その2(全3回) たとえ相手が怪物でも知略があれば立ち向かえる
大陸の北に広がる辺境地帯、その南側は山岳地帯で、その北側は草原だ。さらに北上していけば、ツンドラ地帯となる。
空はどんよりと曇り、吹く風は肌を刺すように冷たい。空気は乾き、大地は凍りついている。
ここは今、文字どおり魔物の巣窟となっていた。不死の軍団が横行していたのだ。
不死の軍団は、草原の民を襲い、金品を奪い、住民を殺した。殺された住民は、いつの間にやらゾンビとして蘇り、不死の軍団の一員となる。
こうして不死の軍団は、日に日に兵数を増していった。それに伴い、その活動範囲も広がっていき、今では草原の北半分が不死の軍団の支配下となっている。
「このままでは、いずれ草原はすべて不死の軍団に占領されるでしょう。われら草原の民は生活の場を失います」
使節団長は悲壮な雰囲気で言った。うしろには数名の使節団員が控えている。
ここはミン族の邦国――族長の館にある大広間だ。修復されたばかりなので、木材の生き生きとした香りが漂っている。
「だから、オレたちに助けてほしいってことか?」
上座に座っているミン族の新しい族長――ジンが真顔で言った。その傍らには長老たちが着席して、様子を見守っている。長老たちは、ジンが若くて経験不足なので、補佐役としてジンに付き添っていた。
「はい。われらはかつて北部軍の一員として貴国を攻めました――」
使節団長は言いにくそうに言う。
「――それにもかかわらず助けてくれとは、虫のいい話だとは自覚しております。ですが、われらが生き残るためには、もはや他に打つ手がないのです」
言って使節団長は席を離れ、その場に平伏し、頭を地面に押しつけた。使節団員たちも団長に倣い、土下座して頭を下げる。
「まあ、この件に関しては、オレも複雑な心境だ――」
ジンは言いながら立ち上がり、使節団長に歩み寄っていく。
「――だけどさ、ある意味、あんたらも被害者みたいなもんだしな」
捕虜となったダン族の幹部たちを尋問したところ、先の南北戦争を画策したのは、ダーハン族長の軍師――チャオ先生らしい。
この人物は、かつて連邦で謫兵団長として非道の限りを尽くしていた。首都防衛戦で革命党が敗北したとき、十数名の手下をひきつれ、空中戦艦1隻を強奪して北に逃走している。
そのまま北上してダン族の邦国に入り、ダーハン族長に取り入って軍師となった。ダーハン族長を唆し、ダン族を使って力ずくで周辺の諸部族を従え、勢力の拡大をはかる。その延長線上で先の南北戦争に至った。
こうした点から考えると、草原の民も強制されて戦ったわけだし、被害者だとも言える。
「だからさ、辺境の安定のためにも過ぎたことは水に流したほうがいい」
ジンは屈んで使節団長の手をとり、頭をあげるように促した。
「おお! ミン族の新しい族長は、なんと度量の大きな方でありましょうか。われら草原の民は感動し、この御恩を末代まで語り継ぐことでありましょう!」
使節団長はジンに促されて立ち上がりながら涙を流した。そして、身をもって感動と感謝を示すようにジンをギュッと抱きしめる。
使節団員も感動して、そのまわりに群がってきた。涙を流しながら、口々に感謝の言葉を述べる。
(いやいや大げさだから)
ジンはドン引きしてしまい、苦笑いするしかなかった。
「あんたらの気もちは分かったから。――だからさ、とにかく席について落ち着いて話そうぜ。これじゃあ話したくても、ゆっくり話せない」
「おう、そうでありますな」
いったん仕切りなおす一同。それぞれ着席して居ずまいを正す。
「われら草原の民は、不死の軍団と戦うため、連合することにしました――」
使節団長は改めて用向きを語り出す。
「――ですが、不死の軍団は、不死身です。軍刀で斬っても死にません。小銃で撃っても死にません。爆弾で吹き飛ばしても、肉片が集まって蘇生します。どうやっても殺せないのです」
「……って、マジかよ」
ジンは思わず目を丸くする。まるでホラー小説みたいな話だ。にわかには信じられない。
「はい。本当です。実際に草原を訪問され、その目で確かめていただければ、きっとご理解いただけるでしょう」
しかし、ジンは族長という立場にあるので、自由には動けない。今は大事な復興作業の最中だ。トップが不在というわけにはいかない。
「まあ、それがマジ話だったとして、そいつらは人を襲って、なにがしたいんだ? 金品が欲しいのか? それとも仲間を増やしたいのか?」
「不死の軍団をあやつっているのは、あのチャオです。チャオからのメッセージによると、復讐のためだそうです」
「復讐?」
「はい。革命党を没落させた帝国と連邦に復讐するため、辺境の民をすべて不死の軍団に編入して遠征するそうです」
「は?」
