事件ファイル♯03 ツチノコは実在する! 懸賞金は一億円!?(6/6)
ミラカが部屋に担ぎ込まれ、かれこれ二時間。
俺は虫刺されを掻きながら、眠ったままの娘の顔を眺めていた。
頬には明らかに熱を帯びた色がさしている。汗も凄い。
「そういえば、コイツ、蚊に刺されてないな」
ヴァンパイアウイルスとやらのご利益だろうか?
冷静に考えると、蚊はウイルスの媒介になるのだから、コイツが血を吸われるとヤバいのでは?
かつて世界で猛威を振るったペストや結核のように、ヴァンパイア病がパンデミックなんてしたら……。
うーん、それはそれで諦めがつくか?
もしも全員がコイツみたいになったら、食糧問題が大変なことになるな。
やっぱり全員でイモを植えるしかないな。戦後よろしく緑地はすべてイモ畑だ。
そんなことを考えながらミラカの額に乗せられたタオルを交換してやる。
彼女の枕元にはスポーツドリンク。
それから果物や、冷め切ったおかゆまである。
聞きつけた村の人や茶摘み娘のおばちゃんが集まってきて、あれこれ世話を焼いてくれたのだ。
「救急車を呼ぶか?」と聞かれたが、俺は「ただの熱中症ですから」と言って多少強引に断った。
毎年死者の出ている熱中症を侮っているワケじゃないが、コイツの事情は他とは違う。迂闊に病院へは行けない。
「アレ? 私、どうして……?」
ミラカが目を醒まし、額のタオルが落ちる。
「気を失って運ばれたんだよ。みんなに迷惑を掛けたんだぞ」
俺は少し語尾を強めて言った。
「スミマセン……。ヴァンパイアウイルスは……日光に弱いデス。血の代わりをするウイルスが弱くなると、あっという間に調子を崩してしまいマス……」
ミラカは弱々しく言った。
……そうか。まったく俺は。今さらになって理解した。
天気がいい日は外出を渋ることが多くて少し引っ掛かっていた。
今回は快晴だったが、俺が適当に乗せて連れ出したから出て来たに過ぎない。
ヴァンパイアかどうかはともかくとして、日に弱い病気というのはマジらしい。
「スマン。全然気付いてなかった。これからは気を付ける」
俺は頭を下げる。
「私こそゴメンナサイ。はっきり言わなかったミラカもいけなかったんデス」
ミラカは身を起こすが、頭痛がするのか額を押さえた。
「まだ寝てろって。帰るまではもう少し時間があるから。それとも、やっぱり病院に行ったほうがいいか?」
「この位なら日陰で寝てればすぐ治りマス」
そう言いながらミラカは枕元に何かを探しているようだった。その視線は真剣だ。
「ん……?」
ミラカの瞳が一瞬、琥珀のような色合いに見えた。
彼女の瞳は透き通ったエメラルドグリーンだったハズだ。
彼女はまだつらいのか、俺が瞳をよく見る前にまぶたを閉じ、また横になってしまった。
「ウー、帽子」
「そっか。帽子、見つからなかったな。あの帽子、そんなに大事だったのか? 単なる日よけってだけじゃないんだろ?」
「ハイ。あの麦わら帽子は、私が日差しの下を歩けるようにと、パパが私のために編んでくれたものデス。赤いリボンはママがあつらえてくれマシタ……」
ミラカは顔の上に腕を乗せてまぶたを覆った。
「おばちゃんが、おかゆ作っておいてくれてるんだ。ひとりで食べられるな? 食ったほうが治りも早いんだろ? こっちに頂いたフルーツも置いてある。おっちゃんもおばちゃんも、また様子を見に来るって言っていたから、来たらちゃんとお礼を言うんだぞ」
俺は一息に言って立ち上がった。
「どこ行くんデスカ?」
俺は返事をしないで部屋を出た。
正直なところ、数人がかりであれだけ探したんだ。
今さら俺が単独で駆け回ったところで、見つかるとは思えない。
だけど俺には、何かに言い訳するかのように、村内や付近の草むら、それから竹薮も駆け回るほかに選択肢はなかった。
しかし、上をばかり見てつまづいて、下をばかり見て竹に頭をぶつけ、虫刺されだらけの腕に熱を感じても、帽子は一向に見つからなかった。
「クソッ、最近、走ってばっかだな……」
日が暮れ始める。やっぱり、三十過ぎはおじさんかもしれん。
竹薮での捜索を打ち切って、それでも卑しいくらいにあちらこちらに視線を向けながら、ミラカの居る民家へと向かう。
「とぼとぼ」という表現がこれほどピッタリなヤツもそう居ないだろう。
