえめに事務室のソファを指さした。
「ダメだな」
「ガーン! じゃあ床で良いデス……」
「逆だ、逆。住み込みの助手とはいえ、若い娘の寝床を適当にするワケにはいかんだろ……」
俺は自室のベッドを指さす。
「シャイト! お手伝いするとは言いマシタが、ソーイウのはお断りデース!」
ミラカは流暢な英語(だろうか?)で叫ぶと、胸を隠すように自分自身を抱いた。
「アホか。誰がいっしょに寝るなんて言った。俺がソファでお前がベッドだ。ありがたく思え」
「オー。トンだ勘違いを。こりゃ失礼致しマシタ」
頬を染めて頭を掻くミラカ。
俺もナカムラさんもスルーしていたが、実際問題としてミラカをここに住まわすには大きな問題がある。
いちおう、ニッポンの法律を説明しておいた方がいいだろう。
「……いいかミラカ。日本では、未成年を親の許可なしに家に泊めると逮捕される法律があるんだ。手を出そうが出すまいが、子供自身が望もうが、だ」
「ミラカ、未成年じゃないんですケド!」
パスポートを突き出すミラカ。
「見た目が若いだけでも疑われるからな。仮にお前が言ってることが本当だとしてもだ。疑われる度に俺やナカムラさんにしたような説明を繰り返して、パスポートの照会までやってもらうってのか?」
「ぐぬぬ……。じゃあ、私は人目に付かない方がイイと?」
「そういうことになるな」
「まー、良いデス。ヴァンパイアは闇夜に紛れるものですカラ、夜に出歩きマス」
「それも補導されるんだよなあ。市の条例ってのがあってな。この街……マイカタ市じゃ、二十二時以降は未成年の外出は禁止だ。この近所は繁華街もあって、アヤシイ薬売りもたまに出るせいで、警察の見回りも厳しいんだよ」
「そんなあ……。ウッウッ……。せっかく窮屈な実家を飛び出してニッポンまで来たというのに、こんな狭くて汚い部屋にずっと居ろだなんて……」
ミラカは半べそだ。
「泣くな。っていうか俺の部屋を指さして狭くて汚いなんて言うな」
「いいモン。警察の人にちゃんと説明して許可とるモン」
頬を膨らますミラカ。
「まあ、俺の居ない所で出歩くのは自由だが、面倒ごとはごめんだ。俺としてはお前の親御さんにちゃんと了解を取りたいんだが……」
「それは、チョットー」
家出娘は顔を背けた。
「そう言うだろうとは思ったが。何で家出したんだ?」
「サア?」
手のひらを上に肩を竦めるポーズ。
「はあ……。とにかく、これは……そうだな。オカルトと同じ問題なんだよ。お前がどういうつもりだろうが、三百十六歳だろうがヴァンパイアだろうが、“実際に未成年の家出娘に見えちまう”ことがキモなんだ。お前も宿を貸してくれた恩人が逮捕される姿なんて見たくないだろう?」
「そうデスネ。逮捕されたらお給料も出してもらえなくなりマスシ……」
「えっ、給料?」
フリーズ、俺は固まった。
「へ? それはソーデショウ? 労働をしたら賃金を払う。世界共通のハズでは? まさか……ニッポンにはソンナ文化は無いのデスカ!? シャチクの噂はホントーデシタ!」
「賃金を払う文化はあるが、俺には金がない。実を言うと、今月はここの家賃も払えてない」
俺はお手上げのポーズを取った。誤魔化しても仕方がない。
「エエエエ!? それじゃ追い出されてしまいマスヨ! 監禁かと思ったらまた野宿! 何て極端な国なんでショー!」
「監禁とか言うな。生活費はしばらく自腹で何とかしてくれ。仕事はちゃんとしてるし、お前にも何か考えるよ。俺も、家賃はともかく、生活費は稼がなきゃならんからな」
笑ってごまかす俺。
「おい。今、何て言うたんや?」
事務所の入り口の方からダミ声が聞こえてきた。
「オウ!? 何かミョーな声が……。オカルト事務所にはユーレイが出るのデスカ!?」
ミラカは俺にしがみ付いて声のぬしから隠れた。
「“家賃はともかく”って聞こえたんやがなあ。それに“監禁”とも」
硬い靴の足音。声のぬしは遠慮無く踏み入ってくる。
こいつは、無断で俺の事務所に入っても問題の無い人物なのだ。
「これには、ふかーい訳があってだな……」
俺は恐る恐る振り返った。
そこにはオールバックにサングラス。それから汚れひとつない白スーツ。
ソイツはポケットに手を突っ込んで俺たちを睨んでいた。
「ヒエーッ! ジャパニーズギャング、ヤクザデース!」
「ヤクザやないで。家主や。このビルのオーナーや」
そう。この取り立て屋のような男は、このビルの持ち主であり、俺の古くからの友人でもあるフクシマだ。
「ははは。フクシマ君、聞き間違いだよ。“生活費はともかく、家賃は払わないと”って言ったのさ」
俺は誤魔化した。
「へーえ。そうか。そんなら、何とかしてカネ作って貰わないとなあ」
フクシマは俺にずいっと顔を近付けるとニヤニヤと笑いをした。
「もうちょっと待ってよ」
俺は手を合わせてお願いする。
まあ、フクシマは見た目はそっち系だが、実際はそうではない。あの格好はただの趣味だ。
「珍しく掃除しとったから、出ていく気かと思ったわ」
フクシマは笑った。
「オオオオオ。オーナー様! お金ならここにアリマース。だから追い出さないでクダサーイ!」
ミラカはよく分かっていないようで、震えながら自分の生活費の詰まった茶封筒を差し出した。
「いや、それお嬢ちゃんのやろ。俺はこの梅寺アシオ君に言うてるんやで」
「で、でででで、でも、ミラカもここに住むから家賃を払うのは道理デシテ……」
余計なことを。
「住む? ほーん! 家賃は払わんクセに、女たらし込む余裕はあるんか! ふたりで住むなら家賃も二倍かなあ!」
「はっはっは。フクシマ君。このフロアは事務所として借り上げてるから、人数は問題ではないのでは?」
実際は事務所なんて機能していないが。
「冗談や。ところでウメデラ。この子はなんなんや? めっちゃビビってるんやけど」
フクシマはサングラスを外すと苦笑いをし、ミラカに向かって手を振った。
「オ、オウ。サングラスの下はまともなカオしてやがりマース……」
ミラカは張り付いた笑みで応じる。
「まあ、ちゃんと説明するよ。味方は一人でも多い方がいいからな」
俺は震える娘を引っぺがすと、フクシマに事の顛末を洗いざらい話した。
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