新生活は牢屋スタート
薄暗い、冷え冷えとした地下牢に金属質な音が響く。
発生源は俺の指元。デコピンの要領で、鉄格子を弾いているのだ。
だって他にやることがないから。
「やっちまった……」
やがて寂しさに負け、独り言が口をついて出始めた。
「ああああ、やっちまったよーー! どうしてこうなっちゃったかなぁ、もう!」
そこそこの声量で叫び、簡素な寝床に背中を預ける。
便器とともに申し訳程度に置かれたそれは、椅子として使うには優秀そうだ。
「俺はばかだ俺はバカだ俺は馬鹿だ俺はばかだ……っと」
ひとしきり騒いでみて、そっと耳を澄ませてみるも何も聞こえてはこない。
この地下階に居るのは俺だけということか。
木霊して、次第に聞こえなくなる自分の声が心細さを増長させた。
「手枷も見張りもないっていうのは、舐められてるのか、俺を本気で裁く気はないってことなのか。なんにせよ、ドジったなぁ」
嘆くように呟くも、やはり誰も言葉を返してくれない。
そのことにもう一度肩を落として、俺は寝台に寝転がった。
こうなっているのは全て俺の自業自得だ。
だが、しょうがなかったのだ。
あの時。褒美だと言って、少女が歩み寄って来た時。
笑いかける少女に俺は我慢ができなくなってしまった。
そう言うと何か危ない響きがあるが、別に手を出したわけではない。
俺は男女問わず、年下には優しくするお兄さんでありたいから。
ただ、だからこそ無理をしているのが丸わかりな少女を見て、その原因である国王や周りの連中に堪忍袋の緒が切れてしまった。
その結果。
俺は思いつく限りの罵詈雑言を並べ立て、終いには国王の顔めがけて騎士に持たせていた枕を放り投げた。
そりゃあ牢屋行きにもなるというわけである。
ちなみに罪状は不敬罪と傷害罪だ。
投げた枕は騎士団長に止められたため、傷害は未遂で済んだはずはのだが。
俺の暴言は王様の心を深く傷つけたらしい。何を言ったか覚えていないけど。
この国が王政を敷いている事を考えれば、まだ首が繋がっている方が不思議ではある。
それだけ俺という”勇者”に期待しているというか、殺しては困る程度には、厳しい戦力なのかもしれない。
単純に痛めつけてから処刑するつもりで、その準備を整えているだけという可能性もあるが。
……いかん、なんだか肌寒くなってきた。
悪寒の正体はここが地下だからだと思いたい。
「まぁ、それでも後悔はしてないけどさー……」
不貞腐れるように言って寝返りを打つ。
俺は今も昔もずっと男の子だが、きっとそんなことは関係なしに、無理矢理に結婚させられるのは堪ったもんじゃないはずだ。
誰だって好きな人間と結ばれる権利はある。
そう考えてしまうのは、俺が二十一世紀の日本に生まれたからだろうか。
国のために、家のために。好きでもない人間と結ばれるのが責務の一つだとしても。
それでも、人の人生を道具のように扱う真似は見過ごせない。
そういう意味では、やはり声をあげたことに後悔は無かった。
「はぁ、死んだら死んだでいいか。休暇にはならなかったけど、もう一刻も早く天界に戻ってふかふかのベッドで寝たい」
結論が出たため、布団を被って寝る準備を整える。
もうどうにでもなれ、だ。
痛いのは嫌だが、そんなのいつものことだし、気にするだけ損である。
案外ちょっと反省させるだけかもしれない。
気疲れからか、目を閉じるとすぐに睡魔がやってきた。
いつもの枕が無くて落ち着かないが、仕方あるまい。騎士団長許すまじ。
大きなあくび一つして、さあ眠りに落ちようとした、直後。
——カツン、と。
石を踏みしめる靴音が、俺の耳に飛び込んできた。
「……おいおい、まじか」
こちらへと近づいてきているのか、徐々に大きくなる足音に俺は警戒感から目を開ける。
正確には分からないが、俺が投獄されてから結構な時間が経っているはずだ。だから今頃になって見張りを寄越したというのは考えづらい。
しかしそれ以外に用がある場所とも思えない。ここには俺しか居ないようだから。
要するに、これは、あれか。
処刑するよー、とか。そういうのなんだろうか。
震える手で腰に手を伸ばすも、頼もしい相棒は没収済みだ。
いや待ってほしい。たしかにさっきは『死んでもしょうがない』なんて言ったが、心の準備くらいはさせてもらいたい。
