その1(全3回) フミト皇太子が「兵士をかわいがる」ことは敵さえも知っている
「寡なきを軽んぜず、敵に劫やかされず、終わりを慎むこと、始めるがごとし」
(敵が少ないからといって油断せず、敵のおどしに屈せず、終わりに近づいても始めたばかりのときの慎重さを失わない。)
『孫臏兵法』「将徳」篇より
帝国軍と新南部軍が南部に進軍する直前のことだ。
南部の南方海上には、2隻の輸送艦がいた。帝国の輸送艦であり、2隻の駆逐艦によって護衛されている。
風はゆるやか、波も穏やかであり、輸送艦の甲板上での作業もしやすい。甲板の上には3つの熱気球があり、発艦準備を急いでいた。
艦上にある熱気球は、専用トラックに積まれた熱気球と同じように4本の支柱で固定されている。
しばらくすると、ジリリとベルが鳴り、熱気球と支柱をつなぐ係留ロープがはずされ、4本の支柱が同時にガコンと外側に30度ほど傾いた。
支柱から自由になった熱気球は、静かに浮き上がっていく。
「総員、帽振れーっ!」
号令がかかる。甲板にいた兵士たちは、一斉に帽子を手に取り、熱気球に向かって大きく左右に振って見せた。
熱気球からは搭乗員たちが手を振って応える。
熱気球は、上昇しながら季節風に乗り、北上していく。向かう先には南部の大地がある。
こうした「航空艦隊」が今回、5つ南方海上に派遣されていた。
各艦隊は駆逐艦2隻、輸送艦2隻で編成され、輸送艦1隻につき3つの熱気球が積載されている。
艦隊1つにつき熱気球6つだが、艦隊は5つあるので熱気球の総数は30となる。
30の熱気球は、南部上空に到達すると、各所で宣伝ビラをまき、住民や連邦兵にメッセージを伝えた。
その内容は、要約すると3つのポイントに絞られる。
1.帝国は、連邦の支配から南部を解放するため、進軍する。
2.帝国は、敵将――タケト皇子とウーダーイー総督の2人さえ逮捕できればよい。連邦兵に関しては、ムダな抵抗をやめて降伏するなら必ず連邦に生還させる。
3.帝国は、人命を重んじる。帝国への帰順を考える者は、無理をしてまで抵抗活動に走る必要はない。帝国の軍勢があらわれるまでは、連邦に協力するふりをして身を守れ。
とりわけ「3」のメッセージには、クリーの人命尊重の思いだけでなく、策略もこめられていた。
クリーは作戦会議のとき、クールに言った。
「帝国としては、南部にいる住民や連邦兵に対して、自分の命を守るためにもウーダーイー総督に協力して見せるようにせよと命じてほしい」
「なに!? 帝国への敵対をあおるのか!?」
総司令官も、ヤマキ中将も、あ然とする。
「あおるわけではない。帝国がそのように命じると、ウーダーイー総督は疑心暗鬼になると思う――」
クリーは、たんたんと言う。
「――住民や連邦兵に対して、“こいつらは味方のふりをしているが、実は裏切りを考えているのかもしれない”と疑うようになる。そうなると、帝国との戦いに集中できなくなる。いつ背後を襲われるか分からないから」
「なるほど。そうやって気が散るように仕向ければ、うっかりミスも増えるであろう。こちらとしては好都合だな」
総司令官はいちおう納得する。
「それに連邦兵は戦友どうしでも互いに疑いあうようになるやもしれんな――」
ヤマキ中将が感心した顔つきで言う。
「――連邦兵は“こいつは今のところ味方だが、生きのびるために投降を考えていて、いざとなると裏切って攻撃してくるかもしれない”と心配になる。そうなれば、まともに戦えなくなる」
「なかなかの心理作戦だね」
フミト皇太子は笑顔で言い、さっそく採用することに決めた。それが「3」のメッセージだった。
なお、今回の宣伝ビラは、ウーダーイー総督の軍勢――連邦軍の士気を低下させることを主な目的としている。
それは田園都市・トシマに置かれた大本営(司令部)での作戦会議の席上で、クリーが提案したものだった。
◆ ◆ ◆
作戦会議では、大本営(司令部)の作戦室において、テーブル上に広げられた南部の地図を参照しながら、話し合いが行われた。
地図を見ると、南部は三方を海に囲まれ、北側だけが帝国の中央と陸続きになっている。
「海軍が海上を封鎖し、陸軍と新南部軍が南下を開始すれば、もはや連邦軍も“ふくろのネズミ”も同然であります」