辺境には少なく見積もっても100万を超える人口がある。100万の不死の軍団とは、想像しただけでも身震いがする。
「てことは、やつらは草原を制覇し、それから南下して山岳地帯も襲撃するってことか?」
「はい。われらの生活を守るためにも、不死の軍団に勝利し、チャオの目論見を打ち破る必要があります。ですが、どうにも勝てません――」
使節団のだれもが暗い顔になる。
「――不死の軍団が襲って来たら、逃げ回るしかないのが実情です」
「まあ、やつらも不死身なら、たしかに勝てっこないよな」
「そうなのです。ですから、われらは辺境でも最強と名高い貴国に相談することにしたのです。われらに戦い方を指南してくださらないでしょうか」
「そう言われてもな。化け物に勝つ方法なんて聞いたことがない――」
ジンが困った顔で言う。使節団の面々は涙目になっていく。
「――それにさ、マジで悪いんだけど、オレたちは今、邦国を復興するために人手がいる。だから、不死の軍団と戦うために援軍を出す余裕がない」
「その点でしたら、ご心配めされますな。われらとしては、クリー大佐を軍事顧問として派遣していただければ、それで十分であります」
クリー大佐は、シン帝国とハン連邦という大国どうしの大戦で活躍した「救国の軍師」だ。その知恵があれば、きっと不死の軍団にだって勝てるはず。
さらに「救国の軍師」を味方に引き入れておけば、いざとなれば帝国も助けてくれるだろう。そんな計算もあった。
「なかなか悩ましい話だな。とりあえずクリーに聞いてみる」
ジンは即答を控え、いったん会議を終えた。
別室にクリーを呼び出して打診してみる。すると、クリーはあっさり承諾した。
「相手は化け物なんだぜ。よく考えなくていいのかよ?」
ジンは、あまりにもクリーが考えなしに安請けあいしたように見えたので、心配だった。
「うん。問題ない。だって、化け物を放置したら、わたしたちの邦国も危なくなる。それなら早目に手を打っておいたほうがいい」
「まあ、たしかにそうだけどさ。けど、化け物と戦う方法なんてないだろ?」
「うん。でも、化け物が相手だとしても、動かしているのは人間だから、手の打ちようはある」
「なにか策でもあるのか?」
「えっと、ないこともない」
クリーは、策を説明した。
「なるほどな! いけるかもな!」
ジンは破顔していた。
◆ ◆ ◆
シャオ隊長は、民族自治会の代表としてミン族の復興事業を手伝うため、千人を超える志願者を引きつれ、首府・ミンタオに来ていた。現場事務所で寝泊まりしながら、現場を監督している。
「親友が危ないときに駆けつけられなくて本当に悪かった」
シャオ隊長はクリーに再会したとき、開口一番そう言った。勢いよく頭も下げる。
「知らなかったとはいえ、不義理にすぎる。だからよ、せめて復興事業くらいは手伝わせてくれ」
もちろんクリーは不義理だとは思わない。それどころか、わざわざ千人を超える志願者を集めてきてくれたことを素直に喜び、感謝する。
「オレと軍師殿は親友だ。だから、困ったことがあったら、いつでも言ってくれよ。力になってやるからよ」
だからクリーは、その言葉に甘えることにした。現場事務所にシャオ隊長を訪ね、お願いごとを伝える。
「とりあえずトラック20台だな。任せとけ。オレらが資材を運んできたやつが50台ばかしあるからよ、そこから貸してやるよ」
「わりがとう。わが一族は今、人手が足りないから、すごく助かる」
クリーは笑顔で丁寧に頭を下げた。
「おい、おい、おい。なに他人行儀なことやってんだよ。オレたちは親友だろ。気にすんなって」
それから3日後、クリーとアルキンたち百人隊は、使節団と一緒に騎馬にまたがって北上していった。
それに遅れて2日後、トラック20台からなる輜重隊が、荷物を満載して北に向かう。
クリーは道すがら、使節団長と作戦について打ち合わせた。
「不死の軍団は神出鬼没と聞いたけど、正しい?」
「はい。東を襲ったかと思えば、西を襲ってきます。最近では、いくつかのところを同時に襲ってくるようにもなりました。おそらく仲間も増え、いくつかの部隊が編成されたのではないでしょうか」
「ということは、やっぱり不死の軍団は散らばっている?」
「ですな。ゲリラみたいな感じでしょうか。こちらとしては、いつ、どこから、どのように襲ってくるのか、まったく見当がつきません」
となると、かりに不死の軍団と互角に戦えるとしても、一気にケリをつけるのは難しい。
もし攻勢をかけるなら、相手があちこちに散らばっている以上、あちこち探して戦う必要がある。時間と手間が非常にかかる。
「敵は強いうえに散らばっていまして厄介です。なんとかなりますでしょうか?」
「はい。策はある。わたしがエサになればいい」
「はい?」
使節団長は目を丸くした。
どういうことか?
