その1(全3回) 世の中にあるすべてものは陰陽によって構成されている
「敵の積なるが故に疏なるべし。」
(敵は、有力だからこそ、無力になっていくものだ。)
『孫臏兵法』「積疏」篇より
そこは、まるで東洋の寺院のような空間だった。
薄暗い室内は、意外と広く、赤や金色を基調とした装飾に彩られている。香炉からは白檀の煙がたちのぼり、オリエンタルな香りがあたりをつつんでいた。
美しい布地に象形文字の書かれた垂れ幕が、祭壇を飾っている。祭壇には、まるで武将のような神像が安置されていた。まばゆい金ぴかの鎧を身につけている。
ミン族は、この建物のことを「道観」と呼んでいた。
スン族長は祭壇を背にして、椅子に座っている。その視線の先には、13歳になったばかりのクリーがいた。茣蓙の上に正座している。
クリーは今日から、正式にミン族の一員となる。その通過儀礼の一環として、スン族長はミン族の世界観を語って聞かせていた。
「この世のすべては陰陽によって形作られておる」
クリーは眉間にしわを寄せながらも、黙ってスン族長の話を聞いていた。がんばって理解しようとしているようすがうかがえる。
「陰とは、マイナス的なものであり、質量を象徴する。陽とは、プラス的なものであり、動力を象徴する」
スン族長が語るのは「難解な哲理」であり、十分な教育を受けていない13歳の少女が理解できるようなものではないだろう。
それでもクリーは熱心に話を聞いていた。なんとか理解しようとしているのだろうが、まったく健気だ。
「こうした話は、おまえが学んでいる『孫臏兵法』にも記されておる。分かるか?」
クリーは首をかしながらも一所懸命に考える。
沈黙が続いた。クリーは正面を見すえたまま考えこんでいて、なかなか発言しない。
さらに沈黙が続いた。そして――。
「ごめんなさい……。よく分かりません……」
クリーはスン族長を見上げながら、恐る恐る口を開いた。目つきはしっかりしているが、今にも泣きそうな顔をしている。
「ならば“積疏”の教えを思い出してみよ。そこには陽があれば、陰もあるということが具体例をもって記してある」
山ほどがあれば、まばらもある。
満杯があれば、空虚もある。
近道があれば、回り道もある。
すばやいがあれば、ゆっくりもある。
多いがあれば、少ないもある。
楽があれば、きついもある。
「これが陽であり、陰というものだ。分かるか?」
こういう話なら、クリーもイメージしやすいので分かりやすい。頭のなかの霧がパッと晴れたような気がした。それが表情にもあらわれ、思わず柔和な表情になる。
「はい。世の中には反対のことがあるということですね」
「うむ。ちょっと違うが、大まかに言えばそうなるか。――ともあれ、世の中にあるものは互いに対立しながらも、互いに補完しあっているのだ」
また話が難しくなった。知らずクリーの表情も曇る。
スン族長が語っている小難しい話は、いわゆる道家の思想そのものだった。そう言えば、孫子の兵法は道家の思想と関係があるという話もある。
だから『孫臏兵法』「積疏」篇には、道家の教えみたいな話が記載されているのだろうか?
「もちろん戦いにも陰陽が関係してくる。陰と陽が戦った場合、どちらが勝つと思うか?」
問われてクリーは、少し考えてから答える。
「陽が勝つと思います。たくさんが陽で、少しは陰になります。兵隊さんが少ないと、たくさんの敵には勝てません」
「うむ。そうだな。正解だ」
クリーの顔がほころぶ。
「古人も“大軍の前には関所なし”と言っておるが、物量作戦をとり、人海戦術を使えば、勝ちやすくなる。シンプルな真理であり、オーソドックスな兵法だ」
だから、難しいときは、数で敵を圧倒することを考えるとよい。
クリーは連邦との開戦を目前にしてフミト元帥から勝算を問われたとき、そんなことを思い出した。そして、こう答えた。
「連邦は、いつも大軍を出してくるから、ふつうに考えると手強いと思う。だけど今回は民本党と同盟を組んで戦うわけだから、最終的に帝国のほうが大軍になると思う。そうなれば帝国に勝ち目がある」
そう言えば、『孫子』にも「謀攻」篇あたりに「兵数が敵より多いなら囲むし、少ないなら逃げる」みたいな教えがある。
クリーの推測は、これと似たところがある。まあ『孫子』の後継となる兵法が『孫臏兵法』なのだから、そうなるもの当然と言えば当然だろう。
「数字の上では今のところ連邦軍のほうが圧倒的だけど、民本党の党員たちが連邦軍のなかにもたくさんいる。そうした人たちが寝返れば、こちらが圧倒的になるというわけだね」
