その5(全5回) 待ち伏せ攻撃で形勢を好転させる
ラエン司令官が醜態をさらし始めてまもなく、領主館から3頭の馬が駆け出した。それぞれ予備の馬を1頭ずつ引いている。
乗っていたのは、それぞれフミト皇太子、クリー、アルキンだった。
少し遅れて100騎の騎兵が、同じように替え馬を牽きながら走ってくる。百人隊だ。
「ラエン司令官も、馬脚を現すのが早かったな」
フミト皇太子が、苦笑いしながら言う。
「ばきゃくをあらわす?」
キョトンとするクリー。
「本性を出してしまうことだ。酒に酔って、だらしなくなっていただろ。そのことだ」
アルキンが説明してくれた。
「わたしたちが帰国するときまで、おとなしくしてくれていたなら、無事に帰れたんだけどね」
「はい。まったくであります――」
アルキンが言う。
「――ヤオ党首のクレイジーな性格からして、あれだけの招待客や新聞記者を招いているなかで、ラエン司令官が醜態をさらして見せれば、まちがいなく発狂します」
「そうだな。とんでもない恥をかかされたと真っ赤になって、発狂するだろうね。われらもトバッチリを食らって、殺されかねない」
「だから、逃げるが勝ち?」
「そうだよ。でも、アルキン大尉が、ヤオ党首の性格とか、いろいろ事前に調べてくれていたから、助かったよ。ありがとう」
「いえ。恐縮であります」
アルキンは、ペコリと頭を下げた。
そのまま3人と100人が馬を駆って郊外の林に入ると、そこには多くの騎兵が待機していた。フミト皇太子たちの護衛をしてきた1000人の騎兵隊だ。いずれも乗馬のほかに、予備の馬を一頭ずつ連れている。
「残念ながら、悪いほうの結果になった」
フミト皇太子が言うと、騎兵団長は「では、強硬策ですね?」と確認する。
「そうだ。急ぐぞ」
言うが早いか、フミト皇太子は馬を走らせた。クリーやアルキンたち百人隊も続いて走り出し、1000人の騎兵隊もすばやく馬を駆る。
フミト皇太子たちは、帝国を目ざして街道を徹夜で走り続けた。夜が明け、昼が近づくころには、ターレン山脈に通じる森林地帯にさしかかる。
「追っ手です!」
警戒担当の騎兵が大声で報告した。
振りかえって見ると、遠くにたくさんの土煙がたちのぼっている。その多さからして、数千騎の騎兵が追跡してきているのはまちがいない。
フミト皇太子たちの2倍以上の兵力がある。まともに戦っても勝ち目はない。
しかし、フミト皇太子たちは、だれ一人として心配する者はない。策があったからだ。
「予測どおりの時間だな――」
フミト皇太子は余裕の笑みで言う。あえて笑顔を見せるのは、兵士たちを安心させるための演出だろう。
「――では、手はずどおりに頼んだぞ」
「はっ」
騎兵隊長は敬礼して応えると、すばやく号令をかけた。
「3隊に分かれっ! かかれっ!」
「「「おう!」」」
騎兵隊員は元気な声で応じ、走りながら3隊に分かれた。300騎、300騎、400騎の3隊だ。
1隊300騎は副隊長が指揮し、もう1隊300騎は分隊長が指揮する。いずれもフミト皇太子に従い、本隊となる。クリーとアルキンたち百人隊も本隊に入っていた。
残り1隊400騎は、騎兵隊長が指揮をとり、殿軍となる。
殿軍は、本隊の後方につき、しばらく森林地帯のなかを疾走した。街道がカーブしたところにくるとスピードを落とし、目の前の雑木林のなかに入っていく。
殿軍の将兵たちは、林のなかで散開して下馬すると、騎馬を伏せさせた。このとき替え馬は本隊にあずけていたので、1人1頭の騎馬となっている。
騎馬は訓練がゆきとどいているので、おとなしく将兵らに従った。
そのうえで殿軍の将兵は、木を盾の代わりにして身を隠す。追跡隊を待ち伏せるためだ。小銃を構え、追跡隊の走ってくる方向に狙いを定める。