クリーによると、こうだ。
チャオは、復讐を考えている。とりわけ「救国の軍師」であるクリーは、憎たらしくてたまらないはずだ。
だから、クリーが出てきたら、きっと命を狙ってくるだろう。この機会に殺してしまえとばかりに全力で襲ってくるはずだ。
「つまり、クリー大佐を殺すため、各地に散らばっている不死の軍団を集めて襲ってくるということでしょうか?」
「はい。いわゆる“選択と集中”というやつ」
実際、かつてダン族軍がクリーたちを包囲したとき、チャオ先生はクリーたちを皆殺しにしようとした。
「ですが、危なくありませんか?」
「危ないけど問題ない。アルキンたち100人の戦士がいるから大丈夫」
クリーと轡を並べていたアルキンは思わず苦笑いした。
「それでも、やはり心配です。ただでさえ勝てない不死の軍団が集まってくるのですよ。さらに勝ち目がなくなるのではありませんか?」
「その点なら心配ない。不死の軍団を一網打尽にする」
「なにか策でもあるのですか?」
「はい。ある。とりあえず、わたしが不死の軍団を討伐しに来たと宣伝してまわってもらいたい。敵にも知られるように大々的に宣伝してほしい。できる?」
「お安い御用です。すぐに手配させましょう」
使節団長は、その日のうちに本部に無線を入れ、「軍師クリー到来!」を宣伝してもらうことにした。
その宣伝は、まもなくチャオ先生のもとに届く。
「ふふ、“飛んで火に入る夏の虫”とは、まさにこのことを言うのですね――」
チャオ先生は、まるで魔法使いのような恰好をして、広い洞窟のなかにいた。いくつものトンネルも掘ってあり、洞窟どうしをつないでいる。
どこもかしこも電灯で照らされているので明るい。
外はツンドラ地帯でコートを着こんでいても寒いくらいだが、洞内は暖かい。いろんな機械がせわしく動いているからだろうか。
どこそこに大型機械が置いてあるので、洞内はまるで地下工場の様相を呈していた。
「――ちょうどよい機会ですから、クリー大佐たちにも殭屍になってもらいましょう」
殭屍とは、ゾンビのことだ。
チャオ先生はミン族から道教関係の書籍をごっそりと盗んだが、そのなかには方術について記してある本もあった。方術とは魔法であり、方術の1つとして死体をあやつる術がある。この術で動く死体のことを殭屍と言うらしい。
チャオ先生が動き出したとき、クリーは北部軍5千人の軍師として、ツンドラ地帯と草原の境い目あたりに駐屯していた。騎兵中心の部隊なので機動力がある。
四方八方に斥候隊を出し、警戒を怠らない。しばらくは何事もない日が続いたが、この日は違った。次から次に「敵発見!」の知らせが届く。
「今のところ分かっていることから言えば、不死の軍団は3方向から進軍してきている――」
北部軍の総司令官を務めるトンジュ将軍が言う。
「――いずれも歩兵隊らしい。総数は5千人といったところですかな」
「さっそく行動を開始してほしい」
まもなくトンジュ将軍の命令のもと、1500人の騎兵隊が手近な不死の軍団の一団に攻撃をしかけていく。すさまじい撃ちあい、激しい斬りあいを展開した。ときには手榴弾も投げつける。
もちろん殭屍は不死身だから、斬られても、撃たれても、爆破されても、まったく平気だった。騎兵隊に勝てる見込みはない。
「た、退却しろ!」
騎兵隊長が悲鳴のような号令を出し、真っ先に逃走した。これにつられて他の騎兵たちもわれ先にと逃げ出す。潰走だった。
不死の軍団は、すぐさま追撃に入り、走って追いかける。しかし、歩兵の足では騎兵には追いつけない。全力疾走したものの取り逃がしてしまう。