「はい。形勢も逆転すると思う」
こうしたクリーの計算どおり、シン帝国は敵を味方につけることによって、緒戦でエイハイ基地を攻略し、ターレン要塞を制圧することができた。
あとは民本党による宣伝工作が重要になってくる。
「シン帝国と民本党の手によって難攻不落の要地が陥落したことを広く知らせることで、連邦人の決起をうながし、連邦軍の戦意を失わせる」
これがシン帝国と民本党による「これからの作戦方針」だった。
◆ ◆ ◆
エイハイ基地の陥落は、連邦にとって重大なニュースだ。しかし、連邦の新聞各社は報道しなかった。
「エイハイ基地の失陥について報道するなよ。報道したら、利敵行為と見なし、国家反逆罪で処刑するからな」
ヤオ党首は、エイハイ基地が攻略されると、すぐに新聞各社に圧力をかけていた。
(今回の敗北を政敵や国民どもに知られたら、騒ぎ出すだろう。考えただけでも、うざい。うざすぎる。だから、力ずくで黙らせる)
ヤオ党首の思いだ。
もちろんターレン要塞が制圧されたときも、ヤオ党首は新聞各社に圧力をかけて報道させなかった。
しかし、シン帝国と民本党の攻撃によって、エイハイ基地が攻略され、ターレン要塞が制圧されたことは、いつの間にか連邦に広く知れわたっていた。
民本党が宣伝してまわっていたからだ。
(われらの闘争によって難攻不落の要地が陥落したことを人民に知らせれば、人民の決起をうながすキッカケとなる)
民本党のヨン書記長は、そのように考えていた。だから、エイハイ基地が陥落したとき、ただちに各地の支部に向けて指示を出す。
「エイハイ基地の陥落について宣伝し、全国津々浦々の人民に伝えるのだ」
民本党の各支部は、さっそく輪転機をフル稼働させて、宣伝ビラを大量に印刷し、街頭でバラまいてまわった。
『民本党は、人民を解放するために立ち上がり、闘争を開始した。エイハイ基地も今や民本党の支配下にある。人民に告げる。今こそ革命のときだ!』
こうした宣伝ビラの散布は、もちろん警察の取り締まり対象となる。しかし、民本党員は、警察の目を盗んでバラまいたので、1人として逮捕されなかった。
そうこうしているうちにターレン要塞も陥落した。
もちろん新聞各社はヤオ党首に圧力をかけられているので報道しない。しかし、民本党が宣伝ビラをばらまいて広く知らせてまわった。
こうした民本党の地道な宣伝活動が功を奏したらしく、だんだんと各方面からヤオ党首を非難する声が聞こえるようになってくる。
ヤオ党首は秘密警察を総動員してまで情報を統制しようとしたが失敗に終わった。
(使えないやつらだ)
忌々しそうに舌打ちをしたヤオ党首は今、連邦議会で政敵から糾弾されている最中だった。
「ヤオ党首は、今回の敗戦の責任ととり、党首の座を退くべきである」
政敵の議員たちは、入れ替わり立ち代わり演台に立ち、ヤオ党首に辞任を迫る。
(次は自分が党首となり、連邦を牛耳るのだ)
ヤオ党首を責め立てる議員たちの本音だ。戦争中であるにも関わらず、議会で足を引っ張り合うなんて、まったく愚かだとしか言いようがない。
こうした議会の紛糾ぶりについて、新聞各社はおもしろおかしく報道した。もちろん政府の無能ぶりをあげつらうことも忘れない。
ヤオ党首に圧力をかけられ、おもしろくない思いをしていたので、ヤオ党首に仕返しするチャンスだとでも考えたのだろうか。
(報道させないように圧力をかけたいが、政敵どもが新聞各社に味方しているので、うまくいかない)
ヤオ党首は、切歯扼腕して悔しがる。
ヤオ党首を非難する世論は、日増しに高まっていく。民本党が事あるたびに人民の怒りを煽っていたからだ。
「反政府分子どもを逮捕して、徹底的に弾圧しろ」
ヤオ党首は警察に命じる。しかし、政敵が裏で取り締まりを邪魔するので、うまくいかない。
「敵は内にありとは、よく言ったものだ。くそっ!」
ヤオ党首は怒り心頭だった。執務室の机上にある書類をぶちまけ、イスを蹴とばす。しかし、やつあたりしたところで、状況が好転するわけもない。
「なんでもいいから因縁をつけてボクのことを批判する連中を逮捕しろ。無理矢理こじつけてでも国家反逆罪で逮捕しろ」
ヤオ党首は精神的に追いつめられて焼きがまわったのか、警察長官を呼び出して無茶なことを命令する。もちろん警察長官が困ったことは言うまでもない。
(一方では取り締まれと命令をしてくるし、他方では取り締まるなと圧力をかけてくる。一体どうすればいいんだ?)
