ss《ミリーとカルシナ》
「やっ! カルシナじゃん! どうしたの?」
よく通る美しい声が飲み屋を駆け抜け、今まさに店に入った俺に突き刺さった。
「どうしたのじゃないですよ……」
俺は怒りと焦りを必死に押し殺しながら店内を進み、彼女のとなりのカウンター席へ乱暴に座る。
「どうしたカルシナ? そんなに切羽詰って」
「テレパシー、何故全部無視したんですか。必死で送ってたのに」
「あー」そう言って彼女はジョッキを口に運び、琥珀色の液体を飲み干す。「――ごめん酔ってた」
「酔ってたじゃないですよッ」俺は思わず怒鳴る。
「ごめんごめん、そんな怒んないでよ」
相変わらず楽しそうに上気した顔、まるで子供のように無邪気な微笑みを向けてくる。
俺は一旦彼女から目を逸らし、自分を落ち着ける。
――よりによってこの大事な時にッ
「ミリーさん、良く聞いてください。先ほど財団領から緊急の伝達が入りました、『地上の魔物に、竜が捕まった』と」
俺はそこまで言ってミリーの様子を伺う。
だが彼女はボンヤリと目をパチくりさせながら、話の続きを待っているだけだ。
「捕まった竜の名は『イグノリア』、パートナーの生存は不明だそうです」
「あぁ……イグノリアかぁ、あの子は聞かん子だったなぁ……」彼女はそう呟くと、しばし考え込むように目を瞑る「……で、カルシナはどう思うの?」
「それは当然一刻も早く救助部隊を編成して――」
「いや、そういうのじゃなくてね」
「え?」
「財団の連中はなんで魔物に捕まったのかな? アイツら地上で何してたの?」
コイツは何を言ってるんだ?
「ねぇカルシナ、なんか怪しくない? イグノリアのパートナーってたしか空挺会社の御曹司だったよね? あそこってついこの前『懇意にしてた貿易庁の長官が更迭された』とかでバタバタしてたよなー」
俺は耳を疑った。
「お言葉ですがミリーさん、そういう邪推は今私達がするべき事では無いかと。それよりもっと優先しなければならない事があるかと」
「何? その『優先しなければならない事』って?」
全身を冷たい物と熱い物が同時に駆け巡った。
「『瞳』を、瞳を使って一秒でも早くイグノリアとそのパートナーの安否の確認をしてくださいッ」
「えー、それは嫌だな。めんどくさいよ」
めんどくさい?
めんどくさい……だと?
俺は完全に言葉を失った。
「いやだってさカルシナ、君も良く知ってるでしょ? 『瞳』を使ったって地上の様子までは見渡せないんだね、大地に私の魔法は届かないじゃん。まぁ財団領の連中が何を企んでるのかは分かるかもだけど、そうやって暴くのは反則で面白くないよねぇ?」
彼女は唄うようにそう言い切ると、再びジョッキの中の黄色く濁った液体を飲み始めた。
ガラスの砕け散る音。
居酒屋の喧騒が消える。
気がついたら俺は、彼女からジョッキを奪い取り、それを床に叩きつけていた
「面白くないってなんですか?」
言葉がこぼれる
考えるよりも先に、俺の感情が言葉を押し出す
「面白くないってなんだよ」
ミリーはただ黙っている。
俺は椅子から立ち上がり、彼女の胸倉を掴む。
「命の問題なんだぞこれはッ」
いつの間にか周囲の視線は、俺とミリーに集まっていた。
「死にかけてるんですよ、竜と人が、なんで助けようとしないんですか」
「落ち着いて、カルシナ、ねぇ落ち着きなって」
ミリーはそう言って手を差し伸べる、だが俺はそれを払いのける。
「イグノリアを助けてやってください」
俺は言葉を搾り出す。
だが彼女はため息一つ付くと、ゆっくりと目を瞑った。
次の瞬間、唐突に居酒屋の喧騒が復活し、俺はテーブル席に座っていた。
ミリーの襟首を掴んでいた筈の両手には、ビールが波々と注がれたジョッキが握られている。
「落ち着けよカルシナ」ミリーはテーブルの向かい側に座っていた「――君は竜だろ? 竜たる者、常に冷静に。だろ?」
そう言った彼女の表情は、恐ろしい程に無表情だった。
――魔法を使ったか
恐らく彼女は時間を削り、空間を書き換えたのだろう。
テーブルの中央には、先ほど俺が粉々にしたビールジョッキの破片が積まれている。
俺は静かに深呼吸を一つ吐き出す。
