Wild Card(後編)
NO.9
《ものはついでだ。この手紙に少し昔の話を記すとしよう。俺には大切な竜が居た、彼の名はイライジャ、俺の大切な友達だった》
夜。
私は歩いている。
朽ち果てた遊歩道の上を。
小高い丘の上に向かって。
《イライジャは俺の最高のパートナーだった。俺を乗せたアイツは天下無敵で、アーリヤさんの再来とまで言われ、もてはやされていた》
小高い丘の上には廃虚が立っていた。
寮の別館、昔はそんな役目を持っていたと聞いている。
立ち入り禁止の柵を乗り越え、私は中に入る。
《だけどあの日、あの瞬間、全てが変わってしまった》
荒れ果てた玄関ホールを抜け、階段を上る。
二階立ての建物だから、屋上には直ぐについた。
《いつもの練習場、すこし、ほんの少し地上よりだった俺とイライジャの練習場に、地上の魔物達が強襲してきた》
さび付いたドアを押し開け、屋上にでる。
冷たい風が、寂しげな声とともに吹き荒む。
《倒したよ、当然さ。俺とイライジャは最強だったから。――でも無事ではなかった。イライジャは毒の弾を体に受けてしまった》
屋上を進む。
そして山のように積まれたロッカーの下へとたどり着く。
だけどそこには、まだグエンの姿は無かった。
《酷い毒だった、イライジャの体はその傷口からじわじわと腐り始めた。彼は高熱と痛みで寝ることもできず、悲鳴をあげ、泣き続けていた》
私はロッカーの一つを空ける。
中身はからだった。
さらにもう一つ開ける。
これも空だ。
「あるんでしょグエン、ここに貴方の切り札が」
《地上の魔物を恨んだかって? そりゃもちろん、最初は恨んださ、恨み、憎み、呪い、殺したかった、地上の何もかもを。でもね、直ぐにその対象は変わったんだ》
開けても、開けても、どれも空だ。
私は諦めずにロッカーを開け続ける。
《俺はある日、病気のイライジャを連れて、ミリーのところへ行ったんだ。そして言った『僕の友達を、大切な友達を助けてください』ってね。ミリーはなんて答えたと思う?》
一番中心に置かれていたロッカーを開く。
「あった」
これか……これが、切り札。
《『竜は死と共にあるものだ、受け入れろ』だぞ? たったその一言だぞ? 目の前で苦しむイライジャに、たったその一言だぞ? ミリーはイライジャを治せるのに、アイツはイライジャを救えるはずなのに、たったその一言で拒否しやがった》
そこには、巨大な銃が収められていた。
長距離戦用、地上の兵器。
ライフル銃。
《俺は泣いたさ、泣きに泣いた、助けられないんだ、目の前で苦しむ友達を。三日間泣きにないて、ミリーに頼みを無碍にされ続け――そして俺はある決心をした》
ボルトストックを引いてみる。
弾は装填されていた。
五十ミリの巨大な弾丸。
私はそれを担ぎ、屋上の縁に向かう。
《イライジャを蝕む毒、それが地上の毒なら、地上にはそれの解毒方法があるはずだ、地上に降りよう。そう決心したんだ》
銃を構え、スコープを覗く。
この建物は、小高い丘の上に建っている。
だから訓練場の全体がよく見渡せた。
《地上に降りた後は悲惨だった。瘴気に耐えられず直ぐにイライジャは死んでしまった。でも俺はイライジャの死体を引きずって彷徨いつづけた、死んでるって分からなかった、辛かった、苦しかった、悲しかった、この世の地獄だった。――でもね、そんな時、あのお方と出会えたんだよ》
「ここからなら、狙撃できる」
明日来る、カルシナを。
そうか、それが真の狙いか。
「殺人を起こして、ミリーやカルシナをおびき出す」
私は巻き込まれただけか。
《偉大なる、月の竜に》
「遅いぞホンユ」
私は振り返る。
そこにはグエンが――
いや、それは彼の本当の名では無い。
本当の名は――
名を持たぬ
ワイルドカード
「君なら、もっと早くここにたどり着くと思ってたよ」
彼は静かに微笑みながら言った。
NO.10
私は反射的に銃口を彼に向けた。
「あなた――誰なの?」
彼は苦笑する。
「グエンでいいよ、今更呼び名を変えるのは不便だろ?」
でも僕は君をアズラと呼ぶよ――彼は親しみの篭った口調でそう続けた。
コイツ、私の真の名を? そんな事まで知っていたのか。
「あなたは――どうして? 空の人間なんでしょ」
「どうしてもなにも、手紙に書いた通りさ。俺は確かに正真正銘空の人間、空生まれ空育ち。でも俺が従うのはミリーじゃない、あんなクソの役にも立たないハリボテの神様なんかには従わない」
「ロナ――ロナ・ヴァルフリアノを知っていたのね」
「もちろん。あのお方は十年前、地上を彷徨っていた俺を救ってくださった、俺とイライジャの魂を救済してくださった恩人だよ」
全てが、私の中で繋がった。
コイツは、ロナの工作員だ。
十年前、地上に落ちた彼はロナと出会い、その敬虔な信者となった。
そして再び空の世界へ舞い戻って――
だから地上の言葉を知っていた。
でもどうして? どうして殺人なんてできたの?