このとき不死の軍団を指揮していたのは人間――チャオ先生の手下たちだった。手下たちはさっそく戦況を無線でチャオ先生に報告する。
チャオ先生は喜んだ。
「草原の民は、不死の軍団の怖さを思い知っていますからね。いくらクリー大佐が有能な軍師でも、兵隊が恐れて逃げ出すようでは勝ち目がないでしょう」
この頃、トンジュ将軍は「全軍撤退!」を下知していた。
野営地はあわただしくなる。将兵らは身のまわりをバタバタと片づけ、騎馬にまたがって逃走をはかった。
しばらくして不死の軍団が、北部軍の野営地に到着する。しかし、そのときには、すでに北部軍は去っており、もぬけのからだった。
「竈の数からして、北部軍の総数は1万5千人ほどと推測されます」
手下の1人がチャオ先生に無線で報告した。
「分かりました。戦えないほどの戦力差ではありませんね。追撃を続けなさい」
手下たちはチャオ先生の命令を受け、不死の軍団を全力で疾走させて追撃していく。
殭屍は死体なので、呼吸をしない。だから、どんなに全力疾走を続けても息がきれることもなければ、あがることもない。もちろん疲れを知らない。食べなくても平気だし、寝なくても平気だ。
手下たちは殭屍たちの担ぐ輿に乗って行く。生身の人間なので、長く輿に乗って揺られていたら疲れてしまう。もちろん腹だって減るし、眠くもなる。
しかし、休んでいては、北部軍――騎兵隊に追いつけない。手下たちは、昼夜兼行で殭屍たちを全力疾走させながら、輿に乗ったまま食事をとり、仮眠をした。強行軍だ。
翌日、北部軍が次に野営していたところまで来ると、竈の数が8000人分に減っていた。
「不死の軍団を恐れるあまり、多くの脱走兵が出ているようだな。1日で半減だ」
「まあ、ふつう化け物においかけられたら、怖くて逃げたくなるわな」
「この調子なら楽勝かしらん」
手下たちは喜んでいた。
さらに追撃を続けて翌日、次の野営地では竈の数が4000人分だった。
「われらの兵数より少なくなったぞ」
「一気に勝負に出るチャンスだな」
「とにかく先を急ごうぞ」
北部軍は、足の速い騎兵だが、野営しながら進んでいる。それに対して不死の軍団は、足の遅い歩兵だが、不眠不休で走り続けている。
「この調子でいけば、明日には北部軍に追いつけるはずだ」
手下たちは計算した。そして、計算どおりとなる。翌日の夕方、ついに北部軍に追いついたのだ。
北部軍は小高い丘の上に布陣していた。ちょっとした崖がうしろにあるので、背後から襲われる心配は少ないだろう。前には20台のトラックが縦列で並んでいた。トラックの側面にはパネルが貼られており、「城壁」となっている。「即席の城」だ。
立っている軍旗も少なく、見える人影のまばらだ。
「さらに逃亡兵が出たのだろう」
「もう千人もいないのではないか」
手下たちは、そんなことを言いあった。すでに勝って気でいる。
◆ ◆ ◆
北部軍の陣内――「即席の城」内には、5千人の騎兵に加え、シャオ隊長たち輜重隊のメンバー100人もいた。兵数は減るどころか、むしろ少しだけ増えている。
「うまい具合にエサに食いついてくれましたな」
トンジュ将軍が、トラックの隙間から敵のようすを見ながら言う。
敵――不死の軍団は、「即席の城」から3キロほど離れたところに群がり、たむろしていた。総攻撃をしかけるため、陣形を整えているように見える。
「これも将軍たち北部軍のみんなが上手にやってくれたから。ありがとう」
クリーはペコリと頭を下げた。
「いえいえ、そのようなことはありません。すべては軍師殿の作戦によるものです」
トンジュ将軍は思わず恐縮して言った。
ところで、どんな作戦だったのか?
