その1(全4回) 帝国軍は航空隊を創設する
「国の寡なきところを強いて多くし、以って敵国の多きところに応ずるは、速やかに屈するの兵なり。」
(わが国の弱いところをムリやり強くし、そうして敵国の充実したところに立ち向かうなら、その軍隊はすぐさま敗北する。)
『孫臏兵法』「兵失」篇より
帝都には、50万人の兵力が集結していた。
ふつうなら帝都をふくむ中央にいる常備軍の兵力は、陸海あわせて25万人くらいだ。
およその内訳は陸軍15万人、海軍10万人となる。ただし海軍の兵数は、艦隊の出入りに応じて増減するので、固定されていない。
そのような現状であるにもかかわらず、帝都だけに、それも陸軍だけで50万人という数字は、帝国の常識からすれば「異常」だった。
「ことわざにも“大軍の前に関所なし”と申しますが、これだけの兵力をもってすれば、いかに南部5侯の手勢が精強とはいえ、たやすく撃破できますな」
ヤマキ中将は驚きをまじえながら言う。
これについては、南部5侯もよく自覚していた。
南部5侯は、それぞれ1万人くらいの常備軍なので、総兵力は5万人となる。
「わたくしどもの10倍の敵と戦えば、わが軍がいかに精強でも、まちがいなく苦戦いたします」
フワ辺境伯が言うと、残りの4侯――カワ辺境伯、トウドウ辺境伯、シン辺境伯、ヒラ辺境伯の4人も同意するようにうなずいた。
しかし、ことはそう単純なものではない。
イチマツ宰相は、ニヤリとして言う。
「帝国の経済や財政をかんがみるに、これだけの兵力を維持するのは容易ではない――」
イチマツ宰相は、これまで長らく帝国の政治に関わってきたので、帝国の財政について熟知している。
「――食費、光熱費だけでも、最長3か月くらいしか賄えないであろう。したがって50万人の兵力で帝都を守り続けるのは無理であるし、それだけの兵力で南部に遠征するのは不可能である」
兵力が多ければ多いほど、それだけ多くの出費が必要となる。出費が多ければ多いほど、国力が弱まっていく。なにもしなくても自滅しかねない。
そのことは、帝国軍の総司令官も分かっている。
だから総司令官は、帝国の財産をベースにして経費を試算しながら言った。
「ですから、南部の皇子派が出兵してくるとすれば、それは少なくとも3か月をすぎてからとなるでしょう。たとえ50万人の兵力を残したとしましても、3か月もすれば維持できなくなると知っていますから」
「たしかに、そうだろうね」
フミト皇太子は、うなずきながら言った。
「もちろん、こちらがすぐさま大軍を擁して攻めていくという手もありますが、空中戦艦がいる以上、それは無理です」
「とにかく限られた戦費を大事に使うためにも、兵力を削減する必要があるわけか」
「はい。持久するためには、とりあえずイチマツ宰相が徴兵してかき集めた50万人のうち、常備軍をのぞく35万人近くに対し、取り急ぎ兵役解除を命令したほうがよろしいと思われます」
「分かった。さっそく解除してくれ」
「はっ」
総司令官は即答すると、近くにいた伝令になにやらテキパキと指示を出す。伝令は、さっと敬礼し、すばやく退出していった。
「それで敵が攻めてくるとすれば、どのくらいが想定できる?」
「こちらが兵役解除をはじめたとして、一斉に解除すれば混乱が生じますから、じょじょに解除していくことになります。その場合、だいたい3か月で完了します。敵としては、こちらの兵力が最低になったところをねらうでしょうから、3か月を経過してから攻めてくるのではないでしょうか?」
「それに南部5侯も戦の準備があります。あの者たちの現状からして、おそらく3か月か、4か月くらいは準備にかかるものと思われます」
ヤマキ中将が補足した。
「なるほど。ともあれ、わたしたちとしては空中戦艦に対する対策――熱気球の配備が完了するまでは動けないし、しかも3か月以内に配備を終わらせないといけないということか。なんとも際どい状況だね」
フミト皇太子は、その場の沈鬱な雰囲気を打ち破るように苦笑いしながら言った。
「でも、それなら心配ないわ――」
ハナ皇姫が自信たっぷりに口をはさむ。
「――すべての工廠を熱気球の生産にふりむけて、昼も夜も休まずに稼働させているから、3か月もあれば相当の熱気球が配備できるもの」
「そうか。今回ばかりは、おまえのじゃじゃ馬ぶりも役立ったな。ふふ」
フミト皇太子は、ほほ笑む。
「はぁ?」
ハナ皇姫は、少しばかりふてくされた。
「とにかく感謝しているよ――」
フミト皇太子は笑顔で言うと、そのまま視線を総司令官に向ける。
