その2(全3回) 戦場の霧を利用して漁夫の利を得る
「辺境を統一するにあたり、邪魔となるのは連邦と帝国です」
顔が傷だらけのほっそりとした男が言った。ダーハン族長のテントにいる。
「それよ。やつらに介入されたら、辺境の統一もうまくいかないだろう」
ダーハン族長が応えた。他に人はいない。密議するため、人払いしていたからだ。
「ですよね。北に一大勢力ができるのは、連邦と帝国の安全保障にとって、ゆゆしき事態です。ですから、黙って見過ごしてはくれないでしょう」
「だが、そこまで言うとなれば、もちろんチャオ先生には名案があるのであろう?」
「はい。ときに陛下は、2人の巨人を倒した子供の話を知っていますか?」
「いや。知らぬ」
「では、お話しいたしましょう。あるところに2人の巨人がいて、乱暴するので、人びとが迷惑していました。でも、強くて大きいので、だれも勝てません。そこで、とある子供が一計を案じました」
「……」
「2人の巨人がそろって寝ているとき、その子供が2人に石を投げつけたのです。びっくりして目を覚ました巨人たちは、互いに相手が石を投げつけたのだと思い、激しく殴りあい、殺しあい、そして死にました」
「ほう」
ダーハン族長は目を輝かせた。
「この手を使います。帝国軍のふりをして連邦軍を銃撃し、連邦軍のふりをして帝国軍を銃撃するのです。すると、どうなりますか?」
「互いに相手からの攻撃だと思い、戦いになる……か?」
「ご明察です。戦いになります。このように連邦と帝国を互いに争わせれば、辺境に目を向けている余裕などなくなります。そのスキに統一戦争を進めるのです」
「だが、チャオ先生の名案にケチをつけるつもりはないのだが、帝国も連邦もそれほど愚かではなかろう。うまくいくのか?」
「戦場には霧がありますからね。成算はあります」
「霧?」
ダーハン族長は、キョトンとした。
「そうです。戦場の霧を利用するのです」
たとえば、将棋などの戦争ゲームでは、どこに敵がいて、どこから敵が攻めてくるのか一目瞭然だ。しかし、実際の戦場は違う。
どんなに偵察をがんばっていても、やはり見落としが出てくる。どこに敵がいるのか分からないことも多いし、いつ攻撃されるのか分からないことも多い。
なんらかの攻撃を受けたとしても、だれが、なんのために攻撃をしかけてきたのか分からないことだって多い。分からないことだらけだ。これを「戦場の霧」と言う。
クラウゼヴィッツの『戦争論』に書いてある教えと同じだが、そのことをチャオ先生が知っているかどうかは不明だ。
「たとえば、陛下が帝国兵として戦場にいるつもりで考えてみてください。連邦軍の恰好をした一団が襲撃してきたとします。そして陛下は、目の前で起きていること以外、なにも知りません。このとき陛下は、これを何者かの謀略だと思いますか? それとも連邦軍の攻撃だと思いますか?」
「まちがいなく連邦軍の攻撃だと思うな」
「ですよね。それにです。つい最近まで連邦と帝国は互いに戦争をしていました。互いに殺しあっていたのですから、今でも敵対感情が残っているはずです。ですから、たやすく連邦は帝国を疑い、帝国は連邦を疑うでしょう。そうは思われませんか?」
「そう言われると、チャオ先生の目論見どおりにいきそうな気がするな――」
日中戦争でも似たような事例がある。
当時の中国共産党は、国民党軍と日本軍の両方と敵対していた。しかし、まともに戦っても敵わない。
そこで一計を案じ、国民党軍のふりをして日本軍を銃撃し、日本軍のふりをして国民党軍を銃撃した。
このとき日本軍は国民党による銃撃だと思い、国民党軍は日本軍による銃撃だと思う。かくして両軍は全面戦争に突入し、疲弊していった。
これによって漁夫の利を得たのが中国共産党だ。日本軍を敗北させ、国民党軍を衰退させて、最終的に中国の覇者となる。
チャオ先生が狙っているのも、これと似ていた。
「――では、段取りのほうは、チャオ先生のほうでやってもらえるか?」
「もちろです」
かくして百数十名からなる工作部隊が編成され、南下して行った。
工作部隊は、辺境地帯南部の緩衝地帯に入ると、まずは連邦兵に変装し、帝国軍の国境警備基地に爆弾を投げこんだ。そして、激しい銃撃戦を交わしてから、一目散に退却する。
それから帝国兵に変装し、連邦軍の国境警備基地に爆弾を投げこんだ。そして、激しい銃撃戦を交わしてから、一目散に退却する。
これがキッカケとなり、帝国と連邦の両国が国境警備隊を出し、各所で小競りあいとなった。それが次第にエスカレートしていき、ついには帝国も連邦も互いに本格的な遠征軍を派遣するに至る。
