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求人と現場の格差が激しい

 深い海の底に沈んでいくような、浮遊感と閉塞(へいそく)感。

 転生の際にいつも感じるこの不思議な感覚は、魂の漂泊(ひょうはく)とか言われるものだそうだ。


 初めは気持ち悪さや違和感の付きまとう難儀(なんぎ)なものだったが、人間とはよくできた生き物で、数十回を超えた辺りから途端(とたん)に気にならなくなっていた。

 今となっては、注文した料理を待っている程度の感慨(かんがい)しか()いてこないほどに。


 そんな転生までの待ち時間を俺はいつも憂うつに過ごしている。


 何せ運ばれてくる料理が、毎回俺に死ねと言ってくるのだから、歓迎できるはずもない。処刑台に上がる罪人の心情である。


 だがそれも過去のこと。

 今の俺は、目の前にどんなご馳走が並ぶのかと楽しみでしょうがない。


 魂が世界を渡るこの瞬間に、これほど楽しみだったことがかつてあっただろうか。

 いや絶対に無い。


 勇者としての転生など、もしかすればこれが最初で最後かもしれない。


 それでも。

 一週間程度の短い時間でも。


 あの何度も夢想したファンタジーな世界を、本当の意味で()け回れるとしたら。


 それは他のどんなものにも代えられない、宝物になるはずだ。


 ぼやけていた全身の感覚が、徐々に形を成していく。

 無事に転生予定の世界へとたどり着いたようだ。


 美少女ハーレムとか、チート無双とか、そんなものは望まないから。


 俺にその別世界を味わわせてくれるような、ありきたりで平凡な、異世界ライフを送らせてくれ——!