ひょっとして彼もミリーの全能性から外れてる?
コイツ――ひょっとして自分の体を――
「さぁ、地上に帰ろうアズラ。ロナ様が待っている」
怖い。
私は本能的に後ずさりする。
「あれ、怖がってるアズラ? あ、そっかあの件を気にしてるのか」
「あの件……って何」
またかよ、とぼけちゃって――彼は嬉しそうに言う。
「やっぱり貴女は、拉致されたわけじゃないんだね?」
言った瞬間、彼の表情から笑みが消えた。
眼が大きく開き
強く、濃厚な感情が突沸したかのように
私は反射的に引き金を絞る
巨大な熱量を持った鉄の弾丸が、音速を超えて放たれる
ライフル銃、ホローポイント弾、それも至近距離での一撃
だが彼は倒れなかった
彼目がけて撃たれたはずの弾丸は、その体をすり抜けたかの様に、背後の壁に穴を開けただけだった
「なんで……」
彼が駆け出す
殺意の濃い塊が、私に迫ってくる
第二射は間に合わない
「ヴラグ、助け――」
言いかけたところで、私の胴体に強烈な右ストレートが叩き込まれた
私の体はまるで木っ端のように吹き飛び、壁に激突する
強烈な痛みに意識が遠のく
ありえない、予想よりも数倍もの力、それは人間の物とは思えないような力だった。
「驚いた? 『雲蒸竜変』とは正しくこの事だろ」
彼の得意げな声
見ると、彼の右腕は奇怪な形状に変異していた
節くれだった指、鋭く捻じ曲がった爪、そして腕全体を覆い尽くす青黒い鱗
それは竜の腕だった
「グエン……貴方は竜なの?」
彼は私の喉笛を掴み、そのまま持ち上げる
「だったら良かったんだけどね」
そう言うと彼は私の体を、屋上から投げ捨てた
NO.11
月だ。
月が夜空に輝いている。
それは美しく、魅力的で、切なかった。
空が、遠い。
距離も、輝きも、存在も、その美しささえも、全てが遠くに感じられた。
私は起き上がろうとする。
でもボロボロに壊れてしまった私の体は、どこもかしこも一ミリだって動いてくれなかった。
「アズラ、どうしてだ」
グエンが横に立っている。
横で私を見下ろしている。
「アズラ、何故君は地上を裏切った」
彼の声はもう、私の脳みそには届いていなかった。
「アズラ、見ろよ俺のこの右腕を。ここにはイライジャが生きているんだ」
現実感が遠のいて行く。
思考がゆるゆると崩壊し始め、昔の記憶が、パノラマのように広がっていった。
――私は昔から、夜空というの物が好きな子供だった。
暗く薄汚れた地上で、いつも夜な夜な暗く深い宙を眺めていた。
「素晴らしいと思わないか、偉大な技術だと思わないか? 俺は永遠にイライジャと、イライジャの側に居ることができるんだ」
いつかあの夜空へ行ってみたい――気がつけばそんな夢想ばかりするようになっていた。
あの煌く星々の元へ。
小さな宝石が、見渡す限り広がる。
空へ。
「良く聞けアズラ、これも機械の神から取り出された技術の為す技なんだよ。人は太古、これほどまで素晴らしい力をもっていたのだ」
私は立ち上がった。
体が悲鳴を上げる。
急速治癒に失敗し、歪んで接合された骨達が一斉に軋み叫ぶ。
それでも私は立ち上がった。
空が、近くなった気がした。
「分かるだろアズラ、人は機械によって運命さえも切り開けるのだ。だからこそミリーはそれを恐れ、それを卑怯な手で人類から奪った」
彼が何をいってるのか分からない。
でも、どうでも良いことを言ってるというのだけは、なんとなく分かった。
だから私は、もっと大事なことを言ってあげようとおもった。
「綺麗な、空が見たかった」
一言一言、搾り出すように。
「いざ見たら、それを地上でも見たくなって」
冷たい夜風が私を慰めるかのように、頬をやさしくなでた。
「それだけだよ」
それだけだ。
私は腰に挿していたナイフを引き抜き、それを構える。
彼の輪郭が揺らめく。
「ヴラグ到着まであと二分はあるだろ? そんな体で耐え凌げると?」