俺は夕陽でとても綺麗になった土手と川を見てため息をつく。
「あっ、ロリコンのおじさんがハアハア言ってる……」
どっかで聞いた声。
昼間の少年だ。今度は両親と思われる大人がいっしょだ。
「ロリコンのおじさん!」
少年が叫ぶと、両親がこれ以上にないくらいに痛くてねちっこい視線を向けてきた。
「これ!」
いきなり視界内にUFOのようなシルエットが現れ、巨大化した。
そして、すぐに俺の顔へ衝撃。
「ちゃんと受け止めてよ。それ、あの子の落し物でしょ?」
俺の手の中に落ちてきたのは麦わら帽子。
見覚えのある赤いビロードのリボンが光っている。
「キミ!」
俺は叫んだ。
「ありがとう!」
少年は夕陽くらい明るい歯を見せると、俺に向かって大きく手を振った。
彼が見つけてくれていたんだ。
俺は疲れていたのも忘れて、民家に向かって走り出した。
民家に戻ると、室内は人で溢れかえっていた。
村民たちは親切なのかヒマなのか、食べ物を持ち込んで半ば宴会のようなことをしている。
くだんの娘もどうやら俺が走り回っている間に快復したらしく、お寿司の乗った小皿片手におばあさんとおしゃべりに花を咲かせていた。
「ミラカちゃんはウチの娘の若い頃にそっくりじゃ」
「そうなんデスカ?」
「いやよ、お母さん。若い頃の話しちゃ」
「この子ね、髪の毛金ぴかに染めて、野球のバット持って学校の窓ガラス割ったりしてね」
「オウ! 優しそうなおばちゃんナノニ!」
「若い頃の話よ。昔は“やんちゃ”だったから……」
俺が部屋に入っても、賑やかすぎて誰も気が付かないようだ。
俺は帽子を持ったままあたりを見回した。
それから、土産物屋のねーちゃんとおしゃべりをしてるガラの悪い男の姿を見つけて横に座った。
「俺が居ない間に宴が始まってるんだが」
「おう、ウメデラ。どこ行っとったんや。なんかノリで宴会が始まったんや」
フクシマはビール瓶を傾けてグラスに注いだ。
「ちょっと帽子を探しに行ってた。ってお前、運転手だろ」
「飲んでるのは俺ちゃうで」
フクシマの手の中の泡立つグラスがひったくられるようにして消える。
土産物屋のねーちゃんはそれを一気に呑みくだした。
「いいかぁ! 都会なんれなぁ! ウンコだ、ウンコ! 書類ら数字らんれ弄くりまわして頭下げたっれ、世界は何も変わらないんらあ! 都会にはなぁ! ウンコとハゲと……へんらいしか居なぃんだぉ……畑耕す方がシンプルれ……いい!」
土産物屋のねーちゃんは泥酔しているようで、何やら世の中に対してクダを巻いている。
「そうだ、ねーちゃん! 畑を耕せ!」
寿司職人っぽい服を着た村人が声を上げた。こいつも頬が赤い。
「アンタ、寿司屋じゃーん」
別の村人がツッコミを入れる。
「うるせーハゲ! てめーは無職じゃねえか!」
寿司職人が言い返す。
「あはは! ハゲ居た! ……れも、畑もウンコまみれだからぁ。あたしはおみやげ売ってるのが……いい!」
「そうだ、おみやげを売れー!」
寿司職人が叫ぶ。
フクシマがビールを注ぐと、またもねーちゃんがひったくる。
「大丈夫なのか、この人」
「オモロイやろ?」
「いや、やめとけよ」
フクシマに注意をしながら、ミラカの方をちらと見やる。
彼女はおばあちゃんと楽しそうに会話を続けている。
「俺が飲ませてるワケやないしなあ。ビールが消える宴会芸やで」
フクシマは笑いながらまたビールを注ごうとする。
「実質、飲ませてるようなものだろ」
「そうでもないで。まあ見てや」
そう言うとフクシマはビールを注ぐのを止めてグラスを隠した。
「あえ? ヤクザのビールサーバーが止まったぞお? とうとうパクられたかあ?」
ねーちゃんは手にしたグラスがカラになってしまうと、フクシマの頭を三度叩いた。
しかし彼が応答しないとみると、その辺にあった日本酒のビンを手に取り、それを直接口にくわえて飲み始めた。
「な? 注がへんくても勝手にやるやろ」
「はあ……。じゃあまあ、自己責任ってヤツだな……」
「それにしても、ウメデラ。お前、よう見つけたな。これでも飲めや」
フクシマは新しいグラスにビールを注ぐ。しかし、それはすぐにひったくられた。
「あんな探しても見つからんかったのに。帽子はどこにあったんや?」
「まあ、ちょっとな……」
俺はロリコン呼ばわりされたのを思い出して言葉を濁す。
