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仕事での板挟みが辛い

 静かな地下牢でお姫様の声が反響する。

 誰かに聞かれたら困るのか、お姫様はキョロキョロと辺りを見回していた。


「理由をお聞きしても?」


 尋ねる俺に、少しだけ緊張した様子のお姫様。

 それを見た俺は耳を寄せるようにして近づいた。


「勇者様は、私たちの国がどれほどの窮地(きゅうち)に追いやられているかご存知ですか?」

「……たしか降伏勧告を叩きつけられてる、って話は聞いたけど。それ以外はさっぱりですね」


 質問に質問で返され、もやもやしながらも正直に答える。


 俺が転生前に聞いていた世界事情は、この世界には人間の支配する国と魔王の支配する国があって人間側が優勢、とせいぜいがこの程度だ。

 あまり詳しく調べると、楽しみが減るから。

 そんな俺に「勧告の内容は?」とお姫様が続けた。


 内容、と言われ首を傾げる。

 そういえば『大陸の端にまで追い込まれている』とは聞いていたが、それ以上のことは何も聞いていない。

 静かに否定を返した俺に、お姫様は暗い顔を作った。


「『十日以内に降伏しろ。さもなくば全軍をもって王都に侵攻する』と、そのような意味の勧告が約三日前に告げられました」

「ということは……あと一週間か」


 予想以上に状況は切迫していた。

 呻くような俺の呟きにお姫様が「はい」と小さく返す。

 それで、俺にも話が読めてきた。


「なるほど。つまり勝ち目のない戦争に行く意味はない、と」


 俺は今でこそ牢屋に閉じ込められているが、本来なら明日にでも訓練へ駆り出されていたことだろう。

 しかし一週間というわずかな時間を訓練に当てたとして、どれだけ”マシ”な出来になるのか。


 王国軍が幾度となく敗走しているのだから、最低限、騎士団長と同じ程度には強くなる必要がある。

 が、そんなの俺には無理だ。

『勇者だから補正が入る』なんてシステムは残念ながら存在しない。


 であれば当然、降伏勧告に従わなかった場合に起こる戦いも敗北は必至。

 それが分かっているだろうお姫様は、申し訳なさそうに頷いた。


「その通りです。それに勇者様が本当はとてもお強い方だったとしても。私は勇者様に、万が一にも戦争で死んでほしくはないのです」


 肯定の中に交じった、祈りのような言葉に俺はまたも首を傾げる。


 戦争で死んでほしくない……というのは、もっと別な死に方をしてほしいという意味か。

 いや、そんなはずはあるまい。それはちょっとネガティブになりすぎだ。

 だとしたら単純に『死なないでほしい』という意味なんだろうが、今日会ったばかりの女の子にそこまで言ってもらえる心当たりは無い。


 そうした思いが顔に出ていたのか、お姫様は俺の方を見ると訳を話してくれた。


「勇者様。私の勘違いかもしれませんが、初めてお会いして言葉を交わした後。勇者様はとてもお怒りになりましたよね」

「……まあ、そのおかげでこのザマですからね」

「そうですね。でも勇者様には申し訳ないのですが、私、嬉しかったんですよ?」

「嬉しかった?」

「はい」


 楽しそうに語るお姫様から、含むところは感じられない。

 ただ、少しだけ寂しくもあるような。そんな複雑な表情をしているように感じた。


「初めは、私が何か失礼を働いたから怒ったんじゃないかって。厳しくて怖い人だなって、そう思いました。でも話を聞くうちに、勇者様が"私の為"に本気で怒ってくれているんだと分かって。それが、私にはすごく嬉しかったんです」


