ss《ヴラグとロナ》
もう百年も昔の話だ
「……ねぇ」
私は声をかける。
小さな黒い竜は首をもたげ、私を見る。
威嚇するような、敵意の籠もった視線。
「怖がらないで」
私はそう言って微笑みと、持ってきたガスマスクを差し出す。
「そこにパートナーさんがいるんでしょ? これ、着けてあげて」
竜は私をじっと見つめる。
力強い視線であるが、よく見れば僅かに揺らめいている。
「私はスヴィ」
――ねぇ、 怖がらないで
「それ、『ジャケット』か?」
俺の呼びかけに、その白竜はぴくりとも反応しなかった。
「……また無視かよ」
俺はため息を吐き散らしながら研究室の階段を降り、ロナのそばに近寄る。
「ジギが死んだな」
ロナは依然として俺の言葉に反応しない。
彼女は俺に背を向けたままで、自分の周囲に大量の本や、実験器具、奇妙な機械や薬品を浮かべ、何か「肉の塊」の様なの物が置かれた台に向き合っている。
「パメラに続き、デボラ、そしてジギ、これでお前が月の民の次期『首長』になる事に異を唱える奴は、誰一人居なくなった」
「誰一人? まだお前が残っているだろうザザ」
そう俺の名を呼んで、ロナが静かに振り返る。
美しい紫水晶の瞳が、俺を射抜く。
「俺も殺すのかロナ」
「私は誰も殺してはいないさ」
「戯れ言を」
ロナは再び俺をから視線を外し、謎の研究作業に戻る。
俺は手頃なワーキングデスクに腰掛けると、タバコを取り出した。
「禁煙だ」
「あっそ」
構わず吸い始める。
「なぁロナ、いい加減俺の助言を聞いたらどうだ?」
彼女からの返事はない。
「竜を殺す一族が、竜に従う訳が無いだろ。こんな事をしたってお前は首長になれないぞ」
「私は竜ではない」
「じゃあテメェが今作ってるその肉の塊は何だよ、竜の死骸を集めて何を作ろうと……」
言いかけた所で俺の右腕に鈍痛が走った。
俺は悲鳴を上げ、タバコを取り落とす。
「人間風情が、調子づくなよ」
「テメェ……」
骨がみしみしと鳴る、あまりの激痛に俺は思わず転げ回る。
「ザザ、そろそろ仕事の話をしようか、君は『落としどころ』を持ってきたのだろ?」
激痛が胸に動く、肋骨を無理矢理開かれる様な強烈な痛み。
「『俺を首長に推薦しろ、俺が首長になった暁には、ジャケットの凍結を解いてやる』そんな所か、つくづく下らんな人間の考える事は」
「お……俺を……ころ……」
「『俺を殺して只で済むと思ってるのか? 瘴気に弱い竜の分際が、人間の協力無くして研究を続けられとでも思ってるのか?』だろ。まぁ確かにそれは一理ある」
ようやく痛みが解かれる。
俺は激しくむせ込み、血痰を吐き出す。
「ザザ、お前は人の中でも特に愚かだな。私が何の策もなくあの三人を殺したと本気で思ったのか?」
「何……言ってやがる」
「手は打ってあるよ」言ってロナは遥か頭上の天井を見上げる「――ちゃんと強力な一手をな」
ロナの視線の先には、大きな鳥籠の様な檻がぶら下がっていた。
中に大量のグール達が詰め込まれているが……様子がおかしい、眠る筈のはないグール達が、全員まるで気を失ったかのように呆然と座り込んでいる。
「あれは……まさか完成させたのか?」
「そう、あれが制御可能なグール『チェイサー』達だよ。今朝がたようやく作製に成功した物だ。今度の十五夜までには数もそれなりに揃うだろう」
バカな――。
俺は額に汗が滲むのを感じた。
「万年兵隊不足で悩む他の首長どもは喉から手が出る程欲しがるだろうな。チェイサーさえ配備できれば、旧世代文明の中枢開拓も大分現実的になろう」
「ロナ、お前……」
「チェイサー作製の技術は首長共に無条件で提供する。どうなると思う?」
他部族の首長達がロナの味方に付く、そして彼女が月の民の支配者になる。
「君の首長代理という立場も、次の十五夜までという事さ」
何も言い返せなくなった俺を鼻で笑うと、ロナは再び作業に戻った。
胸糞が悪くなる。
この竜が、この邪悪な存在が、地上を飲み込む様子を見た気がした。