「ミラカちゃんに早よ渡したりや。そんで帰ろうや。俺、明日フツーに仕事あるし」
「お、おう……」
俺は腰を浮かせて、ミラカに声を掛けようと思った。
村人に囲まれ、おしゃべりに夢中なミラカ。笑い声が起こる。
「何やっとんねん、早よせえや」
フクシマが笑いながら俺のケツを叩いた。
「ミラカ」
俺が声を掛けると、ミラカと、宴会に興じていた数人がこちらを見た。
「お、兄ちゃん帰ってきたね。おばちゃん、片づけするね」
おばちゃんがミラカから離れる。
俺はなんて言ったらいいか分からず、とりあえず手にしていた麦わら帽子を振る。
「……アッ!」
赤ジャージ娘は喧騒をかき消すほど大きな声を上げ、座ったまま俺の方へ両手を伸ばした。
一同が注目し、おっちゃんが「帽子見つかったんね」と笑った。
俺は帽子を差し出すが、一対の翡翠は満面の笑みと共に、俺の顔のほうを見つめていた。
「おっ、一億円の笑顔やね」
「それを言うなら1万ドルじゃないっけ?」
「安くない?」
ヒソヒソと交わされるおしゃべり。
ミラカは胸に手を当てると一息つき、立ち上がって見回し、こう言った。
「皆さん、ありがとうございました。ご心配、ご迷惑おかけしました。私たちはそろそろ帰ります」
はっきりとして流暢な日本語。
それから彼女は、村人たちに対してぺこりと頭を下げた。
「また来てねえ」
おばあさんが言った。
「そうら! まら来い!」
ねーちゃんはゲップをしながら言った。
ミラカが挨拶を済ませると、村人たちはまた宴会へと戻った。
「帰りマショー」
彼女は帽子ではなく、俺の腕を取ると身体で押して出るように促した。
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帰りの車の中。
「結局、ツチノコは見つかりませんデシタネ」
ミラカが目をこすりながら言った。
「そういえば、お前がひっくり返った時にツチノコって叫んでたけど、アレは何だったんだ?」
「ンー? 覚えがアリマセン……」
あくびと共に首をかしげるミラカ。確かに何かが跳ねたのを見た気がしたんだが。
「ウー。なんか食べたら眠たく……」
「寝てていいぞ」
俺は目を擦るミラカに言った。俺もあくびをひとつ。
「そういうお前も、眠いんちゃうか?」
「運転させっぱなしで寝るのも申し訳ないしな」
そう言いながらも、俺は走り回った疲れと車の振動で気絶寸前だった。
「ええで別に。好きでやってるんやし」
俺は「すまんな」とフクシマに謝ると、まぶたを下ろした。
肩に重さを感じる。寝息もすぐそばで聞こえる。
夕方ずっと寝ていたクセに、コイツはいくらでも寝れるらしい。
基本、食っているか寝ているか。さもなくば騒いでいるかだ。
「パパ……ママ……」
寝言が聞こえる。
やはり、ミラカは両親の元へ返したほうがいいのではないだろうか。迷惑だとかそういうのではなく、彼女のためにも。
いや、本人が望んで日本に飛び出して来たのだし、出国も公認なのだから、俺の口出しするモンでもないのだろうか。
というか、単に帰って欲しくないだけかもしれない。
まあ、帰りたがったときのことを考えて、旅費くらいは支度しておいてやるか……。
俺はうとうとしながら、あれこれと思案を巡らせる。
ミラカを国に帰すことを考えると、彼女の居ない右側が、少し冷えるような気がした。
いや、やたらと冷えるような……?
「暴れんなや」
ふいにフクシマが言った。
彼は助手席に手をやり、何かをすると、それからこちらのほうをちらと見た。
俺はとっさに目を閉じ、寝たふりをする。
なんだ……?
耳を澄ますと、助手席から何かが暴れるような音が聞こえた。
すっかり忘れていたが、この車には“ナニカ”が憑いてるかもしれないのだった。
でもアイツ、「置いて行く」って言ってたような……。
俺はオカルト信者であるにも関わらず、前方の不確かな音に恐怖を覚え、寝たフリを装って横の娘に身を寄せた。
暖かい感触と車の程よい振動がすぐに恐怖を拭い去り、俺の意識は闇に落ちていった。
「フクシマワールドの、仲間入りやでぇ……」
フクシマが何か言ったが、それは俺の耳には届かなかったことにしておく。
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