 無邪気に笑う自分の顔を幻視(げんし)して。



 ——俺は、転生した。




——————




 見えず聞こえずだったはずの自分の体。

 閉じた(まぶた)の上から否応無(いやおうな)貫通(かんつう)してくる暖かな光と、同時に浴びる冷やりとした空気。


 それらをしっかりと意識しつつ、俺はゆっくりと目を開けた。


 まず視界に飛び込んできたのは俺を中心とした正円の幾何学模様(きかがくもよう)、それが描かれた石床だった。魔法陣、なんて名前が真っ先に思いつくあれだ。


 おそらくこの魔法陣が召喚の儀式とかに値するものなのだろう。今回の転生は”王国による勇者の召喚”に合わせているのだから。


 次いで辺りを見渡し、ヒビの入った柱、それに備え付けられた燭台(しょくだい)の炎と、ここが壁の存在しない神殿のような場所だということまでを確認して——、


 俺は、自分が何人もの(よろい)姿の人間に囲まれていることに気づいた。


「うお!?」


 思わず声を上げた俺に、鎧をまとった人間たちが動揺と警戒感を(あら)わにしながら身構える。

 全員が同じ徽章(きしょう)意匠(いしょう)な辺り、どこかの兵士か何かだろうか。鎧の(こす)れる、金属質な音がやかましい。


 一様に緊張しているらしい彼らの反応を見るに、俺がなにかしただろうかと自分の格好を確認するも、おかしなところは見当たらない。


 服装だって、事前に調べたこの世界基準の品質で作られたシンプルなシャツとズボンのままだ。

 個人的には胸元のボタン周りがおしゃれポイント……っとそんなことはどうでもいいか。


 どうやら俺も不測の事態に少々動揺しているらしい。


「…………」

「…………」


 痛いほどの沈黙が、炎に照らされた夜の神殿内を包み込む。


 なんか言えよお前らが召喚したんじゃないのか、といつものように出かかった文句を喉元に留め、俺は事態が動くのをじっと待つ。


 ……寒い。

 光度の差でこちらから外の詳しい様子は分からないが、季節は冬なのか、それとも洞窟やら高山に建てられた神殿なのだろうか。


 数秒、あるいは数分にも感じられる時間をお互いそのままで過ごしていたが、ついに俺の方が耐えきれなくなった。


「あのー、ちょっとお尋ねしたいのですが……」


 一応は初対面の、それもこれからお世話になる人たちかもしれないので、俺は敬語を意識しつつ呼びかける。

 すると、ちらほらと、しゃ、しゃべった、という驚きの声や、言葉が通じるのか、といった不思議がる言葉が聞こてきた。


 それらを(いぶか)しがりつつも、


「私めを召喚したのは皆様でしょう、か?」


 俺は言い切り、どこぞの兵士らしき人間ひとりひとりに目を向ける。

 目が合うたびに逸らされるのは傷つくのでやめてください。


 辺りを見渡し誰一人俺と目を合わせてくれなかったことに気落ちしていると、俺は自分の真後ろ、ちょうど死角になっていた部分の包囲が一部崩れていることに気づいた。

 まるでそこに居るはずだった人間が居なくなったような、人一人分の空間。


 気にかかり、じっとその穴を見つめていると暗闇から人影が現れる。


「君が、召喚された勇者か?」


 (いわお)のような()りの深い顔に、いくつも刻まれた刀傷。

 数々の戦いをくぐり抜けてきただろう強者だけが持つ異質な雰囲気。それを当然のようにまとった男に、俺は圧倒されてしまう。


「君が、召喚された勇者か?」

「え、あ、そうです。俺が召喚された勇者です」


 二度目の質問に、つっかえながらもなんとか言葉を返す。

 それを聞いた男はというと、そうか、と短く漏らしながら眉を寄せた。


 よくよく観察すれば周りの人々よりも豪華な意匠を施された鎧を着ている。

 彼らのまとめ役なのだろうか。風格だけ見ればそれも納得だが。


 この歴戦の勇士のような男からすれば、たしかに俺は頼りなく見えるのだろう。

 真実、俺は戦っても数分と持たず敗北する。そんな残念な自信がある。


 棒立ちしたままの俺に、男はしばらくの間何も言わずに険しい顔を作っていたが、やがてフッと息を吐き目をつむった。

 そして下げていた手をゆっくりと持ち上げていく。


 認めてもらえたのだろうか。


 握手の文化があるのかは分からないが、腰元まで掲げられた鋼色の手に、俺も右手を差し出そうとして、


「すまない」

「は?」


 抜き放たれた長剣が、俺の腕をめがけて(はし)る。


「——っぶねえ!」


 後ろへ()退()き、鋭い斬撃をなんとか(かわ)す。

 無傷なのは、持ち込んだ革袋の中に入っていた短剣が盾になってくれたからか。


 切り裂かれ、地面に落ちたそれから、枕のそば(がら)がこぼれ落ちる。

 だが、そんなことを気にしている場合ではない。


「チッ……」


 追撃(ついげき)(せま)る。


 鎧の重さなど、毛ほども感じさせないスピードで踏み込んで来る男に俺は身構えようとするが、


「っ、しまった!」


 周りを取り囲む鎧の壁、その存在を思い出す。

 彼らが部下のようなものだとしたら、俺はとっくの昔に包囲されていたということだ。


 軽く聞きかじった程度の世界に転生するというのに、一体どれほど浮かれていたのかと、過去の自分に反吐(へど)が出る。

 後悔とともに、周囲を警戒しようと目を向けて……戸惑う。

 なにせ、


「騎士団長!?」

「どうされたのですか!」


 俺と同じように、いやそれ以上に彼らは動揺していた。


 そのせいで、攻撃に気づくのが遅れる。


「フン!」

「ぐっ!」


 中途半端な回避のせいで、左腕を浅く切り裂かれる。

 ジクジクと広がる痛みに、腕を伝うこそばゆい感覚をはっきりと自覚しながら、俺は違和感を(ぬぐ)えずにいた。


 今のは、間違いなく致命的な(すき)だった。


 俺に理解できたのだから、騎士団長様とやらが気づかなかったはずはない。

 なのに切られたのは俺の左腕一本のみ。


 もっとも、剣に込められた殺気は本物だし、先の一撃にしたって俺が身じろきしなければ(ひじ)から先は失くなっていただろう。

 そこまでいかずとも使い物にならなくなるのは間違いない。


 ただ、それと同じ条件を俺の首や頭にも当てはめられたはずなのだ。

 だがそれをしなかった。


 不思議なことはまだある。

 なぜ俺を取り囲む彼らは、未だに状況を飲み込めずにいるのか。


 仮にこの騎士団長とやらに戦闘狂の気があるとかならば、そこまで驚いたりはしないはず。

 そうでないなら、この状況は完全な独断、暴走ということなのか。


 尽きない疑問に俺は苛立ちながら腰を落とす。

 なんにせよ、まずは身の安全を確保してからだ。


 短剣は地に落ちたままだが、今の俺には”あれ”がある。

 レンカからもらったチート能力が。


「発動!」


 突然右手を突き出した俺に、騎士団長の足が止まる。

 丸腰の俺が起こした行動を警戒しているらしい。


 慎重で何よりだが、俺の能力の前でそれは悪手。


 さぁ、神の力に震えるがいい——!


「……あれ?」


 だが、いつまでたっても能力が発動しない。


 俺と騎士団長はしばしの間、そのままの体勢でお見合いしていたが、


「ふっ!」

「くそったれ!」


 再び地面を蹴った騎士団長に、俺は自力での逃走をよぎなくされる。


 こうなったら、ダメ元でも周りの騎士らしき人間に助けを求めてしまうか。

 全力で逃げる俺と、不運にも目が合ってしまった一人の騎士へ向かって必死に駆ける。


 かぶとから覗く目と口元が引きつっていくのを捉えながら、俺は助けを()おうとして、


「何をしておられるのですかな?」


 落ち着いた声が、辺りに響いた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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