「知ってるかロナ、剣で王座は作れても、そこに座る事はできないんだぞ」
「覚悟無き人には無理だろうな。だが私は違う、座ってみせる」
「今日も来たよ」
黒い竜の小さな瞳が、ゆっくりと私を見る。
昨日の瞳に映されていた警戒や敵意の色は、もう大分薄まっていた。
「その人、大丈夫?」
彼のパートナーと思わしき男性は、昨日と同様にただぐったりと倒れていた。
「死んで……ないよね?」
竜は何も答えない。
ただ静かに俯くだけだ。
「やっぱり? 私の言葉は分からない?」
そう聞きながら、私は自分の質問の無意味さに思わず笑ってしまう。
「ご飯、食べる?」
私はそう言って干し肉を見せる。
その瞬間竜の瞳孔が縦に開かれ、鼻を力強く鳴らし始めた。
「はい、どうぞ」
私は干し肉を竜の前に置いてあげる。
竜は最初は警戒していた様だが、やがて一枚づつ口に頬張る。
私はなんとなく満たされた様な気分で、その様子を眺めていた。
「貴方とお話したかったなぁ」
私は静かに一人言を呟く。
「そしたら、友達になってくれたかな?」
竜はそっと瞳を上げ、私をじっと見つめる。
「友達とかって、私いなくてさ。貴方を見つけたに時に、友達になれたらなぁって」
竜はただ私を視ていた。
私はにっこりとほほ笑み掛け、さらに干し肉を置いてあげた。
「ヴラグ」
その時唐突に、頭の中に不思議な声が響き渡った。
私は思わず顔を上げる。
竜と目が合う。
「ヴラグ・ギナタタク」
念話だ、竜がテレパシーで話しかけてきてる。
「ヴラ……グ?」
竜が頷く。
「そう、それが貴方の名前なのね?」
「失礼しますロナ様」
聞き慣れない声に私は作業の手を止める。
声の方を見ると、およそこの場には似つかわしくない、一人のクリムゾンヘッドの幼女が立っていた。
「だれだ貴様は?」
私の声に、彼女は深々とお辞儀をした。
「スヴィです。ザザの娘、スヴィと申します」
「ザザの…… 一体何の要件だ?」
「どうしても尋ねたい事がありまして、ご教授願えませんか?」
「帰れ、私は忙しい」
「お願いします、竜の事についてどうしても知りたいんです」
竜、その単語に反応し、私は思わず振り返ってしまう。
「ロナ様、教えてください。竜は本当に邪悪な生き物なのですか?」
このガキ……
「何故その質問を私にする」
「だって貴女は――」
「私は竜では無いッ!!」
私は力任せに作業台を叩く。
巨大な破壊音と共に、上に載せられていた血肉があたりに散らばった。
「も、申し訳ございません」
スヴィは怯えを必死に抑え込みながらも、その小さな頭を再び下げた。
「でもロナ様が、ロナ様が一番竜の本当の姿を知っているんだと……」
まだ食い下がるか、父娘そろって煩わしい人間だ。
「竜は邪な生き物だよ、人を都合良く洗脳し、その本来の有り様を歪め、ただ自身に都合良い駒にして弄んでるだけだ」
「でもそれならば、どうして竜はあんなに人を尊ぶのですか? 時に自分の命を投げ出す程までに」
「呪いだ、それは魂縛とい呪いに縛られたが故の行動だ」
「では、何故そんな呪いを竜は自ら……」
「それはミリーの命令だからだ、幼竜と言えど彼らも所詮ミリーの玩具に過ぎん」
「玩具なんてそんな……ミリーと幼竜達は同じ竜ですよ」
「同じではないさ、エルダードラゴンとその他じゃあな」私はそう言って自分の欠けた右腕に目をやる「それは人とて同じだ、貴様も見た事があるだろう? 空の人を見下す地の人と、地の人を蔑む空の人を」
「そんな――」
だがスヴィには、それ以上言葉を続けられなかった。
「話は終わりだ、帰れ小娘」
私は言い切ると、スヴィから視線を外し、チェイサーの安定化の作業に戻る。
――らしく無いぞ、何熱くなってるんだ。たかが人間の子供に、私は何故。
許せないのだ、ミリーを、竜達を、私に救いの手を差し伸べようとしなかった奴らを、人を弄ぶ事にしか興味の無い奴らを。誰も私を、私達を――
「私はッ!」唐突な小娘の大声に私の思考は阻害された「私はッ、竜たちは友達が欲しいんだと思います」
――友達?