しばらくすると、騎馬が大地を激しく蹴る音が聞こえてきた。数が多いだけあって、地響きが伝わってくるようだ。
まもなく追跡隊の姿が見えてきた。多くの騎兵たちが勢いよく馬を駆り、街道を疾駆してきている。
殿軍に緊張感が漂った。しかし、恐れる者は1人もいない。
「焦るなよ」
騎兵隊長はピリリとした雰囲気で言った。
追跡隊は速い。あっという間に目の前で迫ってきた。
「発砲っ!」
騎兵隊長の号令一下、殿軍は一斉に射撃した。数百発の弾丸が追跡隊を襲う。
追跡隊のうち、先頭を走っていた人馬は頭や体を撃ち抜かれた。人は落馬し、馬は転倒する。後続の人馬は、落馬した人を避けようとして他の騎馬に衝突したり、転倒した馬にぶつかったりして、大混乱におちいった。
殿軍の銃撃は続いている。
追跡隊の将兵は、ほうほうの態で近くの雑木林のなかに逃げこみ、木の陰に隠れて身を守った。小銃を構えて発砲し、反撃する。
その後、激しい銃撃戦となった。街道のうえを無数の弾丸が飛び交う。
殿軍は不意討ちをしかけたので、少数でも優勢だった。しかし、時間が経つにつれて、劣勢に追いやられていく。
わずか400人で、数千人の追跡隊と戦っているのだ。まともに戦えば、劣勢になるのは当然だろう。
追跡隊は、じわじわと距離をつめてきている。
このままいけば殿軍は、いずれ突撃をしかけられ、蹂躙されかねない。そうなれば壊滅するのは目に見えている。
「退却っ!」
騎兵隊長が号令する。
殿軍の兵士たちは、一斉に手榴弾を投げた。それは煙幕弾で、あたり一面を濃霧のような煙がつつみこんでいく。
煙はそよ風に乗って、追跡隊のところまで流れてきた。
目が痛い!
煙幕弾の発煙剤のなかには、どうやら香辛料の粉末も混じっていたようだ。こうしたことは、ミン族の故地ではよくあることらしい。
煙につつまれた追跡隊は、目にピリッとした刺激を感じた。目をあけていられない。煙を吸い込んだ者は激しく咳こんでいる。
目を閉じたり、口を布きれで押さえたり、もはや射撃どころではない。
殿軍は、このスキに馬にまたがり、その場から急いで離脱していく。煙幕が晴れるころには、はるか遠くを走っていた。
「逃がすなっ!」
「追えっ!」
そんな大声が追跡隊のなかから聞こえてくる。
追跡隊の面々は、とにかく水筒の水で目を洗い流した。それでもまだ目がヒリヒリして涙が止まらない。咳だって続いている。
しかし、グズグズしていては、取り逃がしてしまう。そうなれば粛清される。だから、とにかく馬にまたがり、追撃を再開した。
数千の騎兵が2列から3列となって、街道を猛然と走っていく。
(あと少しで帝国のやつらに追いつくぞ)
そのときだった。
追跡隊は左右の雑木林のなかから一斉射撃を受ける。
左の雑木林のなかには副隊長のひきいる400騎が隠れ、右の雑木林のなかには分隊長のひきいる400騎が隠れ、待ち伏せていたのだ。
最初の一撃で、400名を超える追跡隊員が死傷した。馬は転倒し、人は落馬する。
そこに後続の人馬が追突して、先ほどと同じような大混乱におちいった。
「「「うおーっ!」」」
威勢のよい鬨の声が聞こえてきた。
見ると追跡隊の正面から、アルキンたち百人隊が突進してきている。騎兵隊長たち400騎もUターンして戻ってきた。
3方向から襲撃された追跡隊は、すっかり気圧されている。あっけなく蹴散らされてしまった。
フミト皇太子たちの圧勝だった。
「こうした戦法を、一頭両翼一尾と言って、わが一族の故地で戚継光が強敵を相手にして使って成功している――」
クリーは事前にフミト皇太子に説明していた。
部隊を4隊に分け、1隊が一頭、2隊が両翼、1隊が一尾となる。