くだらない政争にまきこまれて命を失いたくない。
だから、警察署長は面従腹背を決めこむことにした。がんばって取り締まっているように見せかけながら、その裏では手をぬく。
今や連邦の政局も、世論も混迷をきわめていた。
◆ ◆ ◆
「いやはや頭の痛い話であります――」
そう言うギルド長の表情は暗い。目の下にくまもできている。噂によると悩み過ぎて不眠症になっているらしい。
いざとなれば、すべての責任をヤオ党首に押しつけ、トカゲのシッポ切りをすればよい。しかし、うまくやらないと自分まで巻きこまれかねない。慎重を要する。
すぐには動けない。しばらくはヤオ党首が自分で火消しできるか、様子見をしたほうがよいだろう。
しかし、ヤオ党首はうまくやれるだろうか。クレージーなところがあるので、なにをしでかすか分からない。
それはそれで頭の痛い問題だ。まったく悩みがつきない。
「――まったく、どいつもこいつも好き勝手してくれます」
「ほう? ギルド長の命令でも従わぬのか?」
カンチ博士は、いつもの祭壇の前にいて、意外そうに言った。
「私どもに歯向かう政治勢力をつぶすためでしたら連中も結束するのですが、いかんせん今回の場合は権力をめぐっての内輪もめですから……」
ギルド長は言いながら、ハンカチで冷や汗をぬぐう。
「……駄々っ子みたいにわがままを言って、私どもの言うことを聞かないのです。ヤオは党首にふさわしくないから、今度は自分を党首にしてくれ、と」
「そりゃあ、まるで兄弟喧嘩みたいで、“親御さん”も世話が大変ですねぇ――」
謫兵団長は、まったく緊張感のないニヤついた表情で言う。
「――しかし、だれが党首に立とうが、資本家の利益を代弁してくれるのですから、よいではないですか。雨が降って地面も固まると言いますしね」
「おまえは気楽でいいな。少しは私の身になって考えてみろ。そもそも今は戦争中だし、政争なんてしている場合ではないのだぞ」
「そうですね。だからこそ自分が役立つのでしょう?」
謫兵団長は、犯罪人を戦力として利用する部隊を率いている。
謫兵とは、兵士になっている犯罪人を言う。兵士として働いて手柄をあげれば、その罪を赦され、自由にしてもらえる。
もともと犯罪人なので、謫兵に無茶な戦い方をさせて戦死させたとしても、国民から文句を言われることはない。むしろ喜ばれる。
だから、謫兵は、本人たちが知らぬ間に催眠術をかけられて自爆兵器となったり、狂戦士となったりすることも多い。
たとえ命をなくすことになろうとも、命令に忠実に従う。この前の海戦では、東洋艦隊への体当たり攻撃で大きな戦果をあげたばかりだ。
「そうだ。謫兵ならば戦力として有効であるし、信用できる――」
カンチ博士がおもむろに口を開く。
「――残念ながら、連邦軍のなかには民本党員が多く潜りこんでいるらしい。ゆえに今や連邦兵はあてにならない」
「だれが忠誠を誓い、だれが謀反を考えているのか、それが分からないですからね」
「それが心配で私は夜も眠れないのだよ。いつ襲撃されるかと思うと心配でたまらない」
「我は今、ウソ発見器を開発しているが、完成にまでまだ時間が必要だ。だが、心が読めぬなら、心を支配すればよい」
「そこで自爆兵器や狂戦士の出番というわけですね」
「うむ。催眠術であやつれば確実に信頼できる兵士となる。そこでだ。エイハイ基地とターレン要塞で裏切った将兵の家族を逮捕し、自爆兵器としろ」
「「!?」」
「今、裏切っている連中も、みずからの家族が相手となれば、本気で戦えなくなるだろう。そして、これから裏切るかもしれない連中も、裏切れば家族が問答無用で自爆兵器にされると知れば、裏切りをためらうだろう」
「つまり、見せしめにする、と?」
ギルド長は思わず顔をしかめるが、謫兵団長は目を輝かせた。
「それは、おもしろそうですね!」
よほど興奮しているのか。声が思わず裏返っていた。
「おもしろそうって……」
ギルド長は言いかけて止めた。余計なことを言って、カンチ博士の不興を買うわけにはいかないからだ。
「ですが問題があります」
「なにか?」
「催眠術の使い手は、そう多くありません。それに引きかえ裏切り者の家族は数万を数えるでしょうから、自爆兵器の生産が追いつかないと思います」
「手は打ってある。今回は電気を試してみる」
カンチ博士の説明によると、人が思考するときは脳内に電気が流れるそうだ。だから電気の流れをコントロールすれば、人の思考もコントロールできるようになるらしい。ちょうど催眠術にかけられたのと同じ効果を出せるということだった。
「自爆兵器の材料について、その頭に針を刺し、そこに電気を流すだけで、たやすく自爆兵器が完成する。針を刺す部位や電気の強さについては、ここに書いてある」
言いながらカンチ博士は、書類の束を差し出した。
ギルド長は、うやうやしく書類の束を受け取ると、そのまま謫兵団長に手渡す。
「なるほど、ちょっと電気を流すだけでいいなら、簡単に大量生産ができますね」
謫兵団長は、パラパラと書類をめくりながら、うれしそうに言った。
ところで、よくよく考えれば、ヤオ党首も、謫兵団長も、資本家の傀儡だ。
とりわけヤオ党首が陽の傀儡なら、謫兵団長は陰の傀儡となる。そう考えると、ここにも陰陽がそろっていた。