「人と友達になりたいのだと思います」
友達
その一言が、一瞬の記憶の中を駆け巡り、ある記憶を呼び起こした。
『ロナ、お友達はできたかい?』
遠い昔の記憶、カルシナの声の、優しく、慈しむような……
思わず目を閉じた。
「……帰れ」
私は言葉を、無意識の内に吐き捨てていた。
スヴィはそれでも私に向けた言葉を続ける。
「ロナ様、貴女も友達が――」
「帰れと言ってるだろうがッ!!」
私を見ると、ヴラグはそっと立ち上がった。
そして羽を広げ、静かに羽ばたく素振りをみせる。
背中にはパートナーの男性を背負っていた。
「そう、行っちゃうのねヴラグ」
私の呼びかけに、彼は低い唸り声で答えた。
「ありがとう、友達になってくれて」
私がほほ笑み掛けると、ヴラグはゆっくりと私に近づいて来る。
そして私の右腕を優しくはむと、そっと上へと引いた。
「乗れって言ってるの?」竜は静かに私を見つめている「――私を空に連れてってくれるの?」
私の言葉を肯定するように、ヴラグはゆっくりと瞬きをした。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
私はずっとひとりぼっちだったから。
でも私は、そっと竜の額にキスをすると、首を横に振った。
「ありがとうヴラグ、でもごめんね」
ヴラグがそっと私の右腕を離す。
「ひとりぼっちの白い竜が居るんだ、ヴラグと会う前の私みたいに、一人で泣いている竜がいるの」
私、あの子の友達になってあげるんだ
ヴラグは寂しげな咆哮を一つ上げると、空へと羽ばたき始める。
青空に溶け込む様に消えて行く竜の姿を、少女は何時までも眺めていた。
何時までも、何時までも。
叫び声
子供の悲鳴
俺は慌ててロナの研究室に入った。
血、血、血
中は血に溢れている。
部屋の中央にはロナが、血濡れた白竜が、怒りに我を失った邪悪な竜がいた。
そして竜の前には、一人の少女が……
「スヴィ!」
俺は自分の娘の名を叫ぶ。
スヴィは右腕を失っていた。そしてその引き千切られた右腕は、白竜の傍らに浮かべられている。
「答えろ小娘ッ! この臭いは何だッ! 何故貴様の右腕からは竜の臭いがするのだッ!」魔眼が強く、濃く、暗く、輝く「――竜は何処に居るッ!言えッ!!!」
ズタズタにされた娘の体が注に浮かべられる。そして少女の断末魔の様な絶叫。
「スヴィ!! やめろクソ竜!!」
そう叫んだ次の瞬間ロナは俺を睨んだ、そして爆発的な痛みが体に走り、俺はその場に崩れ落ちた。
声を上げようとするが何も出ない、下顎が破壊されたのだ。
「答えろ人間ッ!」
ズヴィがさらに悲鳴を上げる。狂ったように自分の頭を残った腕で掻き毟り始める。
やめろ、やめてくれ、やめるんだロナ。俺の悲鳴は言葉にならず、ただゲロをぶち撒ける。
悲鳴、もう聞きたくない!
やめてくれロナ!
無理やり立ち上がろうとするが、直ぐに両足をねじ切られてしまう。
「寝てろザザ、そして人の愚かさを噛み締めてろ!」
「ロナ……様……」
スヴィの体が、ロナの鼻先に引き寄せられる。
「喋るつもりはないな小娘、なら貴様の脳髄から直接引きずりだすまでだッ!」
白竜が口を開く、鋭く巨大な竜の牙が、ズヴィの体に食い込む。
「私は……ロナ様の……友達に……」
血、血、血
スヴィの体が、食い千切られた。
『ロナ、お友達はできたかい?』
「おきろーヴラグ」
パコンッ、と丸められた紙で叩かれ俺は目を覚ます。
目を開くと、ホンユが心配そうに俺の瞳を覗き込んでいた。
「どうしたホンユ」
「いや、なんかヴラグが泣いているから。怖い夢でも見てたの?」
私は曖昧に首を揺らす。
「昔の夢だ」
もう百年も昔の出来事。
「ふーん、悲しい夢?」
俺は質問には答えず、ゆっくりと体を起こし、軽く伸びをする。
「ま、いいか。ところでヴラグ、これ見てよ」
そう言って彼女は、先ほど俺を起こすのに使った紙を掲げて見せる。
焔空祭の登録結果か……
「じゃーん、なんと登録した8種目全部に選抜されましたー」
そういって彼女は満足そうに笑みを浮かべた。
「あんな適当な書類で通るとは……」
ホンユが提出した焔空祭登録用紙は、必要不可欠な彼女自身の素性の大半が空白で、ほぼ確実に全て一時落ちすると俺は考えていた。
「所詮連邦も優勝が一番って訳よ、あの成竜『石竜様』が代表として出てくれるって言ってるんだもの。やっぱり多少の横車は押してくれ出してくれたみたいだね」
「ミリーが目を付けるぞ」
「別に私は構わないよ、ミリー様に直接聞きたい事もあるし」
随分過激なパートナーだな。俺は軽くため息を漏らす。