まず一頭だが、これは囮だ。負けたふりをして逃げ、敵を誘導する。これは騎兵隊長たち400騎が担当した。
次に両翼は、伏兵として両脇に隠れ、囮につられて敵がやってくるのを待ち伏せる。これは副隊長たち300騎と、分隊長たち300騎とが担当した。
最後に一尾は「老営」とも言われるが、要するに襲撃隊だ。敵が左右の伏兵に奇襲されて混乱しているところに突撃し、敵に止めを刺す。これはアルキンたち百人隊が担当した。
「――この戦法を使って戚継光は、政府軍ですら勝てなかった海賊に勝利している」
クリーは『孫臏兵法』を学んでいるわけだが、その兵法は『孫子』の後裔だ。
そして、戚継光も、孫子の後衛みたいなものだった。その著『紀効新書』は、『孫子』以来の名著だと言われているからだ。
ちなみに異世界での話になるが、戦国大名の島津義久が得意としていた戦法「釣り野伏せ」も、一頭両翼一尾と同じような戦法だった。
島津義久は「釣り野伏せ」を使い、いくどとなく強敵に勝利している。
そして、クリーもまた同様の戦法を使って勝利したわけだ。
「とりあえず、これで時間をかせげるな。しばらく追っ手はこないだろう」
フミト皇太子がにこやかに言うと、クリーは「はい」とうなずいた。しかし、その表情には勝利の喜びはない。緊張が漂っていた。なぜなら、目の前には、さらなる難関が待ちかまえているからだ。
「追っ手がこないうちにターレン要塞を突破しないとね」
そう。帝国に戻るためには、ターレン街道を通らないといけない。しかし、そこには難攻不落のターレン要塞があり、大砲を街道に向けている。かんたんには通過できない。
ターレン要塞には、おそらく電信で、すでに連絡が入っているだろう。その守備兵は、警戒して待ち構えているはずだ。これでは奇襲も成功しない。
全部訳『孫ピン兵法』八陣
孫子は言いました。
知恵が足りないのに、将軍でいられるのは、自負心が強いのです。勇気が足りないのに、将軍でいられるのは、自分をすごいと思っているのです。道理がわかっておらず、いくら戦っても戦績は不十分なのに、将軍でいられるのは、運がよいだけです。
そもそも戦車1万台を保有する大国の平和を保ち、そこの元首の名誉を高め、そこの国民の生命を守れるのは、道理を知っている人だけです。道理を知っている人は、上は天道を知り、下は地理を知り、対内的には人民の心をつかみ、対外的には敵の実情を知り、布陣するときには八陣[8パターンのフォーメーション]を臨機応変にうまく使い分け、勝てそうなら戦い、そうでないなら動きません。これこそが王者のもとにいる将軍です。
孫子は言いました。
八陣を使って戦う人は、地形にあわせて八陣のうちからベストな陣形を選んで臨機応変に使用します。戦闘部隊を3つに分け、戦闘部隊には先鋒をふくめ、先鋒には後衛をふくめます。どの戦闘部隊も命令を待ってから動きます。
3つの戦闘部隊のうち、1部隊が攻撃を担当し、2部隊が守備を担当します。1部隊が敵を突破し、2部隊が敵にとどめをさします。
敵が弱いうえに混乱しているなら、えりすぐりの兵士を先鋒として使い、敵の混乱に乗じさせます。敵が強いうえに整然としているなら、レベルの低い兵士を先鋒として使い、敵を誘導させます。
戦車部隊と騎兵部隊を合わせて戦いに使う場合は、その混成部隊を3つに分け、1部隊は左に配置し、1部隊は右に配置し、1部隊は後方に配置します。平坦なところでは戦車部隊を多くし、凸凹なところでは騎兵部隊を多くし、窮地では弩を使う歩兵部隊を多くします。
平坦なところや凸凹なところでは、どこが生地[有利なところ]になり、どこが死地[不利なところ]になるかを必ず把握して、生地に陣取って死地にいる敵を攻撃するようにします。
二百十四 八陣