呆れた様な、嘲笑するような、見下すような声。
私は両手でナイフの柄を握り締める。
「できるさ」
彼が走り出す。
私はナイフを振る間もなく、地面に引き倒された。
彼は私に馬乗りになり、右腕を振り上げる。
死ぬ
そう思った瞬間、黒い影が彼を弾き飛ばした
グエンの叫び声、そして鋭い何かが風を斬る音
私の額に生暖かい液体がふりかかる
眼に掛かった血を拭い、私はその影を見た
「マミ……ヤ?」
月光に照らされた獣が
獣の様な少女が立っていた
そこで私の意識は途絶えた
眼が覚めると、つい数時間前に見た天井が映る。
「また医務室かよ」
目覚めた私の第一声はそれだった。
とりあえず無理矢理ベッドから体を起こしてみる。
かなり痛む
あぁ、でも私死んでない。
生きてるんだ――
「もう治癒したのか? 流石クリムゾンヘッドだ」
声の方を見ると、ベッドの脇に一人の男がたっていた。
神経質そうな表情が印象的なメガネ男。
「あぁ、カルシナさん、来たんだ」
私はとりあえず頭を下げる。
彼は軽く会釈を返すと、私の寝てるベッドの淵に腰掛けた。
「それでホンユ……君はどこまで覚えてる?」
「グエンに殺されかけて、マミヤに助けられた所まで」
それなら話は早い、と彼は言った。
「教えてくれホンユ、あれは何だったんだ」
「『あれ』って?」
「グエン・トーンを名乗ってた人物だ。『人の身で魔法を使った』、そうマミヤから聞いている」
魔法まで使ったのか、無茶をする。
「あれは多分、サイバテクス系の技術だとおもう。推測だけどバイオサーキットに竜の細胞を使ってる」
「……私にも分かるように説明してくれないか?」
「彼は改造された人間だった、それも飛び切り邪悪な改造」
竜の死骸を体に埋め込んだのだ――
「貴様らクリムゾンヘッドは、そんな事まで……」
「『貴様ら』ではないよ。あんな倫理の欠片も無い実験、あれはね、サイバテクスは、もともとそんな邪な目的で作られた技術じゃなかった」
「どういう事だ?」
「欠損部位の補完、義手とか義足とか、そういうのの延長線上の技術にすぎなかった」
「医療の施術が、兵器に転用されたのか」
何時の世の中でも、よくある話だけどね――私はそう自嘲気味に言う。
地上に居たころ私は機械工学の畑の人間だった。
バイオ系に比べて軍事転用される割合が高い、というか軍事利用ありきの研究ばかりで日々辟易していて、しばし生体工学系を羨んでいたのだけど。
ああいうのを見ると……
まぁ、いい。
今はそんな事よりも
「それでカルシナさん、グエンはどうなったの?」
「残念だが、逃がしてしまった」
「マミヤは?」
「無事だよ」
「ヴラグは?」
「同じく、無事」
無事ならよかった、私はそう言って全身から力を抜き、再びベッドに沈む。
そっか、やっぱりマミヤはグエンを撃退したのか。
マミヤはあの夜、私を守ってくれたのだ。
「マミヤってさ、めちゃくちゃ強いよね?」
「あぁ、人の身を良く極めている」
「彼女って貴方の部下?」
カルシナは眉間に皺を寄せた。
「というよりも友人だ」
友人……ねぇ。
カルシナは、マミヤを通して私を見張っていたのか。
いや、見守ってくれていたのかもしれない。
「じゃあカルシナさん、私の目論見は全部把握してるんだよね?」
――私はマミヤにも情報収集を手伝ってもらってたのだから。
つとめて軽い調子で尋ねてみたけど、カルシナは何も返さず無言で私を見つめた。
窓から差し込む西日に照らされた彼女の表情は、随分と物憂げだ。
「カルシナさん、ロナは生きてるよ」
――死んだはずの貴方の娘は、今も地上で生きている。
呪い、呪われ、呪いに狂った竜となって。
「だとしたら、お前は私に何を望んでいる?」
無感情をカルシナは装っている。
でもその内心は見え見え。
「貴方は、ロナを救いたいはず」
貴方の娘だから、たった一人になった貴方の大切な家族だから。
もう一人の家族「パートナー」とは、大昔に決別してしまったから。