「――あとは熱気球の運用だけど、戦法のほうはどうだろうか?」
「先の戦闘で空中戦艦の尾翼を撃ち抜きましたが、その際に落下してきた破片を分析したところ、空中戦艦の装甲は木材と綿布のようです」
「!?」
それを聞いて、だれもが驚く。あれだけの最新鋭兵器の装甲が木と布だとは、あまりにも意外だった。
「ですから、熱気球で空中戦艦に接近し、そこから機銃掃射をしかければ、内部にある気嚢に穴をあけるのも容易でしょう。そうすれば浮遊ガスが漏れて、空中戦艦も飛行できなくなります」
空中戦艦に関する情報は、実際に見て分かったことのほかに、心術担当官から聞いた話と、回収した破片くらいしかないので、きわめて乏しい。そのなかで最善と思える戦法を総司令官は考案していた。
「ありがとう。これまでにない想定にもかかわらず、よく立案してくれた。なかなかの名案だと思う」
「おほめいただき恐縮です――」
総司令官は一礼しつつ言葉を続ける。
「――しかしながら、懸案事項も依然として残っています。今回の場合は戦場が高度となりますので、兵士――熱気球の搭乗員が高山病に罹患して動けなくなるかもしれないということです……」
言いながら総司令官が、ヤマキ中将をチラ見した。
「その件でありましたら、シャオ隊長が協力してくれております。異民族のうち、標高3千メートル級の高地出身者のなかから、大至急で射撃の名手を集めてくれました。その者たちなら、たとえ高度でも、体調に異常をきたさないはずであります」
「なるほど。それは助かる」
フミト皇太子が笑顔で言う。
「まもなく第一陣が帝都に到着いたしますので、到着次第すぐに熱気球の基本的な操作法を教えこむ予定であります」
「ヤマキ中将は、ある意味、訓練の天才だからな。よろしく頼む」
ヤマキ中将は、フミト皇太子にほめられ、感激したようすで敬礼した。
(なるほど高山病対策に山岳民族を使うか。それにしても必要なときに必要な人材を集められるとは、やはり皇太子殿下は人使いがうまい)
総司令官は感心していた。
(そう言えば、ミン族に伝わる兵法――『三略』だったか、その兵法にこんな言葉があるのだったな)
『それ主将の法は、つとめて英雄の心をとり、有功を賞禄し、志を衆に通ず』
――そもそも将軍として兵士をうまく率いるコツは、つとめて優秀な人材の心をつかみ、功績のあった人に恩賞を与え、全軍において上下の心を一つにまとめることだ。
(人材の活用に巧みな殿下は、このミン族の少女からそこまで大きな影響を受けたのか?)
総司令官は真顔でクリーに目を向ける。
その視線を感じてクリーは、恥ずかしそうにさっと顔をそらした。
(男子のような装いをしているほかは、ただの15歳のあどけない少女にしか見えぬが、そこまでの影響力があるのか?)
もちろんクリーは『三略』までは身につけていないし、総司令官のクリーに対する評価は「買いかぶり」というものだ。
ただしミン族に伝わる兵法は、基本のところが共通しているので、兵書が違っていても似たところがあるのかもしれない。
そんなこんなで、それから3か月もするころには、熱気球の数もそろった。
山岳民族を集めて新たに編成された航空隊の慣熟訓練も、ヤマキ中将の「スパルタ教育」でスムーズにいった。
訓練がスムーズにいったのは、ヤマキ中将の訓練のうまさだけでなく、山岳民族が「生活の場を与えてくれた皇太子殿下に報いたい」という気もちをもっていたことも大きく影響している。
ところで今回、帝国軍に緊急で配備されることになった熱気球は、専用トラックを開発し、それで運搬する。
専用トラックの荷台には、四隅に柱が立っていて、それで熱気球を支えている。
「出発だ! 暖機運転ユニットの接続を忘れるな!」
航空隊に専属する熱気球輸送隊、その隊長が大声で指示すると、各トラックを動かすエンジニアたちも元気よく「おぅ!」と答える。
専用トラックは、その排熱を利用して、走行しながら荷台のうえで熱気球内の空気を温めておく仕組みになっていた。こうしておけば、飛び立つまでの時間を短縮できる。
『ガガッ……、近くに雷雲なし……ガガッ……風速は毎秒……1メートル、飛行に問題なし。……風向きは南西……オーバー……』
司令部から各トラックに無線で情報が入る。
司令部、各トラック、各熱気球は、近ごろ実用化されたばかりの無線を利用して連絡をとりあう。まだまだ性能はよくないが、ないよりはマシだ。
そして、司令部には、気象予報士も常駐している。戦場の天気や風向きなどを計算して、最適な発進ポイントや飛行ルートを割り出すためだ。