両国の大軍は、辺境地帯をはさんで対峙していた。準備は万全だ。いつでも攻めこめる。まさに一触即発の危機的な状況にあった。
しかし、きわどいところで両軍が踏みとどまっているのは、両国が使者を出して全面戦争を避けるべく懸命に話しあっていたからだ。
「さすがはチャオ先生だ。思わくどおりにいったな」
ダーハン族長は、満面の笑みで言った。テント内にしつらえられた大きなソファーにどっかと座り、酒杯を片手にくつろいでいる。
「まだ全面戦争にまで至っていないのは失敗だと思いますよ」
チャオ団長は、酒杯を手にしたまま立ち、苦笑いしていた。
「そう謙遜するな。とにかく、これで帝国も連邦も辺境に首をつっこむ余裕はあるまい。今こそ行動を起こすときだな?」
「そうですね」
かくしてダーハン族長は、ダン族の兵力を総動員して、周辺の弱小部族を次から次に打ち破り、支配下に置いていった。
半年もしないうちに辺境地帯の北部――大草原は、すべてダン族の支配するところとなる。
◆ ◆ ◆
辺境地帯の南部――山岳地帯に住む諸部族に戦慄が走った。ダーハン族長が各部族に対し、こう布告してきたのだ。
「おれは辺境の覇者だ。山の民も、草原の民と同じく、わが配下につけ。言うことを聞けないなら、力ずくで言うことを聞かせるしかなくなるだろう」
ダーハン族長は、今や北部の大草原を支配し、多くの部族を服従させて、飛ぶ鳥も落とす勢いだ。1部族が単独で戦って勝てる相手ではない。
「ならば、降伏するか?」
独立心の旺盛な辺境の民にとって、支配されることほど屈辱なことなない。
「それなら、どうする?」
ことわざにも「一筋の矢は折るべし。十筋の矢は折り難し」とある。
矢は1本なら折れやすいが、10本が束になれば折れにくい。そんな意味だ。
1つ1つの部族は小さくて弱くても、いくつもの部族が同盟を組めば大きくて強い勢力となることができる。
「だから同盟を呼びかけよう」
思うことは、どの部族も一緒だった。同盟の話はトントン拍子で進む。最終的に「最強の部族」であり、あの「救国の軍師」もいるミン族を盟主として1つになり、北部の侵攻に備えることになった。
南部の諸部族は、同盟が成ったところで、さっそく対策会議を開く。諸部族の代表は、スン族長の館に集まった。
「総兵力は、北部は6万人を軽く超えている。対する南部は、かき集めても4万人くらいだ。これで勝てるのか?」
ミャオ族の代表が心配そうに言った。
ミャオ族の山村は、草原に近いところにある。北部と戦うとなれば、まっ先に戦火にさらされかねない。だから、心配でたまらなかったのだ。
「勝ち目はある――」
そう力強く言いきったのはクリーだ。南部同盟軍の軍師を任されていた。
諸部族の代表たちは「救国の軍師」の発言に息をのみ、黙って耳を傾ける。
「――北部軍は騎兵が主力になっているけど、騎兵は山岳地帯では弱くなる。草原みたいに楽勝できない。それはダーハン族長も分かっていると思う。勝てる自信に乏しいから、南部に対しては降伏を呼びかけてきたのだと思う」
「つまり、飛ぶ鳥を落とす勢いの北部軍にも弱みがあると?」
「はい。ある。こちらが険しい山とかに立てこもり、弓矢とか鉄砲とかの飛び道具を使って戦えば、騎兵も活躍の場がない」
「なるほど。そうすれば北部軍も強みを発揮できなくなるな」
そう言えば、ミン族の故地には、こんな戦例があるらしい。
かつて宋国は、精強な騎兵隊をもつ金国に侵略され、あっという間に北部の領土を奪われてしまう。
さらに金軍は、勢いに乗って南部に攻めこんできた。このとき山岳地帯の四川地方を守っていた呉玠は懸命に対策を考える。
「まともに戦えば、金軍の精強な騎兵隊には勝てない。だが、騎兵は山では役立たない。だから、こちらとしては山にたてこもり、金軍に矢の雨を降らせれば、十分に勝機はある」
かくして呉玠は、軍を引いて山に入り、金軍が攻めてくるのを待ち構えた。
破竹の勢いで進軍してきた金軍は、大軍であるうえ、負け知らずだし、こわいもの知らずだ。猛烈な勢いで呉玠の軍勢に攻撃をしかける。
しかし、呉玠軍は、ひるまなかった。一致団結して一所懸命に戦い、猛攻に耐えながら、金軍に矢の雨を降らせる。
金軍は、山の陣地を攻めあぐねたうえ、さらに矢の雨で被害が増大していくばかりだった。そのため、ついに四川地方の攻略をあきらめ、北に退却していく。
かくして呉玠は、四川地方を守りぬくことに成功し、宋国を滅亡の危機から救ったのだった。
「というわけで、われらとしては草原に攻勢をかけず、地元の山岳地帯で守勢をとるということでよろしいか?」
スン族長が盟主として、まとめるように言った。