先ほどまでの突き上げるような気勢は、もう完全に萎えきっていた。
「短直に言わせてもらうとね、カルシナ君の生死観は非常に幼稚なのよ。まぁ気持ちは分かるけど、私も昔はアツかったなーって懐かしいねぇ」
得意げにそう言う彼女は、もう普段の様子に戻っていた。
「でもねカルシナ君いいかい? 命とか、生とか、希望とか、救いとか、愛、これらを慈しみ尊ぶならば、死とか、骸とか、絶望とか、悪意とか、憎悪、これらにも同等に慈しみ尊ぶ価値があるんだよ。もっと言えば『価値を持つ必要がある』のよ」
そう言うと彼女はピンと人差指を立てる。
するとそれに合わせて、ジョッキの破片が僅かに浮かび上がった。
「言ってる意味が、よくわかりません」
「分からない? 死っていうのはね、それだけで美しいものなんだよ。『死があるからこそ生が輝く』みたいな幼稚な発想じゃなくてね、死によって生から解き放たれる事が、生のしがらみを棄て死へと還る事が。死とは生のもう一つのありようであり、生もまた死のもう一つのありようでもある、だから死は無条件に受け入れるべきであり、無闇に騒ぐ事でもないの」
ミリーの指先がくるくると廻りだす。
それに合わせて宙に浮く破片達も、渦を巻いていく。
「貴女は、イグノリアを見殺しにするんですか」
ガラスの渦が少しづつ塊を作りだし始める。
塊と塊が結合していき、ゆっくりと元のジョッキの形に戻っていく。
「カルシナはどうしても彼女を助けたいのねぇ。いいわよ助けてあげても、いっその事今後死に掛けた竜は全部私ミリー様が助けてあげて、竜を死から切り離しましょうか」
彼女はそういうとコロコロと楽しそうに笑い声を上げる。
俺は彼女が何を面白がっているのか、当然理解できない。
「もったいないわよそんな事。死を切り離すだなんて、少なくとも竜には絶対やらないわ」
テーブルの中央に、ビールのジョッキが完全に再生される。
ガラスに走っていた亀裂も暖められた霜の用に消えて行き、もはや完全に元の姿へと戻っていた。
「それにだよカルシナ、もし本当に助けようとしてだよ? 救助部隊を編成してだよ? それでなに、魔物の城に攻め込むの? 一匹の竜を助けるために、一体何匹の竜が犠牲になるのかな? もっと言えば、それを契機に魔物達との全面戦争が始まってしまうかもしれないよ? たった一匹の竜の為に」
彼女は得意げに言うと、挑むように俺の瞳を覗き込む。
だが俺は怯まなかった。
「詭弁だ、そんなの」
俺は指を鳴らす、彼女が再生したジョッキが再び砕け散る。
粉々の粒子レベルまでに分解されたガラス片が、光を虹色に眩く反射しながら、静かに降り積もる。
「貴女はもっと派手な戦争がしたいだけだ。今魔物達と事を構えれば恐らく空側が圧勝する。それを『ツマラナイ』と感じているだけだ」
ミリーはゆっくりと腕を組み、嬉しそうにテーブルの上に身を乗り出す。
「そんなに私が邪悪に見える?」
あぁ見えるとも。俺は心の中でそう返事をする。
「貴女は死にたいんだ。永遠の命に嫌気が差している貴女は、『劇的な死』で自分の最期に飾りたいだけ。そして魔物達にその可能性を賭けてる」
結局、貴女は人の事も、竜の事もどうだって良いんだ……
ミリーは微笑んだ、目じりを下げ、俺のその言葉を、俺の全てを慈しむような笑みを浮べる。
俺は彼女を睨みつける。
だけど直ぐに、酒場の人々へと俺は視線を逸らした。
「やめましょうよミリーさん、そんな意味の無い考え」俺は慎重に言葉を選ぶ「世界はこんなにも満ち足りているのに」
釣られる様にしてミリーも、横目を酒場の喧騒に向ける。
人々と竜達、彼らの楽しそうな宴。のどかで、平穏で、幸福な世界。
暫く二人でその光景を眺めていた。
――彼女がその光景に何を見たかは俺には解らない。
だけど俺と同じ物を見ていてくれれば、そう願う。
切に願う。
「そうね、そうかもしれないわね」
言って、ミリーはシニカルに微笑んだ
「でもだからこそ終焉っていうのには、とっても妖艶な魅力を感じないかしら?」
その終焉が指すのは彼女の命なのか、それともこの世界なのか
俺は尋ねる事はできなかった。