今回は、熱気球を使った慣熟飛行訓練が行われることになっていた。全部で30の熱気球が参加する。
専用トラックは、草原のデコボコ道を疾駆して、演習場に向かう。演習場に入ると、そのまま四方八方に広がっていき、それぞれの発進ポイントまで行って停車した。
司令部からの気象情報に応じて、最初の予定とは微妙に位置がズレているトラックもある。無線による連絡も順調で、全体として円滑な展開ができた。
『……ガガッ……司令部より、通達……ガガッ……全機、発進せよ……ガッ……オーバー……』
司令部から指示が入るやいなや、熱気球のコックピット――ゴンドラでは、搭乗員3名――運転員、監視連絡員、射撃員が、せわしく動きはじめる。
「バーナー点火!」
バーナーから勢いよく炎があがる。
「内部温度90度超過、浮力よし!」
搭乗員が言うや、熱気球から4本の支柱がはずれ、そのまま四方に倒れた。自由になった熱気球は、そのまま上昇していく。
今回の目標高度は3千メートルだが、熱気球の上昇速度は分速600メートル程度なので、およそ5分で目標高度に到達した。
大きなトラックも小さく見える。搭乗員の健康にも異常は見られない。気温は低いが、防寒着で対応できる寒さだ。
『……想定を示す……ガガッ……敵は6時の方向……より侵入せり。……ガガッ……銃撃を開始せよ……』
射撃員は、さっと備え付けの機銃を握りしめ、その安全ロックを解除するや、すぐさま射撃スイッチを押した。
総数30の熱気球から南の空に向かって、連続して発射される銃弾がキレイに平行して30本の直線を描く。
ときおり熱気球が風にあおられ、揺れることもあったが、その射撃に狂いは生じない。さすがは射撃の名手を集めただけのことはある。
「成功だな?」
フミト皇太子は、地上の監視所から上空を望遠鏡でながめながら言った。
「はい。想定どおりです」
総司令官が満足そうに答える。
空中戦艦が侵入して来たら、その周囲に熱気球を飛ばし、一斉に射撃して撃破する。
これが今回の戦法だった。まだ実験段階なので、どこまで通用するかは不明だが――
「さしもの空中戦艦も、これで少なくとも好き勝手はできなくなりしたなぁ」
ヤマキ中将はうれしそうだ。
そう言えば、今回の件に先立ち、クリーが言っていた。
「わが一族に伝わる教えによると――」
守り手がどんなに守りを固めていても、攻め手のすぐれた兵器を使いものにならなくさせられなければ、守り手は劣勢に追いやれる。
「でも今回は熱気球があるから、敵のすぐれた兵器――空中戦艦の威力を弱められる。それに――」
攻め手の兵器が使いものにならず、守り手の守りが万全であるならば、攻め手の作戦は失敗する。
「こういう教えもわが一族にはあるけど、もし南部5侯が攻めてきても、頼みとする空中戦艦もそれほど役立たないから、南部5侯のもくろみはあっけなく潰えると思う」
「つまり、自分らに勝算があるというわけだな?」
ヤマキ中将が満足げに問いかけると、クリーはクールに答えた。
「はい」
それから数週間後、南方の監視所から電信で緊急の連絡が入る。
『南部連合軍がおよそ5万の兵力で北上を開始!』
南部に潜入していた偵察隊が南部5侯の動きを察知し、すぐさま最寄りの監視所に通報したのだった。
南部5侯の連合軍は、威風堂々としており、見ただけで「泣く子も黙る」ような精強ぶりをいかんなく見せつけている。
その数日後には――
『空中戦艦4隻の北上を確認!』
天下無敵の空中戦艦を味方につけ、南部連合軍の将兵の士気はいやがうえのも高まる。
「帝国軍がどれだけ多くの兵力をそろえようとも、われらが破竹の勢いをもって蹴散らすのみ」(カワ辺境伯談)
「オレたちほど強ければ、帝国軍なんて赤ちゃんみたいなものさ」(トウドウ辺境伯談)
「わたくしたちが心を一つとし、敢闘精神を貫けば万が一にも負けはありません」(フワ辺境伯談)
「帝国の連中は狡猾ゆえ、ゆめゆめ油断してはならない」(シン辺境伯談)
「帝国軍が“航空隊”という新たな部隊を創設したというけど、その実態について分からないままで進軍して、だいじょうぶかなぁ?」(ヒラ辺境伯談)
南部5侯には、それぞれに思うところがあった。しかし、程度の差こそあれ、とにかく「勝算あり」と考える点では一致していた。
そう考えさせるほど空中戦艦は、南部5侯にとって心強い兵器であった。
「空中戦艦の猛烈な空襲によって帝国軍の隊列が乱れたところで、南部連合軍が突撃をかけて帝国軍を蹴散らし、その余勢を駆って帝都になだれこみ、皇帝を確保する」
イチマツ宰相の計画だ。