「否定は……しない」
「ミリーは必ずロナを殺す。だからそれよりも早く私たちの手で彼女を止めないと」
「ミリーが……あの子は、一体何を……」
「『ゲームの破壊』とでも言えばいいかな? ミリーの望む『ゲームの終焉』を消し去る事、それが今のロナの全て」
「ゲーム?」
「この世界は一つの大きなゲームなの、気まぐれな神『ミリー・ジオラルタ』によって作られた、大いなる暇つぶし」
「何を言っているんだお前は、侮辱も大概に……」
「貴方も気づいてるんでしょ? ミリーは終焉の『戦争』を望んでる、人と竜と魔物の殺し合いをね。だから地上を生かし続ける、だから竜の力を制限し続ける、だから人の知性を押さえ込んでる」
「戯言を言うな!」
カルシナが竜の声で吼える。
彼の瞳孔は縦に広がり、全身に鱗が浮かび上がる。
そして右頬の紋章が――なりそこないの刻印が痛々しく輝く。
「聞いてカルシナ、私はそれを間違ってるとは言わない。ミリーのお陰で、人は自死の未来選択から守られたし、竜と人のこの関係だって私は――」
私の言葉を遮る様にカルシナが再び吼え、私に飛び掛った。
鱗を逆立て、体中から紫色の霧を発しながら、私の喉元に手を掛ける。
燃えるような黄金色の瞳が、私を睨みつける。
「黙れ人間、定命の者が我らの政に口を出すな」
彼は怪物の様に、私を押しつぶすような声で威嚇する。
「カルシナさん、そんな心にも無い事を言っても、なんの脅しにもならないから」
私は彼を睨み返しながら、できる限り冷静な口調で反論した。
「私をミリーに歯向かわせるつもりか、クリムゾンヘッド」
「貴方は既に彼を裏切ってるでしょ、財団領の地下で」
「黙れ、あれは裏切りなどではない!」
「あーめんどくさい、とにかく協力しろって言ってるの! 貴方はロナを救いたい、私はゲームを止めたい」
お互いの利害は一致しているはずじゃん、私はそう怒鳴り返す。
数瞬の間、私とカルシナは睨みあった。
やがて彼は三度を吼えると、私の喉から手を離した。
私は喉に手を当てぜぇぜぇと呼吸をする。
――首絞められてばっかだ私。
「ホンユ、お前はなんなんだ、お前は誰の味方なんだ」
カルシナは感情を沈めるように、肩で息をしながら私に尋ねた。
「は? 味方?」
「ゲームを止める、その目的はなんだ。お前は誰の指図で動いてる? 誰の為に闘ってる? 誰の望みで交渉している?」
私は無理矢理体を動かし、肩を竦めてみせる。
「誰って、そんなの居ないし。私は誰かの言いなりにもならないし、誰かに肩入れもしてない」
「空の味方も、地上の味方もしないのか?」
「いや、それは――」
ふと、その時ロナの言葉が脳裏に掠めた。
――どれにでもなる事ができて
そしてなによりも、君はどれでもなかった――
あぁそうか、やっと理解した。
そういう意図だったのか。
「カルシナさん。私は両方の味方だし、両方の敵なんだよ」
私は――ワイルドカードなんだ
NO.12
「無事退院か、お疲れホンユ」
寮を出ると、ヴラグが待っていた。
「ただいまヴラグ、心配かけたね」
私は駆け寄って、その首に抱きつく。
「すまなかったホンユ、私は役立たずで」
「ううん、グエンから守ってくれてありがとう。マミヤの事も助けたんでしょ?」
いやあれは――そうヴラグは言い訳をしようとする。
「いいのヴラグ、それよりも次の行動に移らないと」
「次の?」
「カルシナさんにフられちゃった」
結局あの後、彼に協力を約束させる事はできなかった。
それどころか、「次に会うときは、敵かも知れない」そんな捨て台詞まで吐かれてしまった。
「そうか、それは厳しいな」
「うん、やっぱりロナだけじゃあ弱かったよ。もっと強い手札が必要っぽい」
「どうする?」
「百八十年前のことを調べるよ、上手くすればそこから強い交渉カードを得られるかも」
竜に育てられた娘、アイシア
まずは彼女に会いに行かないと。