総司令官は、地図を指し示しながら説明していた。
室内には、フミト皇太子のほか、ヤマキ中将をはじめとする関係者――軍幹部が勢ぞろいしている。
「なるほど、“ふくろのネズミ”か……。言い得て妙だね」
フミト皇太子は変なところで感心した。
「さようであります。そして“追いつめられたネズミはネコにかみつく”とも言われますので、ゆめゆめ油断なりません」
ヤマキ中将は付け足すように言った。
総司令官も説明を続ける。
「連邦軍の将兵は、“ふくろのネズミ”となるわけでありますから、逃げ場がありません。おそらく中将の言うように、必死になって抵抗するでありましょう」
そうなれば帝国軍と新南部軍は、手痛いダメージをこうむりかねない。
しかし、連邦軍の将兵は、一部の将校をのぞいて、ほとんどが徴兵されて軍務についている者ばかりだ。
「とにかく無難に兵役を終えて、一刻も早くもとの平穏な生活に戻りたい」
だれもが、そう願っている。国のために殉じるつもりの将兵など、まずいないとみていい。逃げられるなら逃げたいと思う。
アルキンの報告だ。アルキンは、総司令官の派遣した偵察隊とは別に、百人隊を南部に潜入させ、敵の動きをスパイしていた。
「そういう実情ですので、敵は逃げ道さえあれば、そちらに走ります」
アルキンの言うとおりだろう。
「だから、わたしたちとしては、わが軍が狙うのはあくまでも敵将――タケト皇子とウーダーイー総督だけであって、敵兵は抵抗しない限り赦すと布告して、敵兵に逃げ道を用意してあげればいいわけだね?」
フミト皇太子がおだやかな顔で確認した。
「はい。ふつうの場合、人はだれだって死にたくない。生き残りたいと思う。だから、危機におちいったとき、逃げ場がなければ必死になるけど、逃げ道があるなら逃げ腰になる。スキあらば逃げようとして、本気で戦おうとしなくなる」
そう言ってクリーは、熱気球を飛ばし、すでに紹介した3つのメッセージを記した宣伝ビラをばらまくことを提案した。
なお、今の季節は冬に向かうころであり、季節風は海から陸に向かって吹く。だから、海上から熱気球を飛ばすとよい。
もし今が夏場なら、季節風は陸から海に向かって吹くので、北から熱気球を飛ばし、南方海上で艦隊が回収する形になるだろう。
「だが、宣伝ビラをまくのはよいとして、はたして敵兵が信じるであろうか?」
総司令官は、ふと疑問を口にした。しかし、すぐに愚問であったと気づく。発言を訂正しようとするが、それより先にクリーが口を開いた。
「殿下は人を大切にする。北部では捕虜を生かすためにがんばった。それは有名な話なので、殿下が敵兵に対して“投降するなら連邦に生還させる”と言えば、敵兵もすなおに信じると思う」
「うむ。そうであったな。軍人というものは、つねに最悪の事態を想定して行動するように習慣づけられておるゆえ、つい悪い方向にばかり考えが向いてしまう。いかんな」
総司令官は頭をかきながら苦笑いした。
「いや、いけないことはないと思うぞ――」
フミト皇太子が笑顔で言う。
「――つねに最悪の事態を想定しているからこそ、窮地におちいらずにすむ。危機管理がうまくいくのも、総司令官のおかげだ。感謝している。これからも、よろしく頼む」
総司令官は、思わず恐縮する。
「お心遣い、痛み入ります」
(この殿下は、兵士をかわいがることで有名だが、まったく部下への気配りは至れり尽くせりであるな)
そう言えば以前、どこかでクリーが言っていた。
「わが一族に伝わる教えによると、兵士をかわいがるのは、将としての徳の1つだと言われている」
(つまり、殿下には徳があると言うわけか。上に立つ者として欠かせない徳が――)
――徳は孤ならず。必ず隣あり。
ミン族の故地に伝わる偉人の言葉だ。
徳のある人は孤立しない。必ず味方が出てくる。そういう意味らしい。
実際、フミト皇太子は、その徳のおかげで、本人も知らないうちに敵――連邦のなかにシンパが誕生していた。ただし、これは別の話だ。ここでは詳しく触れない。
「とにもかくにも親征によって味方の士気を奮い立たせたが、さらに宣伝ビラをばらまくことによって敵の士気を阻喪せしめる、か……。敵も味方もすべてクリー大佐の掌の上で踊らされているようなものだな」
総司令官の率直な感想だ。




