その1(全3回) 死せる孔明、生ける仲達を走らす
【史記・孫子呉起列伝の言葉】
君は兵を引いて疾く大梁に走り、其の街路に拠り、其の方に虚なるを衡くに若かず。
【翻訳】
閣下としては、兵隊を引きつれて魏国を急襲し、魏国の市街や道路に拠点を設け、魏国の弱みにつけいったほうがよろしいでしょう。
南部第1軍――スン族長の指揮する2万5千人の軍勢は、北部第2軍の進路上にあたる山あいの地に山城を築き、待ち構えていた。
山城と言っても、本格的なものではない。まずは草を刈り、木を伐って、視界を確保する。伐った木は、柵として利用する。さらに山肌を掘削して堀をつくり、掘った土で土塁をつくる。そんな急ごしらえの砦だった。
砦は周辺の山々にいくつも築かれ、砦と砦は互いに離れていても電信と無線で連絡をとれるようになっている。だから、連携して戦うことができた。
「これを“率然の勢”と言う」
スン族長は、本陣のイスに腰かけたまま言った。
その正面のテーブルには地図が広げられ、敵と味方を示すコマがたくさん置かれている。戦況が一目で分かる仕組みだ。
テーブルの左右には、スン族の幹部たちがいて、真顔で戦況を見守っていた。
そして、スン族長の隣には端正な青年が控えている。軍服姿も様になっており、なかなかの「若武者ぶり」だ。
名をスン・ジンと言い、スン族長の孫にあたる。今回は「兵法を実地に学ぶ」ため、スン族長に同行していた。
そのジンが、スン族長の言葉に応えて言う。
「頭を撃てば尻尾が救い、尻尾を撃てば頭が救い、腹を撃てば頭と尻尾が救う、という『孫子』の教えですか?」
「そうだ。敵が右の砦を攻めれば、左の砦が救援に出る。敵が左の砦を攻めれば、右の砦が救援に出る。真ん中の砦を攻めれば、左右の砦が救援にでる。勢い敵は1つの砦に集中できなくなり、気が散るし、兵力も分散せざると得なくなる」
「そして、バラバラになった敵は弱い。だから、楽勝というわけですね」
「うむ。ただし、だからと言って油断は禁物だぞ」
「分かってますよ」
まもなく大地を震わすような轟音が立て続けに聞こえてきた。空気の振動が全身を震わせる。
砦――南部第1軍と、北部第2軍との砲撃戦が始まったのだ。
南部軍は、高いところから砲撃している。だから、射程距離も通常より長くなるし、敵の頭上に落下していく砲弾も加速度がついて勢いが増す。
命中すれば、敵兵は粉砕されてミンチとなり、建物や馬車などは木端微塵に吹き飛んだ。
これに対して北部軍の砲撃は勢いが出ない。高いところを狙うので射程距離は短くなるし、重力に引かれて砲弾の勢いも弱まってしまう。
だから、安全圏から砲撃すれば、砦の下のほうにしか届かない。
「これが地の利と言うものですね」
ジンが目を輝かせて言うと、スン族長は「うむ」とうなずいた。ジンを見る目が鋭かったのは、ジンに「うかれるな」と言いたかったのだろう。
北部軍第2軍は、圧倒的に不利だった。
だが、その司令官――ジュエ族のグイファン族長は、本陣にいて望遠鏡で戦況を見ながら、ほほ笑んでいる。余裕そのものだ。
「さすがはスン族長だけあって、ポジション取りがうまい。が、その命運もここに尽きる」
グイファン族長は、パチンと指を鳴らす。
近くにいた伝令がさっと敬礼し、本陣から駆け出していった。
まもなくすると、ガラガラと3つの台車が本陣の近くまで牽かれてくる。上には巨大な拡声器が載っていた。南部第2軍のたてこもる砦の方向を向いている。
数人の兵士たちが蓄電池をもってきて接続し、拡声器のスイッチをオンにした。
すると、拡声器がキーンという音を発し始めた。うるさくはないが、とにかく耳障りな音だ。その音は、砦にまで聞こえてくる。
そして、異変が起きた。
突如として数名の幹部が発狂したのだ。
それだけでない。数名の衛兵も同じように発狂する。
発狂した幹部たちは、軍刀を抜いて振りまわす。手当たり次第に斬りつけはじめた。
発狂した衛兵たちは、本陣に向かって小銃を乱射する。所かわまず撃ちまくりはじめた。