クリーは、まず敵を油断させるため、北部軍の将兵が不死の軍団を恐れ、逃げ出しているように見せかけようと思う。
そこで、まず1500人の騎兵を戦わせ、恐れて逃げ出すふりをさせた。こうやって北部軍が臆病者だと印象づける。
そのうえで、かつて孫臏のやったようにした。すなわち、野営するたびに竈の数を減らしていき、逃亡兵が続出しているように見せかけることにする。
兵隊は、野営地で食事をするため、竈をつくる。竈が多ければ兵隊が多いということだし、竈が少なければ兵隊が少ないということだ。
はたして、この作戦はうまくいった。
不死の軍団は、北部軍に止めを刺そうとして、あちこちから集まってきてくれた。そして今、北部軍の目の前にいる。
「これで一網打尽だな」
そう言うシャオ隊長は、うれしそうだ。
「うん。シャオ隊長のおかげで、うまくワナをはれた。ありがとう」
「いいってことよ。それにしても、あれだけ化け物が集まると壮観だな」
そのとき警報が鳴った。不死の軍団による総攻撃が開始されたのだ。
不死の軍団は、断末魔の叫びにも似た雄叫びをあげながら、まっすぐ「即席の城」に向かっていく。
クリーは、勢いよく突進してくる不死の軍団をじっと見ていた。間合いを見計らいながら、頃合いを見定めている。
不死の軍団が目の前まで迫ってきた。あと少しで先頭が「即席の城」に達するだろう。
「放火っ!」
クリーが号令する。
多数の火炎が「城壁」から勢いよく噴き出した。まるでドラゴンが火を吹いているようだ。火柱がまっすぐ横向きに延びていく。
殭屍たちが次から次と炎につつまれていった。あっけなく丸焦げとなり、活動を停止していく。
これが猛火油櫃の威力だった。それは猛火油を燃料としたポンプ式の火炎放射器だ。猛火油は、ナフサを主な原料としている。
ミン族に伝わる歴史書の『宋史』や『遼史』には、こんな話がある。
かつて南唐国が遼国に猛火油を献上した。
「城を攻めるとき、この油を使って敵の櫓を焼いてみなさい。敵が水をかけても、火は勢いを増すでしょう」
遼国の皇帝は喜ぶ。しかし、実戦では使わなかった。
なぜか?
遼国の大臣は、皇帝に言った。
「敵地を焼き払えば、その大地が不毛となり、そこで人が生きていけなくなります。こうなれば、その土地をとっても数年で放棄するしかなくなります」
それほどの威力が猛火油にはあったわけだ。
ちなみに、猛火油を燃料としたポンプ式の火炎放射器――猛火油櫃は、宋国で城を守るための兵器として開発された。
それにしても、どうしてクリーは、猛火油を使って殭屍を火攻めにしようと思ったのだろうか?
今回の作戦に先立って、クリーはジンに策を問われた。
「斬っても、撃っても、爆破しても死なない連中を相手にして、どうやって戦うつもりだよ?」
「それなら焼けばいいと思う――」
クリーはあっさり言う。
「――死体のせいで疫病が広まって困ることがあるけど、そんなときは死体を焼くことで感染の拡大も止まる。だから、死体が悪さをするなら焼けばいいと思う」
クリーの答えは、子どもじみた発想で、至ってシンプルだった。
そう言えば、かつて中世ヨーロッパでペストが流行し、多くの人命が失われていたときのことだ。預言者として有名なノストラダムスは、ペスト医者として働いていたのだが、死体をこれまでのように土葬するのではなく、火葬する。すると、感染の拡大も収束していった。
そうした点から考えると、クリーの思いつきも、そう悪くはない。
というわけでクリーは、シャオ隊長に頼んで、猛火油と猛火油櫃をトラックで決戦予定地まで運んでもらった。そして、トラックを利用して「即席の城」もつくってもらう。
それだけではない。
北部軍の陣地には、ミン族の故地に伝わる大きな投石器――回回砲が5つ設置されていた。この投石器は、重さ90キロの巨石を400メートル以上も飛ばすことができる。一説によると、射程距離は1000メートルにも達したらしい。
ミン族の故地での話になるが、かつて蒙古軍が襄陽城を攻撃するときに使ったそうだ。その破壊力の大きさに当時の人たちは驚いたらしい。