諸部族の代表は、こくりとうなずいて同意する。
◆ ◆ ◆
2か月後、ついに北部軍が行動を起こした。山あいの道は狭くて、大軍が移動するには不便だ。だから、全軍を3つに分け、東路・中路・西路の3つのルートから南下するつもりらしい。いわゆる分進合撃だ。
1軍は、ダン族が中心となって編成された主力部隊で、3万の兵力をもつ。堂々と真んなかの中路を進んでいた。
2軍は、諸部族の混成部隊で、2万の兵力だった。西路を行く。
3軍は、寄せ集めの傭兵部隊で、兵力も1万に満たない。東路を悠然と南下していた。
総兵力は6万だ。
「対して、われらが使える兵力は、今のところ4万にすぎない――」
言いながらスン族長は、クリーを試すような目で見る。
「――多勢に無勢とも言うが、数字だけ見れば、われらには勝ち目がないように思える。さて、どのような兵力配置をとるか?」
「えっと、こちらも3軍に分かれて迎撃する」
「ふむ。で、どのように分ける?」
この問いかけに対して、クリーは次のような案を出した。
1軍は、ミン族を中心として本隊とし、2万5千人の兵力とする。
2軍は、諸部族の混成部隊として、兵力を1万5千人にしたい。
3軍は、クリーとアルキンたち百人隊で、遊撃隊を編成する。
これを聞いて、さすがのスン族長も目を丸くした。
「1軍と2軍はよいとして、3軍はあまりにも貧弱すぎるのではないか?」
「えっと、とにかく犠牲者を少なくして勝つためには、険しい地形を利用して迎撃するだけでなく、人数も多くしたほうがいいと思う」
たしかに、ランチェスター戦略にもあるように、敵よりも兵数が多ければ多いほど、ダメージも少なくなる。
「それは分かるが、ならば3軍はどうなる? あまりにも人数が少なすぎるのではないか? これで勝ち目はあるのか?」
「3軍については勝ち目がない。だけど3軍は、たとえ勝てなくても、とにかく負けさえしなければいい」
「ん?」
「まず敵の2軍・2万に対しては、こちらの1軍・2万5千で迎撃する。また敵の3軍・1万に対しては、こちらの2軍・1万5千で迎撃する。こうすれば、地の利もあるし、兵力も多いから楽勝できると思う」
「たしかに楽勝できるが……。となると、敵の1軍・3万に対しては、おまえたち3軍の100人ちょいが当たることになるのか?」
「はい」
「さすがに無謀に思えるが、なにか策があるのだな?」
「はい。わたしたちが敵の1軍を足止めしているうちに、敵の2軍と3軍を撃滅してほしい。そうすれば、まず2勝できる」
「ふむ」
「わたしたちは負けるつもりはないけど、たとえ負けたとしても2勝1敗でトータルでは勝ちになる」
「まあ数字の上ではそうかもしれんが……。まさか苦肉計ではあるまいな?」
苦肉計とは、犠牲と引き換えにして成功を手にする戦法だ。ことわざで言うなら「肉を斬らせて骨を断つ」となる。
「――おまえは犠牲になるつもりか? 死ぬつもりか?」
「えっと、苦肉計じゃないし、もちろん知ぬつもりもない。敵の2軍と3軍を撃滅したら、その足でわたしたちを加勢してほしい。すると敵は、2つの軍が撃滅されたうえに挟み撃ちにあって、戦意を喪失すると思う。そうなれば、敵の1軍を撃退しやすくなると思う」
「なるほど――」
スン族長は安どしたようすで言う。
「――さすがに100人ちょいで3万の敵を足止めするのは無理そうに思えるが、それでも策はあるのだな?」
「はい」
言ってクリーは、スン族長に策を示した。
「分かった。ならば、おまえの策を採用しよう」
かくしてスン族長は、ただちに無線や電信、早馬や烽火を使って、盟主として南部の諸部族に指示を出した。
どの部族も臨戦態勢にあり、いつでも動ける準備ができている。だから、数日とかからず、クリーの発案どおりの編成をとることができた。
「わたしたち主力部隊には、あの“救国の軍師”が歯向かってくるそうですよ」
チャオ先生がニヤニヤしながら言った。ダーハン族長と馬を並べ、進軍している。まわりには完全武装の騎兵が無数にいて、色鮮やかな軍旗を掲げ、きれいに隊列を組んで騎行していた。
「あいつ――スン・ジーマオでないのか……」
ダーハン族長は少し残念そうだ。
「ですが、“救国の軍師”と言えば、強大なハン連邦との戦いで、シン帝国を勝利へと導いた功労者です。敵として申し分ありませんし、油断もなりません」
「うむ。たしかにな」
言ってダーハン族長は、険しい顔をした。本人なりに気を引きしめたのだろう。
それに引きかえチャオ先生は、あいかわらずのニヤケ顔だ。激戦を前にして少しは緊張してもいいはずだが、かえってウキウキしているようにすら見えた。