まともな幹部たちは思わず目を丸くし、まともな衛兵たちは不覚にも呆気にとられてしまう。しかし、いずれもすぐに我を取り戻した。この辺は、やはりプロだ。
まともな幹部たちは、あわててスン族長を守ろうとして立ちはだかる。まともな衛兵たちは、とにかく小銃をかまえて応戦した。
味方を攻撃するのは忍びないが、牙を向いてきた以上は容赦しない。またたく間に狂人たちを撃ち殺した。
しかし、不意をつかれたのがまずかった。
気づくと、スン族長も、ジンも、幹部たちも、そのだれもが狂人たちの銃弾を浴び、血まみれで倒れている。スン族長をはじめとして、幹部たちの多くが即死していた。
ジンは胸を撃たれ、左腕を撃ち抜かれたものの、幸いにして傷は浅く、急所をはずしており一命をとりとめる。ただし、このときは意識を失っており、生死不明だった。
「非常事態宣言だ」
その場にいた将兵のうち、だれとなく声を出した。
ミン族は「最強の部族」の名にふさわしく、あらゆる事態を想定して事前に対策を練っている。首脳陣が全滅したときの対策もあった。それが「非常事態宣言」だ。
これ以後は、現場レベルの判断で、作戦の趣旨に反しない範囲で臨機応変に戦うことになる。
本陣では、戦場全体を見渡せる指揮台の上にスン族長と瓜二つの蝋人形を立たせた。そのまわりは衛兵たちが護衛している。
傍から見ると、まるでスン族長が戦況を確認しているようだ。
「なに!? スン族長は健在なのか!」
グイファン族長は望遠鏡をのぞきながら言う。
「――チャオ先生の催眠術が効かなかったのか? それとも効いたが撃退されたか?」
どういうことか?
スン族長たちがダン族の野営地を訪問したときのことだ。チャオ先生は、スン族長に同行していた幹部や衛兵のうち何人かを美女で誘惑し、別室に連れこませる。
そこで催眠術を施し、今回のような特殊な音に反応して発狂し、スン族長を襲撃するように暗示をかけた。もちろん、当人たちには記憶がないし、自覚もない。
戦場で発狂するようにしたのは、ダーハン族長が戦ってスン族長に勝つところを見せつけることで、辺境の民に「ダン族こそが最強だ」と強く印象づけるためだ。
こうして辺境の民が「ダン族は最大であり、しかも最強だ」と思うようになれば、だれもダン族に逆らわなくなる。ダン族による辺境の統一もやりやすくなる。
(その思わくもはずれた――)
グイファン族長は歯ぎしりして悔しがる。
(――とにかく、ここで勝たねば、失敗の責任をすべて負わされる。地位を奪われ、辱めを受けるだろう。だが、そんなことはプライドが許さぬ)
グイファン族長は、乱暴に望遠鏡を投げ捨て「総攻撃」を命じた。
しかし、『孫子』「謀攻」篇にもある。
敵の城を攻めるのは最悪だ。
将軍がイライラをこらえきれないで、兵士たちに「アリのように群がって城壁をよじ登れ」と命じる。
それで兵士の3分の1を戦死させても、城が陥落しないというのは、城を攻めることにともなう災いだ。
このように無謀な城攻めは、自軍の損害ばかりを大きくする。
実際、北部第2軍もそうなった。
北部第2軍の将兵は、威勢よく鬨の声をあげながら、砦を目ざして全力で走る。しかし、スコールのような砲撃にさらされ、砦に近づくより先に多くの死傷者を出すことになった。
幸いにも砲弾の雨をかいくぐり、砦の近くまでたどり着けたとしても、砦は急な斜面の上にある。斜面をよじ登っているところで、嵐のような銃撃にさらされ、次から次に撃ち殺されていった。
しかも、丸太や大岩なども上から転がってくる。丸太に打たれ、大岩につぶされ、多くの将兵が絶命した。
こうした「力攻め」は2日も続けて行われたが、いくら攻めても戦果が出ない。犠牲者ばかりが増え、あっという間に戦闘の継続が難しくなるくらいに兵力を失ってしまった。
やむなく退却をはじめたところを追撃され、壊滅して終わる。
まさに「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事のようになった。
ミン族の故地での話だが、蜀漢国と魏国が五丈原で戦っていたとき、蜀漢国の諸葛孔明が過労死する。
諸葛孔明は、天才軍師だ。天才軍師がいるからこそ、蜀漢軍もあなどれなかった。