仕組みとしては、シーソーをイメージしてほしい。一方に重たいものを載せ、他方を下におろして、そこに物を載せる。手を離すと、一方が下がり、他方が上がる。その勢いで他方に載せられていた物は飛びあがる。
だから、回回砲で巨石を飛ばすときには、まずウインチを回して巨石を載せるほうを下におろし、重りを持ちあげる必要がある。
本来なら人力でウインチを回すので、重りを持ちあげるのに長い時間を要する。しかし、クリーたちの回回砲は、エンジンでウインチを回すように改良していた。だから、手軽に連射できる。
北部軍は、この回回砲を使って、猛火油をつめた壺を飛ばした。遠くに飛ばしたり、近くに飛ばしたり。右に飛ばしたり、左に飛ばしたり。とにかく万遍なく飛ばしていく。
大砲だと、発射時の衝撃が強すぎて、壺が割れてしまうので、うまく飛ばせない。じわじわと加速していく投石器だからこそ、割れやすい壺でも難なく飛ばせるわけだ。
壺は地面に落ちると割れて猛火湯をまき散らす。それに猛火油櫃から発射された火炎が燃えうつり、燃えあがった。
あたり一面が火の海だ。
壺は次から次に飛んでくるので、火の勢いが衰えることはない。ひっきりなしに燃料が投下されるので、火の勢いは増す一方だ。
ミン族の故地に伝わる『昨夢録』によると、わずかな量の猛火湯を燃やしただけで駐屯地1つを全焼させるほどの威力があったらしい。
猛火油の火力のすさまじさを物語るエピソードだ。
殭屍のなかには火だるまになりながらも「即席の城」に突進してくる強者もいたが、「城壁」に阻まれてしまう。そのうえ頭上から猛火油をそそがれ、さらに激しく燃えあがり、あえなく丸焦げになって活動を停止する。
かくして多くの殭屍が火の海のなかで丸焦げとなり、あっけなく全滅してしまった。
遠くで戦況を見守っていた手下たちは、あわてて逃げ出していく。
北部軍の圧勝だった。
◆ ◆ ◆
戦いが終わってまもなく、地面を激しく打つような音が聞こえてきた。空気が揺れ、大地も震える。
音のする方向――北のほうを見やると、雪煙がもうもうとあがっていた。
クリーたちが望遠鏡をのぞいて見ると、鼻が長くて体の大きい4本足の動物たちが山のように走って来ていた。鼻の両脇には大きな2本の牙も生えている。
「「「象!?」」」
しかし、全身が毛むくじゃらなので、象ではない。マンモスだ。それも殭屍となったマンモスだった。
マンモスの上には、まるで像使いのように人が乗っている。ほとんどが殭屍だったが、なかには生きている人間もいた。チャオ先生も乗っている。
「クリー大佐の手のうちは、とくと拝見させてもらいましたよ。もはや打つ手もないでしょう?」
チャオ先生は、ほくそえんだ。
実際、クリーたちは猛火油を使いきっていたので、もう火攻めを使えない。
「先ほどの不死の軍団は当て馬で、あれが本隊だというのか!?」
トンジュ将軍は思わず青ざめた。アルキンやシャオ隊長も言葉を失っている。さすがのクリーも意外そうな顔をしていた。
他の将兵たちが恐れおののいていたことは言うまでもない。
あれだけの巨象に体当たりされたら、トラックもたやすくはじき飛ばされてしまうだろう。「即席の城」も歯がたたない。
ただ幸いにして、あたり一面が火の海となったことから、凍土が解けて地面がぬかるんでいた。だから、マンモスたちは泥濘に足をとられ、勢いを削がれてしまう。なかには滑って転倒するマンモスもいた。
このスキにクリーたちは、すばやく騎馬にまたがり、「即席の城」の裏手にある崖を駆けくだっていく。それは、まるで「鵯越の逆落とし」のようだった。
ちなみに「鵯越の逆落とし」というのは、源義経という名将が、人びとから「馬の乗って下ってくのは無理」と思われていた断崖絶壁を馬に乗って駆けくだり、敵陣を奇襲した故事のことだ。
ミン族に伝わる有名な戦法に「可を見て進み、難を知って退く」とある。勝てそうなら進んでいくが、負けそうなら逃げるという意味だ。
まさに「三十六計、逃げるに如かず」で、クリーたちが急いで逃げ出したのは、兵法的に見て正解だった。