 くずれた敬語に、お姫様の本当の顔が見え隠れするような感覚。

 もしやこの子は反抗期的なあれなのだろうか。


「まるで自分のために怒ってくれる人が居ない、みたいな言い方ですね?」

「事実、居ませんから。この城で私はただの邪魔者でしかありません。望まれて産まれたわけじゃない、私のような人間は」


 そんな浅はかな質問の結果、見事に地雷を踏み抜いてしまった。


「側室でもない、ただの侍女が産んだ不貞の証拠が私です。そんな母も体が弱かったらしく、私を産んですぐに亡くなったと聞きます。肝心の正妃様とは子宝に恵まれず母との件があったためか側室も認められずおかげで私はどんどんと肩身の狭い思いを……」

「わ、分かりました。俺の質問が悪かったですから、そんな死んだ目で説明しなくていいです」


 ぽつぽつと、呪いのような言葉を流すお姫様を慌てて止める。

 反抗期どころか想像以上に重い過去が待っていた。


 申し訳なさにどう慰めたものかと俺が手をこまねいていると、お姫様が小さく吹き出す。


「困らせてしまったようで、申し訳ありません。やはり勇者様はお優しい方です。だからこそ私は、あなたのような優しい人に戦争で死んでほしくはない」


 次第に小さくなる声は、しかし最後まで俺の耳に届いた。

 なんと言えばいいのか分からず口を閉じていた俺に、お姫様は、


「明日の夜、また同じ時間にここへ来ます。その時はなんとしてでも牢の鍵を持って来ますので」


 そう言い残して牢を後にした。




 ——————




 疲れはどこへ行ったのやら。

 俺はいつまでも寝付けないまま、寝台の上を転がっていた。


「弱ったなぁ」


 相変わらずの独り言が出るが、今だけは周りに誰も居なくてよかったと思う。

 それだけ、俺はお姫様が言ったことについて頭を悩ませていた。


「『逃げてください』なんて。言われなくても、そうするつもりだったんだが」


 言いながら右に正面にと体の向きを変える。

 どの角度になっても目に入るのは石の壁と鉄の柵だけだ。


 もし、この鉄格子が無かったら。

 俺はお姫様の言う通りに逃げ出したのだろうか。


 隠し通路を進んでいるときにも思ったが、俺は隙を見て逃げ出すつもりでいた。

 その考え自体は、正直今も変わっていない。どころか、むしろ強くなってさえいる。

 なんなら世界規模で。早く天界へ還りたい、と。


 だが、それは正しいと言えるのか。

 あの広間で、俺に期待の目を向ける人々を見た後で。


 ”代理転生使者”には役割がある。


 犠牲になるはずだった人の代わりに殺されたり、新しい人生の支え役として影に(てっ)したり。

 いずれもその世界で生きる人のため、もしくはその世界でこれから生きていく人のために、生まれ変わっては死ぬ。

 それが俺たちの仕事だ。


 その本質は、俺が勇者として転生したとしても変わらないのではないか。


 俺が今回の転生に休暇という『役割』を求めたこと。


 この国の——少なくともこの城の人たちが、俺に勇者として国を救う『役割』を望んだこと。


 俺はどちらを優先すればいい?

 いや、そもそも『優先する』などといった選択の余地が俺にあるのか?


 向こうからすれば、手違いだったとはいえ文字通り希望がやってきたようなものだ。

 そんな俺が「休みに来ただけなんで」とやる気のないことでどうする。


 考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく感覚。

 とりあえず学んだことといえば、勇者なんて試しにでもなってみるもんじゃ無いということだろう。

 今度、『勇者になりたいです!』なんて言い出す転生者が居たら、俺が先輩として助言してやるかな。


 自嘲(じちょう)じみた笑みとともに目をつむる。


 なぜか事前の情報とは異なる世界に、不穏な王国の内情。

 いまだに助けを寄越さないレンカと発動しないチート能力など、疑問は山のようにあるが、今できるのは体を休めることだけだ。


「そういや、名前、聞き忘れたな……」


 まぶたの裏に浮かんだ、お姫様の悲しそうな顔にうなされながら。

 俺は意識を失った。

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