だが、天才軍師が死んでいなくなったとなれば、蜀漢軍も恐れるに足りない。
そう考えた魏軍の司令官――司馬仲達は、蜀漢軍に総攻撃をしかけた。
ところが、魏軍が蜀漢軍に攻めかかったところで、遠くに諸葛孔明が姿を現す。
「しまった。孔明が死んだという情報は、われらを誘い出すためのワナだったか」
司馬仲達はただちに総攻撃を中止した。魏軍はあわてて戦場から逃走していく。
しかし、このとき戦場に姿を現わした諸葛孔明は、ただの木像だった。
司馬仲達は、まんまとだまされたわけだ。
スン族長は、この故事を知っていた。だから、自分が死んだときに備えて、あらかじめ自分のそっくりな蝋人形を用意していたのだ。
◆ ◆ ◆
「わが軍は、所期の予定どおり、遊撃隊の援軍に向かう」
ジンは力強く言った。傷口がうずくが、痛みを少しも顔に出さない。
南部第1軍では、スン族長をはじめ、ほどんどの幹部が殺されてしまった。だから、序列からしてジンが指揮を執ることになる。
報告によると、南部第3軍も無事に戦勝したらしい。となれば、この戦いは南部軍の勝ちだろう。
「敵は暗殺などという汚い手を使う連中だ。容赦はいらない。これは弔い合戦だ。勝って族長たち死者の無念を晴らすぞ」
ジンがキリッとして檄と飛ばすと、目の前にいる将兵たちは「鋭!」「鋭!」応!」と勝ち鬨をあげた。
ミン族は、首脳陣を殺されてしまったのだが、少しも士気が衰えない。それどころか、むしろ高まっている。
そう言えば、『孫子』「作戦」篇にも「敵を殺すは怒りなり」とある。
敵を殺すのは怒っているからだという意味だが、汚いことをする北部軍に対して怒っているからこそ闘志も燃えてくるのだろう。
もちろん「大好きなじいちゃん」を殺されたのだ。ジンは悲しくてたまらない。泣きじゃくりたいくらいだ。
しかも、近くについていながら、守ることができなかった。それを思うと、歯がゆいし、悔しくて仕方ない。
悲しさと悔しさのせいで心はパニックになりそうだ。
(だけど、人の上に立つんだから、動揺を見せられないよな)
ジンは余裕の笑みを浮かべながら、馬にまたがって遊撃隊の援軍に向かった。
遊撃隊に使者を出してスン族長の死を伝えたのも、このときだ。
これまで使者を出さなかったのは、そんな余裕がなかったというのもある。しかし、一番の要因は、もし使者が敵に捕まり、スン族長の死を敵に知られると、敵が勢いを盛りかえしかねないからだった。
◆ ◆ ◆
「ついにスン・ジーマオが逝ったか」
ダーハン族長はしんみりと言った。
「はい。敵の本隊は弔旗を掲げており、族長の弔い合戦だと意気盛んであります」
伝令は応えた。
テントのなかには幹部たちもいるが、ダーハン族長はかまわず黙祷を捧げる。
幹部たちもこれに倣って黙祷を捧げた。
しばしの沈黙。
その静寂を破ったのは、チャオ先生だった。嬉々として言う。
「敵の総大将が死んだのですから、今こそ勝利宣言を出し、山の民どもに降伏を勧告いたしましょう!」
しかし、ダーハン族長は肯んじない。
チャオ先生はもどかしそうだ。
「いかがいたしました? すべては作戦どおりにすすんでいるのですよ。今こそチャンスです」
「報告では第2軍も、第3軍も敗北し、勝利した敵が東西から迫っているそうだ。このまま戦い続ければ挟撃されるのではないか?」
「それは問題ありません。族長のいない部族など、ヘッドレスチキンみたいなもので、ちょっと突けばすぐに倒れるものです」
しかし、ダーハン族長はやはり肯んじない。
(チャオ先生は、作戦は上手だが、実戦は下手だったか。わが1軍が将兵の大半を失ったのみならず、2軍も3軍も壊滅した――)
ダーハン族長は疑うような目をチャオ先生に向ける。
(――今後は、作戦についてはチャオ先生の意見を求めても、実戦に関しては意見を聞くべきではないな)
ダーハン族長は、おもむろに立ち上がり、険しい目つきで下知する。
「敵の挟撃を受けるより先に兵を引き、態勢を立て直すことにする」
こうして辺境における南北戦争は、南部軍の勝利に終わった。




