その1(全1回) 兵は凶器なりと言うが、軍隊とは必要悪というわけか
「兵の勝つは、卒を簒ぶに在り。」
(軍隊が勝つのは、きちんと選抜しているからだ。)
『孫臏兵法』「簒卒」篇より
話は少し戻る。
ちょうどクリーとアルキンが、ターレン街道の調査に出ているときの話だ。
「とりあえず調査結果が出ないことには、作戦の立てようがないな」
フミト皇太子は、執務室でぽつりと言った。
執務室の窓から、はるか遠くをながめている。
今日は快晴で、空気も澄んでいるので、遠くの地平線まで、よく見える。
その視線の先にはターレン街道のある山岳地帯が横たわっているはずだが、ここからは遠すぎて見えない。
「さようですな。とりあえず軍師殿が帰還するまでは、今回の作戦命令に関しましては、いったんストップですか」
そう言うヤマキ中将も、遠い地平線に目をやっている。
「ぼんやりと待つのは時間のムダになるし、捕虜の問題にでも取り組もうか」
「ですな」
「では、関係する将校を作戦室に召集してもらえるか?」
「はっ」
ヤマキ中将は、さっと敬礼すると、執務室から出ていく。
フミト皇太子は、会議に先立ち、これまでの報告を確認しておこうと考え、とりあえず手帳を開く。
そこにはフミト皇太子が耳にしたことが、いろいろと書きこまれていた。フミト皇太子は、あんがいメモ魔なのかもしれない。
そんなメモの中には、クリーの言葉もあった。
『軍隊は、兵士を厳選するから勝ち、制度が整っているから勇ましくなり、態勢が整っているから上手に戦うことができ、信賞必罰を徹底するから鋭くなり――』
これを見るたび、フミト皇太子はヤマキ中将を思い出す。
「体を鍛えろっ!」
「軍規を守れっ!」
ヤマキ中将は、よく鬼のような顔をしてガミガミ言っている。
兵士たちは、陰でヤマキ中将のことを「小姑」と呼んでいるが、そのとおりだな。
フミト皇太子は、思わずププッとひとり笑いした。
しかし、わが北部辺境守備軍は、厳しい環境下にあっても、結束を保ち、なんとか生き残ることができてきた。
その理由は、ヤマキ中将が、そうやって兵士を訓練し、軍隊の制度や態勢を良くするため、なにかにつけ口うるさく言い、厳しくやってきたからかもしれない。
もちろん厳しいだけでなく、期待にかなう者には「よくやった」と、みなの前で賞賛をおしまない。だから、兵士らは厳しくされても、不満に思わない。がんばったぶんだけ、きちんと認めてくれるのだから。
クリーの言葉は続く。
『――道理にかなっているから人びとに恩恵をもたらし、さっさと終わらせるからもうかり、人びとをしっかり休ませるから強くなり、何度も戦うからダメージを受ける。わが一族に伝わる教えだ』
フミト皇太子は、思春期のころ、軍隊が嫌いだった。
できることなら、宮殿の中にこもり、静かに読書などをして過ごしたい。
軍隊なんて、人殺しの道具にすぎない。まったく忌まわしい。
そんなフミト皇太子の気もちを察したのか、その当時、フミト皇太子の指南役のひとりにすぎなかったヤマキ少将(のちに中将)は、こう申し出る。
「殿下もご承知のことと思いますが、現在、地方に野盗が出没し、臣民が迷惑しております。臣民の上に立つ者は、下にいる臣民の苦楽を知る必要がございます。つきましては、こたびの野盗討伐に、ご同行いただきたく存じます」
もちろん、フミト皇太子は断る。しかし、ヤマキ少将は引き下がらない。
しばらく押し問答が続いたが、最終的にはフミト皇太子が根負けして、野盗討伐につきあうことになった。
「皇太子殿下が参戦してくださるぞ!」
討伐隊の面々は、フミト皇太子の姿を見るや、感動し、いやがうえにも士気が高まる。
フミト皇太子は、そんな状況に違和感を感じつつも、悪い気はしなかった。
数百名の騎兵から構成される討伐隊は、馬を駆り、野盗の被害をこうむっている地方都市に向かった。
野盗の根拠地は、これまでの調査隊による根気強い捜索の結果、すでに目星がついている。だから、今回の討伐は、そこを急襲するだけのかんたんな任務であった。
討伐隊が野盗を一網打尽にして駐屯先の地方都市に戻ると、住民たちが歓呼の声で出迎えた。お祭り騒ぎのようになっている。
これまで、さんざん野盗に苦しめられてきた。多くの命も失われた。でも、これからは安心だ。そう思うと、住民たちはうれしくて、たまらない。
フミト皇太子も馬上で、討伐隊の面々と共に歓声をあびながら、うれしくなってくる。
「わたしは、軍隊のことを誤解していたのかもしれない」
「さようですか。どのように誤解されておられたのか、自分には見当もつきませぬが、軍隊があればこそ正義を実現し、このように人びとに恩恵をもたらすことができるのです」
ヤマキ少将は、笑顔で言った。
「ただし、戦争では多額の経費を浪費します。もちろん場合によりましては多くの死傷者も出します。そうなれば徴税や動員の対象となる臣民が苦労することになります。軍隊の使い方を誤れば、臣民に不幸をもたらします」
「それだよ。わたしが戦争を嫌い、軍隊を忌む理由は」
「さようでしたか。それは、すばらしいことであります。臣民の苦しみをあわれむからこそ、正義のために戦うわけでありますが、しかし、いくら臣民のためとは申せ、もし戦いが長びきますと、長引いただけ臣民の負担も増えます。ですから、さっさと終わらせる必要がございます」
「たしかにな」
「はい。戦いの早期終結こそが、臣民のもうけとなるわけですが、さらに戦いの回数を可能な限り減らすことも重要でございます。ひんぱんに戦えば、臣民はたびかさなる動員や増税のために困窮し、結果として国力も弱まってまいります。そもそも戦争によるダメージが大きくなるのは、何度も戦うからであります」
「なるほどな。つまり戦争は必要悪であり、必要最小限にすべしというわけか。しかし、わたしは軍事というものを知らなすぎた。どうかこれからも教えてほしい」
「かしこまりました」
そう答えるヤマキ少将は、おだやかな笑顔だったことを覚えている。
そんなことをフミト皇太子が思いかえしていると、ヤマキ中将が執務室にやってきた。メンバーがそろったらしい。