足音がすぐそばまで近くなる。
こうなったら寝たふりで何とかならないかと、再び俺が目をつむったのも虚しく、足音は牢屋の前でピタリと止んだ。
「ぐ、グー……スー……」
「…………」
俺の必死な『寝てます』アピールに、謎の人物は何も言わない。
疑っている……のだろうか。生前、居眠りをごまかすのは得意だったが、逆は初めてだ。
だがそれで死刑を回避出来るかもしれないなら、やる価値はある。
「ンー、ムニャムニャ。スー……スー……」
「…………」
「ガァァァ、ホガァァァ」
「…………」
「ギリギリギリギリ」
「…………」
「…………」
「…………」
いっそ殺してほしい。
「ちくしょう、何の用だこの不審者が! 言っとくが俺はただじゃ死んでやらないからな!」
床に飛び降り、自らの右腕にシーツを巻きつける。これで一撃くらいは何とかなってくれると俺は嬉しい。
そんな何とも情けない俺に対して、足音の主は"小さな体"を竦ませた。
そして恐る恐るというように、綺麗なソプラノで用件を告げる。
「お休みのところ申し訳ありません。ですが、少しだけ私にお話をする時間をいただけませんか? 旦那様……いいえ、勇者様」
鉄格子の前に立つ少女。
その意外すぎる訪問者に、俺は困惑で眉を寄せるのだった。
——————
鉄格子を間に挟み、俺と少女は見つめ合う。
なぜこの子がこんなところに来たのかは分からないが、とりあえず聞くべきことを聞いておかなくては。
「あのー、つかぬ事をうかがいますが、俺を処刑しに来たんでしょうか?」
「……へ? い、いえいえ、そんなまさか!」
俺の質問に、両手を振って否定を返す少女。
先ほどまで着ていたドレスとは違う、部屋着だろう洋服がひらひらと揺れる。
その言葉と格好に毒気を抜かれ、俺はひとまず胸をなで下ろした。
「はぁ、心臓に悪いですよお姫様。てっきり辞世の句を詠むことになるかと思いました」
「じせいの……? ええと、申し訳ありません。起こしてはいけないと思ったのですが、その、よく分からなくて……」
「うん。そのことは忘れてもらえるとお兄さん嬉しいな」
困ったように言う少女、改めお姫様に俺の顔が引きつる。
年下の子に気を使われるのは予想以上に心にきた。
敵意の有無を調べるのに役立ったのだと、そう思うことにする。
とりあえず、このまま立ち話というのもあれなので、俺はお姫様の隣にシーツを敷いた。
「……それで? 俺に話があるんでしたっけ? 固くて冷たい床で申し訳ないけど、その上にでも座ってくださいな」
「あ、ありがとうございます。でも、勇者様は?」
俺とシーツを交互に見るお姫様。
その質問の意味は「貴方はどうするの?」ということだろうか。
じんわりと、心が温かくなる。
この世界にきて初めて、純粋な優しさに触れた気がした。
「いいですよ、俺は床に座るんで」
「そ、それは流石に申し訳ないです!」
「平気平気。俺、地べた座ったり硬い床で寝たりするの慣れてますから」
死体としてな。
「だから、気にしなくていいですよ?」
「……分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
渋々と腰を下ろすお姫様に「お茶も出せなくてすまんね」とおどけてみせる。
それが意外と面白かったのか、小さく笑うお姫様に俺は少しだけ複雑な気分になった。
小さな顔に、くりっとした丸い瞳。綺麗な金髪に整った顔立ちは、まるで西洋人形のようだ。
教育の賜物か、幼さの中に気品が見え隠れする少女は、お世辞抜きで『国一番の美姫』と呼ばれるにふさわしかった。
この子に「旦那様」なんて言われたら……。なるほど、あの国王が褒美にしたくなるのも頷ける。
普通の少年なら、魔王軍との戦いにも張り切って突っ込んでいきそうだ。
実年齢を詐欺ってる俺が来たからそうはならなかったが。
きれいな笑顔にそんな汚いことを考えてしまい、俺が押し黙っていると、お姫様が居住まいを正した。
「もう夜分も遅いですから、単刀直入に申し上げますね」
向き直る俺に真剣な表情でお姫様は口を開く。
「この城から、この戦争から。どうかお逃げください、勇者様」
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